東方落命記   作:死にぞこない

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病は気から

 

 近頃何かと立て込んでいたからか、秋となり涼しくなったにもかかわらず半裸で寝ていたからか、その原因は定かでないものの、結果として私は風邪をひいた。死んだら元気溌剌になるかと言われればそうである。しかし何であれ、辛い時にはやりたくなくなるものであろう。死ぬことだってその一つだ。客人が来るならば致し方なしと諦めて死ぬ準備を始めるところだが、幸いにも今日は予定がない。

 

 起きていたとて頭痛に悩まされ、布団の中でごろごろ寝返りを打ち続ける他ないに違いない。

 

 私は一日寝ていることにした。

 

 

 

 ――また、月の夢を見た。

 

 俯瞰した視点で見ている。海のようなところに呆然と立ち尽くしているのが、残されてしまった私であった。そしてこの後、帰ろうと思えど帰れない事実を前に、ならばせっかくだから観光してやろう、との心持で月の都への侵入を繰り返すのである。だが結局一度も侵入に成功したことはなかったのだ。よく分からん兵器も持っていたし、完璧に捕捉されているらしかった。

 

 記憶を掘り返すように、夢を見続けている。ある時、都が俄かに騒がしくなっていくのに気が付いた。夢の中の私はこの機に入ってやろうと行動を起こす。しかしその途中、遥か向こうより進行してくる妖怪の大群を目にしてやめるのである。その中には八雲の姿もあったのだ。後で聞いたことだが、私を置き去りにしてしまったことを悔い、計画していた侵攻を早めたと言う。笑えもしない阿呆な話だ。あの八雲のこと、ずっと前より考えていたことであろうに。

 

 だが八雲が暗い顔をして謝ってくるものだから、私はもう何も言えなかったのだ。そして月への侵攻も技術力の差の前にはどうしようもなく、大敗を喫したのだった。

 最後の場面がこれとは、悪夢に近い。

 

 夢が霧のように晴れていく。

 

 いつかの八雲が、泣いていた気がした。

 

 

 

 はっ、と目が覚めた。咄嗟に体を起こそうとして、あまりの重さに失敗した。呻き声が口の端から漏れ出た。どうやら今回の風邪はいつもより質が悪いらしい。死ねば治る私などより良い宿主がいるだろうに、風邪の奴はなぜ私を選ぶのか。甚だ疑問であった。死に急いでいるのか、けしからん。

 

 それにしても、何という夢を見てしまったのか。

 苛まされている間くらい夢見心地の良いのを見せてくれてもいいではないか。気の利かないことこの上ない。

 

 やけに重い腕を上げて、額に手を当てた。熱かった。息を吐く。熱い。風邪め、肉体的に痛めつけるだけでなく、精神的にも苦しめるとは、手ごわい強敵と言う他ない。

 

 私はちょいと気合を入れて、なんとか体を起こした。頭がくらくらしたものの、すぐに気を失うような強烈なものは来なかった。この調子ならば立ち上がることも出来よう。

 

「もう、危ないじゃない」

 

 だが立ち上がろうとした私は、その声の主に体を押さえられ、また寝かされることになった。

 

 ――八雲。

 

 私はいつの間にか隣に腰を下ろしていた彼女に視線を向けた。

 いつもこんな登場の仕方だから、驚きもない。

 

「まったく、あなたが風邪をひくなんて何時振りかしらねえ?」

 

 そうさなあ、私は思い出そうとし、他愛もない考えが浮かんでは沈んでいく今の頭では、到底考えられんことを悟って諦めた。

 

「私が覚えている限りだと、変なキノコを食べた時以来よ」

 

 ああ、思い出がよみがえる。

 長いこと八雲と各地を放浪していた時、私が死んでも蘇ると人々にばれて都を追い出されたのだ。金はあったものの食うものがないと困った我々は、近くの森で狩猟を開始し、意外とうまくいかんことに憤慨、手近に生えていたキノコを食った。そうしたら、謎の病原菌が付着していたのかキノコの効果なのか、私は寝込むことになった。今のように熱を出して。

 

「あの時、私が平気そうにしていたのを不思議がっていたわよね」

 

 うなずく。

 碌に身動きできない私をせっせと介抱してくれたのは八雲であった。

 ただ単に運が悪いのだと思っていたが、違ったのだろうか。

 

「実は食べてなかったのよ。あなたに毒味をお願いしたってわけ」

 

 聞きたくない真実であった。

 感謝の言葉を返してもらいたい気分である。

 私は息を吐いた。

 

「ふふ、すっかり騙されていたのね。分かる? 私はそうやって騙すのが得意、涙を流すものそう言うことなのよ? そうでなければあなたの前で泣くわけがない」

 

