あれから賊の襲撃もなく、一行は無事に目的地へ。
同じ荊州の中とは言え、やっぱり中国は広いもんだ。
「へえ、結構大きな街だな」
「ここは襄陽というところです。大陸中から、人も物も集まりますから、賑わうのが当然ですね」
「太守は、劉表?」
「はい~、正解です」
「って事は、蔡瑁や張允、カイ越にカイ良、伊籍あたりもいるって事か」
あたしの知識はゲームがベースだから、わかるのはせいぜい名前と能力値ぐらい。
このあたりは出てきた筈だけど、この世界だと実在しない奴もいるんだろうな。
……と、陸遜と周泰が呆けている。
「どうした?」
「……いえ。劉表配下を、それだけ把握しているとは驚きです」
「明命ちゃんの言う通りです。わたしは立場上、知ってますけど」
あ、勘ぐられたか?
「い、いや、あたしも旅の道すがら、いろいろと……な?」
「…………」
「…………」
うむ、また誤解されたかな、もしや。
そう言えば、雪蓮が妙に静かだけど。
つーか、むしろ沈痛な顔。
「どうかしたのか、雪蓮?」
「……え? あ、うん……」
生返事なんて、雪蓮らしくもない。
と、陸遜が小声で話しかけてきた。
「美綴さん。劉表さんは、雪蓮様の仇なんです」
「仇?」
あたしも、雪蓮に聞こえないぐらいの声で返す。
「はい。私が仕官したばかりの頃、孫堅様と劉表さんは戦っていたんです」
「……で、その戦いで、孫堅さんが?」
「はい……。命は助かったものの、傷が治らないうちに疫病で……」
見ると、いつも明朗な周泰までも暗い顔をしている。
黄蓋さんも、孫堅さん亡き後の苦労を語っていたし。
うん、事情はわかった。
なら、あたしのすべき事は……と。
「さて、飯にしようぜ」
ポン、と雪蓮の肩を叩く。
「綾子……?」
「襄陽ってのは賑やかなんだろ? なら、美味いものもあるって訳だ」
「…………」
「あたしは、雪蓮の気持ちがわかる、なんて言わないぜ? でも、そんな顔をしていても、何も変わらないぞ」
「綾子……。あなた……」
「ま、頭で考える前に、まずは空腹を抑える事が先。な?」
そう言って、ニカッと笑って見せる。
苦しい時ほど、笑えってな。
「……不思議ね、本当にあなたって」
「難しい事考えるのは苦手だからな」
「……わかった。そうしましょう」
やっと、いつもの雪蓮に戻ってくれた、かな?
周泰と陸遜も、ホッと一息付いている。
商隊の面々も食事となれば異論はないらしく、一同連れ立って食堂街へ。
美味い昼食を済ませ、本来の目的だった蜂蜜も無事に購入。
すかさずとんぼ返り……という訳ではないので、そのまま宿へ。
まだ日も高いし、寝るには惜しい。
折角だから、街を見て回りたいなぁ。
「う~ん、わたしはやめとく。いろいろとヤバいしね」
それならそもそも、今回の任務自体が適任じゃないって事になるんだけど。
「張勲が腹黒い、って意味、少しはわかった?」
ごもっとも。
あたしが雪蓮の立場でも、やっぱりムカついただろうなぁ。
「では、私がご案内します」
「なら、私もご一緒していいですかぁ?」
周泰と陸遜は来てくれるらしい。
あたし一人だと、何かと勝手が違うので正直助かる。
「なら雪蓮、留守番だな」
「そうね。あ、帰りにお酒よろしくね」
「はいはい」
全く、酒好きなのはどこにいても同じか。
「では、準備してきますので」
「ああ。じゃあ三十分……じゃないな、四半刻後に」
あたしも準備……っても、何も無いな。
この時代の金を持っている訳でもないし。
いくら物騒な世の中とは言え、目立つ武器を持ち歩いて無用な警戒をされるのもアレだし。
護身用に、何か手軽な武器でも欲しいところだな。
まぁ、稼ぐ方法が見つかれば、だけどな。
軽装になった周泰と、いつも通りの陸遜。
もっとも、軍師がいつも甲冑姿なんてあり得ないけどさ。
「ねぇ、明命ちゃん。ちょっとだけ、寄ってもいい?」
と、陸遜が書店を見ている。
やっぱり軍師なんだなぁ、と変な感心をしてみるあたし。
が、何故か周泰、慌てているんだけど。
「だ、ダメですよ! 穏さま」
「で、でもぉ、ちょっとだけでも」
「ダメです! 冥琳さまからも、絶対に止めるようにって言われていますから」
「う~。でも……」
未練たっぷりの陸遜に、何がなんでも止めようとする周泰。
……何なんだ、一体?
