東方落命記   作:死にぞこない

3 / 36
終わり良ければすべてよし

 

 もう疑問などどうでもよくなった私の眼前では向日葵が咲き乱れている。よく手入れされているらしく、膨大な数に上るが一つ一つしっかりと本来の美しさを放っている。世話をしたものの心を映しているかのようである。

 日光を浴びて風に揺られるその姿は見事の一言だ。

 

「また妖精にいじめられたそうじゃない」

 

 私の隣で日傘をさしながらくつくつと笑う憎き妖怪は、美を愛でる精神を全く意に介さないようであった。困ったものだ。生物のステージが違うことがはっきり分かってしまう。

 ふふっ、と私は笑い返してやった。

 

「あら、今笑った?」

 

 すっと笑みが収まったかと思うと睨まれていた。この変わりようの速さは恐ろしい。人里ではにこやかに微笑み、こう言った攻撃的な面を見せないのも一層恐怖を引き立てる要素になっている。私は一歩距離を置いた。けれどすぐさま一歩近づかれた。思わず一歩引いた。一歩近づかれる。

 

 その後数分ほど無様な横移動が続いた。

 

「逃げようとしてるわね」

 

 私は即座に真っ向から否定した。そんな臆病なことはあり得ない。曲がりなりにもそこそこ生きてきたのである。何時だったか定かでないが勇名を馳せたこともある気がする。

 だと言うのにこんな小娘から逃げる?

 腹を抱えて笑い転げてしまうような荒唐無稽な妄想を鼻で笑ってやった。

 

「最近、疲れてるのよねえ」

 

 私の言葉を聞き終らぬうちに、彼女は日傘をくるくると回し始めた。臨戦態勢とでも言おうか。一瞬で首を刈り取られそうな殺気を醸し出していた。私は瞬時に脳内で様々な策を練った。

 

 まずはここで死ぬ場合。

 死ぬにも後世に語り継がれる小粋な死に方もあろう。逃げるところを背中から、などになればあまりに情けなく、先日の妖精たちの二の舞になってしまう。それだけは避けたいところだ。出来ることなら一花咲かせて散って行きたい。

 

 次に生き残る場合、つまり逃げる場合。

 そうなると一刻も早く行動に移さねばなるまい。機会を窺うなどと言うなまっちょろいことを言っては生き残ることなど出来ない。動くべきは今だ。

 

 だがそんな思考は耳に届いてきた音にかき消された。何だと思い横目でちらっと見ると、奴め楽しそうに鼻歌を歌ってやがった。なめ腐っている態度に怒りを覚えるはずだったのだが、聞き続けているとけったいなことに私はどこか心地よい気分となって来た。歌に関しては門外漢ゆえによく分からないが巧拙程度は分かる。意外だがこの女、歌が上手いようであった。それならば堪能してやろう、私は目を瞑り耳を傾けることに集中した。

 

 そして気が付いたときには腹を貫かれていた。

 私は口からこぼれる血液に、またか、と自嘲交じりの笑みを浮かべて目を開けた。

 そこには、向日葵畑にも勝るとも劣らない満面の笑みを浮かべた風見幽香が悠然と立っていた。こいつも妖精と似たようなものだ、好き勝手遊んで満足している。

 そう考えると怒りも湧いてこなかった。

 

 今回は負けを認めよう、しかし私はまた来る。いつか勝つその時まで――。

 

 無論口には出さない。だって怖いのだもの。

 

 

 

 ここならば死にはすまい、と博麗神社を訪れた。ここで死んだのは紅霧異変の時に目測を誤り階段を転げ落ちた時と、驚かせようとわざと転げ落ちた時だけである。誰かに死ぬのが嫌なら家でじっとしてたら、と言われたことがあるがそれではつまらないではないか。面白さと死なないことを両立してこそ人生である。

 

 巫女は境内の掃除をほっぽりだし、本堂の縁側でお茶を飲んでいた。私は軽く手を上げて挨拶すると隣に座った。きっ、と睨まれたが風見に比べれば屁でもない。そのままお茶を要求すると悪態をつきながらだったが淹れてくれた。

 

「何しに来たわけ?」

 

