東方落命記   作:死にぞこない

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寝耳に水

 それはあと一週間もあれば春の精が仕事をするであろうと言う頃のこと。

 

 盛大な花見にするための環境づくりはほぼ終わっていた。吸血鬼ならば夜桜であろうとレミリアに話を通しているし、外道ながらも技術だけは確かな河童に、『へへへ、こいつは一つ貸しですなあ』との言葉をもらってしまったものの、高性能灯籠を発注済みである。最も重要であろう場所も私の一押しを使うと決めている。

 

 その他にも酒は当然としても酒菜がないのは寂しいと思い、巫女に頭を下げて協力してもらうことにした。頭を下げるとは何事かと思う者もおるかもしれん。実際、ちょいと情けないことなのは確かである。しかし、しかしだ優秀なる諸君。よく考えても見たまえ。ここでちんけなプライドを前面に押し出し、やれば出来ることを放置してしまい、挙句の果てには花見が失敗、四面楚歌などと阿呆らしい結果になってしまう可能性を。そうするとどうだ。必要な時に必要なことが出来るのもまた、偉大なりし長寿妖怪の力と言えなくもなかろう。

 

 ここまでは完璧と言って差支えない。近年まれに見る用意周到さを存分に発揮していた。もしや私は全知全能の神なのではなかろうかと自らを疑うほどだ。普段であれば自惚れと一蹴されそうではあるけれども、今回ばかりは胸を張ろう。自分はよくやった。誰も称賛してくれんのだから、自分で自分を褒めるのが当然の帰結であった。

 

 とまあ、私の寂しい心情とは関係なく、全てはとんとん拍子に進んでいた。

 

 だが、問題はこの後に起きるのだった。

 

 

 

 ――な、なんとぉ!?

 

「これは私も想定外だったよ」

 

 紅魔館の客間で、我々は顔を合わせて今後の予定を詰めようとしていた。花見の準備に関しては逐一報告しているのだが、そろそろ本番といったところであるから、念のためフランドールの様子を聞きに来た次第であった。万が一でも体調不良であるとかむしゃくしゃしていてそれどころではないとか、そういった諸事情による中止を無くすためだ。そしてその冒頭、レミリアはこう言った。

 

「あの子、花見行きたくないって」

 

 顎が外れそうになるほどの絶叫は久方ぶりである。いやさしかし、レミリアの言葉はそれほどの衝撃であったのだ。疑念の余地が入らないくらい至極当然の如く行くものだと考えていたから、そんな可能性は一度たりとも浮かび上がっていなかったのである。

 

「どうしようか」

 

 レミリアは苦笑しつつそう言った。

 

 こちらの内心そのままの言葉に、私は思い込みのもとで行われるサプライズはやるもんじゃないと事ここに至り悟った。だが失敗を悔いるだけで前へ進まないのは私ではない。現状で足踏みしたまま過ぎ去る時間など浪費に他ならない。それはそれ、これはこれと思い切りよく割り切ることにした。

 

 そうしてせめて理由を問いたださねば気がすまん、と有り余る熱意を伴ってフランドールの部屋に突入すると、どうやら呆けて休んでいた様子のフランドールはびっくり仰天と言った風でベッドから飛び上がった。私はその小動物もかくやの滑稽さに口の端から笑みがこぼれ、次の瞬間には壁の新たな模様になってしまっていた。

 

 いやはや、我が身ながら飛び散る瞬間まで意識を保てるとは、呆れると同時に耐久力に称賛を送りたい。苦しみが長続きしていると言う事実には出来る限り向き合わない方向でだ。

 

 まあそれは置いておこう。それよりも何よりも、この泣く子も黙るであろう美しい死への流れ、一つの芸術として完成されていると言えまいか。私の他にこの世界での一流を目指すものがいれば、良き好敵手、そしていつの日にか友となれるに違いない。だが悲しいかな、この世にはまだその美を鑑賞するに足る眼を持つ者がいない。好敵手など夢のまた夢。すなわち私が行ったこの一連の行動は阿呆が阿呆なことをしたの一言で処理されてしまうのである。

