東方落命記   作:死にぞこない

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欣喜雀躍

 

 夜更け過ぎのことである。

 

 私は枕元に行灯を置いて懐かしい日記を読んでいた。去年のうちに掃除をしてしまわなかったためにどこか清々しい気持ちが薄れてしまっている気がして、家をひっくり返す勢いで色々と片付けていたら偶然にも見つけた一冊である。古ぼけていて、せっかくの流麗な文字も滲んだり霞んだりで蚯蚓がのたくったように変わってしまっているのが難点だが、読める部分だけでも自分を振り返るのは割に面白かった。無論、そこかしこに若気の至りが見つかってしまうのだが、今では誰も知らないだろうから問題ない、ということにした。

 

 しかし楽しんでいたのも束の間、どうしたことか、何やら外から大きな声が聞こえてくる。人里の外れにある我が家では、夜中に物音や騒がしい声が届いてくることは殆どない。しばしの間は気にせず読み進めていたのだが、どうにも静かにならん。一度気になってしまえば振り払うことは敵わなかった。仕方なしに私は外套を羽織り、提灯を片手に戸を開き外に出た。途端に身を包む夜闇の空気は、殊更澄んだものに感じられて気持ちが良かった。もうちょびっとでも暖かければ言うことはない。

 

 家の前は広い空き地になっている。草木もない寂しい土地だ。里の住人がここに来るのは急用がある時くらいのもので、通常我が家を訪れるのは妖怪と相場が決まっている。

 

 なぜか今日はそこで宴が開かれている様子だった。

 私は手を額に当てため息を吐き、提灯でぼんやりと照らした。

 少しして、私に気が付いた彼らは俄かに活気づいた。

 

「あ、日暮さんじゃないですか!」

「おお、久しぶりに見たよ」

「おいらなんか昨日見たぜ。蕎麦切食ってた」

「いっつもそうだよな。他に食うもんないのかねー」

「へへ、金がないんだよ」

「悲しいなあ」

 

 うるさいわ、私は吠えた。

 

 我が家から数歩の近場で、近所迷惑も考えずわいわい騒音を撒き散らしていたのは付喪神たちであった。彼らは長年使われたものに魂が宿るため、箒や盃、壺、看板、その姿形は様々であるが、私の回りに集まってくるのは大抵、世間話好きの気の良い連中であるということは共通していた。酒を酌み交わしたことはないものの、言葉を交わしたことは多々ある。

 

 ゆえにこうして語り合っているのはよくあることと結論付けられるのだが、しかし腑に落ちんことがあった。彼らは夜な夜な人目の少ないところか、どこかの物置にでも集まって喋るくらいのもので、こんなところまで足を運ぶことはなかったはずだ。何せ戻るにも時間がかかるのは間違いなく、その間に人間に見つかっては大騒ぎになり、博麗の巫女の登場と相成る可能性が高くなる。そうなれば無用な騒ぎを起こしたとして付喪神は供養されてしまうだろう。

 

 私は疑問をぶつけた。

 

「いやー、それが最近子供がね、あっしらを逐一見たり触ったりしてくるもんですからね、場所を移して安心したいなあと思ったんで。もし話してるところ何て見っかったらどうなっちまうか。ま、ここに来るのもちょっと危険なんですがね」

「そうそう、誰にも見つからないで話せるってなったらここでしょう」

「今まではこんなことなかったのにねえ」

「何でも鈴奈庵てところでよ、子供相手に俺たち付喪神の話をしてかららしいぜ?」

「かあー! あの嬢ちゃん余計なことしてくれたもんだなあ」

「まあでもよ、子供のことだからすぐに忘れるだろうさ」

「ま、そうだな。んじゃあそんなことよりもさ、最近どうだい? お前んとこ扱いが悪いって愚痴言ってたろ」

「それがなー、何でか分かんねえけど良くなったんだよな」

「ああ、そりゃあれだよ。お前さんを片付けもしねえでいなくなっちまったあの旦那によ、俺直々に罰を与えてやったからよ」

「ほー、ただの看板のあんたがねえ。そりゃあ凄いや」

「何だ手前、信じてねえなあ。しょうがねえ、一から教えてやるぜ」

 

