お酒にまつわる、エトセトラ   作:駄犬@

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レオポンさんチームからナカジマさん、ホシノさんです。
お付き合いいただければ、と思います。
あれ?この戦車って、もしかして……
pixivにも掲載しております。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8711916


スパナ・レンチ・スクリュー・ドライバー

「きたぞー」

 肩に薄く乗った雪の欠片を軽く払いながら呼びかけてみる。

 静かな整備場の中で、返答はなかった。

 代わりに、ギア・レンチがカリカリと鳴く音が聞こえる。暫くすると、車体の下から低床クリーパーに背中を預けたナカジマが顔を出した。その顔は油で真っ黒だ。

「お、誰かと思えばホシノじゃんか」

「こんな所。他に誰かくるとでも?」

「確かにそうだ」

 ナカジマは身体を起こし、つなぎの袖で顔を拭う。付いていた油は塗り広げられてしまい、逆効果だったようにも見えた。

「お疲れさま。はい、差し入れね」

「ありがと」

 私はナカジマに向かって缶を投げる。ゆるい放物線を描いてナカジマの手に収まったのは、缶コーヒーのホット。彼女が好きな銘柄だ。

 自分用のコーヒーに口を付けながら私は指さす。

「コレは?」

 威圧感のある鉄の巨体からは長い砲身が伸び、左右には二つの履帯を備えている。それは、戦車だ。しかも、コメット巡航戦車。学生時代には実物を見たことすらなかった、イギリス製の傑作戦車である。それが、薄暗い整備場に堂々と鎮座していた。

「あー……なんか、飛び込みでね。もっと大きい所がありますよ、って言ったんだけど。『ここがいい』んだってサ。前金まで貰っちゃったよ」

「ふうん」

 腕が鳴るよ、とナカジマは肩を回して見せた。普段はもっと小さな豆戦車や、それこそ2輪や4輪の整備ばかりしている彼女からすれば、確かにこれは大仕事だろう。

 締め切られた整備場には、石油ストーブが一つだけだ。外は、クリスマスから降り続いた雪で、積雪が既に10センチはある。私だって、寒さのせいで鼻が痛い。

 だけど、ナカジマの首筋には汗の球が浮かんでいる。それからも、彼女がこの仕事に熱中していることがうかがえた。

 高校を出た彼女は、専門学校に進んだ。更に専門的な整備の知識を蓄え、技術を磨くために。この整備場は、元々個人で整備工をやっていた彼女の親の工場だった場所。

 彼女の親父さんは、もう隠居してしまっている。そんな親父さんに、ナカジマが頼み込んで自分の名義にして貰っているのだ。カエルの子はカエルだって言われたよ、とナカジマは笑っていたのを覚えている。それから私は、暇があれば茨城から車を飛ばしてここを訪れるようになっていた。それは、私の密かな楽しみだった。

 私は、コーヒーを一口すすった。

「ナカジマ、楽しそうだね」

「そりゃあそうだよ。きっと、このコは戦車道……やるはずなんだ」

「どうして、分かるの?」

 ナカジマは汚れた手袋を外して、車体に手を置いた。目を閉じる。

 ――戦車と会話をしている。そんな光景だった。

「んー……勘、かな?」

 そう言って、彼女は目を細めた。

 缶コーヒーが開けられる音がする。ナカジマは缶に口を付けた。風呂上がりに牛乳を呑むような、豪快な飲み方だった。

 

 二人で、オイル缶に腰かける。その上に敷いた段ボールは、TEINの車高調が入っていた段ボールだ。いつ頃だったか、地元の後輩のセダンに取りつけたモノらしい。

 前に置かれた石油ストーブに手をかざすと、ほんのりと温かかった。今年の冬は特に寒い。来年は春の訪れも、少し遅れてやってきそうだ。私の車のスタッド・レスも、今年はフル稼働ということになるだろう。

「ホシノの方はどう?」

 しばらくじっとしていて、身体が冷えて来たのだろう。手を擦りながらナカジマは言った。

「どうって?」

「調子、とか?」

「ぼちぼちかな。こないだ、新車のテストドライブさせて貰ったよ。コースをぶっとばすの、楽しかったな……」

 そう言って、私はハンドルを握るふりをして見せる。口では、エンジン音のマネ。

 あの経験は、今思い出しても鳥肌が立つようだった。工場からリフト・オフされたばかり。ダズル・カモフラージュが施された車体は、混じりっけなしの新車だ。そのテスト・ドライブ。

 踏み込んだアクセルに呼応して唸りを上げるエンジン。タイヤを通して伝わってくる硬い路面の感触。それらは、私が憧れていた全てのことだった。心残りがあるとすれば、2ドアのスポーツ・カーではなく、4ドアのセダンだったこと位……