 ああ、こいつ、どうやら夢をのぞき見したらしい。

 本題はそちらのようだ。

 私はくつくつと笑った。いや、あれは本気で泣いていたぞ、と。

 

「ふふ、どうかしらねえ」

 

 八雲は扇子で口元を隠して笑う。その真偽のほどはどうなのやら、伺い知ることは出来ない。

 とは言えどちらでもよいのだ、こいつが涙を見せるくらいに価値がある相手だと認識されているのだろうから。大妖怪がこんな弱小妖怪の価値を認める、そのおかしさに私は僅かに口角を上げる。それを目敏く見つけたらしい八雲は小さく唸った。

 

「信じてないわね……」

 

 そんなことはない。私は言った。

 しかし笑みがなくなることはない。奴にしたら馬鹿にされているとでも誤解してしまうか。

 

「はあ、まあいいわ」

 

 八雲はそう言って持っていた扇子を、突如空中に開いた亀裂に入れて立ち上がった。

 

「もうお昼なの。何か食べたいものはある?」

 

 それまで特に気にしておらんかったが、言われると腹が減って来た。

 しばしの逡巡の後、私は粥と答えた。

 

「また? ふふ、安心しなさい? 今度は何もいれないで作ってあげるから」

 

 当たり前だ、そう言った声が届いたのかどうか、八雲は既に亀裂に入って我が家を後にしていた。うちの小さな台所ではなく、何処かにある八雲家で立派なものを作ってくれるのだろう。

 ありがたいことだ。

 

 長い時間を共にした相手にはこのように恥を見せる機会も多く、格好つけ続けることは出来んものの、それ以上に気兼ねなく頼れる存在だ。

 

 得難い友人、それが八雲だった。

 

 私のどこが気に入ったのかは分からんが、初めて会ってから随分長い間ともにおった。まさか幻想郷などと言う場所を作り上げるほどの妖怪になるとは、様々な者を見てきた私でも驚嘆に値する。気恥ずかしいゆえ絶対に言うことはないものの、尊敬もしている。と言うかあの能力が羨ましい。

 

 やることがないと思い出に浸り始めてしまっていかん。頭を振る。ちょいと脳が揺れた気がした。ふと天井を見れば、呪いのような染みがあった。息苦しさを感じて寝返りを打つと、軋んだ音が聞こえた。

 

 おんぼろ長屋を自宅にしたのも八雲の勧めであるが、やはり後悔はある。頼るなら稗田にすればよかったのだ。彼女の屋敷の一部屋でも借りていれば、もう少しまともな妖怪になっていたやもしれん。

 

 そうしていたら、つらつらと溢れるばかりの思考に疲れて来た。八雲が戻ってくるまで眠りに就くかと目を閉じる。暗闇に閉ざされた世界は、私を眠りへと誘ってくれた。

 

 今度こそ、良い夢を。

 

「――あら、眠ってしまったの?」

 

 とはならなかった。目を瞑ってすぐ戻って来たらしかった。

 目を開けると、盆に茶碗と匙を載せ、それを片手に微笑む八雲の姿があった。

 彼女は床にそれを置くと体を起こすのを手伝ってくれた。

 

「自分で食べられる?」

 

 そこまで耄碌しとらんわ、と八雲が匙を持って食べさせようとしていたのを遮った。

 茶碗に盛られた粥は湯気が出ていて大層熱かろうと思われたが、私の空腹も限界と見えて、八雲から匙をかっさらうと茶碗を片手にがつがつ食ってしまった。手が熱いやら口が熱いやら、さらには頭が痛い体が重い、色々な苦難が襲うも、ちょうどよい塩っ気が食欲をそそった。本当にこいつは料理が上手くなった。

 

 あっちゃ、いった、あっちゃ、と騒ぎながら食った。

 

「二日酔いの時と同じじゃないの。落ち着いて食べたら?」

 

 茶碗を置いて、あまりの熱さに手をバタバタと振っていた私を見ながら、八雲はそう言った。

 呆れた様子ながら、気を遣うようでもあり、こそばゆい。

 私はまたがっついて食った。

 もう痛いのか熱いのか両方かよく分からぬ中、米粒一つまで食い切った。

 

 ――美味かった。

 

 ただ一言呟く。これ以上は言えそうにない。心情的にも、肉体的にも。

 やはりあれだ、風邪をひくと弱くなるのは確かなのであろう。

 

「何よ、その顔。幸せそうに笑って。ふふ、馬鹿みたい」

 

 笑っていたか。私は頬を触った。

 弱みを見せてしまった気がしたが、八雲も笑っておるようだからよいか、そう思った。

 

