イデア9942 彼は如何にして命を語るか 作:M002
同時刻、塔の上部にて大爆発を起こした11Bは、そのままバイクごと穴の中に体を滑り込ませることに成功した。アダムから託されていたキューブの使用リミットは限界ギリギリ。穴の向こうで、崩壊していくキューブの道が見えている。
「随分暗いな。塔の中でも部屋の役割さえ与えられていない場所に入ってしまッたらしい」
「てことは侵入失敗?」
「そうなるな。しばらく壁を掘り進むしかあるまい」
どっこいせ、と掛け声と共にイデア9942がサイドカーから降りる。機械生命体の中型二脚タイプは、それなりに足が長いのでサイドカーをまたぐようにして降りるだけで済むのだが、そのあたりで一々掛け声を入れる無駄加減は実に彼らしいと言えよう。
そしてヘルメットを外したイデア9942は、サイドカーの席にヘルメットを置いた。今の彼はマフラーを巻いているだけの中型二脚。このマフラーさえ外れてしまったら、それこそ他の機械生命体と見分けがつかなくなるだろう。
「11B、周囲の地形をスキャンしてみたが、壁の薄いところが真上だ」
「ジャンプして届くかな。というかイデア9942は行けそう?」
流石の11Bでも、彼を抱えたまま十メートル以上ある天井にまで持っていくのは厳しいと言える。心配そうに聞いた11Bだったが、イデア9942は相変わらず余裕な口調で問題ないと返した。
「以前、遊園地に侵入したときのジェット噴射機構をジェットパックにして積んで在る」
「そんなのもあったねー……」
あの時は抱えられて、何度も驚いてばかりの日々だった。
懐かしい記憶が蘇るが、敵地にいる事を思い出して首を振る。
「とにかく破壊して進もっか」
「そうしてくれ。此方は此方で準備する」
イデア9942がサイドカーに頭から突っ込み、ガサゴソと準備をしている間に11Bはちょっとした柔軟体操を始める。そして手に持っていた三式戦術刀を何度か手の中で遊ばせると、闇で見えない天井と手元を交互に見つめた。
「よっ」
と思った途端、彼女は右足を踏み込み、体を弓なりにしならせる。その手に持っている三式戦術刀をまるで槍のように掴むとそのまま一気に投げつけた。当然ながら、彼女が狙いを外すわけもなく、戦術刀は天井の一部に突き刺さる。そして壁に巨大な罅を作ったのだが、突き刺さって落ちてくる気配はない。
「キレイに刺さってるね」
「早速武器でもなくしたか?」
「んーん、計算通り」
そして彼女は、バイクの収納スペースに収められている柄を掴み取って、一気に引き抜いた。黒光りする砲身が、暗闇の中でもほのかな反射光を見せる。彼女は先程武器を投げつけた場所に向かって照準を合わせ、モードを散弾にして三度、引き金を絞った。
ドォン、ドォン、ドォン、
腹の底から唸るような咆哮を上げて、火を吐く砲身。散弾は狙い違わず弾道操作され、11Bの狙った場所にぶち当たったかと思えば、先程三式戦術刀でつけた罅を更にえぐり取る。すると、自重に耐えきれなくなった天井がついに崩落し、瓦礫となって振り始めた。
彼女が自分とバイク、そしてイデア9942に当たらないよう瓦礫を振り払っていると、崩落した天井の先から淡い白色の光が差し込む。人工的な光だが、底に届いてなおハッキリと明るいあたり、強い光源が使われているらしい。
「空いたよ」
「よし、行くか」
「あ、少し遅れていくけど大丈夫?」
「問題ない。今のところ動体反応はないからな」
「わかった」
彼女の返答を聞くと、ジェットパックを背負ったイデア9942が我先に飛び上がり、天井の上へと登っていった。その様子を確認した彼女はバイクに目を向け、そちらに手を伸ばして何やら作業を始める。
それから数分後、11Bもまたイデア9942の居るであろう天井の方へと進むのであった。
「……なんというべきか、めぐり合わせだな」
先に天井の先へと辿り着いていたイデア9942は、かつては昇降機だったであろう物の瓦礫と、その瓦礫に飲まれるようにしてボロボロになった二体のアンドロイドを見つけていた。
言うまでもない。2Bと9Sである。
「2B、9S。お前たちがくれた情報はしッかりと届いたぞ。だから、来た」
イデア9942が話しかけるも、二体のアンドロイドは何の反応も返さない。
両足、そして左手が破損した2Bは腹にも巨大な落石があったのか、自慢のプロポーションが台無しだ。一見損傷が無いように見える9Sも、右腕から先がなくなっており、降り注いだ円錐状の瓦礫のせいで右目から地面に縫い付けられている。
だが―――彼らは、手を繋いでいた。
決して離れない意志の現れか。はたまた奇跡か。
