-1-
「月が綺麗だね」
『I love you』を言い換えた有名な恋の表現に呆気に取られた逸見エリカはそう言った西住みほの顔をまじまじと黙って見た。。
「…随分……古典的な誘いね」
エリカは胸の中のざわめきを何とか表情に出さない様に努力し、何とかそれだけを搾り出す事に成功した。
これ以上、口から言葉を出せば瞬く間に心の部屋の扉が開き、そこから出てくる大量の何かがエリカの顔を赤くしたり鼓動を早めたりと悪さをするのは明々白々であったからだ。
にも拘らずみほはそのエリカの必死の努力を無駄にする様に顔を真っ赤にして俯いた。
きっとあのふわふわしている横髪で隠れている耳も顔と同じ様になっているのだろう。
「…あ え、いあしゃん……」
そんな風に恥ずかしがられると此方まで恥ずかしくなるのだから止めて欲しいものだ。
私は気持ちを落ち着かせるためにみほから視線を外し、空を見上げた。
そこには青みがかった黒く綺麗な夜空に浮かぶ満月が雲を侍らせて淡く仄かに光っていた…。
-2-
夜に寮を抜け出して月を二人で見に行ったのには特に明確な理由があった訳ではなかった。
風紀や規則に厳しい黒森峰で夜間の無断外出など露呈したらただでは済まないだろう。
「ねぇエリカさん…今日は満月らしいよ」
「……そうね」
「見に行かない?」
「いいわよ…」
それほどリスクが大きいにも拘らず二人は何となく月を見る事にしたのだ。
無論、完全に無根拠で偶発的な気紛れから起した行動ではなかった。
自分に合わぬ西住流と人に命令する事が慣れてないが故に重く圧し掛かる副隊長としての責務。
同級生からの羨望、上級生からの嫉妬。何より西住流次女という肩書きから親しく"普通"に扱ってくる友人がいない事が大きかった。
それぞれ一つ一つだけならみほも耐えられたであろうが、それが重なり複合的にみほの精神を少しずつ削っていった。
そしてそれをルームメイトだからこそ理解しており、そして何とかしてやりたいと思っていたが故にエリカはそのみほの提案を逡巡することなく受け入れたのだ。
ドアを音を立てないようにそうっと開けて、歩く時に大きな音がしないように靴下だけで廊下を歩いた。
門は既に施錠されており開けられないので、エリカが踏み台となってみほが何とか乗り越え、そしてエリカは単独で見事な運動能力を発揮して乗り越えた。
もう夏なので夜でも寒さはそれほどでもなく、涼しげな風が二人の間を肌を撫でながら通り抜けた。
この厳しい黒森峰で二人は概ね素行は良く過ごしており、こういった"悪い事"をするのはエリカは始めてであり、その事実に本人は認めたくないであろうが子供の様に胸をときめかせる楽しみを覚えていた。
一方でみほも子供の頃の、まだ悪戯好きでやんちゃだった頃を思い出し、こうして姉を巻き込んでは夜に外を出歩く事をしたなと想い出にふけていた。
つまるところ気分転換やストレスの解消といった意味での目的は果たされていたのだ。
そうして土手となっている川辺にたどり着き、草葉に二人はごろりと腰を下ろし、無言で月を見続けている所にみほが突然先ほどの発言をエリカに投げかけたのだった。
「あ、あの そのそういう意味じゃその…」
「解ってるわよ!ちょっとからかっただけじゃない!
真面目に受け止められるとこっちが恥ずかしいわ!」
「……あ、うん。
そう、だよね……」
……みほは俯き、そうして二人はまた無言になった。
風がそうっと吹き、さぁーっと音を立てて草を揺らしていく。
そうしてしばらく黙って二人で月を見ていると、唐突にエリカは口笛を吹きだした。
それは素人の口笛としては見事なテンポとリズムであった。
しかも、その曲はこの静かな夜空に浮かぶ月という情景と合わさってとても…、とても綺麗にみほに聞こえた。
だからみほは自分でも気づかぬ内にエリカの口笛にあわせて歌いだした。
僅かに聞こえる風の音と揺れる草の音、そして静かに歌う虫をの鳴き声をバックコーラスに、満月のスポットライトの下で二人のセッションが行われたのだ。
一曲歌いきると、その余韻を深く感じるようにしばらく無言で過ごした後にエリカが言った。
「まさか貴女がこの歌を知っているとはね」
「うん、お父さんが好きで良く聞いていたんだ……。
お母さんもお父さんと聞くのが好きだったみたい」
「ふぅ~ん、意外ね。
有名なアニメのエンディングの歌なんて家元が聞くなんて」
「アニメのエンディング……?えっ?」
みほにはエリカの言っている意味が良く解らなかったが、そう聞いた瞬間に頭の中でボコのエンディングを歌う両親の姿を思い浮かべてしまい、堪えきれずにくすくすと笑いだしてしまった。
最初はそれにからかわれたと感じたエリカであったが、みほが本当に楽しそうに笑うのを見て、何だか自分もおかしくなり釣られる様に笑った。
満月の夜、夜更かした少女二人の笑い声が響いた。
-3-
「じゃあ、はい」
一頻り笑うとエリカは静かにみほに片手を差し出した。
「……え?」
それの意味が解らず、目をぱちくりと瞬かせながらみほは困惑した。
その様子を鼻で笑いながらエリカは続けた。
「貴女、さっき言っていたじゃない。
私を月に連れて行ってって」
一瞬だけ呆然とした後、みほは自分の目尻が少しだけ濡れてきたのを自覚した。
そして、嬉しそうに笑いながらエリカの手を取った。
「じゃあ、エリカさんは私に木星や火星の春を見せてくれるのかな」
「それってつまり"言い換えれば"こういう事よね」
そう言うなりエリカは繋がったみほの片手を引っ張った。
その瞬間、満月は雲に覆われ、暗くなった夜の川辺に浮かぶ少女二人のシルエットは静かに重なり合った……。
-4-
-私の心を歌で満たして欲しい
-だから何時までも歌わせて欲しい
-私がずっと憧れるのも慕うのも…想うのも貴女だけ
-だからお願いだからこのまま変わらず一緒に……傍にずっといてちょうだい
-つまり……言い換えれば私は貴女を……
-了ー
一応、念のためですが最後の歌詞の和訳はオリジナルであり、特定の日本語バージョンの歌の歌詞を持ってきた訳ではありません。