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学園都市の中心部にそびえ立つ窓の無いビル。そのビルの一室は大小さまざまなサイズのケーブルが部屋中に伸びており、これまた大小さまざまな機械につながれて、稼働していた。部屋の中は機械を冷却するために冷房が作動しており、薄着では肌寒いくらいに冷えていた。
そんな部屋の中心には、液体で満たされた巨大な培養器を思わせる機械の中には、逆さまの状態で漂っている人物がいる。身の丈ほどにまで伸びた長い髪をゆらゆらと漂わせながら薄く笑っているこの男こそが、学園都市総括理事長、アレイスター・クロウリーである。
「こうして直接君と会うのはずいぶんと久しぶりだね。仕事の方は順調なのかい?」
アレイスターは液体に揺られながら、その口を開く。音源は彼の口からではなく、部屋に取り付けられたスピーカーから発せられる。
「そんな事を聞くためにわざわざここへ呼んだわけでは無いのだろう。さっさと要件を話せ」
苛立ちを言葉の端ににじませながらアレイスターにこう返す人物がいた。
その人物はちょうどアレイスターの真正面に腕組みをした格好で立っている。この部屋自体が全体的に薄暗いためによく見えないが、そのシルエットから女性である事が分かる。
「まあそう焦るな。今日君を呼んだのはほかでも無い、もう一度だけ君に仕事を頼みたいのだよ」
ピクリ、と女性のこめかみが動く。
「仕事だと?……ふざけるな、そんなことを私が引き受けるとでも思っているのか?」
「君ならきっと引き受けてくれると信じているよ」
そう言うとアレイスターは女性の目の前にある記事が書かれた画面を空中に投影する。それと同時に、ある写真も投影した。
「!!」
「君にとっても馴染み深い記事だろう?それは」
記事の日付は4年前のもので、外国の新聞らしく、文章はすべて英語で書かれていた。記事の中央には大きく写真が掲載されており、焼け落ちた洋館らしき建物が映っている。
その横に映されたのは東洋人の少年の顔写真で、女性はこれを見て大きく動揺する。しかしすぐに冷静さを取り戻し、そして静かに口を開いた。
「……何が目的だ」
「何、君が思っているような事では無いから安心したまえ。少なくともその少年に私が関与する気は無い。必要なのは君の“力”なのだよ」
「……詳しく話せ」
「では早速本題に入ろう」
アレイスターは変わらずそのままの口調で、目の前の人物に仕事の内容を話し始めた。
本題を告げたアレイスターはその人物が退室するのを見届けると、一度目を閉じ、思考する。先ほどの
『おっはーーー!!って、あれ?今ってそっちは朝だっけ、それとも夜だっけ?まあどーでもいっか!とにかく、おっはーーー!!』
そこに、この空間の雰囲気をぶち壊すように、やかましい女性の声が鳴り響く。音源はアレイスターが先程まで会話に使っていたスピーカーの一つからだった。どうやらこの人物がハッキングをかけてスピーカーから声を送っているのだろう。
たかがスピーカーかと思われるだろうが、この窓のないビルの内部にハッキングをかける事が出来る人物は、恐らく世界中を探しても数える程しかいないだろう。そして、この独特のテンションで話す人物を、アレイスターは一人しか知らない。
「用件は何かな、篠ノ之束」
「むー。せっかく束さんが直々に挨拶してあげてるってのに、ちょっとその態度は無いんじゃないの?もしかして不機嫌なのかなー?」
「私はこれが普通だよ。それで?何の意味も無く私に話しかけてきた訳では無いのだろう」
『まー束さんも特に用は無いんだけどさ、ただ一つ、ちょーっと君に忠告しておこうかなって』
束はそう前置きをして、感情の消え失せた声色でアレイスターに言い放つ。
『あんまり私を舐めるなよ』
莫大な電力を消費する電子機器が所せましと並べられているこの部屋は、当然ながらオーバーヒートを防止する為に冷却装置も置かれている。これによって電子機器は冷やされており、また室内の温度も一定に保たれている。
その部屋の温度が一気に下がった。
アレイスターをしてそう錯覚させるだけの威圧感が、束の口から発せられた言葉には内包されていた。
『お前が何をしようが私には関係ないし、別に興味もない。でもね、そこにちーちゃんやいっくん、箒ちゃんが関わってくると話は違う。もしこの三人に何かあったら、私は全力でお前を潰すよ?』
「自分の事は棚に上げておいてよく言う」
『私はいいんだよ、だって束さんだよ?』
当たり前じゃない、とでも聞こえてきそうな調子で束は答える。
『とにかく、なんでもかんでもお前の思い通りにいくとは思わない方がいいよ。私の癇に障ったら、お前の造ったあのガラクタ共も、人造天使も、学園都市も、全部まとめて叩き潰してあげるから』
「ほう、それは困るな。そうならないように気を付けよう」
『……やっぱり私はお前が嫌いだ、アレイスター』