今となっては彼らの真意は分からない。だが、2Bの右手と9Sの左手が繋ぐ絆の象徴は、決して傷ついていない。
「イデア9942、おまたせ」
「あァ、11B。君も少し祈ッておけ。次に目覚めた時、こいつらが歩む平和な未来をな」
「え?」
イデア9942に促され、11Bが二人の残骸を見る。
一瞬、悲しげに伏せられた瞳は、次の瞬間には強い意志を宿した光を放って開かれた。
「―――そっか」
投げた後、崩壊した瓦礫から探してきた三式戦術刀、そしてイデア9942手製の銃を置き、膝で立った11Bは二人に向かって祈りのポーズを取る。重ね合わせた両手と、再び閉じられた瞳には何を願っているのだろうか。
不幸ではない。とても幸せな、だけど形にできない未来の姿。
ヨルハという、呪いのような軛から放たれた祝福を、与えているのかもしれない。
「治る、よね?」
「幸いブラックボックスは無事だ。しかし、A2ではなく此方が見つけてしまうとは。いや、因果かもしれんな」
「因果……本当に機械っぽくない事言うよね、イデア9942は」
「そうだろうな。なんせ、ナマモノだッたことも在る。空想科学的なことも言うとも」
自分が人間だった頃をナマモノと表現する。こればかりではないのだが、人間だった頃に対して、または人間そのものをひどく嫌厭するような言動が多い。基礎プログラムをいじられ、人間への無償の愛を外された11Bにとっても、少し言い過ぎではないのか、と思うことも多々ある。
だが、そこもまた彼という人格を構成する要素だ。それらがあってこそ、今があるのだから。
11Bが何とも言えぬ慈愛の視線でイデア9942を見ていると、彼はそれに気づいたのか恥ずかしげに頭頂部を指で掻く。キチキチと鉄同士の擦れ合う音が、塔の中に響いていく。
「さて、目的の二人も見つけたことだ。一度通信を」
先程の事が無かったかのように、イデア9942はベースへの通信を試みた。だが返ってきたのは通信先がつながらない砂嵐の音だけ。
「……ふむ、電波状況が悪いのか」
「バイクを中継地点にしたら?」
「ダメだ。距離としては工場地下よりも近いはずだが、どうにも繋がらん」
ひとつ溜めて、11Bが言う。
「ちょっと不味いね」
「ああ。二人の義体をバイクに乗せて、ベースに戻すとしよう」
先程の穴に戻り、再びジェットパックを点火させたイデア9942は、ゆっくりと降下してバイクに二人を載せる。損傷が激しい2Bはサイドカーへ。五体がある程度残っている9Sを運転席に乗せようとしたのだが。
「……」
つながれた手を見て思い直し、9Sに抱えさせるように2Bをサイドカーに押し込んだ。固くつながれている手は、多少の振動程度では決して外れないだろう。なにより、この状態の二人を、目が覚めるまで離したくない。
そんなワガママだ。
「優しいよね、イデア9942は」
彼のちょっとした行動を見て、11Bがそう評する。
「自分勝手なだけだ。言うのも何だが、妄想する力だけは一人前だからなァ…」
「妄想って、でもアナタの幾つもの予想のおかげでワタシは生きているんだけどなぁ」
「それは、そうだが」
知り得るはずのない知識。
しかし断片的な、それを活用して救った命は数知れない。救っただけではなく、彼らはその後の未来も明るく過ごせていたはずだった。
「……一発、決意キメるしかないんだろうなァ」
「ねぇ、イデア9942。本当に……本当に、アナタがやる必要はあるの?」
「だが方法がそれしかない。薄々気づいているだろうがな」
「だからって――」
声を上げようとした11Bを制し、イデア9942はそのまま歩き始めた。慌てたように、彼の隣に寄った11Bは、先程の説得を続けようとしたのだが。
「……どうした、11B?」
「ううん。もう、いいの」
一見すると、機械生命体に表情なんて無いようにも見える。だが11Bには分かる。彼が纏う雰囲気次第で、表情なんて無くとも意思が伝わってくることを。
諦めた、といえば少し語弊がある。受け入れた、というのが近いかもしれない。それでも、身が引き裂かれそうな思いなのは確かだ。イデア9942が全てであり、イデア9942こそが生きる意味。
「まァ、巣立ちには丁度いいだろう。いい加減親元を離れ、保護先からも帰る時だ」
「言いくるめたって……」
スタスタと歩いていたイデア9942は立ち止まる。目の前には巨大な扉があったからだ。
「行くぞ、11B。この先に嫌な反応が多い」
「イデア9942……」
「頼りにしている」
彼女の頭を撫でて、イデア9942はそのまま扉に手を掛けた。
制御システムをハッキングし、回路を焼き切って強制的に扉を開ける。
