自分とバルクホルン大尉は、模擬戦のペイント弾や汗で汚れた体を洗うため、シャワーを浴びに来ていた。
三戦やって一勝二敗。スコアが五十に満たない自分がかのヴァイス・フュンフを相手に一勝をもぎ取れたのだから、自分に空戦技術を仕込んでくれたヨハンナ少佐の面目も潰さずにすんだはずだ。
髷のように髪の毛を結んでいる紐を外し、シャワーの栓を軽く回すと、シャワーヘッドから水がこぼれ落ちてきた。
指で温度を確認し、あたたかくなってきたら、全開にして頭からシャワーを浴びる。
訓練の緊張が、汗とともに洗い落とされていくようだ。
「話によると中尉はヨハンナに指導を受けたようだが、ストライカーユニットで行う格闘戦闘の距離感の掴み方は、あいつがやっている教練にはなかったはずだ。どこで学んだか教えてくれないか?」
左隣のブースでシャワーを浴びている大尉が尋ねてきた。
「あれは、正確にいえば空戦技術とはいえません」
「ふむ。ではなんだ」
「あの技術の基幹は扶桑武術です」
「扶桑武術? あー、坂本少佐の剣術のようなか」
講道館剣術とは成り立ちが異なるが、それを口にする必要はないな。
頭からシャワーを浴びながら、
「似たようなものですね。そうした武術の訓練で養われた感覚です」
そう答える。
「習得するには時間がかかりそうだな」
「大尉には必要ありませんし、五〇一の隊員にも無用の技術だと思いますよ」
バルクホルンは二百機以上のネウロイを撃墜したスーパーエースだ。
今持っている技術だけで十分に戦えるし、それに戸隠流を学んだとしてもそれを空戦機動として活用する時間が彼女には残っていない。
もちろん、生涯をかけるいうのなら教授するのもやぶさかではないが、そういうわけでもないだろう。
「そうか。役に立つなら習おうと思ったんだがな」
「簡単に使えるようにはなりませんよ。相応に時間がかかります」
ふむ、と一考した大尉は、
「身につけるにはどれぐらいかかるんだ?」
尋ねてきたということは、習いたいのだろうな。
「そうですね。才能がなくて十年、普通は五年、あって二年というところでしょうか」
「それだけ時間がかかるなら、習ってもすぐに空戦にはいかせないか。ちなみに訊くが、初美はどれぐらいで身につけたんだ」
「一年です」
手裏剣を実戦で使えるぐらいにまで打てるようになったのがそれぐらいだからな。自在に、と条件がつくともう少し時間がかかったが。
あの武器は対象との距離をまず正確に把握して、その距離に応じた打ち方を選択するか、あるいは打つのに適した重心の手裏剣を選ぶする必要がある。
「天才なんだな、初美は」
「武術に関しては当世一ですよ、自分は」
バルクホルンはこの台詞を聞いて、たいした自信だと言って、
「そうでなければ私から格闘戦で一勝をとるなんてこともできないか。あのハイヨーヨーは見事だったしな」
言葉をつないだ。
「ありがとうございます。当世一のウィッチから褒められるのは、ほまれでしょうね」
「しかしその後はてんで駄目だったな。中尉はもう少し優速時の機動に関して勉強したほうがいい。あれではたとえ速度で勝っていてもやられてしまうぞ」
痛いところを突かれた。
優速時の判断が未熟なのは事実だ。
「ヨハンナ少佐からも詰めの甘さをなんとかするように、と言われてはいるんですがね」
超接近戦なら、扶桑刀で確実にとどめをさせるので問題ないのだが、しとめそこなった時の機動に問題があるのだ。最初の一戦目で勝利をつかむが、二度の敗戦はケツを取られて撃たれたのだ。
どうにも、通り過ぎた後の機動があまいらしく、ネウロイ相手ならともかくウィッチだと簡単に後ろを取られてしまうらしい。
「普通のネウロイがあいてならそれでかまわないんだろうが、人型ネウロイが相手となると、今のままではやられるだろうな」
「大尉っ!」
思わず声を上げてしまう。
自分の目的は、欧州の誰にも話したことはないはずだ。
「腕を落とされた恨み、はらすつもりなんだろう?」
「……はい」
「話は聞いている。人型に腕を落とされたんだろう」
「確かにそうですが……」
「私でも復讐を考える。軍務がなければな」
「でしょうね」
「それでだ。しばらくここにいて訓練をつまないか? ここには腕利きしかいないし、空戦技術の向上は中尉のこれからにとっても重要だ。ミーナからの了解は得ている」
