烏なき島の蝙蝠─長宗我部元親(ただし妹)のやっぱりわたしが最強★れじぇんど!   作:ぴんぽんだっしゅ

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25.香宗我部の内訌

三人称はっじまるよ〜!

これ、小昼の出番もう無いのー?……解せぬ───

 

 

 

 

物部川。その急流の両岸に東は赤地に黒の割菱。甲斐武田の一族を表す家紋が踊る。

そのもう一方、西はというとくすんだ白地、灰色に近い旗の真ん中には七つ酢漿草が大きく誇示するかのように咲き誇っていた。

東はここ土佐に甲斐武田はもちろん居ない、なので香宗我部だと表している。西は他には見られない珍しい家紋だ。

故に誰の目にも家紋が表す家が想像に優しく明るい。

何故なら片喰の紋は数あれど、七つ酢漿草と言えば長宗我部の物しか存在しえないからだった。ちなみに、七つ酢漿草から一つ数を間引いて六つ酢漿草をあしらった旗を使ったのは、長宗我部家臣・福留家だけという珍しいものもある。

 

今現状では目の前に広がる光景を見れば一目で、川を挟んで東西で両軍が戦をしていると、その旗の並びを見るだけで理解が出来ただろう。そう、両軍は戦を、ここ物部川でしていた。

一種の膠着状態である。

陽はいささか傾き始めたそんな頃。

 

先に布陣していたのは香宗我部城を発した香宗我部勢で、こちらはまだ陽も中天に達するより早くから物部川に陣営を敷き始め、左翼陣を先行させて川の中洲の部分に進出していた。

それに遅れること数刻。岡豊城を発し、天満宮に立ち寄った長宗我部勢が物部川の西岸に張り付くように布陣した。

 

両軍の並びは以下の通り。

川の上流を北に、香宗我部勢右翼が池内が五十。次いで本陣が香宗我部秀通が三百。中洲に上がった左翼が池内が五十。

 

一方、遅れて着陣した長宗我部勢は北から川に沿うように、中島が五十。吉田が百。次に本陣が国親が五百。続いて江村が五十。福留が五十。最後に国康が百。

 

両軍が陣取る足場である物部川は折からの雨足で川幅が広く、水深は深く。更に流れは平時より急流となり、暴れ川の片鱗をまざまざと見せ付けていた。

物部川を見るだけなら戦になんら問題は無かった。

 

だが、足下は覚束無い。そう、長宗我部勢が物部川に取り巻くように布陣した川の西側は、一部で溢れ出すその度に泥道となり、泥たまりとなって、それは元々ある湿地と合わせて長宗我部勢の足を更に遅くさせた。

以上のことを踏まえても迎撃する側である香宗我部勢が一手有利とも言えた。

弓を引き絞るためには踏ん張らねばならずに、泥道では思った以上にその踏ん張らねばならない感覚が平時と違っていたのだ。

西側の弓兵は苦労を強いられる。その一方、東側は整備が行き届いているとは言いづらいものの、川の氾濫を植林で地道にカバーしていた。

そのため、足場は川の西側のような泥道でなく土だ。

河原は両岸ともに、砂利と細かい小石が敷き詰められた様に並んでいる。

更に川の中洲は足場はゴロゴロとした石が所々に転がる手付かずの様相となっていた。

とはいえ、どこからか種がついたのか竹が生え、青々しい葉をいっぱいに広げた数本の木までその中洲には生えていた。

いまでは五十も上がればぎゅうぎゅうで身動きが取れそうにない中洲も、平時ならば、もっと足場が広がっているのかも知れない。

 

両軍はこれと言った良策も打てないまま膠着状態である。

 

そして、弓矢の応酬の末のにらみ合いも終わりを迎える。時が経った。陽が暮れ始めたからだった。

先に緊張の糸を切ったのは香宗我部勢で、中洲でも陣炊きの用意が進み白い煙が上がり始めると、今日はこれにて終いかと判断した長宗我部勢がやって来た西の方角へ転身し始める。

川の西側に残ったのは監視役と思われる僅かな部隊だけだった。やがて、その監視役に残った部隊が陣炊きの白煙を立ち上らせると、川を挟んで暫く喧騒が広がった。

それは兵たちが思い思いの歌を歌ったり、雑談を交えながらの普段通りの平時と同じ夕げとなったのだろうと思える。

それは、数刻ほど続いて。やがて、どちらからと言うこともなく静かになった。

 

 

 

その同じ頃、香宗我部本陣の陣幕に床几に座りながら細い目でじぃっと一点を見詰める男が居た。壮年らしい長い顎髭と、立派な口髭を蓄える、しぼり袴になった今の姿にもがっちりとした体型を見るに、男がひとかどの武士の様であると見て取れる。

 

男が見詰める方角は西。敵となった長宗我部勢が陣する川の向こうを射ぬくように鋭い目付きで睨んでいるのだった。

 

