東方落命記   作:死にぞこない

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旅の恥は掻き捨て

 

 宴会から早二週間、その間寺子屋でまた辻死亡談議に花を咲かせ上白沢に怒られたり、巫女の仕事を手伝ったり、蕎麦屋の新料理の味見を担当したり色々やっていた。大きな異変などなくとも楽しき毎日、素晴らしき幻想郷と言うわけだが、今日は我が家を珍しい客が訪れた。

 

「手を貸していただけますか? 知り合いに話を聞くのもいいですけど、やっぱり本人に聞くのが一番ですからね」

 

 そう言うのは九代目である。

 なんでも新しくここの住人となった永遠亭の面々を幻想郷縁起に記したいとのことだった。

 私はそんな丁寧な頼み方はなっとらん、突き放しながら茶を出した。

 

「駄目ですか……?」

 

 だが不安げに寄せる視線にやられ、勢いよく首を横に振った。

 そうではない、と。友人ならばもっと気軽に頼んできたまえ、と。

 そう告げると九代目は見る見るうちに笑顔となった。

 

「では、早速行きましょう!」

 

 やる気満々と言った様子で勢いよく立ち上がり、正座していた彼女の膝が卓袱台にぶつかる。そしてその上に載っていた湯呑が倒れ、淹れたばかりのお茶が私に全部引っかかった。芸術的なまでの流れであった。勿体ないと思うより早くあまりの熱さに声にならぬ声が上がってしまい、我が一日の始まりを告げた。

 

 さあ、今日も楽しもうではないか。

 だが、少しばかり、気合で何とかならんほど、痛いし熱い。

 

 

 

 多少は行きやすくなった迷いの竹林であるが、依然危険な場所には変わりない。私だけならば独力で行ってやろうといらん誇りを胸に突き進むこともできるが、今日は九代目と一緒である。人里で頂いてきたニンジンと交換に、因幡に案内してもらうことにした。

 

「今日は準備がいいね。いつもこうだといいなあ」

 

 それはない、と否定しておいた。

 なぜならば、そんな準備がいい奴がここに入ろうとはせんからだ。

 九代目は一応ここには来たことがあるが、中に入って散策とまでは行かなかったようだし、安全策を取ったほうがよかろう。私の調子に他の者が合わせると大抵碌なことにならんのだ。

 

「因幡てゐさんはよく人を騙すと聞きますが、大丈夫なのでしょうか?」

 

 案内が始まってから少しして、九代目は小さく聞いてきた。

 私は自信を持って問題ないとうなずいた。

 奴は限度を弁えている。人間に対してはそこまで危険なことはせんだろうと言うわけだ。

 

「なるほど」

 

 九代目はふむふむとうなずき考え始めた。幻想郷縁起に加筆でもしようと言うのだろう。何であれ新しい情報が出てきたらそれを活かそうとする精神、さすがである。

 

 その後もちょくちょく解説しながら歩く。

 そうこうしているうちに、永遠亭が姿を現した。

 先日見た時よりもかすかだが汚れがついている気がした。どういうわけかは分からないが、この竹林に馴染み始めたと言う意味では良いことなのだろう。少々残念な気もしたが。

 

「はいよ、ここまでね。帰りも必要だったらニンジーン! って叫んで。じゃ」

 

 それは本当に必要なのか、そう聞く前に因幡は姿を消した。いつも思うがもう少し余韻を感じさせてくれても良いだろうに。兎の俊敏性が高すぎるがゆえか、奴がせっかちなのか。

 

「えっと、では、行きましょうか」

 

 私は諸々の思考を置き去りにしてうなずき、中に入った。

 

 玄関口では鈴仙が箒を手に、鼻歌交じりで掃除をしていた。上機嫌な様子である。しかしせっせと掃いていた彼女は、私が来たのを理解すると露骨に慌て、眉根を寄せて真剣な表情を形作った。

 

「な、い、いきなりね……今日は何の用よ」

 

 その変わりように一言物申してやろうとしたのだが、その前に九代目が私の着物の袖を二回ほど引っ張るものだから、後ろに下がってこの場は任せることにした。

 

「こんにちは。私は稗田阿求。幻想郷に住む力のある妖怪や人間を記した、幻想郷縁起を編纂している者です」

 

 そう言って、姿勢を正した九代目は頭を下げた。

 すると鈴仙はまたも慌て始め、もう掃除など手につかぬ様子でわたわたと手を振り始める。頬が俄に赤みがかった。彼女は視線で助けを求めてきたので、私は九代目に頭を上げるよう言い、鈴仙には軽く事情を説明して中に通させてもらうよう言った。

 

 そして着いたのは蓬莱山と酒を酌み交わしたあの広い和室であった。長机も同じように置かれていたが、それに擦り傷のようなものが出来ていた。

 普通の事なのだが、ここでは違和感を覚える。

 特異な場所が少しずつ普通になってきている、のだろうか。

 

