千花(魯粛)が仲間に加わり、人的にも物的にも用意が整い始めた。
いよいよ、江東制圧に向けて動き出す事になる。
兵については、そのままでは多すぎるため、祭さん、思春、明命で一度調練を行う事となった。
兵に適正なし、という連中は手当てを出した上で帰農させ、なるべく精鋭だけに絞った。
調練なら手伝うつもりだったんだが……。
「悪いが、綾子では絞られ過ぎる危険がある」
「すまぬな、徹底的に鍛え上げるのはまたの機会になろう。ここは儂らに任せるがよい」
……思春に祭さん、あたしを一体何だと?
仕方がないので片隅で猫達と黄昏ていたら、明命が調練そっちのけでトリップしかかり、猫ごと調練場から追い出された。
当てもなく城内をフラフラしていると、たくさんの竹簡を抱えた文官達とすれ違った。
「大変そうだな。そんなに一度に運ぶんじゃ大変だろ? あたしも手伝うよ」
「あ、美綴様。しかし、そのような事でお手を煩わせては……」
「いいって、あたしもヒマだし。どれ」
先頭の文官の腕から、竹簡を受け取る。
お、案外軽いなこれ。
「そっちのも貸しなよ。このぐらいなら持てる」
「い、いやしかし……」
仕事を横取りするつもりじゃないが、どいつもこいつも足元がふらついていて危なっかしいんだよ。
「ほら」
「は、はぁ……」
戸惑う彼らに構わず、全部を受け取る。
嵩はあるけど、重さは……うん、大した事はないかな。
……で、何でこの人は石化してるんだ?
「どうかしたか?」
「……ハッ。い、いえ……。しかし、流石は美綴様ですな、これだけの量を」
「そうかな? 鍛え方が足りないんだよ、文官だからって、身体は動かした方がいいぜ?」
「あ、あははは、さ、左様で……」
乾いた笑いで返すな。
「で、何処に持って行くんだ?」
「はい。周瑜様と魯粛様、陸遜様のところへ」
「あいよ。じゃ、案内してくれ」
「…………」
「ん? 行かないのか?」
「い、いえ。こちらです」
……怖がられている気がするのは、何故だろう。
「お待たせ、持ってきたぞ」
「あ、ご苦労。……綾子、何だその量は?」
「綾子さん、ま、まさか全部一度に運んだんですかぁ?」
「はわ~、凄いですね~」
なんか、三人の反応がおかしい。
……つーか、呆れられてないか?
「あれ? いっぺんに運んだ方が効率いいかなって。もしかして、余計な事したか?」
「……い、いや……助かる。な、穏、千花?」
声が上擦ってるぞ、冥琳。
「なら、ここに置くぞ?」
空いている机の上に、竹簡を崩れないように置く……結構難しいかな、この量だと。
「あ、ちょっと待って下さい。綾子さん、いいものをお見せしますよぉ」」
何故かニコニコしている穏。
千花と並ぶと……うん、和む。
「いいものって?」
「ではでは千花さん、こちらをお願いしますね~」
「は~い、お願いされました~」
竹簡を広げた千花。
……その瞬間、あたしは信じられないものを、見た。
目にも止まらぬ早業で、手裏剣を投げ……じゃなく、書簡を処理。
「……何、だと……」
彼女の前に積まれた竹簡が、みるみる減っていく。
適当に片付けて……いる訳がないな。
それなら、横にいる冥琳が黙っていないだろうし。
他の文官もサボっている訳じゃないのに、千花の減り方があまりにも早すぎる。
あの、ぽわぽわした雰囲気は、どこかに消え失せているし……やっぱり、魯粛なんだなぁ、と再認識。
「流石は千花だな。計算が速い」
「い、いや……。電卓も算盤もないのに、それは凄すぎだぞ……」
と、あたしのつぶやきを聞き逃さない穏。
「綾子さん。何か、計算に便利な道具でもご存知のようですねぇ」
「へ? ま、まぁな」
あたしは、ポケットからケータイを取り出した。
「あらぁ? それは何でしょう~?」
あ、千花がぽわぽわモードに戻ってる。
「確か、美麗な絵を、自動で描く機械だったな? けーたい、とか言ったか?」
「よく覚えているな、冥琳」
「忘れる筈がないだろう。それだけ印象深いものを。で、またあの絵を見せるのか?」
「あ、今日は違うんだ。これ、他にも機能があるんだけど……」
メニューキーを操作し、電卓モードに。
「で、例えば……そうだな、このあたりの邑の人口を合計して、平均を計算してみるか」
度量衡も違うから、こんな事しか事例が浮かばないし。
「……七百四十一。どうだ?」
「ふえ~、ピッタリですよ綾子さん」
千花は既に、暗算で計算済みらしい。
電卓使ってまで、負けるあたしって一体……。
凹んでいるあたしを他所に、三人はワイワイと盛り上がっている。
「しかし、この小さな箱にどんな絡繰が……。ふむ、綾子の国とは、ますます不可思議だ」
「でも~。国中の職人さんたちが頑張っても……無理ですよねぇ」
「う~ん。便利なんですけどね~。綾子さん~、他には何かご存知じゃないですか~?」
「そうだな。なら、算盤かな?」
実物は流石にないので、碁石と筆で、それっぽくして説明。
「……で、足し算だとこう。引き算だと、こんな感じで」
「なるほど~」
十進法が使えないみたいなので、改良しないとそのままでは使えない事が判明。
「すまんな、役に立たなくて」
「いえ~。これはいいですよ~」
「そうですね。千花さんみたいに、計算が速い方だと効果的ですよ」
「ならば、職人に作らせてみるか。計算が速くなるならば、文官にも試させる価値はあるな」
……あら、いつの間にか正式採用の方向に……?