 口々に話し出して話題があっちへこっちへ飛んでいく。ついていけなくなった私は、ほどほどにしておけと告げて家に戻った。寝ようと思い布団に潜り込むもいつまで経っても声は消えない。私は結局小鳥のさえずりが聞こえてくるまで、日記を読み返すことになった。

 

 私は色々やっていたのだなあ、と他人事のように思いながら夢の世界へ旅立った。

 

 翌日も付喪神連中はやって来た。うるさくて仕方がない。奴らに文句を言って早々に帰らせたが、これは原因に一言言ってやらねばならん、と思い立った。

 

 私は要らん決意をしたのである。

 

 

 

 また翌日。私は貸本屋である鈴奈庵を尋ねた。貸本屋と言っても販売もしていたり、製本を請け負ったりと案外手広くやっているところだ。九代目の幻想郷縁起もここで作られている。私も手伝わされたことがあった。

 

 暖簾を押しのけ中に入れば、妖しい雰囲気と古紙の香りが鼻孔を衝く。中はそこそこの広さを持つのだが、たくさんの本棚が置かれているため狭く、圧迫感を覚える。本をあまり読まない私には縁遠い場所のはずだったのだが、他の連中の仲介で連日のように来る機会もあった。

 

 一番新しいことで言えば、ここで鴉の新聞を販売させるのに一役買ってやったことであろう。利益の少しばかりを懐に入れることを条件にして、だが。その恩恵は大きく、それまでは三日に一回仕事をしなくては碌な飯も食えなかったが、以降は週に一回で十分となった。奴の新聞もなかなかのものだ。私一人だけの計算であるゆえ、例外は絶えず発生してしまうのが難しいところである。

 

 そう言ったあれこれも関係して、何かと付き合いの長い鈴奈庵の店番にして我が宿敵、本居小鈴は、椅子に腰かけ机に本を置いて読んでおり、さらに眼鏡をかけて知的な少女と言った風であった。その本がどんなものかは分からぬが、にまにまとしている様子からしていかがわしい本には違いない。挨拶する気配すらないので、私は胸を張って長寿妖怪の威厳をたっぷりと醸し出しつつ指摘した。客が来て何もないのか、と。

 

 彼女は本をぱたんと閉じて眼鏡を外すと、市松模様の着物を揺らして立ち上がった。

 

「借りて行ってくれたためしがないじゃないですかー」

 

 やや恨めしげな視線を受け、私は呻くことになった。その通りである。かれこれ数十回以上は訪れていたが、今までここの本を借りたことは一度たりともなかった。

 

 だが待て、私は追撃を企んだのか口を開いた本居を手で制した。

 

 そうして私は長生き妖怪であり知恵もその分あり、本を借りて読む必要はないのである、と言った内容で、長寿妖怪と言うことを全面に押し出して朗々と語り聞かせてやった。拍手喝采でも頂きたいところである。しかし彼女は不満げに息を吐いた。

 

「もう、またそうやってほら話で誤魔化して帰る気なんですね」

 

 何がほらか。私は言った。

 しかし本居はやれやれと肩をすくめた。

 

「どこが妖怪なんですか。全然ぽくないです、全然」

 

 ぬう、私はまたも呻いた。

 

 こうも真っ向から否定されるのは思いの外堪える。九代目の幻想郷縁起にも記されていることだが、私はこの幻想郷でもっとも妖怪らしくない妖怪らしく、遺憾なことだが、里の人間の大半は私をちゃんとした妖怪だと認識しておらんようなのだ。年寄り連中でさえも、私を幻想郷の守り神やら長老のように思っているらしいのである。子供からは死神と呼ばれるが、その中で言えば一番近いかもしれん。

 

 そうなってしまっているのは、おそらく私が出来る限り里の中で死なんように努めていることも関係していよう。

 

「妖怪と言うのはもっと恐ろしいと言うか、別物って感じがするんですよ。でも日暮さんそんなのまったくないですし」

 