向こう側は、どこか幻想的な白い世界、そして一本のレールが弧を描いて天と地を繋いでいる光景。浮き上がった白い構造物が、凄まじい速さで中央塔を登っていく。
「余った資材で急造か。よほど余裕が無いと見える」
「……あ、イデア9942、アレ!!」
見上げていた彼は、突然11Bが指差した先へ視線を移した。少し遠い場所だったが、そこには幾つか……10ほどの浮かんだものが見える。だがその姿は少し視界をズームさせれば、ハッキリとした造形が見えた。
ブースターから豪炎を吹き出しながら、回転する円環状の体。
その姿を、11Bは知っている。キェルケゴールたちが暮らしていた工場地下空間にて恐れられている「焼却屋」だった。
「音に反応する厄介なやつ、焼却屋だね」
「見ての通り高熱を発しているらしいな。だがその分脆そうだ。その銃なら、装甲を貫ける」
イデア9942が様子を見ながら、今の11Bにはアレに抗える力があると言った。
「それにしても、やつを知っているのか?」
「うん。キェルケゴールたちを助けに行ったときを覚えてる? その時に昔から工場地下の廃材置き場にアイツが居たんだ。キェルケゴールたちも恐れてた。僅かな物音も聞きつけて体当たりしてくるの。見た目に反してかなり早いよ」
「今はそうでもないが、超反応してくるのか。……なら、それはそれで誘導も楽だ。それにしても、ここに居るということは、あの工場での出来事も見られていたと考えたほうが良さそうだな」
N2に対して悪態をつきつつも、イデア9942は作戦を11Bに伝える。
幸いにして足場となるところはあった。少し前まで2Bと9Sが乗っていた昇降機。それを運ぶレールだ。行き先でもあり、目指すべき所に陣取っているというのならば、粉砕しない理由もない。
「あッた、流石にアクセス可能な端末くらいは用意してあるか」
そして崩落していたはずの昇降機についても問題は無さそうだ。N2が手足のように扱える「塔」とはいえ、N2が全てを掌握し、常に管理するわけにも行かないだろう。そのため、塔のカスタマイズに関するシステムは塔そのものに残っていた。
近くのアクセスできる場所に無理やり介入したイデア9942は、新たな昇降機を作るための準備に取り掛かる。その間に、進路上の邪魔な敵を11Bが排除する手筈になったらしい。
「……こうして、肩並べるのもあと少しか」
感傷に浸っていない。そのままときが過ぎなければいいのに。
11Bの願いは、叶うことはない。だからこそ、今この瞬間を後悔無く過ごさなくてはもったいない。下手に壁を作り、ああしていればよかった、という後悔を残さないためにも、11Bは跳んだ。
焼却屋は漂っていたが、11Bの出した音を嗅ぎつけて回転数を上げた。
鉄をも一瞬で溶かし、四散させる超高熱。そしてそれに耐え続ける特殊な体。だからこそ、イデア9942は付け入るスキはいくらでもあると言った。
11Bが左手の銃のダイヤルを弄る。
モードはサイレント。そしてセミオート。彼女が打ち出した弾丸は、いつもより圧倒的に低い威力。ポッドが大量に発射するエネルギー弾よりもずっと弱い、6ミリ弾である。その弾丸は飛来すると、全5機存在する焼却屋の近くにある構造物に着弾。ガンッ、と物音を立てた。
そこに集中していき、20メートル四方はある構造物をほんの数秒で大きくえぐる焼却屋。含まれたケイ素が冷やす力など、足元にも及ばない。破壊、というよりは蒸発していく構造物だが、目も判断能力もない焼却屋が破壊できたのはそれが最後だった。
「収束、発射…!」
砲弾は最高クラス。塔の外壁を砕いたものと同じ出力。
焼却屋の集まる場所に放たれたエネルギーに包まれた弾頭は、接触した瞬間エネルギーのバランスが崩れて周囲に漏れ出し、焼却屋の恐ろしく分厚い装甲を損壊させる。ここで初めて、受けた攻撃の方へと誘導される動きを見せたが、もう遅い。エネルギーに包まれていた弾頭は、均衡の崩れたエネルギーを受けて点火。
元素が次々と連鎖した爆発を起こし、それは焼却屋を飲み込んで破壊のドームを形作った。ポッドプログラムなど匹敵にならない消滅の球体が数秒現れ、光が霧散すると同時にしぼむ頃には何も残ってはいなかった。
「……ほんと、頭おかしい威力だこれ」
イデア9942に毒された、頭の痛い言葉を吐きながら背筋を震わせる11B。未だ煙を上げている銃口を軽く振って熱を冷まし、背中のホルスターに戻した。そうしていると、彼女が乗っていたレールのすぐ下に、昇降機が現れた。
「イデア9942!」
