「たあっ! やあっ!」
菖蒲(徐盛)は今日もまた、鍛錬に励んでいる。
あたしの教えを忠実に守って、例の木刀を振るい続けていた。
少しずつだけど、足腰がしっかりしてきたかもな。
あれが自在に出来るようになれば、次の段階に進むとするかな……とか思っていたりする。
さてさて、あたしも自主トレ始めますかね。
青コウの剣と、倚天の剣を抜く。
二刀流なんて、それこそ時代劇の世界というか……あたしのイメージだと宮本武蔵と、中村主水ぐらいか?
もっとも、あっちは長刀と脇差しの組み合わせだけど。
さて、上手く扱えるのかねぇ。
左手に青コウの剣を持ち、何度か振ってみる。
……う~ん、やっぱり違和感がある。
剣は両手で扱うか、さもなくば右手で操る事が多い。
竹刀は割と持ちやすさを考えて作られていたけど、昔居合いを習いに行った時は、かなり戸惑いがあった。
まず、重い上に、握り方や力のかけ方が、まるで違う。
それに、吊した紙を斬るとか、冗談みたいな真似を本気でやる道場だったし。
そんなもん斬れるか、と思ったけど、そこの師範代はあっさりとやってのけてみせた。
曰く、力任せに『切る』んじゃなく、あくまでも『斬る』ものなんだ、と。
西洋の剣みたいに、鎧の上から叩き潰すような代物とはまた違うから、力の要れどころが難しい。
この時代の剣は、またこれはこれで違う。
少なくとも、襄陽で買った普通の剣は、最後まであたしの手に馴染まなかったからな。
ちなみにあの剣、使い道がないので部屋に放置しておいたら、菖蒲が勿体ないですね、とか言っていたので、
「なら、菖蒲にやるよ。ただの剣だけどな」
と言ったら、文字通り飛び上がって大喜びされた。
言っちゃ何だけど、宝剣とか名剣とか、そんな類じゃないと思うんだがなぁ。
……その後しばらく、鞘に頬ずりする菖蒲は、コメントのしようがなかった。
まぁその……世の中には知らない方が幸せな事もあるって、アレだな、うん。
右手に倚天の剣を追加。
うん、これだけなら問題なさそうだ。
……しかし、この剣も不思議だ。
長年愛用した筆記用具みたいに、ぴったりと手に馴染む。
まるで、身体の一部のように思える。
斬れ味は……言うまでもない。
両手に剣を構え、仮想敵をイメージ。
……そうだな、太史慈にしよう。
「フッ!」
槍を青コウの剣で払おうとするが、押し込まれてしまう。
左で受け、右で反撃。
……そう、単純には行かないようだ。
二本でこれだから、某ゲームみたいに、刀を八本も十本も一度に振り回すとか、やっぱありゃ無理があるよな。
「おりゃあ!」
今度は、左右から交互に打ち込みをかける。
数十回これを繰り返す。
……ダメだ、違和感が払拭できない。
利き腕の右はいいが、左が思うように動かない。
誰かに聞こうにも、二刀流なんて遣い手はいないしなぁ。
やっぱり、一本ずつ使うのがいいんだろうか?
試しに、倚天の剣だけで突進してみる。
受け流されるけど、さっきに比べれば雲泥の差があるな。
こちらの方が確実に相手に迫れる気がする。
「綾子お姉ちゃん!」
小蓮が、向こうで手を振っている。
そのままこっちに駆けてきて……ダイブ?
慌てて、受け止めるあたし。
ちなみに剣は、彼女が向かってきた時点で、地面に突き刺しておいた。
「どうした、小蓮?」
「……む~」
あれ、何かむくれてるな。
「お姉ちゃん、なんでシャオの事、『シャオ』って呼んでくれないの?」
「え? だって、雪蓮も蓮華もそう呼んでないだろ?」
「お姉さまたちはいいの!……綾子お姉ちゃんは、特別だもん」
なんかライフルで狙撃された後、マシンガンで蜂の巣にされましたよ、あたし?
この娘の上目遣いは、ヤバ過ぎる。
破壊力が半端ないというか……自覚してるのかしてないのかはわからんけど、可愛い過ぎ!
「わ、わかったよ。じゃあ、シャオ」
「えへへへ~♪」
うわ、めっさいい笑顔。
……はっ、一瞬だけど、黄色い花畑がフラッシュバックしたような。
しっかりしろ、あたし。
バシ、バシ!
「お姉ちゃん? どうして、頬を叩いているの?」
「あ、いや、こうでもしないと、いろいろと危険が危ないんだよ」
「? 変なお姉ちゃん」
はい、自分でも変だと思います。
ちなみに、さっきの返事も誤用じゃないからな?