 目的のない私は様子を見にとだけ言ってお茶を啜った。巫女は怪訝な瞳を寄越してきた。

 

「賽銭ははずみなさいよ」

 

 巫女はそれだけ言うとお茶を啜り、我々の間には静寂が流れた。

 木々の間からは日差しがこぼれ、安らぎを感じさせる風景である。私の家もこれくらい太陽を感じさせる場所だったらよかったのだが、生憎なことに殆ど届かない湿った場所だ。だからこんな男に育ってしまったのだろう。太陽の輝きを身に浴びていれば雅趣に富んだ男になっていただろうに。

 

「あ、そうだ。あんた私の仕事手伝いなさいよ」

 

 またか、と私は嘆息した。

 

 これまで彼女の言葉に乗せられ手伝わされたのは数知れず。毎回囮に使われ気息奄々たる状態になるのだ。そんな私にこの巫女は優しい言葉の一つもない。給金を出してくれるのが唯一血の通った人間であることを感じさせた。

 ただ断るほどの理由もない。私は今回だけだ、ともったいぶって了承した。

 

 言う必要もないだろうが、私は当然の如く死んだ。後日、依頼料の幾分かを頂くために博麗神社に赴くと、珍しいことに竹箒を持って境内の掃除をしていた。私を視界に収めた彼女はこれまた珍しいことに笑顔で名を呼んできた。悪寒が背中を伝い、ぷるぷると体が震える。

 

 これは可及的速やかに逃げねばなるまい。

 

 私は即座に行動に移した。回れ右と後ろを向き、躊躇することなく走り出した。逃げ切ったと思ったのもつかの間、彼女は飛んで私の前に立ちふさがった。

 

「まあ待ちなさい。別に何かしようってわけじゃないわ。ただちょっと付き合いなさいよ」

 

 いつも通りの言い草に安心した。けれど何をしようと言うのだろうか。

 人里までの道すがら話しを聞くに、どうやら依頼人が報酬を払わず逃げているらしい。探すのを手伝えとのことであった。さらに見つけ出したらいつも以上の給金を出すと言う。

 千載一遇の好機、私は二つ返事で引き受けた。

 

 そしてどうなったか。

 

 依頼人はどうやら個人的に巫女に恨みを持つ者であったらしく、巷を騒がしていた強大な妖怪をぶつければ死、ないしは怪我でもするかと思っていたようである。実際は私が死んだくらいで彼女は無傷であった。上手くいかないことに腹を立てたその依頼人は、それなら自分でやってやるとおびき寄せようとし、私が見事ひっかかったと言うわけである。結果、腹いせに包丁で腹を刺された。そして上から降りて来た巫女に無事捕まえられた。

 

 要するに何てことはないよくあることだった。もしかしたら巫女は薄々感づいていたのかもしれない。そういったことにはなぜか鋭い奴なのだ。

 

 私は今、血の流れる腹を抑えて人里を出た。あの中で人死にが出てしまうのは忍びない。巫女に肩を借りて何とか歩いている。湖に続く道で、ルーミアがふらふらと浮いていた。私は巫女に礼を言い、一歩進み出た。

 ルーミアが私に気が付き、ぱあと表情を明るくする。

 

「今日は食べてもいい日?」

 

 私はうなずいた。ルーミアは嬉しそうに近寄ってきて、大口を開け私に噛みついた。

 今日もうまいと良いのだが――。

 どんな状況においても他者を思いやり、およそ乏しめるところが何一つない私は、消えゆく意識の中聖人も真っ青であろうそんなことを思った。

 

 

 

 振り返ってみると、近頃の中では一番良い死にざまではなかろうか。ちょいと美談風に書き換えれば、身を挺して巫女を庇い被害を抑え、腹を空かした子供に食料を分け与えたのである。

 向日葵女に苛立ちをぶつけられ腹に穴をあけられることに比べれば、天と地の差であろう。

 資源の有効活用ここに極まれり。

 さらに何といっても私の手元には金がある。これは久しぶりに朝から一杯ひっかけようか。死に過ぎている気もするし、ぐだぐだと時間を過ごすのも良い。やりたいことがたくさんある。

 

 ――ああ、素晴らしき我が人生!

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。