東方落命記   作:死にぞこない

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酒は憂いの玉箒

 

 迷いの竹林迷子事件から一夜明け、自宅は静寂が支配していた。

 

 伊吹はこれから博麗神社に住むことにしたようだ。巫女の仕事をたまに手伝い、悠々自適な生活を送ると私に伝えていなくなった。あいつなら出来るだろう。去り際、今までありがとうとの言葉と、どこから手に入れたのか分からん酒を置いて行った。そういうところは義理堅い。まったく、大げさな奴だ。会いに行こうと思えばすぐに会えると言うのに。

 

 一抹の寂しさは覚えるものの、人間と共にありたいと言うやつの願いを叶えるには絶好の場所であろう。それに元々一人暮らしだ。戻ったと思えばどうということはない。けれどこうも静かになるとは思っていなかった。今日の私は無性に誰かと語り合い騒ぎたい気分である。

 

 語ると言えば鴉たちな気もするが、妖怪の山に行けば一悶着起こる気がしなくもない。基本的にこちらから訪ねないと言うのが暗黙の了解であった。鬼との間で緩衝材として働いていた私の扱いをどうしたものか決めあぐねているのやもしれん。そのくせ賭けなどやるからたちが悪い。

 

 後は巫女なのだが伊吹に会う可能性があるからなしとして、魔女……はまだちょっと距離があるか。八雲は論外として、風見はまあ話を聞いてくれるかもしれんが最後に死にそうであるから却下。森近はどうであろう。今日はどこかに出かけてはいまいか。行ってみたら誰もいないと言うのはつまらんから保留。妖精連中は話せそうもない。紅魔館の連中は一応敵対したときもあったから語り合うというのは違う気がするし、冥界の連中は仲の良いものがいない。行ったところでどうにもならんだろう。上白沢は寺子屋で教師として働いておる時間だ。あと思いつくのは九代目だが、確かに語り合えようが、酒を片手に騒ぐのは無理であろう。

 

 となると選択肢はほとんどなくなった。だがこんなに遠慮するのもおかしな話だ。

 そんなところを乗り越えて今の私は動きたい衝動に駆られている。

 

 ゆえに行く場所は決まった。

 

 

 

 妖怪の山は今現在天狗を頂点とする社会が作られている。以前は鬼がその上にいたのだが色々あってつまらなくなったのか去っていった。伊吹は戻って来たのだが、一度冷やかしに来てそれ以降は訪ねていないらしい。また上に立つ気はないと言うことだろうか。まあその方がお互いに、いや、私にとっては楽でよい。

 

 過去の妖怪の山では私の死体が連日数十体は出来上がった。なかった時は鬼が飲み過ぎて眠ってしまった時くらいのものだ。鬼連中は何度も立ち上がる私を面白がって喧嘩の相手とし、天狗連中も私を当てにして挑発する輩もいた。河童らとは殆ど関わり合いになっていなかったが、どうであれ混沌を極めていたのには相違ない。

 

 そう考えれば今は随分と秩序が形作られたものである。鬼がいなくなったと言うのもあるが、私が人里に移り住んだと言うことも関係しているかもしれん。ストッパーがなくなったから自重を覚えたのであろう。元々天狗たちは狡賢い奴らの集まりだ。これくらいお手の物に違いない。

 

 そんなことを思いながら私は妖怪の山を訪れた。鼻歌交じりの登山気分である。夏の青々とした葉をつけた木々は博麗神社でも見たものだが、こういった山で見るのはまた違う美しさを持っていてよい。どこからかは蝉の鳴き声が聞こえ、これまた季節感に溢れている。

 

 そのまま歩き続け山頂にでも行って天狗どもを集めるかと思っていた。酒は当然奴らから頂く。賭けに使ったお代だ。だのに、暢気すぎたらしくすぐに哨戒天狗に呼び止められてしまった。だがここの連中は大抵知り合いである。顔パスで行けんかと願ってみたのだが、どうやら駄目らしい。

 

「あなたは少々扱いが難しい。あなたに感謝している天狗は多いが、反対に鬼を呼び込む厄介者と捉えている者達も少なくない。そんな中、妖怪の山への侵入は混乱を招くことになる。私の立場上見過ごすことは出来ない」

 

 生真面目である。もっと適当であるほうがいいのに、この白狼天狗の犬走椛はずっとこうだった。あの射命丸と不仲であると言う噂が流れていたが、さもありなん。あの調子には合わないだろう。

 

 どうしたものかと嘆息すると、頭上から声が掛けられた。

 そして顔を上げるよりも前に私の隣に立っていた。

 

「あややや、珍しいこともあるものですねえ。あなたからこちらに来るとは。どうかしたのですか?」

 