「なぁ、陸遜は軍師だろ? なら、書を求めるのは当然だと思うんだけど」
あ、陸遜の顔がパッと輝いた。
「そ、そうですよねぇ~。美綴さん、私の事もよくおわかりですね~」
「だ、だから、ダメなものはダメで……。美綴さま、止めて下さい!」
どっちも譲らないなぁ。
「なら、周泰が買ってきたらどうなんだ? 欲しい本は決まってるんだろ?」
「え? は、はぁ……。ですが……」
「うう~」
妥協案にも、どうにも煮え切らない。
というか、話が見えない。
「周泰。どうしてそこまで止めるんだ?」
「え、ええとですね……。その、あの」
思い切り動揺してるぞ?
「陸遜は行きたがってるのに、必死に止めるのがわからないんだよ。それに、周瑜がそれを頼んだってのも」
「それは……」
言い辛そうだな。
「あ、無理には聞かない。言えない事情があるんだろ?」
「……すみませ~ん。私の病気のせいなんです……」
「の、穏さま!」
「いいんですよ、明命ちゃん。美綴さんが不審に思うのも当たり前ですから」
「穏さま……」
「どういう事だ?」
周泰は目を伏せ、陸遜は搾り出すように、いつもよりも更にゆっくりと、語り出した。
「私……。素晴らしい書に出会うと、と~っても興奮してしまうんです」
「と、言うと?」
「はい~。例えば、美綴さんを襲っちゃうかも知れません」
「は、ハァ? あたしは、そっちの気はないぞ!」
そうでなくても同性からもてて困ってたんだから、マジ勘弁。
「いえ、穏さまが仰ってるのは物の例えでして」
いや、流石にわかってるけど。
ホントに襲われたら、反射的に防衛行動に走るぞ。
「だから、書は好きですし。いろんな書を読みたいのですが……」
「……その調子で書店に入ったら最後、どんな事になるか予測するのも悍ましい、と」
「私としても、とても不本意なのですが……お止めするしかないんです」
なるほどなぁ。
しかし、厄介な病気というか……軍師が好きに書を読めないのは、何とかしないと。
「……とりあえず、今日のところは止めておこう。何か、ちゃんと手を考えておかないとダメだ」
「はい。穏さま、美綴さまの仰る通りですので」
「はぁ~い」
不満そうだけど、仕方がない。
……ホント、何とかならないかな。
こういう時、氷室あたりならいい考えが浮かぶんだろうけど、あたしじゃ無理。
つくづく、自分のおバカさが恨めしい。
「あーっ!」
あたしなりの悩みは、突如して上がった大声で中段。
……あれ、周泰?
何やら硬直しているようだけど。
「お、お……」
「お?」
「お猫様~!!」
へ?
「明命ちゃん、またですかぁ」
またって何またって?
見ると、三毛猫が毛繕い中。
じりじりと間を詰めていく……でも、相手は野良猫。
一定距離まで近づくと、身構えて……。
周泰が手を伸ばしたその瞬間、ダッシュ。
「ああ~、申し訳ありません。貢ぎ物が……今、用意します!」
「貢ぎ物って……おい!」
あっという間に、どっかに行ってしまった。
「……で、あたし達はどうすりゃいい?」
「……そうですねぇ、とりあえず市でも見に行きましょうか」
「……賛成」
武将が女ばかりなのにも驚いたけど、みんななんていうか……個性強いかも。
「ふう、結構歩いたな」
「ですねぇ」
市の外れにあった茶店で、一息つくあたし達。
「お猫様、待っていて下さらなかったのですね……」
そして、すっかりしょげている周泰も。
「そんなに猫が好きなら、飼えばいいんじゃないか?」
「そうしたいのはやまやまなのですが、お猫様を養えるだけの給金がありませんから」
「そうなの?」
こっくりと頷く。
周泰の性格からして、誇張でもウソでもなさそうだ。
「でも、陸遜は高価な書を揃えているようだけど。そんなに給金に差が?」
「ああ、違うんです~。私は、実家が多少裕福ですので」
多少、ね。
この
「だから、お猫様をお見かけした時は、お近づきになれるよう努力を」
う~ん、ピュアだ。
こんな素直な娘だ、何とかしてやりたいなぁ。
……と、あたしのお節介スキルが発動。
あ、そうだ。
「陸遜。この襄陽の規模なら、コレクターもいるんじゃないか?」
「これくたー、ですかぁ?」
首をかしげる彼女。
「ああ、ゴメンゴメン。好事家というか、珍しい物を集める金持ちみたいなの」
「はぁ。それなら、いると思いますけどぉ」
「よし。なら、一旦宿に戻って、そいつのところへ行こう」
一度決断すると、あたしは即行動がモットー。
という事で、二人の手を引いて宿へレッツゴー。
「あ、あの、美綴さま?」
「あら~」
戸惑っているようだけど、気にしない方向で。
一刻後。
ずっしりと重い革袋を手に、好事家の家を出るあたし達。
「思ったより、高く買って貰えたかな」
「す、凄い大金ですよ、これ」
周泰が眼を丸くしてる。
ちなみに売った物は、カバンに入っていた英単語暗記用のカード(白紙)に、赤い下敷きと赤マーカー。
試験が近かったので入っていたけど……この時代じゃ役に立たないというか、使い道がない。
でも、この時代の人からすれば、書いた文字をマーキングしてそれが見えなくなるとか、掌よりも小さい紙の束とか……ま、あり得ないよな。
後は陸遜がばっちり交渉してくれたお陰で、まとまった金になった。
……決して、勉強が嫌で手放した訳じゃないからな?
