IS 速星の祈り   作:レインスカイ

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第4話 旋嵐

「フザッ…けんじゃないサ!」

 

病院の中だという事も忘れ、私は罵声を吐き出していた。

横にはベッドで昏睡している少年。

そして目の前には、その少年の主治医となった医者が居る。

私が叫んだのは、この少年のカルテを見せられてから数十秒が経過してからだった。

 

『右の二の腕の骨折を確認』

『不充分な処置』

 

先日、モンド・グロッソが準優勝という結果で終了し、国家元首に同行させられた病院に来たばかり。

病室で眠り続けている子供を見せられた。

ヴェネツィアに住む女の子が運河で見つけ、救助した子供らしい。

その少年の体は幼さに似合わぬ生傷だらけ。

中でも、カルテに記されていた右腕の骨折が目を向けさせた。

 

この子供は、発見された時には右の二の腕に『添え木』をしていたらしい。

だけど、それは医者による処置ではなく、個人によるもの。

 

この少年、罅が入っていただけとはいえ、骨折を自分で勝手に処置し、日々を過ごしていた可能性が非常に高いのだという事だった。

骨折までして?

家族は何も言わなかったのサね?

それとも『言えなかった』?

どうあれ、この少年は『異常』だという事が理解出来た。

それと同時に寒気がした。

 

家族は何をしてた!?

 

医者にも行かせず、そのままだったのサね…!?

 

この予感が的中していた場合、この少年を元来の家族へ連れ帰すのは危険。

 

国家元首もそう予感したらしく、私に白羽の矢がたったらしい。

 

「どうするかねぇ、ねぇシャイニィ?」

 

「んなぁ?」

 

猫のシャイニィは少年の頬をペロペロと舐めている。

 

「で、ドクター、私に身元引き受け人になれってのサね?」

 

「もしも、可能であるのならば、ですが…」

 

この少年の事は、正直、ほっとけない。

何処の誰が家族なのか知らないが、帰すのは命の危険に繋がるのは私の予感。

だけど私も毎日面倒を見られる訳じゃない、そうなれば二の舞だった。

 

「可能だったら、と言ったサね?

他に可能性が在るのサね?」

 

「この子供を拾ったお嬢さんの一家が身元引き受け人になりたい、と」

 

「だったら先にそう言えばいいだろうに。

…そうなりゃ私を護衛にしようてサ?」

 

医師が頷く。

ああ、はいはい。

護衛でもやってやるサね、どうにも心配だしね。

 

「この少年、名前は?」

 

「身元を示すものが何も無いのです」

 

ナナシの少年って事サね。

本当に何処の誰サね?

持ち物に名前を書かせなかったのは?

 

「ほんっとに…フザけんじゃないサね…」

 

 

 

一ヶ月が経った。

名無しの少年は眠り続けている。

運河でずぶ濡れになりながら救助をした女の子、メルクは今日も来ている。

眠り続け、反応の一つも見せないのに、メルクは学校や、家族の事を語り続ける。

 

「毎日…とまではいかないけど、アンタも律儀だね」

 

「アリーシャ先輩…」

 

「今はプライベートタイム、『先輩』なんて堅苦しいのは無しサね」

 

ワシャワシャとメルクの頭を撫でながら名無しの少年に視線を落とす。

生きている証なのか、爪も伸び、髪も延びる。

爪は適度に切っているのは良いけど、髪の色は変色してきているのは明白だった。

いや、変色じゃないか。

髪の根元が白く…色が失われていた。

眠りに就く直前に、恐怖にでも襲われたのか?

 

せめて夢の中では安らかにいてほしい。

そう思うのは、メルクも同じだろうね。

 

アンタも罪な男だねぇ。

必死に語りかける女の子が目の前に居るのに素知らぬ顔で居るだなんて。

メルクはアンタの妹になるのに、兄のアンタがそんな様子じゃねぇ、苦労するよ?