壮年の男の名は香宗我部秀通。兄の嫡男・秀義が安芸元親に攻められ倒れると、すっかり気が細くなり弱体化した兄より当主の座を譲られてより当主となった。

転がり込んできたチャンスではあるが、兄が気弱になるほどに家は弱体化の一途が止まらない状態での家督譲渡でもあった。縁戚の山田に転ぶもの、負け続けていた安芸に転ぶもの、様々であったが弱体化した。

長宗我部からの縁談の話も土壇場で流れた。それのせいもあるかも知れない、一度は誼を結び共に手を取り合おうとした両者が今。

戦場に会いまみえていた。

この戦だけでない、十数年続いた破談を切っ掛けとなった両家の食い違いはもう、行き着く所に収まらない限り止まれない。両者共に意地が、プライドが、面子が、矜持が。許さない。

 

だから、秀通は報告を待っていた。

 

その報告が来るのを。

 

「敵部隊、西へ後退した模様。西岸に残る兵は百足らずとのこと!殿、今こそ打って出る時!この千載一遇の時を逃されますまいな?」

 

陣幕に躍り込んでくるや否や大声で血気勝るその威声をあげたのは池内玄蕃。

この玄蕃、宗家の真武が親長宗我部派であるのに対し、親本山、反して親安芸派になった。池内真武の叔父である。この玄蕃も筋骨逞しい武人の様相であった。

 

「玄蕃、ご苦労。あい解った。では、出ようぞ!細川が言ってきたのは虚言ではなかったようじゃの」

 

「はっ!きゃつら、天満宮で祈願をし、陣を敷いたと。ならば、物部川で持ち堪え、陽が落ちればぬかるんだ川の西岸を嫌い、昨晩の安生の地に陣を戻すと。細川殿の見立ては正しかったようで御座います。さすれば、某が部隊を率いて先陣を切りましょうぞ」

 

「うむ。いかように?策はあるのかの?」

 

「慎重にも慎重を重ね、川を水音立てずに西側へと渡り、残存部隊を血祭りにあげて御覧に入れましょう」

 

「……可能か?気づかれてはその様な奇襲では徒に兵を失うのでは無いかの?」

 

「では、某が先に川を渡りきり、殿を誘導して差し上げましょうぞ。その戦力でもって一気に奴らを叩きのめすのです!」

 

「其れならば可能か。よい、そうと決まれば兵に伝えよ。夜駆けよ!なあに、夜風に当たるついでに一触り、敵の斥候の返り血で花を添えてやろうでないか。のう、玄蕃よ?」

 

「ははー!有難き幸せ。この玄蕃、枯れ骨でもって粉骨し必ずや敵の首もって殿の御前に!」

 

「期待しておるぞ。勇ありし玄蕃よ」

 

こうして。裏でうっすら繋がっていた香長の雄・細川からのリーク情報が元で、香宗我部秀通自身も川を渡り、約束された勝利を胸に、夜駆けを実行に移したのだった。

 

 

 

side.香宗我部遷仙親秀

 

 

「──出たか。秀通、愚弟よなあ。まさか、あっさりと夜駆けなんぞに心動くとは……しかし、これで奴も懲りるはずよ。もし討たれてもそれが運命。儂が後ろから討つことになろうともそれも又、運命だったのだろうのう。恨むなよ、秀通。恨むなら、頭の出来の悪いお主自身と。そうよな……天の定めと諦めてくれ」

 

秀通の陣が騒がしくなったそのずっと後ろ。村田の別動隊の陣中。先の当主、親秀の姿があった。

こちらも壮年の姿であるが、既に入道して隠居の身。剃髪してつんつるてんの頭に武士の証の口髭までも剃り、長い顎髭だけが印象付けられる。そのご隠居がなぜだか今夜、鎧姿を見せていた。

長宗我部と早くから、親秀と一部は繋がっていたのである。香宗我部の家来二百六十余名あるが、その半数は既に長宗我部国親と吉田孝頼の内応に落ちていた。

夜駆けに出たところで、秀通は後ろを断たれる事になるのだ。

 

この時、親秀の目には熱を孕んだ滴が湛えられていた。ゆっくりその滴が溢れ出す。死に行く弟を思ってか、暫くその滴は止めどなく流れ落ちていった。




香宗我部親秀……前当主。

〃秀通……当主。親秀の弟。孝頼の計略で縁談が流れた以来長宗我部と矢面で争ってきた。


ただ、十余年経っててまだやってんのかよって思うとこもあるんです、これに関しては帳尻をどうやってつけるのか解りかねます。当作では十数年戦ってきたことにしておきます。26年に秀義戦死から、秀通の子は44年くらいに生まれて……で、誰に嫁ぐはずだったの?孝頼さん、て感じなんですけどね。本山に嫁ぐ姫様は。

ここまで読んでくれてありがとう!帳尻が取れなくなってきた最近、ご意見ご感想書いていってね

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