「それはさておき」
と、ニヤリとあたしを見る冥琳。
物凄く、いや~な予感が。
「さ、さて、じゃああたしは鍛練に……」
ガシッと両腕を穏と千花に挟まれた。
「綾子さん。ちょ~っとだけ、お手伝いして欲しい書簡がありまして~」
「一緒にお仕事して貰えますよね~、もちろん~?」
二人ともニコニコしたままだが……逆らいがたい迫力が……ホントにアンタら、文官か?
「……ちなみに、拒否権は……?」
「もちろん、ない」
あ~、薮蛇だ~!
「ハァ……疲れた」
竹簡の山がなくなり、やっとこさ解放された。
また頼むぞ、なんて冥琳に言われたが、全力で辞退したい。
「にゃ~」
黄昏れて城壁に登ったあたしの周りに、猫がわらわらと集まってきた。
スリスリされてしまった。
何故か、こっちに来てから猫になつかれるようになった。
あたしも嫌いじゃないし、甘えてくる猫に癒されない筈もない。
「よしよし」
喉を撫でてやると、気持ち良さそうに喉を鳴らす。
次は自分だ、と別の猫がやってきて……ある意味、カオス。
明命がここにいたら、悶え転げ回ってるな、間違いなく。
「あらあら、猫王さん、こんなところにいたの?」
「誰が猫王だよ、雪蓮」
「あら、違うの? 街の子供がそう呼んでいたわよ」
子供は正直だ、確かにそう見えるんだろう。
……まぁ、悪い気はしないからいいんだけどな。
「さて、やっと約束が果たせそうね」
そう言いながら、雪蓮はあたしの隣に腰を下ろす。
猫達も心得たもので、場所を空けつつ、あたしへのスリスリ攻撃は続けている。
「約束って?」
「言ったじゃない。袁術ちゃんの事とか片付いたら、ゆっくり話しましょう、って」
「あ、その事か」
「祝宴はそれどころじゃなかったし、その後も忙しかったからね」
「……その割には、冥琳が探し回る姿を随分見かけたんだけど?」
う、と雪蓮が顔を顰める。
「そ、それは……。そう、偶然がいくつも重なり合ったのよ、うん」
「ま、雪蓮らしいっちゃそうなんだけどさ」
「そういう事で、はい」
何がそういう事なのかはわからんが、雪蓮は徳利と杯を手にしていた。
「また飲むのか。好きだねぇ」
「いーじゃない。綾子と飲むお酒、美味しいんですもの」
「とか何とか言いながら、口実にされているとしか思えない」
「ぶーぶー。それは酷いわよ、綾子」
拗ねている素振りをしているが、本心からではない。
まぁ、あたしも軽くからかっているだけだしな。
「じゃ、かんぱーい」
「ああ、乾杯」
少し、きつめの酒。
だが、悪くないかも。
「ふう、やっぱり美味しいわ。やっぱり、お酒は美味しく飲めなきゃね」
どことなく、はしゃいでいるな。
「何か嬉しい事でも?」
「そりゃあるわよ、いろいろと。こうして、自由の身にもなれたし」
「ま、その代わり今度は王としての仕事が待っているけどな」
「う……。嫌な事を思い出させないで、もう」
「仕方ないだろ、それが上に立つものの宿命みたいなもんだ」
「……綾子、最近冥琳に似てきたんじゃない?」
「あはは、それはない。逆立ちしたって、あんな稀代の軍師様にはなれないよ、あたしじゃ」
「ま、それもそっか」
そうあっさり認められるのも、それはそれでちょっと癪かも。
「綾子は綾子だもの。……本当、不思議よね、あなたって」
「そうかな?」
「そうよ。あなた、庶人の出、って言ったわよね」
「ああ。まかり間違っても、どこぞの名家とか末裔とか、そんなのはない」
「庶人の出でも、優れた人は大勢いる。漢の高祖だって、元を辿ればそうだもの」
高祖って……そりゃ、確かに。
でも、比較される対象が偉大すぎ。
「あなたはそう言うけど、武はまさに無双、明命や小蓮、菖蒲があれだけ慕う人徳。それに、いろんな知識もあるじゃない」
「褒めすぎだって。あたしはただの武道バカだよ」
つうか、人徳とは何か違うような気がする……あの三人の場合。
「あら、謙遜?」
おかしそうに、雪蓮が笑う。
「そんなつもりはないよ。これでも、あたしは身の程をわきまえているつもりだけどな」
「そうかしら? もし、あなたが仮に独立でもしたら、結構な勢力を築けちゃったりして」
「……それは、あたしならあの曹操とでも張り合える、とでも?」
「そうね。綾子なら……あり得るんじゃない?」
勘弁してくれ。
あんな完璧超人とタメ張るなんて、考えただけでもゾッとする。
「……でも、ありがと」
「急にどうしたんだ?」
「いろいろとね。綾子が来てから、いろいろあったもの。そして、あなたのおかげで、今のわたしがある」
「大げさだろ、そりゃ。あたしは大した事はしていないさ」
「ふ~ん、今日はやけに謙遜するのね」
「だから、謙遜じゃないんだって。ああ、もう!」
勢いで、杯の中身を一気に干した。
う、クラクラする。
「じゃあ、どうして曹操の誘いを断ったの?」
「へ?」
どうして、雪蓮がその事を?
