電話の呼び鈴が鳴ったのは、オティーリア中佐との通信が終わって五分少し経ってからだった。
二度、呼び鈴が鳴ってから、緊張を断ち切るつもりでままよと受話器をとる。
「はい、こちらクロステルマンです」
念のため、自分の名ではなくペリーヌの苗字で電話に出ると、
『こんにちわ。貴女が《くノ一の魔女》ね』
柔らかで通りのいい声が受話器の向こうから聞こえてきた。発音や声が明瞭に聞こえるのは、声楽を学んでいたからだろうか。
さすがはヴィルケ中佐といったところか。
「ええ、わざわざの連絡、感謝いたします。ミーナ・ディートリンデ,ヴィルケ中佐。それから、自分の呼び方についてお願いがあるのですが」
『なにかしら』
「苗字でも名前でも呼び捨てで構わないので、コールサインで呼ぶのはやめていただけないでしょうか」
『あら、スコルツェニー中佐からは、貴女はスパイだから本名では呼ばないように、と注意されていたのだけど』
あの女め……。
困り顔の自分を思い起こしてニヤつているスカーフェイスが目に浮かぶようだ。
「スパイはスパイですが、そちらが本業ではありません。自分は斥候、偵察を主にするくノ一です。その、へんな勘違いが一人歩きされるのは困るので訂正させてください」
『ふふ、わかったわ。では、初美さんでいいわね』
「ええ、もちろんです。これからもぜひそう呼んでください」
やれやれ、これからはコールサインで呼ばれるたびに訂正しなければならないのか。
仏罰にでもあたってしまえ。
『まずは、先の《ぎっくり腰》作戦についての話をさせてちょうだい。初美少尉、本作戦ではよくやってくれました。聞くところによると、貴君がいなければ、ブラウシュテルマーの位置さえわからなかったと聞きます。本作戦の大役をよく勤めてくれました。欧州の人間として、心より感謝します』
「ウィッチとしてやらなければならない事をしたまでです。ですが、何故自分があの作戦に参加していた事をご存知なのですか?」
そう尋ねると、彼女はふふっと笑って、
『ヨハンナに聞いたのよ』
ああっ! ヴィーゼ少佐か!
『たっぶり絞られたみたいね』
「汗顔の至りです」
『はぁ……美緒もそうだけど、どうして扶桑の魔女はそうなのかしら。ふらふらふらふら、あっちにいったりこっちにいったりで、全く連絡よこさないし』
む、唐突に愚痴が始まったか。
「あの、ヴィルケ中佐」
深みにはまる前に声をかける。
『あっ! ああ、そうね。ごめんなさい、初美さん。それで、ペリーヌさんの事よね』
慌てて取り繕うように本来の要件について話を振ってくる。
「はい。彼女のことについて、少々骨を折っていただきたいのです」
『どんなことかしら。506に関することなら力にはなれないわ』
最初にそっちに話が振れるか。
中佐もよほどその件については悩まされているようだ。
「中佐、今回のことはその件ではないのです。
単刀直入に言わせていただくと、ペリーヌをそちらに呼んで、一日でいいから邸宅を留守にさせてほしいのです」
『こちらって、ペリーヌさんをサントロンまで呼び出すの? それは構わないけど、理由を聞かせてくれる?』
まぁ、そうなるよな。
「はい。只今、自分は義勇兵としてパ・ド・カレーの復興の手伝いをしているのですが、領民たちがペリーヌへの感謝を示したいがどうしたらいいだろうかと、そう相談してきたところから話は始まりますーー」
『わかったわ、初美さん。でもどうして貴女がそこまでするの?』
もっともな質問だった。
ヴィルケ中佐は自分とペリーヌの出会いも今までのやり取りも知らないわけだから、当然だろう。
「いくつか理由はありますがそれはとるにたらない事。唯一にして最大の目的は、ペリーヌに心からの笑顔を浮かべてほしいからです」
『ふふっ、そういうことね。わかったわ、初美さん。貴女の要望をかなえます。スコルツェニー中佐の面目も潰しちゃいけないし』
「感謝いたします」
『でも、これは覚えておいて。このことは貸しにしておくから』
「当然ですね。それでは」
『ええ、今度は顔を合わせて話をしたいわね』
「機会があれば、ぜひに」
そう答えて、受話器を静かに戻す。
さて、これで手はずは整った。
あとは、材料を手に入れるだけだが、それはカレー港まで出向かないと話にならない。
そして、それを手に入れる軍資金だが、これについてはあらかじめ陸軍より軍資金を渡されているので、それをあてるとしよう。もし足りなかったら……大道芸でもやって稼ぐか?