東方落命記   作:死にぞこない

29 / 36
一年の計は元旦にあり

 

 ――一年の計は元旦にあり!

 

 私は新年の初日から寺子屋へ集まり勉学に励む生徒諸君へ、激励を込めて断固とした口調でそう言った。上白沢は体調不良で休養中であった。その代わりとして私が馳せ参じた次第である。上白沢は昨日の年越し宴会で飲み過ぎてしまったらしく、頭痛が酷いとのことで、今は彼女と仲が良い藤原が看病に当たっている。私も宴会後は酔っぱらって阿呆と化していたのだが、その阿呆が幸か不幸か博麗神社の階段から滑り落ちると言う事故を引き起こし、普段の私となったのであった。泣きっ面に蜂と言った方が正しいかもしれない。

 

「死神様、それってどういうことなの?」

 

 一番前の席に座っていた女児が、純粋無垢な瞳でそう言った。私はふざけた言葉で誤魔化そうと思っていたのだが、そのあまりにも穢れない真実を見つめる眼に気圧された。私の汚れを鏡のように見させられた気分である。ゆえ、今年は何をするか目標を立てるならば今日が良いのだ、と普通に伝えることになった。

 

 すると俄かに教室中が騒がしくなった。口々に何をやろうかな、今年って長いなあとか言っている。私もそれに乗じて思案を巡らした。今年は何をするか。別に毎年こうだと決めて生活しているわけではないが、たまにそう言う年があってもいいかもしれん。いや、あって然るべきであろう。

 

「ねえねえ、例えばどういうこと?」

 

 またもや純粋な瞳が我が身を突き刺した。これでは死亡回数を決めておこうなどと言うくだらないことは言えんではないか。私は教育によろしくない案を片っ端から頭の隅に追いやって、そうして残された残飯のような目標を話すこととなった。

 

 ずばり、健康的な生活を目指す、そう言う他なかったのである。

 

 無力な私を許してくれ。

 

「ふーん」

 

 質問した女児は詰まらないとでもいうかのように、そう小さく反応しただけで隣の男児と話し始めてしまった。我が誇りは綿埃よろしく吹き飛ばされてしまったのだった。上白沢と生徒諸君に配慮しすぎたのやもしれん。普段の私ならば拍手喝采、爆笑必至の話を提供できるのだ。絶対に。まあ、絶対は言い過ぎかもしれない。よくよく考えてみると、爆笑とかそう言う話はしたことがなかったかもしれなかった。

 

 その後、私の精神に強烈な一撃を加えた女児が話した目標、それは両親の離婚を阻止することであった。私は反応に困り、応援することしかできなかった。まだ小さい子供なのになかなか重い一撃を持っているではないか。将来が楽しみである。私はどこかで生徒諸君を侮っていたのだろう。まさか教師が生徒に教えられることになるとは、彼らは優秀であるのだ。だがその優秀さが災いし、皆すぐに目標を決めてしまった。

 

「先生、次はー?」

 

 後ろの席にいる体格の大きい男児がそう言った。私は困った。今日はもうこの話だけで乗り切ろうと思っていたのである。それなのにこんなあっさり終わるとはまったく想定していなかった。どうあっても上白沢のように教師らしく歴史を教えることが出来ようもないので、今日はもう解散と言うことにした。今日一日くらい元気に走り回るのもまた、良い勉強になろう。

 

 私はもっともらしい理由をでっちあげて、子供たちからの尊敬を我が身に受けることにした。

 

 そんな思惑も知らず、生徒諸君は喜びを露わにして外へ駆け出していった。少しすれば誰もいなくなった教室で、私が一人残っていた。一抹の寂しさを覚えたと同時に、汚れた私を再確認させられてしまったのであった。

 

 

 

 寺子屋を出た私が向かったのは紅魔館である。レミリアからの依頼を遂行せんがためであった。期限なしとは言っていたが、早く終わるに越したことはなかろう。そう思いながら道中にある湖で妖精連中と今日寺子屋で出来なかった死亡談議に花を咲かせ、何回か死んだあとようやく到着した。

