どう見ても、投げ銭に少し足せば、買うべきものが買えるほどにまで大道芸じみたことをやらされ、ひいこらしているところに、見たこともない男性が人混みを掻き分けながら話しかけてくる。
グレーのスーツに身を包み、ネクタイはこげ茶地。モスグリーンのソフトハットを目深にかぶっていて表情は読み取れない。
「やあ、待たせたね。ちょっと遅れてしまったよ。まさかこんなところで芸を披露していたとはねぇ。さぁ、神秘のオリエンタルウィッチの大道芸はこれにて終了だ。散った散った!」
手を叩きながら集まっていた群衆に言い放つ。
出てきた言葉は綺麗なブリタニア語か。
見たことはないはずだ。少なくとも記憶にはない。
客たちは、口々に不平を言いながらも散っていった。
「あ、待ってたんですよ、中佐。まったく、こんなところで三時間も待たせるなんて、カールスラントの軍人が見たら驚きますよ」
投げ銭を適当に手持ちの袋に入れながら言った。
中佐と言ったのは、男がブリタニア語を操ること、それに、ちょうどこれぐらいの年かさの男性を噂で耳にしていたからだ。
その男はヒスパニア戦役時、ネウロイの監視を主とする任務についていたという。ブリタニア陸軍の士官学校を卒業したのち、海軍で諜報活動をおこなっているという人物だ。
「すまなかったね、でもこうして約束通りにやってきたんだ。許してくれないか、初美あきら少尉」
言いながら、彼も小銭拾いをやり始めた。
自分の素性は先刻ご承知と言いうわけか。
「勘弁してあげますよ、イアン・フレミング中佐」
このまま、相手のいいようにされるのも癪だ。冗談交じりにそう言うと、
「ほう。いつ気づいた」
当たりだったか。どうして大物がこんなところをうろちょろしているかね。
「まさか。当てずっぽうでしたよ。それで、NIDの大物が扶桑の末端諜報員に何の用ですか?」
「君に一言でも文句を言いたくてね。君のおかげで、506への工作が思うようにいかなかったよ。スコルツェニーにうまいことやられてしまった」
「自分は、ただパ・ド・カレーで鹿を狩って畑仕事をしていただけですよ。特別なことはなにもしていない」
「それは初耳だ。では、スコルツェニーは君をだしにして我々を翻弄したというわけか」
最後の一枚を自分の手提げ袋に入れて、立ち上がる。
「あの人がなにをしでかしたかは知りませんが、正直申し上げまして、統合戦闘航空団で国家間の綱引きは勘弁してほしいですね。彼女たちは、全員が我々ウィッチの代表であり希望だ。それを愚弄するような真似だけはしていただきたくない」
「やれやれ、これは手厳しいな」
と、中佐は苦笑を隠さずに言った。
「自国の利益を優先したいのはわかる。扶桑皇国もそうだし、その傀儡をやっている自分が言っても説得力はないが、ウィッチとしての誇りはここにある」
自分も立ち上がって心臓の上に手を置き、中佐の顔をにらみながら言う。
「個人的には、君の言わんとするところはわかるよ。だが、我々は諜報員だ。国のために動くのが誇りだ。が、まぁ、こんな話をしても埒があかないな」
「終わりがない論議ですからね。で、何の用ですか? 貴方ほどの地位の方が、自分の顔をただ見に来たとは考えられないのですが」
「君がここに来ているのをスコルツェニーから聞いてね。帰郷のついでにどんな人物かと顔を見にきた。実のところそれだけなのだ。自分に苦杯を飲ませた人間がどんな人物なのか、この目で確かめたくなるのが人情というものだ」
NIDの切り札も暇なんだな。
「それから君に朗報だ。506に扶桑皇国の枠が一つ用意されることになった。これはまだ、扶桑皇国にも伝えられていない情報だ。苦労が報われたな」
中佐はぽん、と自分の肩に手を置いてどこかへ歩いていく。
「フレミング中佐……」
自分は、ただ彼の背中を見送るだけだった。
結局、自分はその後、問屋や商店を巡り、片っ端から必要な物資を購入していった。ずだ袋一杯に買ったものを詰め込むとぱんぱんになった。
買った物資は、豆やチーズなどを始めとして結構な量だがいつぞやの鹿よりは軽い。
ともかく、そうやって手に入れた荷物を抱え、木製疾風でクロステルマン邸へ戻った時には、夜の帳が下りていた。