東方落命記   作:死にぞこない

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いつも月夜に米の飯

 鬼が空から降って来た。

 

 私は慌てて受け止めた。なぜこうも常識外れなのだろう。鬼と言うのは大概そうだが、こいつはそれ以上かもしれん。

 

「今日も暑いね」

 

 暑いのはくっついているからだ、と伊吹を下ろしてやった。私が長屋の板戸を空けたら落ちてきたのがこいつであった。これまで生きてきて落ちてきた鬼を受け止めたのはこれが初めてだ。私は手の甲で額を拭った。汗が滲み出ている。もうすっかり夏といった風情だ。

 

 先日のあの多い宴会は伊吹の仕業であったらしく、私との喧嘩をやり終えたらすっきりしたようで次からなくなった。さらに聞くと、私が宴会に呼ばれなかったのは伊吹が私と一対一で飲みたかったかららしい。何も皆が省いていたわけではなかったのである。一安心した次第だ。

 

 騒動は終わりを迎えたが鬼仲間を置いて一人出てきた伊吹は、いまさら帰る気もないらしく私の家に居候していた。ふかふかの座布団を取られ、良い茶葉を取られ、あまつさえ布団さえ取られいい迷惑であった。鬼の真骨頂はその我が儘さであると再確認した。食い扶持も日増しに減っていき、今やその日暮らしである。

 

「今日は何か予定があるのかい?」

 

 私は首を横に振った。しかし即座にいつもこうではない、今日はたまたまだ、と言っておいた。常に暇だと思われてはたまらない。ずっと伊吹の遊び相手として連れてかれる可能性がある。それは避けておきたいところ。命がいくつあっても足りんのだ。

 

 そう言うお前はどうなんだ、板戸を閉めながら聞いた。

 

「山の方に冷やかしに行こうかねえ」

 

 私は天狗たちの阿鼻叫喚が容易に想像できてしまい、それだけはやめておけと言った。天狗が頂点の今の秩序を乱すのは誰も得しない。つられて消してしまいたい過去の情景が思い起こされた。鬼と天狗の間で壁として働いていた時の記憶である。あの頃は酷いものだった。

 

「そうかい、そうかい。じゃあどっかで遊んでくるよ」

 

 そう言い残して伊吹はどこかへ去っていった。

 

 

 

 まあそれはいいのだ。問題は食い扶持の確保をどうするかである。どこかで求人でもしとらんかと人里を見回った。だがしかしそう簡単にいかんのが人生だ、どこもそんなもん出していない。仕方なく私はなけなしの金を使って油揚げを買った。

 

 ――八雲の式神やーい。

 

 大通りの端っこで油揚げをぶらぶらと揺らしてぶつぶつと呟く。通り過ぎる人々が気の毒な人を見る視線を寄せて来るが気にしてはならん。この召喚術を成功させるには莫大な精神力を要するのだ。

 

 ――八雲の式神やーい。

 

 今日は珍しくなかなか来ない。

 

 ――藍ちゃーん。

 

「なれなれしく名を呼ぶなと何度も言ってるだろう」

 

 三度呼んでようやく現れたのは立派な尻尾を持った妖狐だ。名を藍と言い八雲紫の式神である。私自身は彼女に何か粗相を働いたとかはないのだが、主人である八雲紫と旧知の仲の雑魚と言う私の立ち位置が気に入らないらしく、会うたび会うたび冷ややかな視線と態度で接してくる。初対面のころはもっと優しかったと思うのだ。こうも敵視されるとちょいと寂しかった。

 

「で、何の用だ」

 

 私の手から素早く油揚げを奪い取り、目にもとまらぬ速さで食った藍はそう吐き捨てた。

 

 何か仕事はないか、出来れば給金がいいので。

 恥も外聞も食の前には無意味だ。私は堂々とした態度で言い放った。

 

 藍は露骨に嫌そうに表情をゆがめた。

 

「ちっ、なぜこんな……」

 

 呆れられてしまった。

 けれどもここまで下に見られることは少ないからちょっと楽しい気もする。

 

「……はあ。仕事が欲しいと言ったな。魔法の森に出ると言うはぐれ妖怪をしっているか?」

 

 魔法の森で一番新しい記憶は鴉とともに様子を見に行き、無事死亡したあれである。そこに出ると言うからにはあのカエルのような奴のことだろう。私は知っていることを藍に伝えた。