 鴉はにこやかに笑みを浮かべている。私を通せんぼするように立っていた犬走は露骨に表情をゆがめている。反りが合わんと言うのはそこまで大変なのか。それもこうも近い上司と部下のような関係だ。不満も溜まろうと言うもの。

 

「間壁さんはどうやら宴会を開こうといらしたらしく」

 

 その名は今ではもう使っていないが、訂正するのも面倒だ。そのままにしておこう。

 

「ならば通してあげればいいじゃないですか?」

「いえ、今や部外者となっている方をそうも簡単に通しては哨戒天狗の沽券に……」

「まあまあ、そこは融通を利かせてもいいじゃないですかー。椛も何かと世話になったでしょう」

「それは……」

 

 私はそうだったのかと昔を思い出す。犬走は確かにいた記憶があるが、直接私が助けた記憶がない。何かと肩肘張っていた印象くらいのものである。

 

「じゃあこうしましょう。このまま無碍に返すのはあんまりです。私の家で飲みませんか? それくらいなら許してくれてもいいのでは?」

 

 犬走は少しの間目を閉じた。

 

「分かった」

 

 そして目を開くと同時にそう言った。

 

「上に報告……」

「いやいいですよ。私から伝えておきます。そっちのほうが速いので。」

 

 じゃ、私の家で待っていてください、そう言うが早いか鴉はもう空に飛び立っていた。

 犬走ははあ、と息を吐いた。

 

「……では、ご案内を」

 

 私は鴉のあまりの行動の速さに驚き呆れうなずく他なかった。

 

 

 

 鴉の家は山の中腹あたりにあった。よくある木造住宅であり、私の家よりは大きい居間に台所など生活に必要なものは一通り揃えられている。私も以前はこんなところに住んでいたなあと思い出し、今の家は環境としては最悪であると思い直した。人里に住むにあたり八雲に頼ったのが間違いだったのだ。なぜあの時私は最悪手を打ったのか。

 

「はいはい、お酒はこんなところですかねえ。一度連絡をくれればもっと用意したのになー」

 

 居間には卓袱台が置かれ、その上には酒が十数瓶置かれていた。いつもなら確かにもっと数が必要だが、今日は酒を飲むだけでない、これくらいがちょうどよかろう。

 

「私も同席していいのだろうか……」

 

 向かいには犬走が落ち着かない様子で座っていた。鴉が許可を取ったと言って犬走を半ば強制的に同席させたのである。職務に忠実な彼女としては居心地が悪いのかもしれん。

 気休めにしかならないが、構わんだろう、と一言告げておいた。

 そうしている間に鴉はてきぱきと動き、最後にはつまみとして煎餅を置いて座った。

 

「ささ、まずは一杯」

 

 我々は盃を交わし、宴会と言うよりもただの飲み会が始まった。

 

「で、わざわざここまで足を運んだんですから、何か事件でもあったんですか?」

 

 事件と言う事件はない。ただ伊吹が私の家を出てしまい、まさかまさかの寂しさを覚えたので騒ぎたかっただけである。だがこれをそのまま言うと今まで築き上げた威厳が忽ちのうちに霧散するに違いない。だから妖怪の山の様子を見に来た、と嘘でもなく本当でもないことを言った。

 

「別に変わりはありませんねー。天狗はいつも通り新聞を作ってるし、河童は何やら作ってます」

「私からもこれと言って」

 

 会話が終わってしまった。もう少し粘れると思ったのだが想定外である。他の理由を追及されてはたまらない。慌てて私は口を開いた。そうして出てきたのは犬走についてである。私に世話になったとかどうとか。

 

「ああ、特に直接的に世話になったわけではない」

 

 はあ、と私は呆けた声を出した。であれば一体どう言うことか。

 

「ただ回避する手本とさせて頂いた」

 

 はて。私の頭上には疑問符が浮いた。私は基本的に一撃で死んでいた。回避など碌に出来ていなかった気がするが、果たしてどういうことであろう。

 

「何と言おうか、間壁さんの戦い方は独特だ。恐らくは死に続けるうちに会得したものなのだろう。あなたが鬼とやりあっている間、私はそれを見て勝手にあなたを師として鍛錬した。盗み見とは、恥ずかしい限りなのだが……」

 

 ううむ、俄かには納得しがたい。見よう見まねで私のいいところを抽出して自分のものとしたのは、結局のところ犬走の実力である。そう言おうとしたのだが、鴉に流されてしまった。

 

「まあしかし、あの頃は凄かったですねえ。あっちで死んでこっちで死んで。生きているかと思えば意識が飛んでいたり、だいぶ酷使されてましたよ?」

「……覚えている限り私がまともな姿の間壁さんを見たのは……二、三回くらいだろう」

 