「こ、ここで待っていて。輝夜様と師匠を呼んでくるから」

「あ、いえ、皆さまに一人ずつお話を伺いたいので、あなたからお願いできますか?」

「えっ、私っ!? あ、えっと、うん……」

「それではまず……」

「ちょ、も、もう?」

 

 何やらわちゃわちゃしているが、無事話を聞けるようである。少しばかり話し込む二人を眺めていたが、思いの外仲良く出来ている。これならばいない方がいいかもしれんと思って静かに縁側へ出た。今はまだ昼頃であるから庭は明るく、敷き詰められた透き通るほど綺麗な小石が眩しいほどに光を反射していた。

 

 私は腰を下ろし、外に向かって足をぶらぶらとさせる。子供っぽいが解放感があって心地よい。

 

 ここからゆっくりと庭を眺める時間はなかった。弾幕ごっこの時は確かにここから眺めていたのだが、あの後やられるだろうと内心戦々恐々としていたのであまり記憶にない。

 

 時間にして十分くらいだろうか。そうして頭を留守にしていたら、足音がしてびくりと体が震えた。誰だろうかとそちらを向く。僅かに口角を上げる蓬莱山が立っていた。彼女は小走りで寄ってきて隣に座った。

 

「今日はどうしたの? 長生……ふふ、名前のセンスはないわねえ」

 

 私は思わず顔を覆った。

 長生。

 これは幻想郷に来る以前に使っていた名前である。由来はそのまま長生きだから。名前のセンスがどうとかは言われたくないが、しかしその名を使われると失わなければならぬ記憶が、忌々しい過去の自分が頭の中を巡り巡って痛めつけた。

 

『かぐや姫、お前さんちょいと退屈しとるなあ。どうだ、いっちょ外に出て遊ばんか』

 

 溢れんばかりに蘇って来る。

 

『ははあ、歌が上手いじゃないか。よいなあ』

 

『何と、踊りも出来るとは。私も負けてられん』

 

『いや、待て。機嫌が悪いようだが私のせいではない、待て待て待て!』

 

『かぐや姫、今日は一段と浮かぬ顔をしとるな。どうかね一杯? 評判の酒を持ってきたぞ』

 

『男たちへの難題は実際どうなのだ。達成できると思うか?』

 

『意地が悪いなあ、はっはっは!』

 

 あの頃は大分通っていた。ずっとつまらなそうな顔をしている蓬莱山が我慢ならず、どうにか笑わせてやろうとしていたのだ。それを楽しんでいたのは確かであるが、いかんともしがたい。私は大きく息を吐き、これ以上の言葉を思い出さないよう精神を落ち着かせた。

 

 あれは若気の至りである。今はこんなことは言わん。恐らく。いや絶対に。もし言ったとしてももう少し威厳が出るはずだ。そうに違いない。そうなのだ。そうでなくてはならん。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫?」

 

 私はくぐもった声で大丈夫だ、とだけ返した。

 ただ昔のことを思い出しただけだ、と。

 

「なあに? やっと思い出した?」

 

 私は蓬莱山の顔を見ずにうなずいた。

 

「もう、遅いわねえ。私なんて最初から気が付いていたのに」

 

 ――最初からぁ!?

 

 思わず声を上げていた。鴉その二の如し。

 奥の部屋から九代目が様子を見に来たので、私は愛想笑いをして戻ってもらった。蓬莱山は一瞥して首を傾げていた。

 

 咳払いをして、話の続きを促す。

 

「あ、別に見た瞬間ってわけじゃないのよ? 顔なんて覚えてられないからね。ただあなたの話し方が似ていた気がして、一緒に喋っていたらそうかもって」

 

 喋り方……変わらんのか。

 私は愕然とした。

 

「なんでそんなにしょんぼりするのか分からないわー。いいじゃない、古い友人に会えたってことを喜んでよ」

 

 それはそうだが、そう思って蓬莱山にようやく視線を向ける。そこでは頬を膨らませ拗ねているような表情を浮かべていた。女ぶりのよい顔をしているものだから、そうもされるとどうにかせねばと思ってしまう。

 

 口が勝手に動き出した。

 

 ――待ちたまえ、そんなに不満げな顔をするな。私だってなあ、嬉しくないわけではない。分かったな? 嬉しいと言ってもいいぞ。いや、嬉しい。だがな、だが過去の私は今の私にとって思い出したいものではない。大体なあ、お前に言った言葉も今思い出したら顔から火が吹き出しそうだ。死ぬことはよくあるがここまで恥ずかしくなるのは久方ぶりだ。分かったな? よし、笑え、笑えー。

 

 そんな弁明が効いたのか、蓬莱山はぷっ、と吹き出しげらげら笑いだした。

 

「あはははっ! ……ふ、ふふ、本当に変わらないわねえ。昔も私がこんな顔してるとそうやって饒舌になってた」

 

 はいはい、私は顔の前で軽く手を振った。

 永遠亭では私の威厳がまったくない。

 旧知の仲とはこういうデメリットも存在するのだ、身に染みた。

 

「すみません、次、よろしいでしょうか?」

 

