お酒にまつわる、エトセトラ   作:駄犬@

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続きです。
珍しく長くなってしまったので、分けました。
頑張れ、ローズヒップ。
ピクシブにも掲載しております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8757287


シャンパンを、雪に抱いて2

〈スタートまで20分!〉

 アナウンスが響いた。

 DAY1。それが、ついに始まろうとしていた。大会本部の前では選手やコーチ、大会のスタッフたちがあわただしく動き回っている。

 天気は曇り。気温は低めで、風が強い。コンディションとしては――まずまずだ。

 ローズヒップは軽いストレッチをしていた。レース用の真っ赤なウェアの上に、風を防ぐアウターを着込んでいる。彼女のスタート順は、まだ先だ。

 だが、その表情には少しだけ緊張が見て取れた。

「緊張、してる?」

「……いえ……。ああ、してる……かも、ですわ」

 そう言ったローズヒップの顔には緊張の色こそあれど、迷いの色は無かった。そして、それは私も同じだ。

 昨日、ビルに頼んで教えてもらったコースの特徴、注意点。その全てで、ペース・ノートを書きかえたのだ。後は、ドライバーであるローズヒップを信じるだけ。

「貴女なら大丈夫よ」

 私は、ローズヒップの肩を軽く叩き、大会本部前に設置されたスクリーンの前に移動する。そこには、レースの開始を待つトップ・バッターが映し出されていた。

 車両は、イタリア製フィアットL6/40。直列4気筒液冷のガソリンエンジンが、唸りを上げながらスタートを待っている。飲料メーカーやパーツのメーカーのステッカーがデカデカと張られたその姿は、まさに〝鋼の広告塔〟だ。

 キューポラから顔を出している選手が、何度も深呼吸をしているのが見える。

 大会のトップ・バッター。流石に緊張の色を隠しきれていないようだった。

 スクリーンの隅に映し出されているカウント・ダウンが徐々に減って行く。30秒前。20秒前。10秒前――そして、スタートを告げる号砲で、レースが幕を開けた。

 

 

 WRTCは、アイテナリーと呼ばれるタイム・スケジュールに沿って進められる。前の車両がスタートして2分ごとに次の車両がスタートしていく。このため、ゴール直前で、デッド・ヒート――なんてことは発生しない。スタートからゴールまでの計測タイムで順位を付けるのだ。

 たった今、1番にスタートした選手が最初のチェックポイントを通過した。画面に刻まれたタイムが、今後の選手たちの目指すべきタイムとなる。そして、順位がその横に表示された。この選手は最初にスタートしたのだから、当然、番号は〈1〉だ。

 スクリーンを見ているギャラリーから歓声が上がった。

 次々と選手がスタートしていく。ファースト・ランナーから7番目。その選手が、一番良いタイムから、さらに0.32秒上回るタイムで第一チェック・ポイントを通過した。キューポラから身を乗り出して片手を突き上げる。体感で、自分が良いタイムを出したのが分かるのだ。その戦車はソ連製、青く塗られたBT-7だった。

 スタート直後からの、きわどくも大胆なライン取り。私の目から見ても、いい走りをしているのが分かった。そこから先が、なかなか良いタイムが出ない。ミスが目立つようになる。良いタイムを出そうとして、ブレーキが遅れて大きくコーナーで膨らんだり、あるいはロールしてしまう車両もある。上位に食い込もうと、実力以上のことを無理に行った結果だ。

 スタートも30人を超えてくると、会場の雰囲気が明らかにゆるむ。スクリーンの映像そっちのけで、雑談とアルコールに興じている人間も増える。

 やがて、ローズヒップのスタートが近づいてきた。前評判で言えば、彼女はそう高評価ではない。日本から来た新人。そういう目で見られている。

 スクリーンにローズヒップが映った。安全のためのヘルメットとゴーグルで表情は分からない。

 既に、ゴール地点では選手へのインタビューなども行われている。観客は興味を失いつつある。そんな空気の中での出走だ。

 だけど、私はスクリーンをじっと見ていた。隠れて見えない彼女の顔をじっと見ていた。そして、スタートの号砲がなった。

 クルセイダー巡航戦車。学生時代から、彼女が愛車としていた車両。そのスポーツ・チューン。一流のメカニックによって手が加えられた、ナッフィールド・リバティ製のエンジンが吠えた。積雪を豪快に巻き上げながら履帯を回転させ、クルセイダーはスタート地点から飛び出していく。私は、ローズヒップがこれまでにない走りをしているのが分かった。

