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「まぁ今更だけど私って貴女の事を愛しているのよね」
大学生になり、二人で暮らしているマンションの一室。
逸見エリカが作った夕餉を二人で食し、西住みほが食器をシンクに下げた後、リビングで二人が緩やかな夜を過ごしている時に唐突にエリカが発言した。
こたつに肩肘を着き、テレビを見ながら溢した何気ないエリカの一言に、一緒にこたつに入っていたみほは僅かに動揺した。
「……ちょ、エリカさん。急にどうしたんですか?」
不意打ち気味な告白である。
無論、嬉しさも感じるがどちらかというと唐突さによる動揺の方が大きい。
今までもどちら側からも「好き」だの「愛している」だのといった言葉のやり取りはあったが、どの場面も前後の流れがあってのものだ。
何故、急に、今ここでそんな事を?
「それでね、私は貴方の事をどれだけ愛しているのか考えたの」
動揺は僅かずつに不安への転化していったが、どうやら別れ話へと繋がる様ではないようだ。
内心で安堵しながら―――何時もならこんなみほの心境もエリカには筒抜けであったが、今回はエリカの視線はテレビへと向いたままであるからその心配は無いようだ―――みほはエリカの話に耳を傾ける。
「どれだけ"愛している"かを表現する時、世界中の誰よりもという風に他人との順位による比較を使ったり、胸一杯だとか大海原より広くだとか比喩的表現を用いて大きさを語ったりするわね。
でもそれらは結局曖昧な表現であって、言ってみればアナログ的な表現に過ぎないから具体的な定量として量る事はできないわね。
じゃあ具体的に愛の定量を表現する為にはどうすればいいか……まず愛という物を定義しないといけないわね」
「……定義と言っても、感情をデジタルで表現なんてできないんじゃないかな?」
「直接的にはそうね。でも愛によって可能な事を考えて、その大小で間接的に推し量る事はできるんじゃない?
少なくとも比較にはなるわね。
……私はね。愛というものは自己犠牲なんじゃないかと思ったの。
恋人間の愛も、家族愛も、親友同士の友人愛も結局は相手の為にどこまでできるか。
利得を無視してどこまで相手にしてあげられるか。
時間、金銭、労力等々……どこまで費やす事ができるのか。
それがどれだけ相手を愛しているかなんじゃないかなって」
エリカの視線はテレビを向いたままである。
そのままみほを視界に入れる事無く淡々と続けるエリカの様子に、みほは無意識にごくりと唾を飲み込んだ。
「それで最初の話に戻るの。
その理論で私が貴女の事をどれだけ愛しているのかなって客観的に考察してみようって」
エリカはずっとテレビの方へと固定されていた視線をゆっくりとみほの方へと動かした。
普通の目だ。
何時も見ているエリカの目となんら変わらない。
至って日常的な、気負う事もなにもない自然な表情だった。
「例えば何かの危機的状況……事故だとか病気だとか。
ううん、そんな細かい背景を想像する必要は無いわね。
単純に貴女の命が私の腕を差し出したら助かるとして……まぁ差し出すわね。
貴女のその顔が無残な怪我や火傷や病気で痕が残るけど、片目を差し出せば回避できるなら……これもするでしょうね。
想像しにくいならもっと現実的な……そうね臓器移植とかが解りやすいかしら?
貴女の為なら肝臓も膵臓も差し出せるし……肺が片方になってもいいし、人工心臓になってもいいから心臓を提供してもいいわ。
ふふふ、"ハート"は昔から愛の象徴だったけれど。
心臓を差し出してもいいっていうのはある意味では究極の愛なのかもしれないわね」
楽しそうに笑うエリカの様子は何もおかしな所は無かった。
まるでこの前二人で見た映画についての感想を述べているかのような、日常的な雑談と何ら変わらない雰囲気であった。
「それで最初は貴方の命と私の片腕って比較だけすると此方の方が軽い物じゃない?