 振り向くと九代目が話し終えたらしく立っていた。

 蓬莱山は不思議そうな顔をしていたが、私が取材だと言うと腰を上げた。

 

「いいわね。これからは幻想郷の住人なわけだから、皆にも知ってもらわないと」

 

 それじゃ、そう言って蓬莱山は部屋に入って行った。その行動力に感心する。昔の面影を残しながらも、しっかり成長しているのだ、と。

 

 入れ替わりで鈴仙が出て来るかと思って待っていたが、襖が閉じられてしまった。

 どうやらそういうわけではないらしい。

 

 私はまた庭を眺める作業に戻った。

 しばしの間そうしていたが、先ほどまであれだけ騒がしく話していたからか、こうも静かだと逆に落ち着かなくなってしまった。私は立ち上がり中を見て回ろうとしたところで、足音に気が付いた。都合が良い、運が回ってきているのかもしれん。

 

 蓬莱山の時と同じように視線を向けると、そこにいたのは八意であった。彼女も私を確認すると、ああいた、と小さく呟いて隣に座った。その手には薬包紙が握られていた。

 

 それは何なのかと訊ねた。

 

「あなたにね。手、ちょっと火傷しているらしいじゃない」

 

 言いながら彼女は薬包紙を広げ、中の散剤を見せてくれた。白いよくある薬のように見える。

 

「これを飲めばすぐに治るわよ。ああ、礼は鈴仙に言ってあげて。気が付いたのはあの子だから」

 

 なるほど、ここに来なかったのは八意にそれを言って来たからか。ばれないよう黒い羽織りを羽織って隠していたのだが、意外と目敏い奴である。

 

 私は彼女に礼を言ってそれを口に含んだ。咳込みそうになったものの飲み込むと、すぐに効き目が目に見えて表れた。じんじんとした弱い痛みが続いていた手足は徐々に痛みが引いていき、赤く腫れていたのも元からそうでなかったようにあっさり消えていく。

 

 あまりの効果に八意を見た。

 

「妖怪用だからね。普通のより効き目が強いのよ」

 

 妖怪と人の薬はここまで差が出るものなのか。驚きである。

 

「ま、そんなことはいいのよ……どう? 輝夜とはもともと仲が良かったみたいだけど、鈴仙とはうまく付き合えそう?」

 

 心配されるのもおかしな話だが、無論だと答えておいた。

 

「そう。あの子にも早く馴染んでもらいたいのよ。月の民だってプライドがあってあなたたちを見下し気味だったのだけど、改善されてはいるみたいだし。これからもよろしくね?」

 

 そう言って八意は薬包紙を丸めた。僅かに残っていた散剤がこぼれ、風に乗って消えていく。

 

 私はそれを見ながら彼女に歳を聞いた。まるで母のような物言いだったからである。

 

 すると意味深げな笑みで答えた。

 

「もしかしたら、あなたよりも生きているかもしれないわよ?」

 

 それだけ言って、八意は去っていく。

 長生き妖怪と言う唯一の長所を取られるかもしれんのか。

 

 ――それもまたよし。

 

 

 

 その後どれだけの時間が過ぎたか。蓬莱山の代わりに八意が中に入り、未だ話している。辺りは着々と夜に近づいていた。どんな技術が使われているのか分からんが、灯籠がゆらゆらとした光を放ち始めていた。

 

 出来れば陽が落ちきる前に帰りたいものだが、さて。

 

 私は一人庭を眺めて息を吐く。朝方にはあまり思わなかったが、多少の肌寒さを覚えるにつけ、すっかり秋と言った風情だった。

 

 呆けていたら襖が開いた。反射的に振り向く。

 そこから出てきたのは九代目である。

 収穫に満足したのか、ホクホク顔であった。

 これを見ただけでも連れてきた甲斐があったと言うものであろう。

 

「あ、すみません、長いこと待たせてしまいましたね。行きましょうか」

 

 私と目が合うとすぐにそう言って来た。私は立ち上がり、そう言うことは言うでない、と手刀を軽く頭に当てた。九代目は頭を押さえて軽く擦った。

 

「あいた。何ですもう……」

 

 私はかっかっかと笑い、縁側を歩いて行く。

 その後ろを九代目がとてとてと付いてきた。

 

 玄関口で待っていたらしい三人には礼を言った。鈴仙には念を入れて伝えたのだが逃げられてしまった。恥ずかしがり屋さんめ、と思いつつ我々は永遠亭を後にする。

 

 迷いの竹林は懸念した通りすっかり陽が落ちており、一寸先は闇と言った風である。しかし私には切り札があるのだ。

 出来るだけ使いたくはなかったが、こうなれば仕方あるまい。

 

 私は大きく息を吸い、万感の思いを込めて吠えた。

 

 ――ニンジーン!

 

 私の雄々しい叫び声が辺りに響き渡り、前方から因幡が現れた。

 

「まさか本当に言うとは思わなかったよ。わたしゃあ冗談で言ったのになー」

 

 分かっとるわい。私は言った。

 

 

 


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