 

 今日は門番の紅美鈴も起きていた。新年であるからか、心機一転真面目にやりますと言うことなのかもしれん。一人で何やら拳舞を披露していた。無駄がないキレのある動きである。つい見惚れてしまうのも仕方がないことであろう。だがどうにも終わりが見えない。私はしびれを切らして未だ舞っている紅に声をかけることにした。

 

「何者!?」

 

 鮮烈な一撃であった。彼女の拳は美しさを備えつつも、見かけだけではなかったのである。まったく警戒せずに近づいた私は、鳩尾を抉る目で追えない拳で迎えられた。僅かな喀血の後、いきなり時間が動き出したように後方に吹き飛んだ。土煙を上げながら地面を何度も転がる。止まったときには、微かな冷気を肌で感じた。恐らくは湖の畔、妖精と話していた場所であろう。

 

 最早視界が滲み、碌に見えない私の手を誰かが掴んだ。目だけを動かして、どうにかその姿を見ようともがく。滲んだ視界の先にいたのは、転がり汚れた雑巾のような私を悲しげな瞳で見つめる、かの氷精チルノであった。彼女は小さな震える手を、私の血で汚してしまっていた。

 

「し、死んじゃうのか……?」

 

 私はくぐもった声でそうだと呟いた。もう、うなずくことすら出来んのだ。

 

「そんな、どうして……」

 

 チルノは瞳に涙を湛えて、掠れた声でそう言う。私は彼女のそんな表情は見たくなかった。いつものように笑っていてほしい、能天気でいてほしい。だから私は、最後の力を振り絞って、口を開く。

 

 ――理由など要らない、私が死ぬのに理由など要らんのだ、チルノよ。

 

「分かんない、分かんないよ、あたい、あたい……!」

 

 ――ただ、在るがままに。忘れ、るな。

 

「そんな、何で、嫌だ! 嫌だよ! 日暮――!」

 

 私は息を引き取った。

 

 そしてすぐに息を吹き返した。

 

 私は先ほどまで涙を流していたチルノを見た。

 もう何でもなかったようにけろっとしている。

 

「どうどう! 名演技だったよね! さっすがあたい!」

 

 私は立ち上がってうなずいた。即興でここまで合わせられるとは実際大したものであろう。惜しみない拍手と賛辞を送った。舞い上がるチルノはそのままじゃあねーと去っていった。ここで遊んでいたわけではないようである。よくもまあちょうどよくいたものだ。ある意味運があるのかもしれない。

 

 私は服についた汚れを払った。しかしそれに伴い服が破れほぼ半裸となる。私はしばし黙考した。そうしてどうせ死ぬのだからこのままでよいとの結論に達したため、また紅魔館へ歩いて行った。

 

 紅はもう拳舞をしてはいなかった。どうにもぎこちない立ち姿で、おろおろしている様子であった。私が近づいて行くと、彼女は勢いよく頭を下げて来た。

 

「す、すみませんでしたー!」

 

 九十度にきちっと曲がっていた。気持ちよい謝辞である。

 もともと怒っていない私は逆に良いものを見せてもらったと伝えて顔を上げてもらった。

 

「そ、そうですか? 咲夜さんにも見てもらうことがあるんですけど、褒められたことないんで恥ずかしいですよー」

 

 口ではそう言ったものの、彼女はくねくねと動き、体全体を使って喜びを表している様子であった。

 

「あ、そんなことよりも、今日は何の用でいらしたんです?」

 

 私はレミリアの依頼を話した。

 

「はあ、お嬢様がそんなことを……ですが今の時間だとお休みになっているかと思いますよ」

 

 私はあっ、と間抜けな声を上げてしまった。つい忘れてしまいそうになるが、あいつは吸血鬼である。こんな太陽が未だ真上に来ていないような朝っぱらから、元気に起きているのもおかしかろう。阿呆であった。

 

 ならばどうしたものか、私は紅魔館を見上げて立ち尽くした。やる気に満ちてここまで来たと言うのに、何も成さずに帰るのはよろしくない。暇を持て余すことも多々あるが、やる時にはやると言うのが私が今決めた信条である。

