東方落命記   作:死にぞこない

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粉骨砕身

 

『これまでの経緯

 

 私は幻想郷が出来た当初から居座り、随分と長い間生きている。当然楽もあれば艱難辛苦に直面することもあった。だがその度に逃げることなく、真正面から正々堂々乗り越えて来た。酸いも甘いも嚙み分ける大妖怪だからこその、あえて回り道をせず茨の道を邁進する雄々しさを感じられるであろう。私だからこその芸当である。

 

 だがしかし、ある時、そんな私をして凶悪犯罪と言い切れる事が起こった。

 

 それは本書の題名にもなっていることから分かるだろうが、強調するため一度ここにも書いておこう。人里板戸失踪・誘拐事件である。思い出すに忌々しい、人里の外れで起きた、今世紀稀に見る痛ましい出来事であった。数え切れないほど数多の異変に遭遇し、それを見事解決に導いてきた博麗の巫女と雖も、こんな惨事に見舞われたことはないであろう。

 

 結果から言ってしまえばこの大事件は、既に賢明なる読者諸君はご存知のことかもしれないが、犯人の逮捕と言う快挙で幕を下ろした。それは偏に皆様の協力があったからこそである。感謝の念は堪えない。

 

 そうした事件解決に対する謝辞、絶対に風化させてはいけないと言う熱い義心、憎き犯人への恨みを込めて、私はここにこうしてその経緯を残したいと思い筆を執った。とは言え何かを書くのは久方ぶりである。そのため見るに堪えない拙い表現も散見されることであろう。しかしそこは寛大な心でお許し願いたい。

 

第一章 事の発端

 

 あれは新年が始まり半月が過ぎたころのことであった。所用により人里を出ていた私は、夜の帳が下りてから自宅へと帰還した。酔っぱらっていた私は目を疑った。我が家にあるはずの板戸がなくなっていたのである。信じがたい事実であった。何者よりも心が広く器の大きいと自負するこの私でも怒りに駆られた。そうして憤懣遣る方無い思いを胸にし、早急な解決を、と翌日から行動を開始したのである。

 

 これから記すのは私が里を回り、地道に調査した際に聞いた言葉である。名前まで出してしまうのは個人情報の観点から憚られるゆえ、ここでは一応の偽名を使うことにした。すべての事実を周知したいとは思っていたのだが、どうか御留意頂きたい。

 

 蕎麦屋にいたAはこう言った。

 

「板戸ぉ? そうだなあ……ああ、そう言えば昼過ぎくらいに前の道が騒がしくなってたか。飛んでるだか何だか。気になって人だかりの中ちいと見てみたけどよ、戸のほかには小さい足跡くらいしか見えなかったなあ」

 

 和菓子屋のKはこう語った。

 

「何でも板戸が浮いていたらしいですよ。いや、歩いてただったっけな。それはもう汚くて今にも壊れそうなのでがたがた音がしそうなものなんですけど、何にも聞こえなかったそうで。そう言った意味でも注目を集めていたみたいです。妖怪博士を豪語する爺さんによると、付喪神かも何て言ってましたけど、板戸でもそんなことあるんですかねえ、いやはや不思議なもんだ」

 

 本屋のMは言った。

 

「ああ、それ私も見ました! 一体何だったんですか? まるで子供が運んでるくらいの低さで飛んでましたよ。ちょっと追ってみたら、そのまま里の外へ行っちゃいましたけど。え? ああ、日暮さんのものなんですか? 発明品か何かで? 大妖怪っていうキャラはやめて発明家に転職? あ、違うんですね。うーん、どこに行ったって聞かれても……」

 

 最後に重要な証言をした新聞記者のSは、こちらが苛立つくらいに嬉々として口を開いた。明らかにこいつは楽しんでいた。鴉天狗の性分なのだろうか。知り合いの苦境を嘲笑うとはどういうことか。文句を言いたい衝動を押さえて話を聞いた私を、誰か手放しに褒めてもいいだろう。

 

「おや耳が早いですねえ、もうその話を知ってるんですか。事の顛末が分かれば記事にしようと思っていたところです。何か分かったら教えてくださいね……え? 日暮さんのところの戸なんですか? あの何回も壊されてる? はあ、なるほど。扱いの悪さに逃げたのかもしれませんねえ。あ、ちょっと怒らないでくださいよ、反省してますよ私は。何回も吹き飛ばしてしまいましたからそりゃあもう。信じてくれませんか? じゃあお詫びに一つ耳寄りな情報でも。どうやら戸は魔法の森で行方をくらましたそうです」

