お酒にまつわる、エトセトラ   作:駄犬@

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10月某日。
冬を目前にした寒い日に、逸見エリカの運命とは――

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ニコラシカに、力をかりて

 窓の外から見える薄暗い空が、すっかり冬を感じさせる10月の某日。

 時刻は、午後6時35分。

「遅い……」

 私は、机に肘をついたまま呟いた。

 右腕に巻いた時計に非はないが、じろりと睨みつける。

 約束の時間からは5分の遅れ。普段なら、これくらいの遅れなど気にはしない……ウソ。少しは、する。

 今日は特別な日だ。待ち人の遅刻に対して、いつも以上にナーバスになっても仕方ない。それから、更に5分近くが過ぎた頃、店のドアが開いた。

 ぎい、と音がした方向を見ると、私が待ちに待った人物の姿があった。その人物は、きょろきょろと店内を見回している。きっと、私の姿を探しているのだろう。こういう時、意地悪したくて少し身を隠すようにしてしまうのは何故だろうか。

「あ……!」

 ようやく私の姿を見つけたらしいその人物は、私のいる席まで小走りで近寄ってくる。

「遅かったわね」

「ごめんね、エリカさん」

 私の待ち人は、西住みほ。

 彼女は白い二枚衿のブラウスに、グレーのカーディガンを着込んでいる。それに、くすんだ赤をしたフレア・スカート。私は、白いタートル・ネックに、ブラックのパンツ。

 夏頃からすれば随分と伸びたみほの栗毛が、少しだけ乱れている。急いできたのだろう。息が少しだけはずんでいた。

「遅れちゃった」

「いいから座りなさいよ。上着は?」

 私は、壁にかかったハンガーを見る。

 みほは首を振った。

「ううん、ありがとう。大丈夫、椅子にかけちゃうから」

「そう」

 カーディガンを脱いだみほは、椅子を引いた。手櫛で髪を撫でつけながら座る。

「おめかししちゃって……。遅れたのは、それが原因かしら?それとも、コンビニ?」

 じろり、とみほを見る。すると、彼女は下を向いて答えた。申し訳なさそうな視線が、前髪から覗く。

「えーと……おめかし、かな?」

「……そんなに気合い入れてくることなかったのに」

 みほは指先で頬を掻いた。

「そう言われるとアレだけど」

 彼女の顔が、ふにゃりと緩む。

「折角、プライベートで会うんだし……」

 と、みほ。

 私は、一瞬たじろぎそうになった。顔が熱いのは、多分気のせい。

「う……はいはい!分かったわよ!お似合いですよ!」

 何となく負けた気がして悔しい。それを理由に腕を伸ばす。手櫛で整えた髪を、台無しにしてやるためだ。

 

 私たちは、安政町のバーにいる。

 安政町、熊本市中央区の繁華街の一つだ。

 私の住む、九品寺。また、みほの住む水前寺からも近い場所。その安政町の一角。ひょろりと伸びたビルの4地下に、そのバーはある。

 カウンターとテーブル席、個室も完備。オーセンティックな雰囲気ながらスイーツも美味しく、女性客の支持が厚い――という、ネットの口コミを見て、私が決めた店だ。

 今日も、既に何組かの客が店内にいた。口コミ通り、そのほとんどが女性客。友人同士の会話を楽しむヒト。カウンターで、背中を丸めて飲んでいるヒト……。はたから見ただけでは分からない関係や感情が、ここにはいくつもあるのだろう。