「あら、自分の城下町で起きた事ですもの。そりゃ、耳に入るわよ」
まぁ、普通の茶店での会話だったからなぁ。
誰にも知られないって方が無理、か。
「まず、あたしは曹操が期待する程の器量じゃない」
「謙遜、三回目よ?」
「だから……もういい、それは。あと、フィーリング的に、無理」
「ふぃーりんぐ、って何?」
いかん、変に酔いが回ってきたからまた横文字使っちまった。
「感覚的というか、相性的に。それだったら、雪蓮の方がよほど気楽だ」
「それ、褒めてるの?」
「当たり前だろ。さっきも言っただろ、あたしはただの武道バカだって。小難しい事はダメなんだよ」
「ぷっ、あっはっはっは」
何がツボに入ったのか、雪蓮は大笑い。
「何かあたし、変な事言ったか?」
「い、いえ、あはは、ちょ、ちょっと待って、うくくく」
涙目になってまで笑われてもなぁ……。
「ハァ、ハァ、ハァ……。ちょ、もうちょっと、待ってね」
雪蓮は杯を一気に干した。
「ふう……。だ、だって、綾子、あんまりにも直球なんだもの。自分を飾らないのはいいと思うけど、限度があるわよ」
「だからって、そこまで笑わなくてもいいだろ……」
「ご、ゴメンね。でも、綾子がいけないのよ。ぷっくっく」
また笑いを堪えてるし。
「ったく。ほら」
徳利を持つと、妙に軽かった。
どうやら、空になったようだ。
「ほれ。酒なら持ってきたぞ。……にしても、何じゃこれは?」
祭さんが、呆れ返っている。
雪蓮は腹を抱えて笑っているし、あたしの周りは猫だらけ。
……まぁ、傍から見ればシュールだろうな、この状況。
「まぁよい。にしても策殿、綾子。酒の場に儂を呼ばぬとは、随分と冷たくはないか?」
「そんなつもりはなかったのよ。綾子と話がしたかっただけで、お酒はついで」
「にしちゃ、いい飲みっぷりだったけどな」
「あ~ん、祭。綾子がいじめる~」
「これこれ、じゃれ合うのも大概になされい。それはそうと、綾子」
「何ですか、祭さん?」
「お主、弓にも長けておったの。どうじゃ、今度儂と弓比べをせぬか?」
「望むところです。あたし、祭さんにも教えを請いたいと思っていましたし」
「そうかそうか、よし、決まりじゃな。さ、飲め飲め」
あたしもご返杯。
で、やっぱり水のようにすいすい飲むあたりが祭さんクオリティー。
「綾子~。あたしにも」
「はいはい」
「ほれ、綾子もグッといけ、グッと」
祭さんに捕まったんじゃ、相当飲まされるなこりゃ。
……で、気がついたらベッドの上だったんだけど。
「何、これ……?」
ベッドの周りで大量の猫が丸くなって寝ていて。
あたしを挟むように明命と小蓮が、すやすやと安眠中。
どうやら潰れたあたしを、祭さんが運んでくれたらしいんだけど、その時に猫達が一緒についてきたらしい。
それはいい。
……でも、この二人は一体……?
「綾子様。お水をお持ちしました……って」
まさにナイスタイミングで入ってくる菖蒲(徐盛)。
「な、な、な……」
「落ち着け! まずは話を聞け!」
「何してるんですか、綾子様!」
「な、何事ですか!」
「シャオの寝起きを襲うなんて何様!」
「だぁぁぁ、寝ぼけるなオマエら!」
夜中に大騒ぎになり、何事かと皆が駆けつける始末。
……冥琳と蓮華に、全員こってり絞られましたよ、ええ。
ちなみに、明命は猫の気配につられて無意識であたしのところへ。
たまたま目が覚めた小蓮が、後をつけてそのまま……と。
一つ、問いたい。
……あたし、何か今回の件、悪い事したか……?