 

 こうして歯噛みしながら一通り聞き終えた私は、事実究明のため魔法の森へ急行した。

 

 もしかしたら知らぬものもいるかもしれない。懇切丁寧な歴史の継承を主旨としている本書としては、そう言った読み手による理解の差を出来るだけ抑えたいと考えている。ゆえに、魔法の森について少しだけ説明しておこう。

 

 そこは一帯に漂う体調不良を引き起こすキノコの胞子や、太陽が昇っていようと木々によって日差しが遮られてしまい、基本的に薄暗く湿っていると言う環境も相まって、人間はもとより妖怪でさえ気軽に足を踏み入れない魔境である。いまいち想像できないと言うものは、とりあえず嫌な場所だと思っておけば差支えない。

 

 その日も鬱蒼と生い茂る木々により、入ってすぐの場所までは問題なかったのだが、徐々に陽の光は弱まっていった。終いには足元まで照らしてくれず地面はぬかるんでいた。だが私は怯むことなく、一寸の迷いのない足取りで進んで行ったことをここに断言したい。しかし恐らく、優秀な諸君は疑問に思っていることだろう。ただそこでいなくなったと言うだけで犯人の目星もまったくないのに、なぜそうも自信満々に魔法の森まで向かったのかと。徒労に終わる恐怖を覚えなかったのかと。安心して頂きたい。これには理由があったのだ。まず人里の証言を纏めるとこうなる。

 

 犯人は白昼堂々、板戸を盗んだ。それもなぜか浮いていたと言う。そしてそれは子供の背丈くらいの位置で音もなく動いており、足跡を残しながら魔法の森で消息を絶った。付喪神云々は私でも違うと分かるゆえ、それは考えに含まないこととする。

 

 端的に並べても、凡そ人間には出来ない所業と言えよう。だがもし人間でなければどうであろうか。妖怪やそれに連なるものの仕業と仮定し、しかも人間に危害を加えることを目的とせず、戸を持ち去るために里に侵入する、悪戯を主に行う者――私には思い浮かぶ名があった。

 

 サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアら(この件に関わり、あまつさえ犯行に加担した者の名は積極的に周知していく次第である)光の三妖精である。彼女らは魔法の森の奥にある、一際目を引く大木を住処としているのだ。三妖精は各々の能力、つまりは光を操る力、音を消す力、気配を探る力を巧みに操り、我が手中から見事な手際で盗み出したのだろう。

 

 読者の皆様驚くなかれ、憶測に憶測を重ねた杜撰な推理とも言えない直感だったが、果たしてこの考えは当たっていたのである。私がその根城に乗り込み事情を説明すると、三人はあっけなく犯行を認めたのだ。ほっと胸をなでおろし、一安心したのを覚えている。これでこの事件は解決となる、そう思った。だがそんな簡単には問屋が卸さなかったのだ。

 

 彼女らはその日の朝、魔女が持っていったと言った。

 

 その言葉を皮切りに、韋駄天もかくやの私と黙して語らない朴訥な板戸の、幻想郷全土に及ぼうかと言う東奔西走の追走劇が繰り広げられる事となったのである。

 

第二章 板戸を追え

 

 その翌日、私は香霖堂で目を覚ました。昨日は妖精を尋ねた時既に夜更けとなっていたゆえ、魔法の森に近いと言うことも鑑みて、すぐに魔女を訪ねられるよう泊めてもらったのである。

 

 少しばかり本題から外れてしまうが、一応その礼も兼ねてここで諸君に言っておこう。香霖堂は店主不在の時もあるので気を付けなければならないが、並べられた商品はへんてこなものばかりで見るだけでも楽しい店である。

 

 里の外と言うことで心配するものもいよう。しかし道中現れるかもしれない妖怪や妖精は、私の名を出せば引いて行くだろうから心配無用だ。もし引いていかないのなら私を呼ぶと良い。忽ちのうちに駆けつけて追い払うことを約束する。それでも安心できぬと言うならば、行きたくなったら私を訪ねることも考えておいてほしい。喜んで同行しよう。大船に乗った気持ちで歩けるに違いない。