 

 ふうむと唸り始めた私を見て、紅はそうだ、と口を開いた。

 

「ええと、もしよろしかったら組手の相手になってもらえませんか? 暇で暇で……」

 

 ちょいと恥ずかし気にそう言って、彼女は頭の後ろを掻いた。

 

「も、もちろんさっきのようなことはない、と思います、はい」

 

 私は無論了承した。

 

 

 

 それからどれだけ経っただろう。私は湖の畔で薄汚れた全身を投げ出し、妖精に囲まれていた。チルノと大妖精に、サニーミルク、ルナチャイルド、スターサファイアらの光の三妖精と徐々に増えていき、今ではもう誰が誰やらわからなくなっている。その中心にいる私は息も絶え絶え、今にも絶命してしまいそうであった。

 

「何で、何で死ななくちゃならないんだ!」

 

 チルノが言った。

 

「こんなのおかしいよ!」

 

 大妖精が言った。

 

「どうにかして助けられないの!?」

 

 サニーミルクが言った。

 

「む、無理よ、これじゃあ……」

 

 ルナチャイルドが言った。

 

「私達にはもう、見守ることしかできないのよ……」

 

 スターサファイアが言った。

 

 私はふふ、と笑った。

 

 すぐ近くにいたサニーミルクの頬に手を伸ばす。

 

「ひ、日暮さん……!」

 

 涙声で名を呼んでくれる彼女に、私は言った。

 

 ――良き……人生であった!

 

 彼女らの私を呼ぶ声とともに呼吸が浅くなっていき、意識は闇の深く深くに沈んで行った。

 

 そして息を吹き返した。

 僅かに咳込んだ後、大きく空気を吸い込んで体を起こす。

 

 ぐるりと集まっていた妖精たちを見れば、何やら期待している様子である。私は野袴のポケットに入れておいた飴玉をやることにした。野袴は汚れてしまってはいるが、ぎりぎり破れはしていないようであった。早速飴玉をあげると、わいわい取り合いを初めてどこかに去っていく。先ほどまでの名演技はどこに行ったのか、私は笑みを浮かべながら首を回した。こきこきと小さく音が鳴る。

 

 その後、またまた紅魔館まで歩いて行くと、既に腰を直角に曲げて頭を下げている紅の姿が目に入った。早足で近寄って頭を上げさせた。

 

「本当に、すみませんでした!」

 

 よいよい、と手をひらひらと振る。人間相手には大事故であるが、私相手では問題ない。彼女に悪気がないのは分かっているので、追及する気にもならなかった。

 

「自分でも意識しているんですけど、どうにも日暮さん相手だと力を抜けないと言うか……」

 

 ほう、よく分からんが私を強者だと感じておるのかもしれん。

 どことなく気分が良くなった。

 

「あら、日暮さん。服をお忘れでは?」

 

 ふふふ、と密かに笑っていた私の横に、十六夜が突如として現れた。私は無様にも声を上げて転びそうになったが、なけなしの誇りを胸に踏ん張って阻止した。流石私である。

 

 悪足掻きの一部始終を観察していた十六夜は、まあ、と小さく呟くと紅に視線を向けた。

 

「上着は、その、私がやっちゃいまして……」

「ああ、なるほど。何の御用だと?」

「あ、お嬢様の依頼の件で来たそうですよ」

「あらそうなの。うーん、でも私が様子を見に行ったら、今日は一日寝るわ、と言っていたし、起きて来るかは微妙なところね」

 

 すると十六夜は私に向き直った。

 

「ですので、またの機会にお願いできますか? こちらからのお願いで誠に恐縮ですけれど」

 

 私はうなずいた。そう言うことならば仕方がない。今度はしっかりと連絡を入れてから来た方が良いだろう。私が踵を返そうとしたら、十六夜がそれに先んじて口を開いた。

 