 

 息を吹き返し起き上がりながらそんな妄想に耽る。そうしてフランドールの傍まで歩いて行った。

 

「いきなり入って来ないでよ!」

 

 彼女に相対するや否や怒られてしまった。その頬は赤くなっている。これは間違いなく、恥ずかしがっているのだろう。その様子にまた笑みが込み上げてきたものの、もう一度壁に叩きつけられるのは勘弁願いたいので多大なる精神力を要して抑え込んだ。

 

 そんな私の努力もむなしく、笑われたのが余程こたえたのかその後もフランドールは、私にはデリカシーがないとか普通ノックするよねとかもう本当にあり得ないよとか散々っぱら文句を言い放った挙句、肩をすくめたり首を振ったりと大仰な身振り手振りで抗議しながらベッドの端に座った。

 

「まったくもう、今日は一人でいたい気分だったのに」

 

 太ももに肘を付けて頬杖をする彼女は未だにご機嫌斜めな様子である。私は手近にあった椅子を引っ張って彼女の近くまで持っていき、それに腰掛けた。目と目を合わせると彼女は僅かに視線を逸らして頬を膨らませた。

 

「何よう……」

 

 微笑ましい仕草であった。このまま情に絆されてうやむやにしてしまうのも悪くないかもしれないが、私は誰もが恐怖する大妖怪である。問うべきことは問い、それ相応の答えをもらわなければ引き下がることは出来ないのだ。

 

 私はそっぽを向いて不満げな表情を続けているフランドールに対して穴が開かんばかりに見つめ、花見に行きたくないとはどういうわけかと単刀直入に訊ねた。途端に彼女は一度肩をびくつかせると、ゆっくりこちらに向き直った。

 

 少しの間私の顔をまじまじと見つめて何事か考えた後、まあいいかと小さく呟いたのが聞えた。

 

「だってさー、花見のためでも外に出れちゃったら、私に問題がないことがばれちゃうかもしれないじゃん」

 

 ……うん?

 

 私は瞬間の思考停止を乗り越え自らの耳を疑った後、もう一度問うた。

 

「まあ、何て言うか、私は問題児じゃなかったってことよ」

 

 聞き間違いでないことを確かめてしまうと、脳内では大規模な嵐が巻き起こっていた。片っ端からその渦に巻き込まれていく思考の数々。瓦解する根本。一瞬にして立ち消えてしまうそれらを懸命の救出劇の末につなぎ合わせ現れ出でるは、直面しても直視したくないしょうもない真実であった。

 

 ――つまり、つまりだ。お前は、そう、言うなれば引きこもりを続けたいがために、力を制御できないとほらを吹いている、そう言うことでいいのだな?

 

「うん」

 

 即答だった。あまりにあんまりな、何の感慨も浮かばないほど呆気ない特訓の終わりである。

 

 と言うことはだ。新年が始まって以来彼女につぎ込んだあれやこれやは露と消える運命にあったのだ。積み重ねた屍は果たして何になったのか。花見に向けた労力はどうなったのか。ありもしない結末に向けた過程には一体何が残ったのか。

 

 誤魔化しようもなく、答えは無である。

 

「そ、そんなに落ち込まなくてもいいじゃん……ご、ごめんなさいでしたあ!」

 

 やけくそ気味の謝辞の声を耳にして私の意識は現実に戻って来た。

 

 死の一撃よりも甚大なる被害であった。

 

「でもでも、お姉さまだって悪いんだよ? ここにいれば何もしないで快適な生活が送れるんだもん。外に出たいと思うわけないでしょ?」

 

 私はもう虚空に向かって笑いかけるしかできなかった。骨折り損のくたびれ儲け。それだけが私の脳内を占めている。けれど不思議と憤りはなかった。これは家族の問題であったのだ。最初から私が入る余地はなかったのだろう。体よく利用されたわけである。向こうが一枚上手であった。

 

 つまりはそう言うことだ。

 

 ――……そんな簡単に納得できるわけなかろうが!