 

 是非一度、買わなくともよいので足を運んで見て頂きたい。

 

 さて、宣伝も終わりとして話を戻す。

 

 そう言った経緯で三妖精が犯人だとは分かったが、板戸の所持者は魔女となっていた。早速朝方彼女の家を訪れると、確かに倉庫に入れてあると言う。さらに聞くと、私の物だと分かって保管しておいたらしい。有り難いことであったが、彼女は代わりに金銭を要求してきた。とは言えそこはこの私である。他の追随を許さぬ交渉により無事ただで引き取ることになった。しかしそこでまた問題が発生した。

 

 倉庫から戻った魔女が首をかしげ、いつの間にか消えていると言うのだ。私は愕然とした。追い付いたと思ったら遠退き、この手にしたと思ったらさらりとその身を翻し去っていってしまう。板戸のくせに乙女気取りか、と私が嘆息したのも仕方がないことであろう。

 

 では何処に行ったのか、との私の疑問に、魔女はこう答えた。

 

「もしかしたらチルノが取っていったのかもしれないな。昨日うちにやってきたんだよ」

 

 私は簡潔な礼を述べ、健脚を唸らせて奴の遊び場である湖へと向かった。

 

 予想通りそこではチルノや大妖精らが集まり、我が板戸を凍らせたり湖へ沈めたりと遊んでいた。私はけしからんと声高に叫び渦中に突入し、板戸と共に凍らされて沈むことになった。無論死ぬ。しかしそれにより私と気がついた彼女らに板戸を返してもらおうと交渉を開始した。だがこれは難航した。例えどれだけ弁が立っても、意思疏通がままならなくては意味がない。その間に板戸が凍らされ沈み行くのを見た私は、それを追って湖へ飛び込んだ。そうして気迫漲る私が板戸に手が届くと確信した瞬間、不意に現れた亀裂に板戸だけが吸い込まれていったのであった。

 

 黒幕の登場である。

 

 私は水中であることを無視し、大声で彼奴の名を呼んだ。ごぼごぼと口から酸素が漏れてなくなっていく中、どうあってもお前には拳骨を落とすと鼻息を荒くし、さらに酸素がなくなって命を落とした。

 

 諸君の中にはこの黒幕が一体何者であるか、分かってしまった者もいるかもしれない。私とてここにその名を書き、愚痴を書き散らしたい気もあるのだが、こうも序盤の序盤に真犯人をばらしてしまっては物語的面白味に欠けよう。ゆえにここでは名前は用いず黒幕と表すこととする。ちなみに、本書は全十五章構成であり、黒幕の名を記すのは十三章となる。せっかちな読者はまずそこを見てきても良いだろう。しかしそれは本書の楽しさを損なう可能性が著しく高い。おすすめは出来ないとここに明言する――』

 

 

 

「――とりあえず二章の途中までは読み終わりましたけど、度々入って来る私怨と自賛が物凄く読む気を失せさせますね……」

 

 本居は呆れた様子で、文字を書き連ねられた紙束から目を離した。

 

 場所は夕暮れ時の鈴奈庵である。私は彼女に製本を依頼しに来たのであった。言うまでもなく三日前まで続いた板戸事件を纏めたものである。製作時間は一日もなかったが、犯人への嫌がらせの意味も込めて徹夜で書き続けた。個人的には歴代最高傑作と言っても過言ではない。しかし彼女は最後まで進めることもなく、結構な序盤で読むのを止めてしまった。駄作認定が下りたのだ。私はくう、と呻くことになった。

 

「本にしたいって言うから試しに読んでみたら、もう何ですかこれー」

 

 本居はため息を吐いて机に突っ伏してしまった。私が追いうちのようにして最後の方は犯人に対する恨み辛みだと告げると、彼女は心底やめてほしいと言った様子でうげえと舌を出した。

 

 そこまで駄目か。私は肩を落として息を吐いた。

 本居がうっ、と小さく呻くのが聞える。

 

「ま、まあでも、お金を払ってくれればやりますけどね、仕事ですから」

 

 そう言って彼女は渋々と引き受けてくれた。椅子に腰かけていた私は安堵した。そしてではさらばと立ち去ろうとしたところで、彼女が椅子を蹴とばす勢いで立ち上がって声を上げた。

 