その言葉を最後に束は会話を切った。ブヅンッ、という音と共に音声は途絶え、スピーカーは再びアレイスターの制御下に戻る。
静寂を取り戻した一室で、アレイスターは再び思考する。
確かに学園都市の科学力は凄まじい。その技術が如何なく応用された駆動鎧は性能にばらつきはあるが、それでも並みの兵器ごときでは話にならない。恐らくISと戦闘になったとしても、勝利することは可能だろう。
しかし、それは相手がただのIS操縦者だった場合だ。相手が篠ノ之束本人だとすると、その結果はまるで分からない。
そもそも、学園都市や木原一族の技術力をもってしてもISのコアは完全には解明出来なかったのだ。一部の解析には成功したものの、ある一線から、まるでコアそのものに拒絶されるかの様に解析ができなくなった。全貌を知っているのはやはり開発者本人である束だけ。その束があそこまで言ったからには、やはりISのコアには何かしらの力があるはずだ。
そこまで理解した上で、アレイスターはこう結論づけた。
(ならばその力を存分に引き出させてやろう)
自身の手で解析できないのは惜しいが、究極的にはデータさえ入手できれば問題は無い。 ISのコアがもたらす結果、それだけでも十分に価値はある。
難解な数式が書かれた問題用紙のすぐ横に回答が記された紙があるようなものだ。答えだけが必要なら迷わずそれを見れば良い。わざわざ途中式を書くのに無駄な時間をかける必要もない。
(確実に来るとは言い切れないが……まあ良い。その時にはせいぜいデータを取らせてもらうとしよう、篠ノ之束)
「とか思ってるんだろーけどね、あの逆さま男は」
自身を取り囲むように広がるたくさんのディスプレイに照らされている人物、篠ノ之束は黒焦げのバターロールを食べながらそう呟いた。決して美味いはずの無いそれを、束は全く気にせずにぼりぼりと咀嚼していく。
「言ったところで決めた事は曲げないだろうし、てゆーかこっちの妨害戦略すら利用するようなやつだし、あの男は」
束のもう片方の空いている方の手の上では、金属製の小さなネズミのおもちゃがせわしなくネジをかじっている。それをつまらなそうに一瞥し、
「ムカつくなぁ」
ぐしゃり、とまるで紙くずのように握り潰す。
手のひらに残ったネズミの残骸を床に投げ捨て、残ったわずかなバターロールを口に放り込むと、ものすごい勢いでキーボードを叩く。
ディスプレイにはISの初期段階の設計図や装甲を構成する金属のデータなどが次々に表示されていく。そして束がキーボードを叩き終えると、そこには一つのISの姿が映し出されていた。
「君から全てが始まったんだよね、白騎士」
先程までのつまらなそうな瞳は既になく、束は懐かしげな、子供のような表情でディスプレイを眺める。
そこに一人の少女が入ってきた。長い銀髪の少女がその手に持っているのは、皿の上に乗せられた黒い物体。よくよく見ればそれは黒焦げのパンで、これまた黒焦げの何かを挟んでいるらしい。少女の瞳は閉ざされているが、それでも危なげなくまっすぐ束に向かって歩いていく。
「束さま、昼食のご用意ができました」
「やぁやぁくーちゃん。今日はなにかな?」
「ハンバーガーです」
「わぁ、やったね!束さんの大好物だよ!」
くーちゃんと呼ばれた少女が部屋に入ると同時に束の先程までの表情は綺麗に消え去り、いつものおどけた調子に戻っていた。ハンバーガーと言われた皿の上の物体を手に取り、先程と同じようにぼりぼりと噛み砕いていく。
「ねぇくーちゃん」
「はい」
「束さん、頑張っちゃうからね」
「?……はい」
少女の作ったハンバーガーを食べながら、束は一人心の中で決意する。絶対にアレイスターの思い通りにさせて堪るものか、と。
時間はわずかに巻き戻る。
アレイスターとの会話を終えた女性はテレポート能力者の手により、窓の無いビルの前に姿を現した。
能力者は女性を送り終えるとそのままどこかへ消えてしまった。それを見届けた女性は歩き出そうとしたが、突如目の前に黒塗りの車が停車した。
車の運転席からスーツ姿の男性が出てきて、後部座席のドアを開ける。中に人はおらず、この車は自分を学園都市外に送るために用意されたのだと理解する。
「用心深い奴だ、あんなものを見せられて私が暴れ回るとでも思っているのか」
不快げにそう呟き、女性はおとなしく車の中に乗り込んだ。
車は高速道路に入り、学園都市の外へと向かう。車に揺られながら女性は目を閉じて自分がするべき事を改めて自覚する。それだけで自分を殴り飛ばしてやりたいほどに自己嫌悪に駆られるが、あの写真の少年の顔を事を思い浮かべ、その感情を無理やりに抑え込む。
「……分かっているとも、自分が最低な人間である事くらい」
そう言って閉じていた目を開け、窓の方を見る。外の景色を見ながら、女性は決意を言葉にする。
「それでも守りたいものがある。一夏を守るためなら、私はなんだってやってやるさ」
走行中の車内にて、IS学園教師である織斑千冬は静かに、しかし力強くそう呟いた。