 その後八雲は食い終った食器を片付けて帰って行った。いつになく鮮やかな去り際に、あいつは本当に看病しに来たのだと理解した。まったく、らしくない。私はまた、一人笑ってしまった。

 

 腹も満たされ、さあ眠ろうと寝転がったのだが、戸を叩き開く音がした。

 私は徐に上半身を起こす。少しは良くなってきたのか、体が軽くなった気がした。粥のおかげか。

 入って来たのは巫女である。袋を持っていた。

 

「紫が見ててあげて何て言うから来てみたけど……」

 

 そうして居間に上がって私の横に座った。

 

「ほらこれ、風邪には果物がいいかもと思って持ってきてあげたわよ。早く治しなさいね」

 

 紙袋の中には蜜柑、柿、林檎など様々入っていた。

 私は物欲しそうに見ていたのか、巫女は林檎を片手にこう言った。

 

「食べる?」

 

 私はうなずいた。

 そう言うや否や巫女は台所に行った。戻って来た時には見事な林檎の飾り切りを皿にのせ持ってきてくれた。可愛い兎の形である。器用なものだ。

 

「元気出しなさいよー。まったく、紫がわざわざ言ってくるもんだからもっと重症かと思ったけど……平気そうね」

 

 彼女は林檎にぱくつく私を、卓袱台に頬杖を突きながら眺めてそう呟いた。

 結局はただの風邪であるから死ぬこともない。

 平気と言えばその通りであった。

 しかしまあ、八雲が心配していると言うのが伝わってきて、早く治さねばと思う。

 

 食い終わるころ、また板戸が叩かれた。

 またも客人か。誰であろう。そうして開かれ現れたのは、伊吹であった。

 今日も瓢箪片手に酔っぱらっておるようだ。

 

「あ、ちょっと萃香。何で来たのよ、神社の留守まかせたでしょ?」

「天狗が来たもんだから任せて来たよ。大丈夫大丈夫、どうせ誰もいなくたって来やしないんだから。それに私だって友の調子が悪いってんなら見舞いに行きたいもんね」

 

 鴉が果たしてそう素直に従うだろうか。私は嫌な予感がして掛け布団をかぶった。

 

「ほら見なさい。あんたが来たからこいつが怖がってるじゃないの」

「んー、別にそう言うわけじゃなさそうだけどねえ」

 

 暗闇の中衝撃を待っていると、案の定板戸の壊れるけたたましい音が響いた。

 

「あややや、何やらここに皆さま集まろうとしているご様子で、何が起こっているのか気になって来てみまし、た……って、あれ?」

「はあ……あんたねえ、今日は病人がいるんだから少しは静かにしなさいよ」

「そうそう、私だって静かにしてるんだからさー」

「えー、いや、何という微妙な空気……私はお邪魔でしたか?」

「そうね」

「はっはっは、うん」

「誰も否定してくれない!?」

 

「あれ? 何か今日は多いじゃん。どうしたの?」

「おお妹紅さん! 私は邪魔じゃないですよね?」

「んー、多分邪魔だな。焼き鳥にしてやろう」

「ひえー!」

 

「おや、皆さんどうしたんですか? こんなに集まって。戸もなぜか壊れていますし……」

「おお、あなたならば私を救ってくださいますよね!」

「え、ええ?」

「そいつは無視していいわよ、阿求。今から焼き鳥になって空腹を満たしてくれる手筈になってるから」

「私も腹減ってきたかなー」

「よし、じゃあ景気よく一発で……」

「ま、待ってください! 私は悪くないのです!」

「まあまあ、諦めなよー」

「これだから鬼は恐ろしいんですよ!」

「あ、あの、何が何やら……」

 

「無事か!? ってなぜこんなにいるんだ!」

「これは救いの光! 藍さん、あなたならば私のことを……」

 

 耳を欹てていたら、場が混沌としてきたのが伝わってくる。

 こんな狭い家に人口密度が高まり過ぎであろう。

 

 私はがばっと掛け布団を吹き飛ばす勢いで起きあがり、叫んだ。

 

 ――騒がしいわ!

 

 そして意識は闇に落ちて行った。

 

 

 

 彼女らの動機は確かに尊く有難いものに他ならなかったが、結果的にはこうである。そして次に目覚めた時には我が家で宴会を始めていた。八雲ら三人も混ざっていたし、どういうことなのか。一番驚いたのは風見がいたことである。あいつ普段の宴会には顔を出さんのになぜだ。

 

 もちろんすぐに私も混ぜてもらったが。

 

 翌日目を覚ましたら、すっかり体が軽くなっていた。意味が分からない。

 

 病は気から、そう言うことなのか。

 

 

 


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