「あ、ちょっと帰らないでくださいよ! 結末を教えてくださいよ、この後どうなったんですか? 読むのは面倒ですけど、そこは知りたいです!」

 

 興味津々と言った様子の本居に、私はふふふと笑ってもう一度座った。なんだかんだと言いながらも、我が回顧録に魅了されているではないか。気を良くした私は特別だぞ、と勿体ぶって語り聞かせてやることにした。

 

「小鈴ちゃんいるー? 本返しに来たわよ」

 

 だと言うのに、誰かがやって来たらしかった。本居はすぐさま挨拶をして営業スマイルを輝かせた。私は今この瞬間に語りだそうと大きく開けていた口を、静かにゆっくりと閉じることになった。寂しい心持である。来客ももう少し時機を見計らって来てくれてもよかろうものを。私はやおら振り返る。

 

 そこに立っていたのは、片手に本を持った博麗の巫女であった。

 

「その本はどうでしたか?」

「んー、ちょっと微妙だったわ。温故知新とは言うけど、古すぎるのは駄目ね」

「そうですか……確かに昔の本ですからねえ。あ、じゃあこっちはどうでしょう」

「また料理本? それはもういいわ。飽きちゃったし」

「あ、そうなんですか」

「今度は刺激的な物語がいいわねえ」

「刺激的、刺激的ですかー」

 

 二人とも私を無視して話に花を咲かせていた。巫女などこちらを一瞥してそれだけであった。もう少し反応してくれてもよいのではなかろうか。私は立ち上がって巫女に抗議した。すると彼女はあのねえ、と語気を荒くして答えた。

 

「あんた昨日うちの境内で酒飲んで、片付けもしないでそのまま帰ったの忘れたわけじゃないでしょうね。結局参加してない私が全部掃除する羽目になったんだから。萃香だってどっかに行っちゃうし」

 

 あっ、と声が漏れた。確かに掃除した記憶が一切なかった。そこだけ我が頭脳から欠落している可能性も否めないが、巫女が恐ろしい瞳をしているので私は誤魔化すようにして苦笑する他なかった。

 

「宴会が開かれていたんですか?」

「そんな規模の大きいもんじゃないわ。ほら、こいつの家の戸が消えたってここ一週間くらい騒がしかったでしょ? その犯人がめでたく捕まったからお祝いにね」

「あ、そうでした! 犯人って誰だったんですか? 妖精じゃあなかったんですよね」

「あれ、何で知ってるの?」

「日暮さんが本にしてくれとこれを持ってきたので」

 

 そう言いながら本居は紙の束を机の上から持ち上げて、訝しげな瞳を向けていた巫女に手渡した。彼女は小首を傾げて受け取ると、さっと目を通してから私を見た。

 

「何これ」

 

 一言、だからこそ胸に刺さる言葉であったが、私はあえて胸を張り答えた。

 

 我が自信作である、と。

 

「あ、そう。わざわざ書くなんて面倒なことしたもんねえ。読む人もいないでしょうに」

「ですよねえ。ってそうじゃなくて! 犯人、犯人ですよ」

「ああ、はいはい。犯人は紫よ。妖精たちは口車に乗せられたみたいね」

「紫?」

「あれ、小鈴ちゃん知らなかったっけ。紫はよ……あー、そうね」

 

 巫女は珍しく言い淀む様子であった。博麗の巫女として、妖怪と仲良くしているところを里の人間に知られるのはよろしくないのかもしれん。まあ、私も妖怪なのだが、本居が信じていないのでいいのだろう。私個人としては大問題であるが。

 

「紫は胡散臭くて人を騙すのに長けてて、物を隠したり盗んだりするのが大好きな鬱陶しい奴よ」

「は、はあ。何だか凄い人なんですね」

「まあ、そうね。凄いっていうのは認めてる」

「会ってみたいなー。あ、そうだ、そんな人が出て来る小説があったんですよ。読んでみますか?」

「そりゃまた変なのがあるのね。面白そうじゃない」

 

 そうしてまた二人で話し始めてしまった。商談を開始しているらしかった。となると長居するのも悪かろう。製本をよろしくと念を押して金額を払い、鈴奈庵を後にすることにした。威勢のいい返事を背中に暖簾をくぐって外へ出れば、もう日は沈み切っていた。案外長いこと経っていたようだ。やることをやりきったと言う清々しい気分の私は、どこかでたまには豪勢な飯でも、そう思って意気揚々と夜の大通りへと繰り出した。

