酒と煙草と戦う女。百合っぽくしないって難しいですね。
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歓声と怒号が同時に巻き起こった。
隣のおじさんは口から泡まで飛ばして怒鳴り散らしているし、反対方向に座っているおばさんは手まで叩いて笑い転げている。溜息も拍手も交互に聞こえ、狂騒にも近い人々の熱気がそこかしこで渦巻いていた。
私が、今見ているのはタンカスロン。それは、非公式な戦車戦。それは、ルール無用の野良試合。私が良く知る戦車道とは全く違う、〝異質〟と言っても過言ではない危険な競技だ。
それでも、私は胸の奥になにか熱いものを感じざるを得ず、立ち上がって拳を振り回したくなるのを抑えるのに必死だった。
横から腕が伸びてくる。紙製のカップに突き立てられたポテトが視界を遮った。
「どう?たまにはいいもんでしょ?」
ケイだ。
彼女はそう言いながら私がカップからポテトを一本抜いたのを確認すると、ゆっくりと私の隣に腰を降ろした。
私は彼女の誘いで、このタンカスロンを見物に来たのだ。
「まぁ、な」
ゆっくりとポテトを口に運ぶ。
揚げたてらしいポテトは香ばしく、熱い。そのせいで、私は上あごに少しだけ火傷をこしらえた。強烈な太陽の下で口の中はひりひりと痛み、遠くで鳴りやまない火薬の炸裂音が傷に沁みた。
舌で口蓋を舐めていると、ケイがうずうずとした様子を隠そうともせず言った。
「私もすぐにでも飛んで帰って、所かまわず75ミリをぶっぱなしてやりたい気分」
ウェーブの掛かった長い髪を揺らしながら、ケイは笑う。天井に輝く太陽のような笑顔だった。
彼女はポテトを口にくわえたまま立ち上がり、シャドー・ボクシングを始めた。デニムのショートパンツからすらりと伸びた健康的な肉付きの脚が、軽快なステップで青々とした草を踏みしめる。
「シーズンが始まれば、飽きるほど撃てるだろう?」
「ええ、それもスポンサーのお金でね」
そう言って、私とケイは顔を見合わせて笑った。
「ごちそうするわ」
ケイにそう言われ、連れてこられたのは彼女の自室だった。
3LDKに一人住まい――話では、使ってない部屋もあるということだった。流石は一流選手の自宅である。
私は、そのだだっぴろいリビングに据えられたソファに身体を預けて寛いでいる。
有線でも引いているのだろう。静かに流れるBGMは、彼女の趣味らしく《FIND TOMORROW》。日差しは大分傾いていたが、まだ〝明日〟というには早すぎる時間だ。
ホームシアターまで設備が整っているテレビ台。その上の、いくつかの写真立てのうち一つが目に入った。立ち上がり、それを手に取る。それは高校時代の写真だった。私にも、これには見覚えがある。最後の大会で、各高校の隊長陣にケイがわざわざ声を掛けて撮ったものだ。
白い木製の写真立ては、わざとヴィンテージ風の塗装が施されていたが、その時の記憶は昨日のことのように思い出される。自然と頬が緩む気がした。
キッチンから、油が弾ける音と一緒にケイの声がする。
「あら、見つけちゃった?」
「ウォーリーを探すのよりは簡単だったさ。とても、懐かしいよ」
「でしょう?今を時めくスター選手の、古き良き学生時代の写真よ?」
そう言って、ケイは大げさに指を折って数えるそぶりをした。
「サザピースに持ち込んだら、いくらの値が付くかしら」
「世界中のメイプルリーフを集めても足りるかどうか」
「違いないわ」
「しかし、この真ん中の黒いジャケットの仏頂面はいただけないな。誰だこれは」
私は、にやりと笑う。ケイが笑いを堪えながら答える。
「さあね?私は知らないけれど……もし、もしね?そんな辛気臭いのがウチにいたら、即刻叩き出してるわ」
腕時計が指す時刻は7時半。
食卓に並べられたのは、オリーブとチーズがこれでもかと乗せられたピザと、トランプ束位の厚みがあるリブ・ステーキだった。肉汁滴る焼き加減はレアらしい。
「あっちのスポンサーが送ってくれるの。食べきれない位あるんだから」
ケイはウインクしながらそう言った。
「だからこうして私を呼んだんだな」
「文字通り〝神様からのギフト〟よ。平等に分け与えるべし、ってね?じゃないと、冷蔵庫に入りきれなくて、牛肉のベッドで寝ることになるもの」
「生臭くて寝られたもんじゃないな」
「でしょ?」
付け合わせのブロッコリーを指先でつまんで口に放り込むケイ。だが、今日はその行儀の悪さを咎める気にはなれなかった。きっと、彼女はこう言うだろう。『何事も赦す、広く寛大な心を持ちなさい』と。
「ほら、食べましょ?折角のステーキが冷えちゃうわ」
ケイの号令に、私は十字を切る代わりに心の中で手を合わせ、静かにナイフとフォークを手に取った。
食後。
ケイに食事のお礼を言った私は、リビングを出てベランダにいた。眼下に見下ろす車も人も豆粒のように小さい。
ポケットから取り出したセブンスターは、最期の一本だった。
いつの間に出て来たのか、隣にケイがいた。
「今年はいくつ星を取る気なのかしら?セブン?エイト?ナイン?」
「どうだか。出来ることをやるだけだよ、ケイ」
「アナタはいつだってそう言うわ、マホ。でも、星の数はテンまでにしといてね」
「なぜ?」
「私はそんなに足の指が器用じゃないの」
タバコに火を点けていた私は、煙を笑いと共に吐き出す。私の方が風下だ、ケイの顔に煙がまとわりつくこともないだろう。手すりにしなだれかかった彼女は、長い髪を赤いヘアゴムでまとめている。時折吹く風に、それが小さく揺れた。
「誰かとお酒を飲むの、久しぶりだわ」
細長いグラスをマドラー代わりのセロリでゆっくりとかき混ぜながら、ケイがそう言った。私たちは再びリビングに戻っていた。今度は二人並んでソファに座っている。
ウォッカをベースにトマト・ジュースを入れ、タバスコが数滴垂らされたブラッディ・マリーはさっぱりとしていて、口の中に残ったオージー・ビーフの油を洗い流してくれた。ケイが作ってくれたものだ。
「そうなのか?」
「ええ。特に、友人とはね」
グラスの中で、ロック・アイスがからりと音を立てる。
「友人は多いだろう?」
「お金と口を出すだけの人のことを友人とは言わないわ」
「そうかもしれないな」
ケイは、少しだけ目を細めてグラスを空にした。私もそれに続いて中身を飲み干す。
「あ、そうそう」
もう一杯作る気だろう。ウォッカの瓶を手に取ったケイが続ける。
「来シーズンは、負けないよ」
「突然の宣戦布告だな」
「日本人はね、真珠湾作戦の時から奇襲が得意なのよ」
そう言ってにっこりと笑う彼女の目の奥には、確かにブラッディ・マリーのような燃え上がる決意と覚悟の色が見て取れる。グラスに入った少量のウォッカに、トマト・ジュースが注がれた。
「グッドラック」
なみなみとお代わりが注がれた真っ赤なグラスを合わせて、私たちはそう言った。