「なんて潜入スキルの高さだ。まるで気配を感じなかったぞ」
リゼさんに同感です。ほんと不思議な人だな。
本人はどうして私とリゼさんが驚いているのか全然わかってないのか、首を傾げちゃってます。
……おっと。コーヒーを出さなくちゃ。
「すみません。まったく気づきませんでした」
「いえいえ。お気遣いなく」
店員としてあるまじき失態だというのに、それを咎めることなく、
取り出した原稿用紙の束をテーブルに軽く叩きながら整えると、柔らかな笑顔を向けてくれた。
完全に店の風景と同化しながら、優雅に椅子に腰を下ろしていた青山さんは、
白いブラウスに濃紺のロングスカート。
首元にはライトグリーンのストールが柔らかく巻いている。
青山さんの優しそうな雰囲気ともよく合っていて、とてもお淑やかで物腰の柔らかそうな上品な大人の女性の姿だった。
眼鏡越しにこちらを見る瞳からもとても温かみを感じる。
ときどき独特なセンスを発揮するような言動もありますが、作家さんとはそういうものなのでしょう。
「ふぅ……。やっぱりラビットハウスさんで頂くコーヒーは落ち着きますね~」
淹れたコーヒーを一口飲んだ青山さんからいつもの一言をもらう。
「あの……私が淹れたコーヒーはどうでしょうか? まだまだおじいちゃんのコーヒーには近づけないとは思いますが……」
自分でもどうしてこんなことを聞いてしまったのか不思議だった。
昔、自分からお客さんにそんなことを聞くのはあまり良い事ではないと、おじいちゃん達にもやんわりと窘められてしまったことは覚えている。
それでも、気になってしまっていた。
きっと私よりももっともっと詳しくおじいちゃんのコーヒーを知っている青山さんに、自分はどれだけ近づけたのか。
「うふふ。そうですねぇ~。チノさんはマスターのことが本当にお好きだったんですね。雰囲気がそっくりでしたよ」
思わず真剣な目で青山さんを見つめてしまったのだが、それを咎めることなく、私が小さく頷くと青山さんは言葉を続ける。
「私はマスターが淹れてくれたコーヒーに大切な思い出がありますので、その分少しだけマスター贔屓になってしまいますが……。
チノさんが淹れてくれたコーヒーにも、チノさんらしい優しさや一生懸命さがとても良く伝わってきましたので、そこがお二人の違いかな? と思いましたね。どちらもとても良いお味です」
「ありがとうございますっ。すみません、突然変なことを聞いてしまって……」
急な私の質問にも笑顔を崩すことなく、とても丁寧に答えてくれた青山さん。
これが大人の女性の対応なんですね。素敵です。
「いえいえ。ほんの少しでもチノさんのお悩みが解消されたのでしたら何よりです。
……ふふ、懐かしいですね。私もよく悩んだときにはマスターが相談に乗ってくれました」
青山さんはカップを両手で挟み、中のコーヒーに移っている自分と見つめ合うように、どこか遠い目をしている。
頭の上のおじいちゃんも少しだけそわそわしていた。
「私が初めてラビットハウスさんに来た時も、『浮かない顔してるな』って、おっしゃってマスターが、すっとコーヒーを出して下さったんです。私がコーヒーを飲んでる間もずっと悩みを聞き続けてくれました」
おじいちゃんらしいですね。
私がそう思ってる間に、こくこくとゆっくりと味わうように青山さんはコーヒーを飲んでいく。
「それで、飲み終わったら最後に『初めての客には、やらんのだが……まぁ、お前さんは今回だけ特別じゃ』って、言って――」
飲み終わったカップを一度ソーサーに逆さに乗せ、戻すと、カップの底に残ったコーヒーが模様を作っていた。
「普段はお願いしても全然やってくれなかったんですけどね。……でも、私が本当に悩んでいる時は『はぁ……仕方ないのう』なんて面倒くさそうなフリをしながら……。
その時のマスターの目はとても温かくて、すごく真剣に占ってくれてました」
「照れ屋なのもおじいちゃんらしいですね」
言いつつ頭の上のティッピーを撫でていると、少しだけ何か言いたそうな視線を感じましたが気にしません。
「……あ、すみません。なんだかチノさんに占うよう催促をしたみたいになってしまいましたね」
私がカップを覗き込んだのを見て、青山さんが申し訳なさそうにしていた。
相談に乗ってくれたお礼にと青山さんのカップの底の模様に目を通してみたものの……。
イメージが湧いてこない。
いくら占いとは言っても……ううん。だからこそ心にも無いてきとうな事を言うわけにはいかない。
せめてこういう時くらいは、できて欲しいのに……やっぱり私はまだカプチーノしかできないみたいだ。うぅ……。自分の実力不足が恨めしいです。
「すみません。私には――」
「ふむふむ。はぁ……。お主はもう少し、締切ギリギリではなく余裕を持って行動せよ。今後も仕事は軌道に乗り成功が続くじゃろうが、先に行った通りに締切にもっと余裕を持て。お主がゆったりしておる分だけ、身近な者が気苦労しておるぞ。もっともその者も承知の上じゃろうがな」
代わりにティッピーが占ってくれた。
「はぁうっ!? ま、またマスターがティッピーさんの体を借りてありがたいお言葉をっ!!」
「わざわざ腹話術を使って返すなんて、ずいぶん気前がいいな」
「い、いえっ……えっと、その……」
感心しているリゼさんの視線が少し心苦しい。
私は何もしてないのに。
こっそりティッピーに話しかける。
(おじいちゃん、良かったんですか?)
(まぁ、お前の相談に乗ってくれた礼にの。元々こやつはたいていの事は何でもどうにかなってしまう星の元におるのじゃろう。悩んでいる時も軽く背中を押す奴がおれば、すぐに自分で決断してしまう。そういう奴じゃ)
「マスター、ありがとうございますっ!! マスターからのお叱りの言葉、しっかりとこの身に染み渡りましたっ」
青山さんもすごい興奮してしまってるけど、喜んでるしいいのかな?
「マスター。私がんばりますっ。明日からっ!!」
「えぇぇえぇーっ!?」
「今、がんばれよっ!?」
私とリゼさんの驚きと突っ込みの声が店内に響く中、ティッピーはこうなることが分かっていたのか呆れたように溜め息を吐いていた。