「ところで、何か用があったんじゃないのか?」
「あ、そうそう。あのね。凌統が城下に来たみたいよ」
「凌統が?……そうか、シャオに恩返しに来たか」
「でね、シャオに会いたいって。行こうよ、お姉ちゃん」
「ちょ、ちょっと待て。あたしもか?」
「だって、あの時は綾子お姉ちゃんも一緒だったじゃない」
「そりゃそうだけどさ。でも、シャオに、って来たんだろ?」
「む~、シャオは綾子お姉ちゃんと一緒がいいの! ほら、行こう!」
「お、おい!」
手を引っ張られる。
もちろん、力任せに振り解く事は出来るけど……。
「綾子お姉ちゃん。シャオと一緒は、嫌?」
とか泣き顔で言われたら……だあああ、そんなになったらあたしは今日一日、部屋で自己嫌悪&ヒキコモリ決定だ!
……という訳で、選択の余地はなく、そのまま引き摺られていくあたしだった。
「よっ、久しぶり」
指定された飯店へと着いたあたし達。
「……何だ、これ」
「相変わらずね……」
テーブルの上には、空になった皿が堆く積まれていたりする。
もちろん、全部綺麗に平らげられている次第。
「よく食うな、ホント」
「いや~、寿春ってところはメシが美味いね。あ、青椒肉絲と炒飯お代わりね!」
「い、いらっしゃい。ご注文は?」
凌統の食いっぷりにドン引きしながら、注文を聞きに来た店員。
まぁ、普通は引くわな。
「シャオ、烏龍茶と点心でいいか?」
「……う、うん」
「何だ? もっと食えよ、力出ないぞ?」
いや、この光景見てがっつり食えるとしたら、それはお前さんと同類だから。
「あ、そうそう。これ、返すよ」
箸を置いて、凌統が巾着をシャオに手渡す。
ズシリと重そうだから、シャオが貸した分、入っているんだろうな。
「お父さんは、大丈夫だったの?」
「ああ、何とか持ち直した。全く、お陰でメシも喉を通らなかったよ」
説得力全くないぞ、おい。
「あ、その金は別にやましいモンじゃないからな? ちゃんと、俺が自分で稼いだんだ」
「ふうん。どうやって?」
「そりゃ、賞金首を捕まえたり、盗賊をやっつけたり。そんなのでも、結構な稼ぎになるからな」
そう言いながら、凌統はまた、箸を取った。
まだまだ食うつもりらしいな、こりゃ。
「お金返してくれるのはいいんだけどね。ちゃんと、ここのお代は払えるんだよね?」
シャオの疑問はもっとも。
「大丈夫、大丈夫。余裕だからさ、孫尚香と……名前なんだっけか、そっちの奴も好きに食ってくれ。あたしの奢りだ」
そっちの奴って……また名前覚えられてないのか、あたしは?
「綾子お姉ちゃん? どうしたの、テーブルなぞったりして」
「……いいんだ、少しほっといてくれ」
『の』の字を描く、あたしだった。
結局、半刻ほど、目の前の大食いショーは続いた。
「ふう、食った食った」
「食べ過ぎよ? あ、もう、口の周りまだついてる?」
「え? どこだ?」
「ここよ。もう、ちょっと屈みなさい。拭いてあげるから」
シャオって、時々わからなくなる。
あたしにはあんなに甘えてくるのに、こんな風に面倒見がいい事もあるし。
どっちにも打算も何もないから、悪い事じゃないんだけどな。
「ところで、この後はどうする気だ、凌統?」
「ん? もう一軒行くか?」
また、ずっこけそうになるあたし。
「これだけ食ってどうしてそうなる! あたしがいいたいのは、身の振り方だ」
「何だ、それならそうと言ってくれよ」
普通はそう思うだろう……。
何か、調子狂うなぁ。
「ん~、俺は武でしか世の役に立てないからな。また、盗賊退治でもするかな」
「なら、仕官しないか?」
「へ? 俺が?」
「そうさ。まだ世は乱れている、アンタみたいな腕の立つ奴は、重宝されるぞ?」
「う~ん、仕官か……。でもアレだろ、仕官って試験もあるんだろ? 俺みたいなバカには無理だって」
この時代、科挙なんてあったっけ?
確か、もっと後の時代だった気がするんだけど……。
「それか、有力豪族の推挙とか。でも俺、そんな伝手はないしなぁ」
「という事は、伝手さえありゃ、仕官してもいいんだな?」
「え? そ、そりゃ、俺だっていつまでも根無し草じゃいられないし」
「そうか。だそうだよ、シャオ」
「え?」
首を傾げるシャオ。
うん、仕草は可愛いが、見とれていたら先に進まないから続けるな?