 強引でも、慎重でもない。彼女らしい〝しなやかな〟ライン取り。時に、前の車両の轍を使い、時にはその轍を踏みつぶす。減速、あるいは加速――目が醒めるような走りでコースを駆け抜けて行く。その姿は深紅のキャノン・ボールだ。

 やがて、クルセイダーが最初のチェック・ポイントを通過した。スクリーンにラップ・タイムが表示される。同時に順位も。数字は〈6〉。

 会場にいたギャラリーがどよめいた。

 30番を超えて出走した選手が、一桁の数字で第一チェック・ポイントを通過するのは珍しいからだ。それからも、ローズヒップは良い走りを見せた。危なげなく、ペースを維持したままゴール。

 最終的な順位は9位だった。

 

 

 ゴール地点に遅れて到着した私に、ローズヒップは笑顔を見せた。

 クルセイダーは真っ赤なペイントもスポンサーの名前も分からないほど、雪と泥にまみれていた。

 降りてくるローズヒップに、私は何も言わなかった。そして、無言のままハイタッチチ。

「良い走りだったわ」

「ありがとうございます、ですわ」

 彼女の息は少しだけ弾んでいた。キューポラからずっと顔を出していたせいだろう、頬も赤く染まっている。そんな彼女の元に、外国人記者がやってきた。英語でインタビューを始める。

「良い走りでしたね。今日は、どこが良かったのでしょう?」

 何とか聞き取れたらしいローズヒップは、たどたどしい英語で答える。

「たまたま調子がよかったのと、友人のお陰ですわ」

 記者は、手帳にペンを軽く走らせると頷いた。

 一緒にいたカメラマンがシャッターを数回切る。たかれたフラッシュが雪に反射して、辺りは一瞬白金に輝いた。

 

 ロッジに戻ろうとした時に、マネージャーに呼び止められた。

「ナイス・ラン」

 言葉と共に、一枚の紙を渡される。それは、DAY2の選手リストだった。

 DAY2には、30位までに入った選手が出ることが出来る。そのリストだ。

 私は、乗り込んだタクシーの中でその選手リストを見た。ローズヒップはDAY1を終えて9位。実に20人近くを抜いたことになる。驚くべき結果だった。そして、それが明日のレースに影響するかもしれないことも、私には分かっていた。

 初日である今日、彼女には何も失うものがなかった。ゼロからのスタートだった。

 しかし、今は全選手中9番目の成績を持っている。今日で、他の選手にもマークされたかもしれない。追うものと、追われるものであれば――当然、前者の方が力を発揮できるのを私は知っていた。

 車の中でローズヒップは窓の外の雪を見ていた。

 私は彼女の顔を覗き込む。

「明日も、今日と同じように走れるかしら?」

 ローズヒップは私の方を見た。しばらくの間、見つめていた。

「アッサムさまなら、どうですか?」

 ローズヒップの言葉に、私は微笑む。

「――きっと、大丈夫」

 私の言葉に、ローズヒップはゆっくりと頷いた。

 そして、また窓の外の雪に視線を移す。いつの間にか、また雪が降り始めていた。

 

 ロッジに戻ると、既に机には食事が並んでいた。しかも、メニューは昨日よりも豪勢。ヘタをすると、小さなホーム・パーティーでも開けそうだ。

「わ!スゴイですのよ!アッサムさま!ビル……やっと本気をお出しになったのですわね!?」

 はしゃぐローズヒップを視線で咎めて、ビルの方を向く。

「ビル、これは?」

「とりあえず、初日を突破したお祝いだよ」

 ビルは朗らかに笑った。

「でも、こんなお金は……しかも、ビルのお陰で……」

 私は、机にならんだ食事を眺めながら言った。

 ビルが首を横に振る。

「いいんだ。気にしないで。どうしても、というならお代を貰わないこともないがね」

 そうして、彼はいつか見たようにウインクを投げて寄越す。私は笑った。

「じゃあ、私の代わりにローズヒップが明日、良い走りを」

「ああ、良い走りを」

 言いながら、ビルはバーボンをグラスに注ぐ。

 私達は、三人で乾杯をした。

 

 

