東方落命記   作:死にぞこない

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足元から鳥が立つ

 思い出したくもない負の記憶が夢となって眼前に降り立った。

 

 夢を夢として認識できているのはなんとも不思議な感覚である。

 普段ならばそんなことはあり得ないのだが、これを夢と認識できんほどの阿呆ではない。

 しかし、自在に体を動かせんのが口惜しい。

 

 私は懐かしい土地に降り立っていた。空は時間を教えてくれず常時真っ暗で、周囲一面は綺麗な海のよう。後ろを向けばぱっくりと口を開けた見覚えのある亀裂がある。ここは何処かと言えば月である。八雲が月との行き来の方法を発見し、その斥候として私が飛ばされたのだった。このころの私は別にここが危険な場所だとは思っていなかったし、八雲の能力があればなんとかなると思っていた。

 

 だから特に警戒もせずに散策を始めたのである。途中結界だか何だかでごたごたはあったが、月の裏側に位置する都を発見するに至った私は侵入を試み失敗、追い出された。月の民の言う穢れた存在の中でも私は最たるものらしい。そのせいで二の句を継がせぬ速さで逃げ帰ることになった。ここまではまだよかった。それならそれで目的は果たしていたのだから。問題はこの後だ。

 

 私は元の場所に戻り八雲の亀裂に入ろうとした。すると何ということか。最早私が通れぬくらいに小さくなってしまい、そのまま消えてしまったではないか。幾ら待ってもそれは変わらなかった。そうして私は一人、月に取り残されることになったのであった。

 

 夢は惜しくもここで終わりを迎えた。

 

 私の八雲に対する一発殴ってやらねばと言う思いは、これに端を発する。

 

 

 

 最悪の寝起きを伊吹にもらった酒で癒し家を出た。伊吹が出て行ってから既に一週間近く経っているが、戻ってくる様子はない。あちらで楽しんでおるのだろう。よきことだ。

 

 まあそんなことはよい。今日は目的があって外に出たのだ。夢で思い出した元凶、八雲紫への慰謝料請求である。心的外傷著しい私に対してある程度の補填をして然るべきであると思いついたのだ。卑しい奴と笑わば笑え、しかしこれは正当な行動である。

 

 だがこんな小さな望みさえも叶えられぬ大きな壁が一つあった。奴の家がどこにあるか分からないのだ。付き合いの長い私にすら教えぬとは徹底している。いや、こう言った恨み骨髄に徹した場合の襲撃を想定し、もしかして私にはわざと教えていないのだろうか。どちらにしろ、要求をのませる相手が現れないとなれば手も足もでん。藍に懇願したところでそこまでは教えてくれなかろう。だったらどうすればよいか。

 

 私は長い目で見た嫌がらせを実行に移すことを決めた。

 

 

 

 訪ねたのは今や九代目になった稗田である。転生を繰り返し、今は確か阿求と名乗っていたか。いつぞや鴉の新聞で読んだ記憶がある。幻想郷の歴史を編纂する稗田家の現当主だ。彼女は屋敷の和室、私の家が丸ごとすっぽり入ってなお空きがあるようなそこで、紙を広げた机に向かって筆を走らせていた。今日も頭の花飾りが目立っている。その後ろ姿に声をかけた。

 

「んぅ?」

 

 入ってきていた私に気が付いていなかったのか、九代目は気の抜けた声を出した。それだけ集中していたとは称賛に値するが、不用心が過ぎよう。私は自分が勝手に入って来たことを棚に上げ安全性を高めたまえと言ってやった。しかし彼女は親切心を無視するように、一瞥しただけでまた机に向かった。まずまずの防犯意識だ。これならば詐欺には引っかかるまい。

 

 ひとしきり九代目の作業風景を眺めた後、もう一度声をかけた。

 すると彼女は一息つき、私の方に体を向けた。

 

「どうしたんですか? ここに来るのは久しぶりですね」

 