「ですが、このままお返ししては主人の恥になってしまいます。よろしければ昼食をご一緒しませんか? 腕には自信がありますわ」

「あ、いいですね。咲夜さんの料理はおいしいですよー、私が太鼓判押しちゃいます。紅茶を淹れるのも上手ですし、何でもできますよね」

 

 その言葉に十六夜は少しばかり口角を上げて、誇らしげに微笑んだ。

 

「今日のメニューはじゃがいものポタージュと牛肉の赤ワイン煮です。ライスとパンはご自由にどうぞ。如何でしょう?」

 

 洒落た名前の料理である。普段うどんやそばばかり食べている私には馴染みがない。ゆえ、心惹かれた。だがそんな世話になってしまってもいいものか。思案したものの、私は簡単にうなずくことはできなかった。

 

 その様子を見かねたのか、十六夜は言ってくれた。

 

「少し作りすぎてしまったので、手伝って頂けると助かります」

 

 私は大いにうなずいた。

 

 

 

 昼食を馳走になって自宅への帰り道を歩く。空は我が心のように雲一つない青空が広がっていた。まだ春には早いため頬を撫でる風は涼しいものの、清々しさを感じさせる一助となっている。私は鼻歌を奏でながら景色を眺めていた。

 

 半裸で人里へ行くのはまずいかもしれん、そう思って紅魔館で二人に洋服を貸してもらった。燕尾服と言うらしいこの服は、普段の着物より窮屈であるが、スマートに見える。洒落ていると言えよう。度々服を弄りながらそのまま人里を目指していると、前方より丸い暗闇が近づいてきた。こんな昼間から闇を作り出すのはあいつくらいのものであろう。私はルーミア、とぶつかってしまう前に声をかけた。

 

「んん?」

 

 小さな声とともに、両手を広げたルーミアが闇の中から現れた。

 

「どうしたの?」

 

 特に用はないのだが、と前置きして最近のあれこれを話した。このところ彼女とは会うことがなかったので、話したい気分であったのだ。

 

「そーなのかー」

 

 しかし、露骨に興味がなさそうであった。

 

「ねえねえ、そんなことより今日は食べてもいい日?」

 

 私は駄目に決まっている、とすぐさま言葉を発した。ルーミアはむう、と頬を膨らませる。どうにも腹を空かしている様子であった。代わりにと言っては何だが、とポケットから残りの飴玉全部出した。数にしておよそ十個。ルーミアはおおー、と興味惹かれたようだった。

 

「全部くれるの?」

 

 もちろんだとも。うなずくと、わーい、と喜んでくれたルーミアに飴玉を手渡す。すぐに全部口に放り込む彼女を見て、気を付けたまえと注意しておいた。ないとは思うが喉につかえては大変だ。そうして我々は別れた。元気な様子を見られて満足であった。

 

 その後何もなく無事我が家へ着いた私は、居間に上がって大の字に寝転がった。

 

 今日は一年の始まりにふさわしい一日であったように思えた。

 

 朝から生徒諸君と言葉を交わして盛り上がったし、妖精とも遊んだ。友人とは食事をして、さらにちょいと会っていなかった友人とも話すことが出来た。良い一年となりそうである。欲を言えばここで一つ、何かが起きてくれても良いものだ。

 

 そう思っていたら、板戸が音を立てて視線上を吹き飛んでいった。

 誰だと思って瞬時に起き上れば、そこにいるは鴉その二であった。

 

「あ、あんたねえ! あ、なんかいつもと違うの着てるじゃない、全然似合ってないわよ……ってそうじゃなくて! 昨日の宴会、文だけ誘ったでしょ! あいつの家で一人寂しく待ってた私をどうしてくれるのよもう! 仕方ないから今日はあんたんとこで飲むからね。文も椛も呼んだし、他のも適当に呼ぶらしいから早く用意しなさい!」

 

 出し抜けにそう言ってくる彼女に、私はかっかっかと笑い声を上げた。

 

 望むまでもなく、向こうからやってきてくれたわけである。

 

 ぷりぷりと怒る鴉その二に、私は勢いよく了承の言葉を返して立ち上がった。

 

 

 

 ――酒を買いに行くぞ! 供をせい!

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。