その時には私は…そうさねぇ…。

 

 

翌朝、私は国家元首を病院に呼び出した。

目上?激しくどうでもいいサね。

 

「お望みの通り、私は名無しの少年の護衛をする事にしたサね」

 

「そうですか…」

 

「だが条件が在る」

 

テーブルの上に用意されていたお菓子を一つ摘まみ、適当な大きさに。

それをシャイニィに与える。

おや、見向きもしないか。

じゃあ私が食べよう。

 

「それで、条件とは?」

 

「そんなに難しい話じゃないサ」

 

私が要求する事は幾つか在る。

 

一つ目は、名無しの少年の家庭教師となる事。

あの少年はイタリア人ではない可能性を考慮すべき。

なら、会話が成り立たなければ、生活だって出来ない。

だからイタリア語を教える為の家庭教師が必要。

いつになるか判らないが、目覚めたその日から。

 

二つ目は『戸籍』の用意。

何処の誰とも判らぬ輩が連れ戻しに来たとしても、イタリア人なのだ、と…帰る場所が既に在るのだと言えるように。

 

三つ目は

 

「当たり前かもしれないけど、料金の負担サ」

 

救助された後、病院に放り込まれてからは『入院費用』が積み重なっている筈サね。

それを見繕う必要がある。

目覚めたその時に人生詰んだ、とかさせたくない。

 

「以上の条件を快諾してもらえるサね?」

 

「良かろう、全て手配しましょう」

 

 

二ヶ月が経った。

パチン、パチン、と音をさせながらメルクが少年の爪を切る。

まだ目覚めない。

いったいいつまで眠るのだろうか、目を醒ましてほしい。

 

「これで爪を切り終わりましたよ」

 

「世話好きだねぇ、アンタは」

 

手だけでなく、足の指の爪も切り、清潔感がある。

メルクは蛇口で手を洗い、もう一度少年に向き合って座る。

 

「これくらいしか、私には出来ませんから…」

 

「充分サね」

 

 

三ヶ月、四ヶ月と経ち、気付けば半年間も時が経った。

私は搭乗者として修行を積み重ね続けた。

 

あの日の敗北を糧にして。

あの時の借りを返す為に。

今度こそ、あの女に勝つ為に…!

 

 

メルクもISに関しての講義が始まり、奔走している。

学校の授業が終わり、講義を受け、それから病院、自宅の順番。

慌ただしい子サね。

 

「ウェイル、ですか」

 

「ああ、いつまでも『名無し』じゃ呼びにくいからね。

勝手に名付けた」

 

病室の扉のプレートに『Weil』と勝手に記した。

医師にも話を通して、カルテにもその名を記してもらう事にしてる。

 

「フルネームで『ウェイル・ハース』、悪くないだろう?」

 

「は、はい…」

 

特に由来が在るわけじゃない。

こういうのは閃きが必要、後は勘。

目が醒めたら、その名前を名乗らせよう。

そう決めた。

 

なにせ…元来の家族の所へ帰らせるわけにはいかないから……!

 

 

七ヶ月が経った。

看護師達の間でも『ウェイル』の名前が飛び交っている。

すっかり定着してるらしい。

病室を窓から覗きこんでみる。

ウェイルは今も眠っている、目覚めた所を見てみたいが、それはいつになるのだか。

 

「サッパリしたのはいいが…」

 

Mrs.ハースがウェイルを散髪したらしいが…とうとう髪の色が白一色になった。

 

「あ~、ちょっと失敗しちゃったかしら?」

 

「大丈夫だと思いますよ?