そして昇降機に乗っていたイデア9942の姿を見て、彼女はすぐさま飛び降りた。二人を載せた昇降機は、とくにこれといった障害もなく登っていく。敵のシステムを容易く掌握したというのに、どこか浮かない様子の彼を見て疑問に思ったが、ひとまずの足を手に入れることが出来たのは僥倖だろう。
イデア9942を抱えてレールを走る、という案が実行されなくてよかったと、彼の身を案じて11Bが息を吐く。
「N2め、舐めているのか諦めているのか……」
嬉しさを見せる彼女に対して、イデア9942はどこか呆れているようだった。
イデア9942が眺めているのは昇降機に備え付けられたコンソール。本来ならば移動時はコンソールが地面に引っ込む作りだが、イデア9942はいざという時のためにコンソールが無くなって制御不能にならないようシステムを書き換えたらしい。
しかし、そんな退路の確保も出来ているのにどこか余裕が無いように見える。
「どうやらN2は、此方が到着するのを待ッているらしい」
「それは、どうして?」
「わからん。すでに奴は万策尽きたも同然のはず。だが、どこか嫌な予感がして堪らん。あの時と一緒だ。パスカルたちが、
「……パスカルの暴走が、イデア9942のせい? それが、アナタが決意を抱かなきゃ行けない理由?」
ずっと明かされなかったメッセージ。
それをうっかりと口走ったイデア9942は、バツが悪そうに帽子の鍔を掴もうとする。だが、今彼の頭の上に帽子はない。空を切った手は、居心地が悪そうに元の場所に戻された。
誤魔化しきれないと判断したのだろう。イデア9942は、短く言葉を吐いた。
「そうだ」
「敵を倒すためじゃないんだ」
「ああ。これはエゴだが、同時に望みでも在る」
「自分で消えることが?」
「………」
「勝手だよね。イデア9942」
「よく言われたな」
「嘘、アナタはいつも感謝されてばかり。暴言なんて全然言われたことないじゃん」
「……」
視線と共に、彼の緑のカメラ光が下に行く。
やはり、11Bは失いたくないのだ。彼のことを。
何度も、何度も、理解しようとしてきた。そうでしかないのだと諦めようとしてきた。だが、ふと出た言葉が敵を倒すためではなく、仲良くなった相手を救うためであると知ってしまった。その途端、11Bは納得できない気持ちが、蓋をしたはずの気持ちが溢れてきた。
あふれる気持ちは責めるような言葉になり、彼女の視界を水で満たす。
熱い雫が、顎を伝って白い床に落ちていく。光を移した水滴は、イデア9942にとって、恐ろしいほどよく見えてしまっていた。
「…死にたくないさ。あァ、本当は死にたくない」
ぽつり、弱音を零したイデア9942。
「それでもだ。なんでだろうな、体が動く。勝手にな、止まらないんだ」
瞳を閉じて、胸元に手をやる。
その手はマフラーにかけられ、彼は再び目を開いた。
「怖さより、やりたい気持ちがな、溢れてるんだ。それが絶えないように。何度も何度も、問いかけて、それで正しいんだと信じてやってきた。今も同じだ。変わらない」
達観したように彼は言う。
11Bは、彼が初めて、隣ではなく遥か遠くに居るように感じてしまった。まだまだ彼女は不安を抑えるすべを学びきっていない。だからこそ、拙いながらも危なげな言葉として、11Bから耳を疑うような言葉が飛び出してくる。
「後、追ってもいい?」
間髪入れず、イデア9942からデコピンが飛んでくる。
そして優しく頭を撫で、彼は11Bに強く言い聞かせるのだ。
「馬鹿な真似はやめろ。さァて、もう着くぞ」
払えぬ思いを抱えたまま、昇降機は最上階に辿り着く。
本来ならば、「方舟」を打ち出すための砲口となっていたはずの最上階。だが、本来空いているはずの穴は埋まり、中央には浮かんだ球体のモニュメントがあるだけの簡素な部屋が広がっていた。
カツ、一歩を踏み出すたびに響く音。
無音にして無機質な空間。されど、そこには確かな意思が宿っている。
この塔を作り、部屋を作り、統括する騒々しくも孤独である1の人格が。
「ようこそ、イデア9942。私達の塔へ」
最初出会ったときと変わらない、余裕に満ちた言葉だった。
イデア9942は、返す。
「N2……思惑通り、来てやッたぞ」
「フッ」
そして、彼らが部屋の中央へと移動した途端、N2の姿である赤い少女の映像が数十体、部屋を取り囲むようにして現れる。身構える11Bと、あくまで自然体のイデア9942。一体何が目的であるのか、イデア9942にもN2の考えることは分からない。
だが、今こそが最後の時なんだと。心の何処かで思い描いていた光景は、現実になって到来したことを、感じ取ってしまっていた。
最終回までのカウント開始