 私は盃に残っていた酒を呷った。そして深いため息を吐いた。本当にあの頃は闇の時代であった。死んでも大丈夫だからと安請け合いした私も悪いのだが。

 過去の私の阿呆加減に呆れながら酒をなみなみと注ぐ。

 

 沈痛な面持ちになって来た私を鼓舞するように、突如板戸が勢いよく開かれた。

 

「はーい! 私が来てあげたわよー!」

 

 そこから現れたのは鴉その二であった。なぜここに来たのか。

 

「ちょ、ちょっと何よ、その顔は。お呼びじゃないの?」

 

 私は首肯した。すると鴉その二はきーっ、と甲高い声を上げ私の隣にドカッと座った。

 

「おや、はたて。さっきは来ないと言ってたのに来たの?」

「だって仲間外れは寂しいじゃない!」

「ええ……だったら一緒に来ればよかったでしょ」

「それはそれで屈したみたいで悔しいから却下」

「面倒くさい奴ねえ」

 

 鴉と鴉その二は恒例のちょいとした言い合いを終わらせると、盃を軽く当て音を響かせたのちぐいっと飲み干した。あまりの早業で気が付かなかったが、鴉その二の飲んだそれは私のものである。私は素早く酒を注ぎ、やりおるわ、と鴉その二の脳天にチョップした。

 

「痛っ、え、なんで?」

 

 酒を盗む奴には相応の罰だ。私は断言した。

 

「それなら仕方ないですねえ」

「仕方ない」

 

 いつもの仲間意識はどこへやら、二人は簡単に同意した。

 

「何よう、椛まで……私への風当たりが強いわ……」

「まあまあ、そう落ち込まないでよ。煎餅もあるわよ」

 

 そう言って鴉は鴉その二の口へ煎餅を突っ込んだ。盛大にむせた鴉その二は顔を真っ赤にしている。私は背中をさすってやった。

 

「な、何すんのよ、危ないでしょうが!」

「誘いを断ったことへの仕返しよ」

「何て狭量な天狗なのかしら。これじゃあいつまでも新聞大会でランキングに載ることは出来ないわね」

「ほうら、お食べー」

 

 私はまた突っ込まれそうになっていた煎餅を奪い取った。食い物で遊んじゃあいかん。ばりぼりと音を立てて食う。少々湿気ている気がするが美味い。

 そして口の中に残ったかすを酒で流し込んだ。

 

「た、助かったわ。あんたやるじゃない。そのまま私の名前を呼んでみて?」

 

 賭けはまだ終わっていないのか。私は首を横に振り酒を飲んだ。

 今後一切絶対に鴉の名を呼ぶことはなかろう。

 

「けちっ!」

 

 私はいつぞやも聞いた罵倒を甘んじて受け入れた。

 どれだけ言われようと結構、私はもう呼ばん。

 

「あ、盃が空いたな。注ごう」

 

 犬走はよく周りを見ている奴だ。礼を言って注いでもらった。お返しに彼女の盃にも注いでやる。あまり酒が進んでいる様子ではなかったが、折角の席だ、もったいなかろう。

 一連の流れを見ていた鴉その二は驚愕の表情を浮かべていた。

 

「……呼んでるじゃん!」

「うるさいわよ? 少しは静かに出来ないの?」

「いやいやいや! 文だって今の聞いてたでしょ!? 椛の事名前で呼んでたじゃん!」

「私はもう賭けに勝ってるから別にー」

「何よそれぇ! も、椛、いつから名前で呼ばれてたの……?」

「……初めて会ったときから」

「最初からぁ!?」

 

 これでは酒が飲めん、何で何でとこうるさい鴉その二に私は一つ一つ理由を説明してやることにした。まず何よりも新聞記事にしようと画策する鴉天狗ではないこと、次に職務を全うしようと真面目なこと、そして私を蔑ろにしないことである。どれが一番大きい割合を占めるかは想像にお任せしよう。

 

「はあ……やってられないわね」

 

 鴉その二はまた私の盃の酒を呷った。即座に犬走が注いでくれる。そしてそれを私が飲む。うまい。

 爪の垢を煎じて飲ませてやりたい気分だ。

 

「くっ、コンビネーション見せつけてくれるわね……文! 私たちもやってやるわよ!」

「は?」

 

 鴉はとんと見当がつかぬ様子で口を開いていた。しかし鴉その二はそんなことは気にも留めず、奴の肩を掴み飛んだ。そうして勢いよく外へと飛び出した。私の家ではないから戸が壊れてもなんとも思わんが、こんなことならもういらんだろう。

 

「ど、どう言うことなんだ?」

 

 困惑を表に出している犬走に、私はにこやかに微笑み言った。

 

 

 

 ――考えちゃあならん、飲め飲め。

 

 

 

 その後、私は晴れやかな気分で妖怪の山を後にした。

 

 

 


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