 みほの最初のオーダーは、カルア・ミルクだった。その飲み方はまるで、ウイスキーをストレートで舐めるようにゆっくり。

 グラスを持った両手を机に置いて、みほは言った。

「おしゃれなお店だね。エリカさんが見つけたの?」

「まあ……ね」

『ネットで調べた』というのは、何となくカッコ悪いように思えて、私は小さく頷く。

 手元で、少なくなったウォッカ・リッキーの氷が、からりと音を立てた。そのカクテルの、すっきりとしたドライな味は好みだった。私は、甘いカクテルは苦手なのだ。

 片手のマドラーで、ライムをつぶす。すると、グラスからはライムの香りが一層強く立ち昇った。

 みほが続ける。

「今日は、どうしたの?」

 突然思い出したような口ぶりだった。ある意味、今日の核心とも言える質問。

 私は口ごもる。

「え?……ああ、えっと。まぁ、たまには?」

「そっか。いいよね、たまにはこういうのも」

「ええ。いいわよね、たまにはこういうのも」

 言葉をオウム返しにして、私はウォッカ・リッキーを一気に飲み干す。動揺をみほにに悟られてはいないだろうか。

 見ると、彼女はチャームのドライ・フルーツに手を伸ばしていた。口に運んだそばから、顔をとろかしている。

 いくつかなくなった乾いたパイナップルのお陰で、何とか窮地は脱したらしい。私は、内心で深く息を吐き出した。

「エリカさんも、これ。美味しいよ?」

 ふわりと彼女がススメる。

「……いただくわ」

 そう言って、私は手を伸ばした。

 パイナップルではなく、隣のチーズに。

 

 

「それ、なに?」

 みほが私のグラスを指さして言った。

「マルガリータよ」

「フチのやつ……砂糖?」

「塩よ」

「なんか、オトナっぽいね」

「オトナだもの」

「だよね」

 そう言って、みほは笑う。

 私は、口の端についた塩をちろりと舐め取った。

 オトナというやつは、なんとめんどくさいのだろうか。さっきから、言い出すタイミングを計っては、やめる――を繰り返している。

 いや、オトナがめんどくさいのではなくて〝私が〟めんどくさいのだろうか……。そんなことを考えながら、椅子に置いたバッグを見る。

少しだけ頭が飛び出した細長い箱が、自分の出番を手ぐすね引いて待っているようにも見えた。淡いピンクの包装紙と、赤いリボンが掛けられたそれは、今日のために用意した〝誕生日プレゼント〟だ。渡す予定の相手は目の前にいる。これを渡すために、私はこの場をセッティングしたのだ。

 だが、出鼻をくじかれ、タイミングを逃し、結局だらだらとアルコールを飲んでしまっている。どこかで、お祝いを切り出さなくてはならない。

 だが、言い出せない……。そんな、焦りばかりがつのる。《言い出せなくて》なんてバラードがあった気がするが、歌詞は思い出せなかった。

 私はグラスを取り上げるフリをしつつ、右手の時計で時刻を確認した。すると、短い針は『11』を、長い方は『38』を示している。日付が変わるまで、後30分弱。

 今日を逃せば彼女の誕生日は、また来年。きっと、私はその間の1年を後悔しながら生活することになるだろう。頭を抱える自分の姿を想像して、私は首をふった。

「エリカさん、どうかした?」

「いや……なんでもないわ」

 そう返しながらも、落ち着かない。グラスについた水滴を指先で何度もなぞる。

 店内でゆったりと流れる《All of me》とは裏腹に、鼓動は早足だ。もう、なりふり構っていられるような時間ではない。

 私は、マルガリータのグラスを掴んで一気に飲み干した。

 突然のことに、対面のみほは驚いているようだったが、気にはしていられない。空のグラスを机に置いて、私は次のオーダーにために手をあげた。

 

 私が取った手段は、最後の手段。つまり――お酒の勢い、だ。

 新しいオーダーは、ニコラシカ。

 グラスの口に輪切りのレモン、その上に砂糖が乗った変わりダネ。その姿はまるで、グラスが山高帽を被ったようだ。ドイツで誕生したらしいこのカクテルは、お客に未完成のまま提供される。

 今、グラスの中にはブランデーしか入っていない。頼んだ客がレモンをかじり、山の形にされた砂糖を口の中で混ぜ合わせる。そして、ブランデーを一気飲み。それで、ニコラシカはようやく完成を迎える。