自分の任務自体は、島の偵察移行は決まっていないし、任務が完了しても、人型ネウロイを探して欧州をあてどなくさまようだけだ。それならここにいても問題はないだろう。
扶桑に連絡して委細を報告する必要はあるが、欧州行脚をやるにしても同じ手間だしな。
パンッ、と両頬を手で叩いて、
「お願いできますか」
「もちろんだ」
翌日早朝、自分はストライカーユニットの倉庫内で、撮影機材を納めたリュックを背負い守り刀の小太刀を腰に差し、ウエストホルダーにはリベリオン軍から提供されているM1917リボルバー、胸のポケットには棒手裏剣を五本携え、増槽をつけた木製疾風を履いて出発準備を整えていた。
昨晩のうちに作ってもらっておいたおむすびを口に放り込んで水筒の麦茶を飲み、一息ついて、
「こちら《くノ一の魔女》、偵察任務による発進許可を願う」
管制塔に発進許可を求めた。
マルタ島への偵察任務のために発進だ。前日の内に、詳しいミーティングは終わっていて、発進手続きなどは普通の偵察任務と同様に行うことになっている。
『こちら管制塔、《くノ一の魔女》の発進を許可する』
「オン・マリシエイ・ソワカ。《くノ一の魔女》初美あきら、発進する」
エンジンの出力を上げると、梵字が描かれた大きく青い魔法陣が床に浮かび上がり、発進促成装置からユニットを開放した。
馬にでも蹴り飛ばされたかのような衝撃とともに、開け放たれている出入り口から飛び出してふわりと空へと舞い上がり、マルタ島へと飛んでいく。
推測航法は以前習得したので、多少航路を外れたとしても問題はなく、マルタ島へ巡航速度でのんびりと飛行する。
『初美さん、聞こえる?』
基地を飛び立ってから二十分ほどたったコロ、インカムから一瞬のノイズの後にミーナ中佐の声が耳に入る。
「感度良好です。初美は現在、マルタ島へ向けて巡航速度で飛行中。なにかありましたか、中佐」
『昨日ミーティングした通り、初美さんにはマルタ島を覆う要塞型ネウロイの内部に侵入し、偵察をやってもらうんだけど、わかってるわね? くれぐれも無茶はしないように』
「了解してますよ」
自分はこれまでの作戦で無茶しかしていないからな。案の定釘を刺しに来たか。
『それから、昨日トゥルーデから聞いたのだけど、訓練目的でしばらく五〇一に滞在してくれるの?』
トゥルーデとは、バルクホルン大尉の愛称だ。
「ええ。昨日の大尉との模擬戦で自分の空戦技術が未熟であることを指摘され、誘われたので」
『よかった。助かるわ、中尉』
「いつまで滞在できるかわかりませんが、よろしくお願い――」
マルタ島までもう少しかかるのだが、進路上にネウロイの機影が二つ確認できた。
『どうしたの?』
「偵察型ネウロイです。《迷彩》を使います。しばらく通信ができなくなります」
『わかったわ、気をつけてね』
「了解」
《迷彩》を使用すると、インカムからはホワイトノイズが聞こえてくる。
「さて、どう相手にするか」
腰に下げた守り刀に手をかけて、上昇を開始した。
偵察型のネウロイは、特に問題なく簡単に撃墜できた。
降下して守り刀でネウロイを切り裂き、シャンデルで残り一機のケツをとってそのまま魔法力を込めた手裏剣を打って終了だ。偵察型程度なら、《迷彩》を使用した自分の敵ではなく、何機いようとも無傷で撃墜することなどたやすい。
偵察型はコアを持たない。
コアの有無がどうしてネウロイの強さに関わっているのかわからないが、行動パターンも限られていて行動を間違えなければ撃破されることはない上に、自分には《迷彩》がある。
「こちら初美、偵察型ネウロイ二機撃破」
自分は、撃墜後、マルタ島へむけての飛行を再開し、インカムを通じて連絡を入れる。
『お疲れ様、初美さん』
ミーナ中佐が受信したようだ。
『そろそろ無線の受信範囲外になります。いいですか、絶対に無理はしないように。偵察が無理だと判断されたなら、任務の達成、未達にかかわらず帰投しなさい。これは絶対に守ってもらいます』
釘を刺されたな。
「努力する」
無茶をせずにどうにかなるならやらないのだが、どうしてかいつも無茶をする状況に陥ってしまう。。
『はぁ……これだから扶桑人は』今、なんだか凄い侮辱をされた気がする。『頼みましたよ、初美さん』
「わかった、無茶はしない」
『それでは、作戦の成功を祈っています』
「感謝する。通信を終了する」
そう告げて、自分は速度を上げた。