 悔しくも言い返せなかった。

 

 私を妖怪足らしめる能力を、わざとこの少女に見せることは出来ん。悪戯に恐怖させる唾棄すべき行いであるからだ。それに人死になど見ないで済むのならそれに越したことはない。人間のように生涯が短いものは特に、楽しい思い出を多く持つべきであろう。ただ博麗の巫女やそれに準ずる連中は別だ。あいつらは普通の人間という枠からは外れておる。

 

「髪はぼさぼさだし、あっちへふらふらこっちへふらふらで年中お酒飲んで。普通の人と変わりないですし」

 

 私が反論できないのをいいことに、散々な言い草である。ここは説教せねばなるまい。私は無用な使命感に駆られるまま、相手を尊重し貶めることなきようと口を酸っぱくして注意した。本居は耳を塞いでいやいやと頭を振った。

 

「分かってるわよぅ。おとうさんみたいなこと言わないでよね」

 

 私は人里の子供の相手をしてやることが多いので、そうなってしまうのも致し方なかろう。実際本居の子守りをしてやったこともあった。あの頃は素直でかわいい子だったのに、なぜこんな相手を信じない奴になってしまったのか。甚だ疑問である。

 

「そんなことはいいとして、今日は何しに来たんです? 一人で来るのは珍しいじゃないですか」

 

 私は気を取り直して、うおっほんと一度わざとらしく咳払いをした。そうしてここ数日のことを語り聞かせてやった。付喪神がうるさいとか、生徒諸君に話を語り聞かせてやって私の十八番を取るなとか言う話である。どちらかと言うと後者の方が割合が高い気もする。前者は過ぎてしまったことだから、一日経ったらどうでもよくなったのだった。

 

 それらの中には多少の愚痴も混ざっていたが、彼女は気が付いていないだろう。私の凡手の業でない話術の前には、それも仕方がないことである。彼女が未熟なのではない、私が上手なだけだ。

 

 はっはっは、と内心笑い声を上げた。

 

「ただの愚痴じゃないですか!」

 

 私は本居の慧眼に瞠目した。

 

「それにですねえ、日暮さんのお話ってワンパターンでつまらないと思うんです。子供たちだってせっかく聞くんだったら面白い方がいいでしょ?」

 

 驚天動地である。いやしかし、そんなはずはない。私は絶えず反論を繰り広げた。

 

「ふふん、何を言ったって無駄ですからね、私の話の方が本をもとにしている分教訓もあって人気なんです。妖怪からの身の守り方とか。せがまれるほどなんだからどっちが上かなんて言うまでもないわよねー」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべていた。小憎たらしい表情である。

 

 私だってせがまれるわい。

 

 反射的に発したその言葉をきっかけにして、ここに第何次かも分からぬほどに続いている大論争が、またもや幕を開けることになったのであった。

 

 先鋒の本居も慣れたもので舌鋒鋭く戦端を開くも、私の経験溢れる理知的かつ情緒的な他に真似できない口撃を前にしてたじろいだ。しかし奴もやられて終わるような生半可な娘ではない。これは私の勝利かと確信を持ったところで、本居は反撃を繰り出してきた。そこには私を徹底的にこき下ろす言葉を混ぜながらも、節々に親戚の住所不定無職に助言を送る優しさのようなものを垣間見せる。あまりの高低差に心を揺さぶられた。これはいかん、私は負けじと再度口撃を開始した。

 

 ここに我々の戦いは混迷を極め始めた。

 

 そんな中で、不意に入り口が開かれる。息も絶え絶えになって来ていた我々は一瞬アイコンタクトを交わし、一応の休戦状態に移行することにした。人間の中でこれが通じるのは少ないため、少し感動した。やるではないか。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 本居はすぐさまに表情を変えた。営業スマイルが眩しい。

 私は半ば呆れを顔に浮かべながら、その笑顔を向けられたのは誰であろうと振り返った。

 

「あややや、これはどうも日暮さん。こんなところで出会うとは」

 