 

「ほう、今のお前にしては上出来だな。仕事はその退治だ。無事達成すれば相応の金は出そう」

 

 私は拒否する理由もない、期日を聞いて請け負った。

 

「もし無理だと理解したらまた油揚げで私を呼べ」

 

 藍は最後に、さっきのは何処で買ったのかを仔細語らせ、買い物袋を提げて去っていった。

 

 ――アイツは本当に油揚げ好きだなあ。

 

 

 

 私はもう一度藍を召喚し、結果報告を開始した。

 簡潔に言って私は死んだものの奴の退治には成功した。協力してくれたのは妖精たちであった。いや、あれは協力ではなかった。ただ単に私を殺そうと大挙して押し寄せて来た奴らをうまい具合に誘導し、件の妖怪の相手をさせたのだった。そしてチルノが奴を氷漬けにすることに成功。私はそれを砕き仕事終了である。その後妖精にやられた。

 

 とのことを報告したわけだが、藍の視線はどんどん冷えていくばかりだった。

 

「なぜあなたはこうも……昔は……」

 

 ――あなた?

 

 出て来るとは思っていなかった呼び方に、私はついオウム返しで口に出していた。

 

「ぐっ、な、なんでもない! 忘れろ!」

 

 そう言われては忘れるのも吝かでない。怒らせて殺されるのもあんまりだ、突っつかんことに決めた。と言うよりも滅多にお目にかかれん微かに頬を赤らめた藍を見られたのである、不機嫌にさせるのも忍びない。

 

「ふん、まあいい、これが報酬だ。……また呼べ」

 

 藍はやけに軽い袋を私に渡すと、逃げるように去っていった。もっと給金は弾むと思っていたが、こんなものなのだろうか。ちょっと残念だ。まあないよりずっとよい。私は今日の夕餉はどうしようかと頭の中でこねくり回しながら帰路に就いた。

 

 

 

 我が家の夕餉、それは悲しい末路を辿っていた。

 我々は居間の中央に七輪を置いて、その上で静かにそれが焼けるのを待っている。炭が焼けぱちぱちと音を立てていた。それを囲む表情は暗い。

 

「なあ、本当にこれだけなのかい?」

 

 僅かばかりの驚きを見せる伊吹に、私はただうなずくことしかできなかった。

 

 道理で軽いと思ったのだ。

 

「油揚げかあ……」

 

 そう、袋の中に入っていたのは紛れもなく油揚げであった。それも五枚。これが本当に報酬なのか、単に藍が間違っただけなのか……恐らくは後者だ。慌てていたのだろうが、間違えて渡すものがこれなのは流石と言う他ない。

 

「もちろん私が三枚だろ?」

 

 既に一枚食い終った伊吹が厚顔無恥も甚だしいことを言いおった。私は笑い、阿呆、と挑発した。そんなわけあるか、と。

 

「何ぃ?」

 

 伊吹はきっ、とこちらを睨んできた。目論見通り七輪から目を離したすきにさっと一枚食う。やけにうまかった。油揚げに対する藍の真摯な態度には尊敬の念を禁じ得ない。

 

「ぬぁ!?」

 

 甘い、甘すぎる。視線を外そうものなら持ってかれると心得よ。かっかっかと笑ってそう言ってやった。無論、あまりやりすぎると実力行使に出られて木端微塵になりそうだから、この手はもう使えんだろう。どう攻める、とじりじりと焦げていく油揚げを見つめていた。

 

「まあいいや」

 

 突然、伊吹は私はもう食べませんとでも言うように箸をおいた。こいつが私に譲るだと。天変地異の前触れだと言われてもおかしくない。だがそう言われたら食いにくくなる。飯はみんなで楽しんでこそ、せめて二:三だ。箸のすすまなかった私は、焦げていきどんどん味が落ちていく油揚げを皿にとっておこうと思い、台所に立った。

 

 そして戻ってきたらもう油揚げの姿はなかったのである。怪奇現象だ。じろっと伊吹を見る。奴は我関せずと瓢箪から出て来る酒をちびちび飲んでいた。

 

 ――鬼は嘘つかんのではないのか!

 

 思いのたけをぶつけたが、伊吹は笑って嘯いた。

 

「食わないとは言ってない」

 

 完敗を喫した。

 

 

 


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