「へぇ、いいなぁ。最近忙しくって、ドライブにも行けてないよ」

 ナカジマが唇を尖らせた。私は、彼女を覗き込むように言う。

「助手席、空けとくよ?」

「何言ってんだか……ホシノ、恋人は?」

「……クルマ!!」

「言うと思った」

 私たちは顔を見合わせて、拳を合わせた。

 

「ま、今日はこんなもんかな」

 ナカジマがスパナを作業台に置いた。かしゃん、と音がする。鋼にモリブデンが加えらえたそのスパナは、彼女が父親から譲り受けた特注のモノらしい。ここには、それがあらゆる大きさで一式揃っている。改めて買おうとすればいくらかかるのか、私には見当も付かない。

 黄色い電灯を跳ね返して、手入れの行き届いた銀色の工具たちは鈍く輝いていた。

既に日付は変わっている。

 だというのに、ナカジマの顔には疲れの色一つ見えない。戦車に触れる時間――それは彼女にとって、とても幸せなことなのだろう。

「流石だわ、ナカジマ」

「でっしょ?」

 自慢げに胸を張るナカジマ。私は、短く息を吐いた。高校時代から変わっていない〝そのサイズ〟と、彼女の仕事っぷりに、である。

 ナカジマは思い出したように口を開いた。

「あ、なんか飲む?」

「お、イイね。貰おうかな」

「ん」

 小さく頷いて、ナカジマは片隅に置いてある冷蔵庫に近づいた。中から取り出したのは、発泡酒だ。どうやら、これで今日の疲れを癒してしまおう――と、言うことらしい。

「乾杯」

 片手に発泡酒の缶を持った私たちは、どちらともなくそう言った。

 気温のせいもあるのだろう。喉から食道を落ちていく炭酸は、氷のように冷たい。その刺激のせいで、目じりに涙が浮かぶ。

 そこで、壁に貼ってある一枚のポスターが私の目に飛び込んで来た。それは、あるプロ戦車道チームのポスターだった。大仰なキャッチ・コピーと共に、選手たちが腕を組んで整列している。シンプルなデザインだ。

 私の視線に、ナカジマも気が付いたらしい。

「アレ、いいでしょ?」

「うん。カッコいい」

 私は、頷いて答えた。

 戦車道に本気で取り組んだ時期があったからこそ、私はポスターに映る選手たちのことを本気でカッコいいと思ったのだ。その言葉に、少しも嘘はない。

「本当に、カッコいいよねぇ」

 ナカジマは噛み締めるように言った。

 ぐい、と缶を傾ける彼女の横顔を私は見る。その表情には、何とも言えない憧れが滲んでいた。あるいは、悔しさだったのかも知れない。

「ナカジマさ〝アレ〟ってまだ本気なの?」

「〝アレ?〟ああ――勿論本気だよ。ここで、こうしてるのはそのための第一歩。あのランボルギーニだって、最初は小さなショップから始まったんだ。〝やれないことはない〟よ。いつか、絶対ね」

 そこまで言って、ナカジマは頭を掻いた。少しだけ頬が赤い。

「うわ、青春しちゃった」

 こちらを向いた彼女は、笑っていた。

 悪戯がバレた少年のような顔だった。

 

「コレ、いつまでに仕上げるの?」

 聞くと、ナカジマは壁に掛かったカレンダーを見ながら答えた。

「えーとね、3月末までには絶対にってさ」

「え。もう時間ないじゃない。一人で間に合うの?」

「まぁ、何とかなるよ。それに今更、出来ないなんて言いたくないしね」

 ナカジマは拳を握ってそう言った。力強い答えだった。

 私は、彼女の姿に喉元まで出かかった『手伝うよ』の一言を飲み込む。その言葉は、今の彼女にかけるには余りにも無粋だ。

「そっか」

 彼女の頼もしい姿に、自然と目じりが下がる。

「試運転の際には、是非ご用命を」

「それ目的?」

「私だって久しぶりに戦車乗りたいし」

「はいはい。ホシノには黙って、こっそり納車しちゃおうかな」

「それやったらもう絶交だからね」

「小学生?」

 吹き出すナカジマの脇を私は小突く。そして、もう一度戦車を見上げた。

 このコメット巡航戦車は、いざ戦場に出れば大活躍をしてくれるに違いない。

 だって、このナカジマが手掛けるマシンなのだ。そこで、整備が好評で話題になる。その手腕が口コミで広がる。たくさんの仕事が来る。そして……

 ――もし、本当にそうなれば、彼女は〝第二のフェルッチオ・ランボルギーニ〟だ。

 いや、きっとそうなるだろう。

「あ、そうだ」

 私は、あることを思いついて手を叩いた。

「なに?」

「秘密」

 この戦車が仕上がったら、お祝いをしよう。納車と、ナカジマの夢の第一歩に。その時、何が飲みたい?と聞けば、きっと彼女はこう答えるはずだ。

 冷蔵庫の発泡酒――ではなく。

 ――『スクリュー・ドライバー』と。

 


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