 以前ここを訪れたのは、九代目が幻想郷縁起を編纂するにあたり、私のことを誇大広告気味に書いてくれるよう頼んだときである。その時口では了承の言葉を得られたのだが、実際に要望はまるで聞き入れられていなかった。危険度は極低、人間友好度は極高となっていた。何度も危険度は高、人間友好度は普通にしてくれと言ったと言うのにこれであった。その方が妖怪らしいではないか。自分自身危険度は極高が良かったが、さすがにそれでは隔たりがありすぎると自重したのに意味がなかった。

 

 何かと取材のために同行していただろう、そう言った私に九代目はあの時こう言った。

 

 

 

「そんな方の危険度が高く、友好度が低くなるわけないでしょう」

 

 

 

 私は閉口せざるを得なかった。まったくもってその通りだった。

 ただ『妖精のような妖怪』と記載されていたのは未だ納得していない。

 私はあそこまで何も考えていないわけではないのである。

 

 そして現在、私はその時のように幻想郷縁起を意図的に改ざんしようと言う腹積もりでここまで来た。だが今回は私のことではない。八雲紫だ。あいつの間抜けな行動を散々に書き散らしてやり、評判を地に落とすのだ。

 

 私は意気揚々と計画を話し切ったのだが、九代目はそんな必要はありませんよ、と切って捨てた。

 

「元々評判は良くありませんし、胡散臭いと言うのが大勢の方からの感想です。それに間抜けな行動と言ってましたけど、逆にそう言うところから実はとっつきやすいんだ、と良い方に世評が変わるかもしれませんよ」

 

 まっとうなアドバイスのように思えて私は意気消沈した。この上ない起死回生の策としか考えていなかったが、こうも真正面からずばずば言われてはそうかもしれんと思いとどまる他ない。

 

「まあ、そんなことは横に置いておいて……あなたは紅茶よりもお茶の方が好きですよね? 飲みながら少し話しませんか? 最近はめっきりそうして過ごすのも減ってしまいましたから」

 

 誘いを断る理由もない。私はうなずいた。

 

「ふふ、ではお茶を淹れてきますね」

 

 そう言って彼女は立ち上がり、どこかへ歩いて行った。私は彼女が戻ってくるまでの間、やることもないゆえ寝転がらせてもらった。するとそれまでも感じていたが、意識するまででなかった畳の香りが鼻孔をくすぐる。和の雰囲気を感じ、また稗田らしさをも感じさせ、一人笑った。傍から見たら気持ち悪いだろう。だがやはり、昔からの知り合いと、些末な違いはあれど一緒にいられると言うのは気分が良い。

 

 そのまま深い眠りに入って行きそうになっていたところ、頭上から声をかけられ目を開けた。

 

「いつもここに来ると寝てしまいそうですよね。そんなに居心地がいいでしょうか」

 

 微笑みそう言う彼女は、やはり稗田である。共通点らしい共通点ではないが、片鱗は見える。九代目となり昔のことはあまり思い出せないだろうが、仕草は私の記憶の中からそのまま持ってきたようだった。

 

 私はそうさなあ、と曖昧に答えて体を起こし、机の近くに座った。九代目は机の上を手際よく片し、茶碗と急須、そして色鮮やかなつぶつぶとした菓子の乗ったお盆を置いた。菓子まで食わせてくれるようだ、ありがたい。ちょうど甘い物でもと思っていたところなのだ。

 

「今日は近所のお店で買った茶葉と、あなたがここに来るほんの少し前に頂いた和菓子です。なんでも息子が店を継いだとかで、その試作品らしいですよ」

 

 ほう、興味を惹かれて和菓子を見る。それはあられのようだ。白、桃、緑など様々な色が鮮やかで、食ってよし見てよしの良いものである。九代目が向かいに腰を下ろしたのを見た私は、一つまみして食ってみた。

 

 ちょうどよい甘みと食感が後を引き、次から次へと食える……はずなのだが、私の口内は得体の知れない辛味に襲われ悶絶した。その様子を見ていた九代目はあっ、と声を上げた。