 DAY2が始まった。

 降り続いていた雪は止み、空には太陽がのぞいている。

 最近のユヴァスキュラの天候からすれば、奇跡のような晴れ間だった。同時に、何かが起こる予感がした。

 ほどなくして、一番目の選手がスタートを切る。流石に初日を突破した選手だ、良い走りをしている。私がスクリーンを見ている間に、ローズヒップの姿が映し出された。彼女は、ぶるぶると首を振った。ズレたヘルメットを戻す。そして、スタート――

 息が詰まるようだった。

 念願のワールド・タイトル。それが、手に届く位置にある。私は知らず、手を胸の前で組んでいた。

 やがて、ローズヒップの駆るクルセイダーがチェックポイントを通過した。映ったタイムはここまでの選手と0.7秒差でトップ。彼女は、私が知る限り、今までで最高の走りをしていた。ドローンに設置されたカメラがクルセイダーを追い続ける。

 ビルのアドバイスが、このコースでの彼女の走りを完璧なモノにしたのだ。脳裏に、ビルの顔が浮かぶ。どうか、彼女に力を――そう、私は祈った。

 次のチェック・ポイントは、やや遅れながらもぼほトップの選手と同着。これならば、十分に表彰台の可能性がある。いや、優勝の可能性さえも……。

 ゴールの手前、最終コーナー。そこにクルセイダーは差し掛かろうとしていた。

 ビルによれば、あのコーナーに突っ込んでコース・オフしない速度は62キロ毎時。そのままの速度であれば難なく通過できる。

 だが、クルセイダーは速度を上げた。巻き上げられる雪混じりの土砂の量が、目に見えて増える。

 その時、私は理解した。

 彼女は、一切守りになど入っていない。この世界一過酷なレースに挑もうとしている。思い切り、挑戦しようとしている……。

 紅い弾丸となって、クルセイダーがコーナーに突進していく。微妙に車体を振り、

アウトからインに一気に切り込む。慣性で軋む車体の音が、画面越しにでも聞こえてくるようだった。車重と、速度を利用したパワー・ドリフト。ローズヒップの得意技だ。

「お願い……」

 私は、呟いた。祈ることしかできない無力さが歯がゆかった。

 これさえ突破出来れば、トップは間違いないだろう。コーナー脱出までは、残り僅か。

 だが、残り1メートルという所でまさかの事態が起きた。クルセイダーの履帯が、前の車両が掘った一際深い轍に取られたのだ。

 重心が一気にズレる。当然、減速は間に合わない。半分スピンしながら、クルセイダーは、コース・オフ。それどころか、車体がロールした。

 太い幹の杉にぶつかり、車体は何とか止まったものの、観客からは悲鳴が上がった。ざわつく会場。

 一瞬の静寂の後、クルセイダーのキューポラが蹴り開けられた。横倒しになった車体から這い出て来たのは、ローズヒップだ。救護スタッフが彼女に駆け寄る。あお向けになって、彼女は白い息を吐いていた。

 

 

 夕方が近づいていた。

 遠くでは、表彰式が行われている。シャンパンの栓を抜く音も聞こえた。私達はチームメイトに挨拶をして、いつものようにタクシーで帰るため駐車場へ向かう。

 手ごろなタクシーの運転席の窓を叩こうとした時、声がした。

「アッサム、ローズヒップ!こっちだよ」

 振り向くと、ビルの姿があった。その後ろには、アイドリングをしている深緑のパジェロも見える。

 ビルに促され、私たちはパジェロに乗り込む。

 ドアを閉めると、ゆっくりとパジェロが発進した。

 窓から見える遠くの雪景色は、沈んでいく夕日を浴びて砂金をまいたようだった。

「《The Gold Experience》……」

 ビルは、一言だけ、そう言った。

 

 ロッジに着いて車から降りた私たちに、ビルが言った。

「ちょっと、そこで待っててくれ」

 そう言うと、彼は敷地内の雪の固まりに近づいた。それは、雪かきの後だ。

 ビルは、突然その中に腕を突っ込む。引き出した雪だらけの手には、グラスとボトルが握られていた。

 白い盾型のラベルが貼られた瓶はドン・ペリニョン。それに、グラスが三つ。

「それは……?」

 そう言う私を見て、ビルが微笑む。

 コルクが抜かれた。なるべく音をたてないように、静かに……。

 渡されたグラスに、シャンパンが注がれる。グラスの中に、淡い金色の泡が立ち昇った。

「君たち二人が戦い抜いた、この一年に乾杯」

 私達三人はグラスを軽く合わせた。軽い金属音がする。

 気が付くと、涙が零れていた。唇を噛んでいないと、声が漏れそうだった。

 ローズヒップを見ると、既に涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。きっと、ここまで我慢していたのだろう。私は、シャンパンが零れないように、そっと彼女を抱きしめた。