 

 

 

 様々な店を見て回ったものの、最終的に普段通りの蕎麦を食い自宅まで戻ってきた。そうして私を迎えるのは、代わり映えのしないぼろぼろの板戸であった。こうして見ると、幾度の鴉連中の突進を食らいながらも形を保っているのは偉業かもしれんとどこか感慨深くなった。今更ながら我が家の板戸にふさわしいとさえ感じられる。そうして一人うんうんうなずき戸に手をかけた。軽く引けばどこかが引っ掛かり開かないので、そこで一度強く引っ張る、すると音を立てながら開けるのだ。

 

 なんだかんだと文句を言っていた私だが、この戸がしっくりくるのは確かに思えて、ふと愛おしさすら覚えた。あわや落涙かと心配になったが、傍から観察する冷静な自分が、それは流石に阿呆臭いと一蹴してくれたことにより事なきを得た。

 

 頭を振り、居間に上がって寛ごうとしたところで気が付いた。勝手に卓袱台が出され、その上で湯呑みが湯気を上げている。今淹れたばかりのように見えた。呑気な泥棒か何かか、私は居間を見渡し誰もいないことを確認したのち、台所へと進んで行った。

 

「あら、借りているわよ」

 

 そこにいたのは反省した素振りが欠片もない八雲であった。急須と湯呑みを盆に載せ、居間に戻ろうとしている様子である。私は納得がいかなかったが、おそらくあれは私の分であろう。冷める前に飲みたい気分であったので、私は潔く引き下がり居間で胡坐をかいた。

 

「はいどうぞ」

 

 後ろをついてきていた八雲は、卓袱台に湯呑をおいて茶を注いでくれた。途端湯気が上がる。今日も寒いのである。体を温めようと一口、ずずっと啜った。熱いとまではいかないちょうどいい暖かさであった。私がいつ帰るか分かっていたのだろうか。まあ、八雲は四六時中どこかをのぞき見しているような奴だから、何があろうと不思議ではない。

 

 八雲は私がお茶を啜るのを見てから、卓袱台を挟んで向かいに座った。

 

「ここ最近は大変だったわねえ」

 

 どの口が言うか、私は言った。すると彼女は緩やかに口角を上げた。

 

「この口がよ。ふふ、面白かったわ。私の仕業と分かった後も自力で取り戻そうとするし、相変わらず阿呆ねぇ」

 

 私とて意地がある。最初の段階で敗北を喫してしまえば、少しでも自尊心を保つために板戸だけは自らの力で勝ち取る他なかろう。そこでこいつを呼び立てて返せと言うのは、あまりに詰まらないし情けない。いわばあれは誇りをかけた真剣勝負だったのである。

 

 敗者から何かを言うつもりはなく、私は肩をすくめて見せて、手をぷらぷらと振って早く帰るよう促した。けれど八雲は徐に茶を啜った。帰る気はないらしい。

 

「まあ待ちなさい。もう少しすれば彼が来るから」

 

 彼。

 こいつの言う彼とは大抵森近のことである。とは言っても彼が人里まで来るのは、知的探求心が止まらなくなり重い腰を上げるに至ったときや、私がしつこく誘った時くらいのものである。しかもこんな夜中に来るとは思えず、はて誰であろうか、と首をかしげることになった。

 

 私がそうして考え込んでいると、八雲は言った。

 

「霖之助よ、霖之助。あなた、以前二人だけでお酒を飲んだでしょう? この私を呼びもしないで楽しそうに。いつも三人で飲んでいるのだから呼んでくれても良かったじゃない」

 

 こいつにしては珍しい、いささか恨みがましい視線を寄越してきた。確かにそれはそうだが、なぜ知っているのかと思った私はそこではっとした。板戸事件が発生したのはちょうどその日である。時期的には重なっていた。こいつ、もしや。

 

 ――お前、その仕返しに戸を盗んだのではあるまいな。

 

 その言葉に彼女は口を開かず、静かに笑みを浮かべるのみであった。真相は藪の中である。仕方がないから、私は彼女の脳天に一発拳骨を落とし、この件は終わりとした。

 

 その後本当にやって来た森近を加えて、我々はささやかな飲み会を開き朝方まで飲み明かしたのだった。

 

 

 


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