「シャオの推挙なら、間違いないじゃないか。な?」
「……あ。うん、そうだね!」
わかってくれたらしい。
「へ? 何の話だ、一体?」
「いいから、ちょっと来てくれ」
「お、おい! 俺をどこに連れて行く気だよ」
何か文句を言っているが、気にしない方向で。
城門の処まで来た。
日本と違い、中国では城と街が合体した、城郭都市がデフォらしい。
だから、ここで言う城門ってのは、軍事施設としての城の門。
……まぁ、早い話があたし達が普段いる場所に連れてきた訳。
「って、ここ城じゃないか。勝手に入ったら」
凌統、戸惑っているな。
「いいんだよ、ここ、シャオのおうちだもん」
「え? えーっ!」
「……なぁ、凌統。まさかと思うけど、孫尚香って名前で何か浮かばなかったのか?」
「だって、孫尚香は孫尚香……。ま、まさか、あの孫家の?」
「そうだよ。シャオは孫家の娘だもん」
あらら、何か固まったぞ。
「ねぇ、綾子お姉ちゃん。どうしちゃったのかな?」
「……とりあえず、冥琳のところに連れて行くか」
硬直したままの凌統を担いで、あたしは城内へと入った。
「ご、ご無礼の程を!」
「だからもういいってばぁ」
「い、いえ。あた、いや自分の無知から来たとは言え、孫家の姫君に対して数々の非礼、お詫びしてもたりまひぇん」
あ、噛んだ。
冥琳と、いつの間にかやって来た雪蓮、顔を見合わせている。
「何か面白そうな事が起こりそうだから、来てみたのよね~」
ってアンタはどうしてそういう勘は無駄に働くかね、しかし。
「もういいんじゃない? 小蓮も、気にしてないって言ってるんだし」
「で、ですが!」
土下座という習慣があったら、間違いなくやりかねない勢いだな。
「そ、それに。そちらの方も将とはつゆ知らず、重ねてご無礼を」
「あ~、あたし? 別にいいよ、将らしくないのは自覚してるからさ」
「ねぇ、本人達がもういいって言ってるんだから。それより、自己紹介して貰えないかしら?」
雪蓮の言葉に、あっと気づいたようだ。
つーか、百面相だね、まさに。
「あ、こ、これは。俺、いえ私は、姓を凌、名を統、字を公績と。余杭の出です」
「凌統ね。わたしは孫策で、こっちが周瑜。あと、彼女にもちゃんと美綴、って名前があるんだけど」
名前を覚えてないの、早速雪蓮にバレてるよ。
「は、はい! ももも、申し訳ありません!」
「あんまり硬くなられてもやりにくいんだけどね。じゃ、後はよろしくね、冥琳」
「任されよう。さて凌統、尚香様からの推薦という事で、何点か聞かせて貰いたい」
「は、はい。どどどど、どぞ!」
う~ん、カチカチになってるなぁ。
よし、ちょっと手助けしてやるか。
あたしはそっと、凌統の後ろに回った。
これぐらいの手練れなら気配で気づかれそうなものだけど、緊張過ぎで全然反応がない。
「せーの」
こちょこちょこちょ。
脇腹を、思い切りくすぐってやる。
「い、いや、やめろ、あはははははっ!」
いーや、しばらく続けてやろう。
「どうだ? 落ち着いたか?」
「……は、はい。何とか」
「よし。じゃ冥琳、続けてくれ」
冥琳は、ハァ、とため息を一つ。
「全く、綾子が何をするのかと思えば。まぁ、緊張は解れたようだがな」
「にしても、いきなりくすぐるとか。突飛もないわね、綾子も」
「雪蓮に言われたくないけどな。突拍子もないって意味じゃ、アンタもそうだし」
「ぶー。何気に酷いわよ、それ」
「……始めたいのだがな」
すいません。
「ゴホン。では、まず初めに。得意とする事は何か、聞かせて貰いたい」
「得意ですか。おれ、私にはご覧の通り、武しか能がありません」
「なるほど。今までに、どこかに仕官した事は?」
「ありません。ずっと一人でしたから」
「そうか。では、兵を率いた経験もない、という事だな?」
「ないです」
「ふむ。なら、実力を見せて貰った方が良さそうだ」
「はいはーい、ならわたしが」
「雪蓮。先ほど渡しておいた書簡は片付いたのか?」
「あ、あれ? え、えーと。あ、あはははは」
全く手を付けてないな、あの様子だと。
「じ、じゃ、わたしはそういう事で」
あ、逃げた。
結局逃げても一緒なんだけどなぁ。
「……すまん。では、仕合をして貰うか……。相手はどうするか」
この部屋には、シャオとあたししかいない。
いやまぁ、あたしでもいいんだけど。
祭さんとか思春、明命、太史慈と腕自慢は揃っているしなぁ。
「では」
冥琳がそう言いかけた時。
「失礼するわ。仕官希望者が来た、って聞いたんだけど」
蓮華が入ってきた。
そして、当然の如く従っている思春。
二人に視線を向けた凌統が……ん、何か驚いてる。
「し……いや、甘寧!」
「……凌統か! 貴様、何故ここに」
あら、二人は知り合いだったのか?
……なんか、空気がピリピリするんだけど。
一波乱、ありそうだな。