そして市で買い物をし、裏路地へ。
「美綴さま、薬の材料なんて揃えてどうするのです?」
「ま、いいからいいから。周泰、このあたりか?」
「は、はい。……あ、おられました!」
裏路地で、日の差す一角。
そこには、確かに猫たちの姿がある。
日向ぼっこに格好の場所、って訳か。
「じゃ、周泰。これを持って、近づいてみな」
「え? で、ですが……」
得体の知れない植物の茎や葉を渡され、明らかに戸惑っている。
「いいから、騙されたと思ってさ」
「は、はい」
恐る恐る、猫たちに近づいていく。
無論、連中もそれには気づいているし、当然警戒する。
「その茎を何本か、猫たちの前に投げて」
「え? でも、お猫様たちに当たったら」
「そんな程度でケガする筈もないし、そもそもよけるから大丈夫」
「わ、わかりました!」
意を決し、周泰が放った茎は猫たちの前に。
驚いてよけるものの、興味津々といった風情でそれに近づき……。
「ゴロゴロ」
「ニャ~ン」
途端に、猫たちが無警戒状態に。
「え? こ、これは?」
呆気にとられる周泰の頭をポン、と叩いてから、あたしは猫たちのところへ。
そして、ブチ猫を抱きかかえてみせる。
「ホラ。今なら好きなだけ、抱けるぞ?」
「あ……」
周泰は虎模様の猫に手を伸ばした。
もちろん逃げも引っかく事もなく、大人しく彼女の腕の中に。
「あうあうぁ~」
うん、至福の笑顔だな、まさに。
「モフモフですぅ」
野良猫ならここまでするのは、普通は無理。
でも、今の猫たちは全くの無抵抗。
「あの~、何をしたんですか、一体?」
キョトンとしながら、残った茎を手にする陸遜。
「
「木天蓼? 確か、冷え性に効く薬の材料でしたね」
「そう。でもこれ、猫の大好物でもあるんだ」
「……なるほど。搦め手から攻めた訳ですか」
妙に感心されてしまった。
「うふふふ、モフモフ、モフモフ~」
そして、周泰は……しばらく元に戻らないな、これ。
その夜。
宿に戻ってから、何故か周泰が私の前で土下座。
「美綴さま! 是非、私をあなた様の弟子に!」
「い、いや、弟子っても……」
「お願いします! あ、真名もお預けします、私の事は明命とお呼び下さい」
すっかり眼の色の変わってしまった周泰。
「い、いや、真名は……いいの?」
「はいっ!」
断言されてしまった。
「じゃあ、あたしも綾子でいいけど」
「ありがとうございます! 綾子お姉さま!」
「ちょ、ちょっと待て! なんで『お姉さま』なんだ!」
「え? お気に召しませんか?」
そこ、ウルウルすな!
あたしが悪者みたいじゃないか。
「だぁぁ、わかったわかった! 好きにしろ!」
パッと、満面の笑みを浮かべる周泰……いや、もう真名で呼ばないとまた泣かれそうだから、明命か。
そして、何故か陸遜にも真名を預けられてしまった。
「それだけ機知に富んでいて、人を惹きつける御方ですから~」
と、陸遜……もとい穏。
……なんか、どんどんあたしが過大評価されていく気がする。
「ま、なるようにしかならない、か」
市で買った、猫のぬいぐるみ(明命とお揃い)を抱えながら、あたしは眼を閉じる。
いろいろあって、疲れた……。