 もう、これしかなかった。お酒の勢いに頼る……。情けない話だが、これも私がオトナになったということなのだろうか。

「なんか、スゴいお酒だね……」

 と、みほ。

 彼女の感想は、もっともだ。これまでオーダーした、どのカクテルよりも〝不格好〟。このニコラシカは、今の私の分身だ。

 みほの顔を見ると、薄暗い店内でも分かるほど不安気な色をしていた。その表情を見て、私は深く息を吐き出す。そして、覚悟を決めた。

 まず、レモンを二つ折りにして齧りつく。それだけでは、ただ酸っぱいだけ。次に、砂糖を口に放り込む。すると、酸っぱさと甘さが口の中で混ざり合う。そして、間髪入れずにグラスのブランデーを喉に流し込む。

 決して、上品な飲み方ではない。喉を滑り降りたブランデーの濃厚な味わいと、40度近い強烈なアルコールが内臓を焼く。

「…………!」

 私は、むせ込みそうになるのを何とか堪えた。チェイサーのミネラル・ウォーターにも手は付けない。

「だ、大丈夫……?」

 黙って見ていたみほが口を開いた。

 私は返事が出来ず、こくこくと首を上下に振るだけ。こんな飲み方は、もうこりごりだ。

 だが、ようやく覚悟は決まった。今日だけは、このカクテルに感謝しよう。

 

 

「エリカさん……?」

 急に机の上に現れたラッピング済みの箱。それを見て、みほは目を白黒させている。

「これは?」

「え、えーと。今日、23日でしょう?」

「だね」

「だから、これアナタに……その……とにかく、開けなさい!」

「う、うん」

 困惑しがなら、みほは箱を手に取った。

 解かれて行く赤いリボンが机の上に落ちる。それから彼女は、包装紙を丁寧にはがした。

「はこ、だね」

「じゃなくて!中身!」

「ごめんなさい!」

 みほは慌てて箱を空けた。動きが止まる。

「……時計……?」

 ――そう、私が彼女の誕生日に選んだのは時計だった。

「他の何かに見える?」

「見えない、けど……」

「付けて見なさいよ」

 私の言葉にみほは頷く。おそるおそる時計を右腕に巻いた。

 小さなベゼルに、シンプルな文字盤と細身のベルト。それは、決して有名なブランドのモノではない。

 だが、ベゼルの一部にピンク・ゴールドをあしらった腕時計は、彼女に良く似合っていた。

「これは……?」

 不思議そうに、みほが言う。

 私は、残っていた〝勢い〟を振り絞った。

「誕生日よ!誕生日!それ、誕生日のプ・レ・ゼ・ン・ト!それ選ぶのにどれ位時間が掛かったか分かる?どれなら似合うかな、って……それはもう、頭が痛くなるくらい悩んだんだか……ら……」

 私の声は尻すぼみに小さくなった。我に返ると、どうやら勢いが過ぎたらしい。恥ずかしくて死にそうだ。

 聞いていたみほの顔が、みるみる内に赤くなる。多分、私はもっと赤くなっている。アルコールのせいだ、と言えばごまかせるだろうか。

 二人の間に、無言が落ちた。他の客の声はどこか遠く、BGMも聞こえない。

 沈黙を破って、みほが口を開いた。

「ありがとう、エリカさん……大事にするね」

 顔を上げると、みほの笑顔がそこにはあった。それだけで、救われた気がした。

「壊したりしたら、承知しないわよ」

「う、うん……。気を付ける」

 あたふたとするみほ。その姿に、私はようやく笑うことが出来た。

 思えば、今日はこれまで一度も笑えてなかった気がする。肩の荷が下りた、とはこのことだろう。

「みほ――」

「なに?」

 大切な人の、大事な日。私は、それを面と向かって祝うことが出来る。それは、とても幸せなことだ。

 私は、彼女が巻いた腕時計をちらりと見た。その時計は自動巻。実は、すぐ使えるように時間を合わせてある。

 私は大きく息を吸い込んだ。

「――誕生日、おめでとう」

 10月23日。時刻は、午後11時59分。

 強化ガラス製のケースが、照明を反射してきらりと輝いた。

 

 ――願わくは、彼女がこれから過ごす時間に、多くの幸せが訪れますように。

 

 


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