つい、書いちゃいました。
最初は単なる好奇心からだった。年頃のやんちゃ坊主であった少年は好奇心から真丹羽市にある曾祖父の骨董品を触りたがった。しかし曾祖父はけっして、『触ったらいかんぞ、ご先祖様がみておられる』といって触らせてもらえなかった。
少年からしたら面白くない。触らずしてどうやってあの光沢を保っているのか―――不思議とは思わないと曾祖父は考えているのだろうか。その骨董品である壺が少年の目からしたら不可思議な光沢がある事から、確実に骨董品ではなく見栄で飾っている新品であり、きっと骨董商の人にいいように騙されているのではないかとすら考えさせてしまうほど、少年の目にはその壺は『輝き』ともいえる雰囲気があったからだ。しかし周囲の大人たちは輝きなどなく、代々伝わっているものだからと疑いもせずに大事にしているらしい。
(あれが何なのか、確かめてやる)
そう考えるのには理由があった。どうも夜に用を足しに起きた時、壺がぼんやりと輝いているような気がしたのだ。思わず目をこすったら、いつものように何の変哲もない壺であった。
母に尋ねてもそんな輝きはなく寝ぼけていたのか、あるいは月明かりがそう錯覚させたのではないかと微笑みながら息子の話を聞いていた。少年からしたら面白くない、母親は言外に信じていないと示しているように見えたからだ。ならば確かめればいいと、蝉が鳴くは八月某日に触って―――――――――――――――――後に激しく後悔した。
※
なぁーんで触っちまったかなぁ…と成長した少年は考えていた。
触ったことにより、あの不可思議な輝きの正体によって身をもって学び忍ばされていたからである。不幸中の幸いであったのが少年の体格はそれなりに引き締まったからだっため、不可思議な輝きによって忍ばされたことを大概実行できてしまえる素質があった。むしろ素質があったために輝きが見えたのだろうか、とようやく自分だけに不可思議な輝きが見得ていたのかが分かったところである。
それからというもの鍛錬することで忍ばされたこと、つまり忍術を実際に出来る様になってしまったことから子供のころは鍛錬に明け暮れた。しかし思春期に入り、言動が変わってしまった友人Aから聞く限り、どうも自分はそういう類の部類に入ってしまうらしいと理解した。理解してからは本当に人にばれないように気を付けて、忍びに忍んで生活をおくったのである。
それが破られた時に彼は激しく後悔したと共に、本当にめんどくさいことに巻き込まれたかな、いっそ目の前のこいつの頭から記憶消したろかと考えていた。
「師匠と呼ばせてください!」
目の前にいる、テレビの中でたまに見る人――――浜口あやめと名乗るアイドルを交通事故から助けたこと其の物はいいことだろうが……目をキラキラさせて上目遣いでお願いしてくる彼女を見て、自分の人生が何かに巻き込まれそうな確信が少年にはあった。
不定期更新だけど、続きを書くかは未定。
予定は未定。いい言葉だ。