 

「その息子さんは新しいものが好きらしくて、いくつかわさびと唐辛子で色を付けたと言ってましたよ」

 

 そうか、わさびかこれは。鼻にツンとくる感じがまさにそれであった。

 

 私は急いで茶碗にお茶を注いだ。あっちゃあっちゃ、と騒ぎながらもなんとか飲み、辛味を流し込んだ。茶の味を楽しむ余裕など皆無だったが、去った危機に安心し息を吐く。九代目が口を手で隠して上品に笑っていた。私の周りではお目にかかることはまずない着物を着ていることからも、その様子は際立って美しく映える。

 

「ふふ、ごめんなさい。実はわざと言いませんでした」

 

 こうも無邪気にやられては怒る気にもならん。こいつはこういうところがずるい。

 少しして九代目は自分の分の茶を淹れた。

 

「それで、この前来た時には過去の話をしてくれましたよね」

 

 と言うのも、昔のことがおぼろげだから話をしてくれと言われたので、私が覚えている限りの昔話をしてやっていたのだ。主に歴代の稗田の者達と私の話を中心としてだが。私とどこぞの妖怪の話をしてもいいが、と言うか九代目にしたらその方が書けていいかもしれんが、せっかく二人で話しているのだから思い出話の方が良い、と個人的に考えた結果だった。

 

 今日はその続きをするかと尋ねると、九代目は嬉しそうにうなずいた。

 

 以前は恐ろしい妖怪の取材にはどうしたのか、と言うのを話していた。古い幻想郷では人間に友好的な妖怪は少なかった。ゆえにその妖怪に会った時の対抗手段を書き、身を守る術を授けようとしている稗田は危険の中にも恐れず立ち向かう必要があった。その度何かと立ち会っていたのが私であった。

 

 その中でも最たるものは、彼の花妖怪の時であろうか。奴めは少しでも気分を損なわせるとすぐに攻撃してくる危険な奴だった。ゆえに私がまず交渉役となり話を聞き、それを稗田に伝えると言う手法で情報を手に入れていた。失敗しても死なん私ならばのやり方であったが、まさか死なないと言うことを知られるとあそこまで殺し合おうとしてくるとは予想外であった。我が人生における致命的な失敗の一つだ。しかし今では年も取ったのか、私が怒らせなければ殺しにかからないなど随分と丸くなったようである。

 

 そんなようなことをちょいと私を格好良く描写して話してやる。

 九代目は、昔から人間とあなたは仲が良かったんですねとか、手伝ってくれてありがとうございますとか、なんともこそばゆくなる言葉ばかり送ってくるものだから、次第に早口となり話し終えた。

 

「今日も楽しいお話でした。そうだ、まだ時間はありますか? 外も暗くなってきましたから、お返しと言うわけではないですけど、ご一緒に夕食でもどうでしょう?」

 

 またとない誘いである。何も買いそろえておらず作るのも面倒に思っていたのだ。

 私は是非にと答えた。

 

「ありがとうございます。すぐに用意させますので」

 

 そう言うと使用人を呼び出し、ここに並べるよう言った。

 

「嫌いなものなどはありませんよね?」

 

 私は迷ったもののうなずいた。幻想郷縁起にニンジンが苦手などと書かれてはたまらない。だがどうしたことか、彼女は小さく笑った。

 

「それは嘘ですよ。ニンジン、嫌いですよね?」

 

 私は九代目にその話をしたことがなかったが――。

 

 なるほど、私は困った表情を浮かべたまま笑うことになった。

 

「どうしましたか?」

 

 彼女はそのことに気が付いているのかどうなのか。どちらでもよいか。

 ただ、受け継がれるものはあったと言うだけのことだ。

 

 

 

 ――稗田の人間は面白いと思ってなあ。

 

 

 

 夕餉は笑い話とともに進みそのまま終わると、月光が明るく照らす道を上機嫌で帰った。

 

 


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