 そこに立っていたのは鴉である。普段の出で立ちとは違い、シャツにネクタイを締め薄茶色のジャケットを着て、半ズボンをはいていた。帽子まで被っており、どこぞの小僧かと見紛うほどにどことなく男っぽさを漂わせている。大分人里に馴染んでいる様子であり、一目見て天狗だと気が付く者はおらんだろうと思われた。

 

 そんな彼女の手には多くの新聞が握られていた。

 

 この昼も過ぎた時間に今日の販売分を持ってくることはなかろう、私は視線で疑問を投げかけた。

 

「ああこれですか。増刷分です。いつもならこんなことないんですが、新年特別号の売り上げが良くて良くて、笑いが止まりませんよ」

 

 あっはっはっはと鴉は笑った。私も共に笑った。

 その様子からして私の取り分も相応に増えるに違いない。

 

「ではこれを」

「あ、どうも……」

 

 本居は私とははっきりと違って、鴉からおずおずとした様子で新聞を受け取った。若干ながら冷や汗が流れているのも見受けられた。

 

「……意地の悪い顔をしてますよ」

 

 どんな顔をしていたかは分からんが、私の訴えに気が付いたらしい本居はじとーっとした視線を寄越してきた。

 私はふっ、と鼻で笑ってやった。仕返しである。

 

「むう……だって……天狗なんですよ……!」

 

 本居は私に近づいて耳元でこっそり囁いた。

 ならば私などその上をいく大妖怪なのだが、なぜこいつは鴉を信じて私は信じないのか。

 私の隣でにこにこと余裕ある笑みを湛え、面白そうに眺めていた鴉に聞いてみた。どうしたら本居が信じると思うかと。

 

 鴉はそうですねえ、と僅かばかり迷う素振りを見せたものの、指をピンと立てあっけらかんと言い放った。

 

「いっそのことお亡くなりになられては?」

 

 良い笑顔であった。

 私が繊細微妙な心の持ち主であったら、こいつの言う通り死んでしまうだろう。

 

 それ以外でだ、私は言った。

 

「んー。じゃあもうないかと。日暮さんが妖怪と信じられているのは、実際にこうして長生きしているのと死んでも蘇るからですし。そのどちらも見ていない、見ることが出来ない人間に信じろって方が酷ですよ。妖怪の中ですらあなたは一体何なのか、そう疑問を抱く者もいるのですから。ねえ小鈴ちゃん?」

「あ、は、はい、そうですね……」

「そんな怖がらないで大丈夫だからねー。取って食ったりしないから」

「あ、あはは……」

 

 あやすように優しい声音で語りかける鴉に、それを見てさらに怖がる本居。腰が引けていた。

 笑顔か、笑顔が怖いのか、そうであろう。

 私は本居に渾身の笑顔を送ってやった。笑われた。

 おかしい。私の立つ瀬がないではないか。

 

 鴉もくすくす笑っておった。

 

「それでは私はこれで。本当はもっとお話ししていたいんですが、最近何かと忙しいんですよ。嬉しい悲鳴って奴です」

 

 ではでは! そう言いながら鴉は手を振って去っていった。戸は壊されていない。

 

 あいつも我が家とこことで大分違うのではなかろうか。どういうことか。私ならば壊してもいいだろうとの甘えか。

 

 何が私と違うのか、我が聡明な頭脳はその優秀さゆえに苦難を強いられていた。あらゆる観点から鋭く真実を見抜く私が立ち代わり現れ、好き放題に言い散らして議論が紛糾し、喧喧囂囂の酷い有り様となってしまっていた。出口の見えない迷宮に足を踏み入れてしまった冒険者の気分である。

 

「ふう、えっと、それで何でしたっけ?」

 

 嵐でも過ぎ去ったかのような緊張がほぐれた表情で、本居は一息ついた。私のような大妖怪を前にして平生の状態だと言うのに、まったく度し難い奴だった。とは言え聞かれた私も勝手に疲れ果てており、腕を組んで首を傾げ、何であったろうなあ、と一言返すのが精一杯であった。

 

