「お疲れ、《くノ一の魔女》」
ウィッチ用の食堂天幕へ、加東少佐と一緒に入るなり、カチンとくる一言が自分を出迎えた。
食卓テーブルの一番奥で、琥珀色の液体をたたえたグラスを傾けている彼女の名はハンナ・ユスティーナ・ヴァーリア・ロザリンド・ジークリンデ・マルセイユ大尉。
通称、ティナ、あるいはマルセイユ。
アフリカの星、砂漠の鷲、黄の14等と呼ばれ、エーリカ・ハルトマン、ハンナ・ウルリーケ・ルーデル、ハイデマリー・ヴァルプルガ・シュナウハーと共にカールスラント四強の一人に数えられている、おそるべき人物だ。
「しつこいですね、大尉。そのコールサインで呼ぶのはやめて下さい」
この地にたどり着いてかれこれ三日。顔を合わすなりくノ一の魔女呼ばわりで止める様子もない。ここまでしつこく言い続けるこの人の悪さが、彼女の意地の悪さを表しているように見えるが。
「それで、偵察はどうだったんだアキラ」
聞こえてないふりをして訊いてくる。
加東少佐は、我関せずと自分の席に座り、置いてあった書類に目を通し始める。
「ネウロイの機影、まるでなし。陸戦ウィッチの足跡も視認はできませんでした。これならむしろ《死神》にいた時の方が騒々しかったですよ。本当にここは噂に伝え聞く激戦のアフリカですか?」
「そうだ。ここが砂の都のアフリカだ。暇な時は暇で忙しい時は息つく暇もない」
やれやれ、と肩をすくめる。
「このスエズ奪還作戦、エジプトに居座るネウロイの巣の撃滅が絶対条件ですが、なにかしらの方策はあるんですか?」
「ない」
大尉は悪びれずに言い放つ。
「……」
絶句してしまう。
「だが、そこで《くノ一の魔女》の出番だ。スエズ運河の偵察はもちろん、エジプトのネウロイの巣の偵察もやってもらう」
「……」
さらに言葉を失ってしまう。
「自分をここに呼んだ理由はそっちが本命でしたか、加東少佐」
「ケイでいいわよ、初美少尉。ここでは階級なんて意味がないから」
「そうですか。自分のことは好きに呼んでください。ああ、コールサインは無しで」
「わかったわ、アキラ」
「ではケイ。自分がやるべきことは、スエズ運河の偵察もそうですが、それよりエジプトのネウロイの巣の偵察の方が」
「そうよ、アキラ。そちらの方を優先してもらう。できる?」
ぐびり、と喉を鳴らす。
なるほど。なるほどなるほど。いずれはやると思っていた巣の偵察を、この激戦区のアフリカでやれということか。
自然と唇が笑みの形を作る。
「わかりました。では、相応の準備が必要です。できますか?」
マルセイユとケイは、目を丸くして自分を見た。
「できますか?」
もう一度、自分は若干語気を強めて尋ねた。
「え、ええ、成功させるためならなんだってやるわ。その準備は?」
自分は、天幕全体を見渡せる席に腰を落ち着けて、
「増槽です。木製疾風の航続距離はおよそ二千キロ。増槽次第で足は伸びますが、木製疾風は試作機。増槽がないのです。ですから、木製疾風に増槽をつけられるよう改造を施してください。もちろん、増槽も木製で作ってください。恐らく、疾風と同じ仕組みで取り付けが可能なはずです」
ここは砂漠で、材料調達も難しかろう。木製疾風の装甲とほぼ同じ構造で作ってもらわないと意味がないが、果たしてそれができるのか。もし作れたなら、その時は全力を持って任務に当たるが。
ともかくその絶対条件を告げると、少佐……ケイは、慌てて席を立ち天幕を出て行った。入れ替わりに、マルセイユの相棒のライーサ・ペットゲン少尉と稲垣真美曹長が全員分の夕食を持ってやってきた。
「今、ケイさんが慌てて整備場所に走って行きましたけど、何かあったんですか?」
ライーサは、首を傾げながらテーブルに食事を並べていく。補給の関係上扶桑食が中心だ。梅干しと、なにやら見たことのない肉と野菜を醤油で炒めたものが出てきた。まぁ、醤油ならどんなのだろうと大体は食べれる。
「いただきます」
自分はそういって食事を開始する。
稲垣は天幕の入り口を開けながら、突っ走っていったケイの後ろ姿を眺めている。
「さてな。そこのくノ一がいらんこと言ったからだろうな」
そういって、マルセイユは器用に箸を使って食事を始める。ここは、《死神》や505と同じく、基本的に扶桑が補給の役割をになってるから、食事も扶桑料理が中心になるんだよな。
「あきらさんがですか?」
外を覗き見ていた稲垣が、首を引っ込めて自分を見る。
「木製疾風の増槽を作って、取り付けられるようにしてくれと頼んだだけだ」
自分はそう言って肩をすくめる。
「ああ、それでですか」
自分の答えに納得したのか、彼女もそれきり気にしないで、席について食事を始める。
さてはて、増槽、作れるのかねぇ。