 

 私は勢いよく立ち上がり、こちらの様子を窺っていたフランドールの脳天にチョップをいれた。

 

「ぬわっ!」

 

 何ら可愛げのない呻き声を上げて頭を抑える彼女を見据え、私はびしっと指さして吠えた。

 

 ――決めたぞフランドール・スカーレットよ! 今より私はレミリアの依頼ではなく、私個人の感情を最優先とし行動を開始する! 覚悟しておきたまえ、お前は私の真の恐ろしさを呼び覚ましたのだ! 何が何でもお前をここから連れ出してやるわい! はーっはっはっは……げほっ、がっ、ごほっ、ごほっ……!

 

 声を荒げすぎて喉へダメージがいってしまった。今日は絶叫に始まり随分と酷使してしまったのだろう。だがここばかりはもってほしかった。私史上なかなかない格好良く決められる場面だったと言うのに、これではもう一度最初からやり直したい気分である。

 

「へ、へえ、そう……」

 

 私のチョップから立ち直ったフランドールはゆらりとベッドの上に立ちあがると、こちらの真似をするように指を突き付けて言った。

 

「いいわ、受けて立つよ! 私は絶対にここから出ないんだからね!」

 

 めらめらと燃えるやる気の炎を彼女の背後に幻視した。

 

 言葉だけを取れば情けないことこの上ない宣言であったが、ここに我々の戦いの幕が切って落とされたのであった。

 

 もうここからはお互いの誇りをかけ、血で血を洗う凄惨な戦場を作り出すことになるであろう。そう思ったのは私だけではない様子で、フランドールは挑発的な光を瞳に宿したまま口を開いた。

 

「でも今日は疲れちゃった。また明日からにしない?」

 

 私は鼻で笑いさらにはやれやれと頭を振ってから手を差し出した。彼女も本日最高の笑顔を見せてその手を握って来る。停戦協定は即日結ばれたかに見えた。

 

「戦いは既に始まっているのよ!」

 

 瞬間手が爆ぜた。いや、そうではない。あまりの圧にそう見えただけで、実際のところ強く握られたに過ぎなかった。彼我の戦力差は歴然である。私は羽虫を潰すのと同等にやられてしまうに違いない。だが何度潰されようとも起き上がるのが私だ。

 

 潰されていない手で拳骨を作り脳天に落とす。

 

「うぎゃっ」

 

 俄かに怯んだのを見て距離を取らねばと後ろに下がろうとしたら、さっきまで座っていた椅子にぶつかってこけてしまった。鈍い音を立てて床にぶつけた尻を擦りつつ見上げれば、そこには圧倒的有利を確信した笑みを浮かべ、こちらを見下ろすフランドールの姿があった。

 

「とりゃあ!」

 

 彼女はあろうことかベッドから飛び降り私の腹をめがけて落下してきた。体を無理矢理捻って間一髪避けたものの、劣勢は変わらない。さらに策を弄する隙もない。私は片手を支えに立ち上がり、仕切り直しとばかりに向かい合った。

 

「まだ続ける?」

 

 ――無論、お前が外に出るまではな。

 

 私ははっきりと言った。

 

 

 

 これ以降このやりとりを幾度繰り返したであろう。十を超え二十、そして三十を超えたあたりで数えるのを止めた。目に見えて疲労の色を濃くするフランドールを尻目に、私は死に続け体力を回復する。この戦法は私の気力が続くまで実行可能である。ゆえに終わりはない。

 

「も、もう終わりにしない?」

 

 彼女が弱音を吐き始めようとお構いなしに扉まで攻め立てる。

 

 その末、半ば意識が朦朧としているフランドールを抱え、紅魔館の廊下に出ることに成功した。

 

 私は達成感に打ち震えた。フランドールを廊下に寝かすと誰憚ることなく笑い声を上げる。清々しい気分である。自分自身の姿は血みどろで見るに堪えないが、今ばかりはそれすら心地よい。

 

 そうして何時しか、深い眠りに落ちて行った。

 

 

 


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