そこから徐々に此方の物大きくしていって、貴女の片腕と私の片腕って同じ物の比較にするの。
それを続けて最終的には貴方の命の為に私の命を差し出せるかってね。
当然、それでも私は問題なく代償を差し出せるって結論になるわ。
更に発展させて、私の物大きくさせていくわ。
貴方の片腕と私の両腕、貴女の片目と私の両目。貴女の声と私の心臓。
……結局はそれらも私は差し出せるって結論になるわ。
そうなるとこの比較をどんどん進めていくと、当然だけど私は自分の命を貴女のどの部位まで差し出せるのかって言う論題になるわね。
そこで私の比較は一旦ストップしたわ。
でも、それも結局は私の命を渋るというよりは……私が死んじゃうとこれ以上貴女に差し出せなくなってしまうからっていう理由が大きいわね」
一拍、間が置かれる。
「……ここまで考えて、私は結構貴女に対する愛が大きいって自覚したのよ。
それだけのお話よ。
変な話して悪かったね」
そう言ってエリカは先に寝るわとだけ告げて、こたつから立ち上がり二人の寝室に向かっていく。
「ま、待って!」
その背中に思わずみほは声をかけた。
エリカがゆっくりと顔だけをみほに向ける。
「えっと……」
ついこのまま行かせてはいけないという直感から衝動的に声をかけたが、何と言葉を紡げば良いか解らなかった。
みほは混乱する頭を落ち着かせながら先ほどのエリカの言葉を租借し、吟味していく。
「……その、正直驚いたし、今もびっくりしたままだだけど……。
うん、そうだね。これだけは解る。
……多分、私も一緒だよエリカさん」
「……」
僅かな沈黙。
その僅かな時間を置いてからエリカはありがとうと笑顔で返事をして寝室へと消えていった。
それを確認してみほも食器を手早く洗って自分も寝室へ向かおうと腰を上げた。
先に寝ると言っていたが、何時もの様に自分がベッドに潜り込むまでエリカは起きていてくれる事を知っていたからだ。
-2-
『……多分、私も一緒だよエリカさん』
(……知ってるわ)
自惚れでもなんでも無く、私は自分がみほに愛されている事を知っていた。
自分と同じように、みほも私と同じ様に色々差し出せるという事も知っていた。
……それは嬉しい。
間違いなく嬉しい。
……だが、この結論に達した時、同時に私は別の結論も得ていた。
私がここまで自分を差し出せるのはみほにだけである。
両親も姉も愛している。
隊長も敬愛している。
大事な友人も沢山いる。
だが、みほ程に自己犠牲ができる相手は他にいない。
……じゃあみほはどうだろうか?
実姉には?
親友であるあんこうの子達には?
……いや、もっと幅広い関係で、大洗で一緒に戦車道をしていた仲間や他校の友人たちには?
私は知っている。
あの子は躊躇いも無く差し出すだろう。
何せ、私はその現場を見た事がある。
チームメンバーを助ける為に荒れ狂う激流の中に身を投げ出し、自分の命を危機に晒し、そして社会的立場を差し出した。
……サバイバーズ・ギルトとは違うのだろうが、何か似たようなものを感じさせる。
そして、他の子達もみほの為なら同じ様に差し出すんだろう事も想像に難くない。
……私もみほも相手の為にならより大きなものを差し出せる。
不等価交換。
つまり、それは最初は小さな物だったとしても、繰り返して積み重ねて行くうちに、螺旋のように絡まり、エスカレートしていくものだ。
指には手を、手には腕を、腕には体を。
自分の体を少しずつちぎっては相手に与え、そして相手はそのちぎられた部分を埋めるためにより大きく自身の体をちぎって与え返す。
そうして互いに与え合い、最後には二人で互いの肉と臓物が混じった塵の中に消えていく。
……それはとても素晴らしい事のように思えた。
……でもそれは、みほは誰とでもできてしまう。
私はみほとしかできない事であるがみほは違う。
なんて不公平な不等価交換。
小さくとも最初に切欠を作った者が、なし崩し的にみほと絡まって、溶けて、消えていくだろう。
……それだけは許容できない。
絶対に許せない。
我慢できない。
……ならばどうすればいいか
誰よりも早く先んじるしかない。
「……馬鹿馬鹿しいわね」
そう呟いて私は冷静に戻る。
あまりにも思考が飛躍しすぎである。
大体、論理的に余りにも穴だらけの結論だ。
最近は色々あったから恐らく疲れているのだろう。
フリルが沢山着いたパジャマに着替えてベッドに潜り込んでおき、布団の中を暖めておく。
みほは寒がりなので、こうして先に冷たい寝具を暖めておく。
そうするとみほは「寒いよ、エリカさーん」と冷たい手足を私に絡ませてくるのだ。
まったくしょうがない子だ。
そして私は暖を分け与えるように抱きしめてやるのだ……。
そう、別に何かを犠牲にしなくとも二人でならいくらでも分け与える事ができるではないか。
愛に質量保存の法則も熱力学の法則もない。
費やしたエネルギー以上の結果が得られるのだ。
であるならば負の相互関係も重ねていく必要もない。
私がみほに何かを与えたら、それ以上の事を与えてもらえる。
……それこそが愛じゃないか。
そう結論付けながら寝室に入ってきたみほに、私はそっと布団を上げておいでと出迎えてあげた。
-3-
……この日以降、エリカには一つの癖が染み付いた。
無意識のうちに自分の左手の小指を右手でぎゅっと力強く、
まるで誰かに差し出さんとするように、あともう少し捻れば折れてしまいそうな位な力を込めて握り締めてしまうという癖が……。
-了-