「まあいいです。何か借りていきますか?」

 

 ないと思うけどー、と本居は続けた。

 

 明らかな挑発行為である。私に金を落とさせようと言う策略に違いなかったが、ここは乗ってやるのが親心。

 

 一通り本棚を見て回って、この店にはそぐわない真新しいような本を見つけた。気になって取って見れば、白い表紙のそれは不思議と手によく馴染む。くるくると回して表紙、背表紙、裏表紙をじっくり確認するも何も書かれていない。どこか引っ掛かりを覚えたものの、私はこれがいいかもしれん、最終的にそう思って本居の元まで持っていった。彼女はそれを見てあっ、と声を上げた。

 

「これはおとうさんが子供の頃にもらった本だって言ってましたよ。本当はずっと自分が持っていたいけど、それだともったいない気がするからって貸し出すことにしたみたい。内容は妖怪の生態について書かれていて、多くは嘘っぽいの。でも他の本に比べて妖怪を身近に感じられる滑稽話が多いから面白いですよ」

 

 なるほど。聞く限り私の趣味嗜好に合いそうな本である。

 返しに来るのも面倒だし、いっそのこと買ってしまってもいいかもしれん。

 その旨を伝えると本居はうーんと唸った。

 

「それならですねー……これくらい」

 

 彼女はそろばんで値段を示し、私は肩を落とした。

 到底払えないほど高すぎる。なぜこんなにするのか。

 

「売ってもいいって言われてるんですけど、おとうさんが大切にしているみたいだからね。出来れば売りたくないんですよ」

 

 へへへ、とどこか照れくさそうに彼女は頬を掻いた。

 そう言うことならば仕方がない。諦めて普通に借りることにした。

 

「あ、一つだけ約束してください。絶対に! 汚さないでくださいね! おとうさん作のカバーがかかってるから大丈夫だとは思うけど……」

 

 念を押してくる彼女に、私は無論だとうなずいた。

 そうして諸々の手続きを終えた私は、店を出ることにした。

 

「ありがとうございましたー!」

 

 去り際に見せたその表情は、今日見た中で一番の笑顔であった。

 

 商売上手なようで結構なことである。

 

 

 

 その日の夜、私は行灯を枕元に置いて借りたものを読むことにした。もう付喪神たちは来ることなく、静かな時間が流れている。子供たちが飽きたのだろう。本を読むには最適の環境だ。とりあえず前書きから読み始める。やはりそれは馴染むと言うか懐かしいと言うか、私が読んでいた日記に似ていた。

 

 ――あ。

 

 そうして意図せず呆けた声が漏れた。とある一文に見覚えがあり過ぎたのだ。言い逃れが出来ないほどに。元々抱いていた疑念が確信に変わった瞬間は、言いようもないほどの特別な感覚であり、目の覚める思いでもあった。

 

 道理で手に馴染むわけである。

 

 目線の先には太字でこう書かれていた。

 

『我が名は長生。知らぬ者なしにして右に出る者なし、泣く子は黙り鬼は泣く、稀代の大妖怪である。』

 

 私は笑った。これは子守を名乗っていたころに、子供たちに書いてやった一冊であった。私が会った面白い妖怪たちとの話や私自身のことを纏めたものだ。あの頃はちょいと人間が妖怪を怖がりすぎていたので、安心させてやろうと作ったのだった。よくもまあまだ持っていたものである。それもこんな日焼けや染みも少ない状態でだ。私の持っていた日記との差に驚きを禁じ得ないと同時に、勝手に頬が緩むほど嬉しく思った。

 

 何だかんだと自分に文句を言いながら読み耽ってしまい、気が付いたときには板戸の隙間から日差しが入ってきていた。

 

 

 

 それから私は度々、一人で鈴奈庵を訪れるようになった。

 

 本居はそんな私を不思議そうに見て来るゆえ、ある日こう言ってやった。

 

 

 

 ――客には笑顔で挨拶をせよ!

 

 

 

 あいつの頬を膨らませた悔しそうな表情は、実に良いものであったと言っておこう。

 

 

 


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