 エンジンが切られていないパジェロのカー・ステレオでは、ローリング・ストーンズが《Winter》を唄っている。

 見上げた空は、青と赤が混じった色をしていた。黄昏が、近い。

 グラスを口にすると、心地いい炭酸が弾けた。

 雪に抱かれていたシャンパンは、キンキンに冷えていた。

 

 

 フィンランドを出るフライトの日。私達二人は、ビルのパジェロで空港まで来ていた。初日に利用したユバスキュラではなく――ヘルシンキ・ヴァンター空港だ。

 出発ロビーで、握手をしながらビルは口を開いた。

「ありがとう。君たちと会えて本当に良かった」

 私は首を横に振った。

「こちらこそ。でも、ビル。教えて欲しいことがあるの」

「なんだい?アッサム」

「あのシャンパンの意味は?」

 ビルは、指で宙に円を描いた。そして、頷く。

「一つ目は、言った通りだ。君たちの一年に。二つ目……君たちは確かに、レースには勝てなかった。だけど〝勝負には負けてない〟ローズヒップ。そうだね?」

 そう言って、ビルはローズヒップの方を向いた。ローズヒップは首をかしげている。その様子にビルは笑った。

「ローズヒップは、私のアドバイスもあったかもしれないが……あのコースに果敢に挑んだ。きっちりと、立ち向かった……自分から、何かを掴むためにね」

 彼の口ぶりは、まるで自分に言い聞かせるようだった。

「もちろんですわ!来年は絶対勝ちに来ますのよ!」

「その意気だよ、ローズヒップ。君なら絶対に大丈夫だ。活躍を楽しみにしているよ」

 そう言うビルの表情は明るかった。ここ数日で、一番の〝彼らしい〟表情だった。

 空港内に、日本行きの便の登場案内が流れ始める。

「おっと……もう、行かないとね。あんな所にもう一泊はごめんだろう?アッサム、ローズヒップ。もう一度お礼を言うよ、本当にありがとう……」

「いえ……こちらこそ、本当にありがとうビル」

「ビル、また会えますの……?」

「それは、どうだろうね?ローズヒップ。君が来年もここに来るようなことがあれば……。いや、来てくれることを祈っているよ。また、空港の滑走路でね」

 飛行機の時間が迫る。なごり惜しいが、ビルとはここでお別れだ。

「じゃあ、ビル。また会える日を」

「ああ、楽しみに」

 そう言って固く握手をかわす。

 動こうとしないローズヒップを引きずるようにして、金属探知機を通る。そこで、私はもう一つ聞きたいことがあったのを思い出した。

 振り返ると、ビルの姿は雑踏に消える寸前だった。

「ビル!あのシャンパンって何年のモノ!?」

 私の声に気が付いたのか、ビルが振り返る。大声が返ってきた。

「1996年……20年モノさ!」

 それを聞いて、私は肩の力が抜ける思いだった。鼻から深く息を吐き出す。

 ビルが渡せなかったシャンパン。飲んだのは20年モノのドン・ペリニョン。つまり……。

 そのやりとりに、ローズヒップは首をかしげる。

「アッサムさま、どういうことですの?」

「そうね……貴女も、もう少ししたら分かるかも……さ、行くわよ」

 初めてのWTRCは、私たちにとって忘れられないレースになった。

 経験、出会い。そして――雪で冷やされた、シャンパンの味。

 

 Fin




初めての前後編ということで、いかがだったでしょうか。
その内ローズヒップ、アッサムについての設定と、WTRCについてもまとめようと思います。
補足として、今回描いたWRTCは一応WRCに則って開催されています。アッサムがコ・ドライバーをしていないのが不思議ですね。
しかし、登場人物3人とも立てようとすると難しいですね……。おじさん出すぎィ!とか思った方もいたのではないでしょうか?
次回は誰について書こうか迷っています。
では、また。

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