元々の髪型変わらないですから」

 

「メルク、アンタは良く見てるサねぇ」

 

髪型は以前と同じと言うが、言われてみればそうサね。

白髪だろうけど少年相応になってるよ、ウェイル。

これからは定期的に切ってもらう事にしようサね。

 

「…プシュン!」

 

シャイニィがウェイルの切られた髪の匂いを嗅いでいたのか、嚔をしてた。

 

 

その日も、メルクは日々の事を語りかける。

親父さんが企業からクルーザーをタダ同然でもらったとか、ご近所に自慢してたとか。

それにお袋さんの料理の事だとか。

当然その間にもウェイルは反応の一つも無い。

それでもメルクは語り続ける。

 

「ほら、目を醒ましな。

世界は光で満たされてるからサ」

 

知らず知らず、そんな風に呟いていた。

 

 

 

メルクを自宅に送り届け、シャイニィと一緒の帰り道。

一人と一匹の気ままな歩みだった。

 

「こんばんは、今日綺麗な満月だね」

 

壁の向こう側からそんな声が聞こえた。

 

誰に向けた言葉かもよく判らないサね。

無視していこう。

 

「待って、アリーシャ・ジョセスターフ」

 

「壁向こうの者からフルネームで呼ばれるなんて初めてサね」

 

当たり前だが姿は見えない。

 

「フウゥゥゥッ!!」

 

だけど警戒するシャイニィも体全体の毛を逆立てて威嚇してる。

尻尾も膨れて…こんな様子は普段は見せない。

 

「アンタ誰だい?

とっとと姿を見せな!」

 

テンペスタの右腕を部分展開、その手に兵装を掴みとる。

だけどそいつは壁を飛び越えてきた。

 

物語の中からそのまま飛び出してきたかのようなワンピースドレス。

頭の上にはウサギの耳を模したカチューシャ。

おいおい、モニターで見た経験は在るが、自分から接触してくるのか、この女。

 

「ハロー、篠ノ之 束さんdワヒィッ!?」

 

最初の一撃は回避される。

返す手で二閃、一気に踏み込んで懷へ左手で殴る。

 

「ぐぇぼ!」

 

拳だけが命中、まだ油断はしない。

この女は『織斑 千冬』の『親友』という事は周知の事実。

タダで済む筈が

 

「待って待って待って!

私は喧嘩する為に此処に来たわけじゃなヒイィン!?」

 

「なら何しに来たんサね?」

 

武器を突き付け、一応は動きを止める。

 

「お、お願いだから話を」

 

「フシャアァァァッ!」

 

バリイイイィィィッ

 

あ、シャイニィ…ナイスタイミング。

『篠ノ之 束』を名乗る女の左頬に5筋の水平なラインが走る。

 

「いいぃたぁいぃぃぃ!!??」

 

 

 

 

 

5分後

 

「で、話って何サね?」

 

一先ず落ち着いてから話をする事にした。

相変わらず武器は喉元に突き付けてるけど気にしない。

 

「貴女は、昏睡状態の少年を気にかけているけど、彼が誰だか知ってる?」

 

「質問に質問で返すんじゃないサね」

 

今もベッドで眠り続けているウェイルを思い出す。

日に日に痩せこけていくのを見るのは、正直辛い。

二日に一回は必ず看に行き、語りかけ続けるメルクの姿も。

 

「ああ、ゴメンね。

私は『いっくん』の話をしにきたの」

 

「…誰の事サね?」

 

「病院で眠り続けている少年の事。

貴女が『ウェイル』という名で呼ぶようになった子。

彼の名前は『織斑 一夏』」

 

僅かに手が震えた。

『オリムラ』の名、忘れるわけが無い。

私に敗北を与えた女の姓だ。

ウェイルのかつての姓が同じなのは偶然か?

それとも…

 

「偶然じゃないよ、『いっくん』は『ちーちゃん』の実弟だよ」

 

篠ノ之 束の喉元に僅かに刃が突き刺さり、赤い雫が落ちる。

それにも拘わらず、目の前の天災は言葉を止めようとしなかった。

 

「10歳の誕生日に連れ去られたんだよ。

いっくんは酷すぎる環境の中で生きててね、誹謗中傷迫害暴行の嵐の中心点。

なのにちーちゃんも  くんも素知らぬ顔。

  くんがそれを扇動してて、ちーちゃんは『知らない』ってだけでね。

ちーちゃんも酷いよねぇ、いっくんが言いたい事が在っても受け流して耳を貸さないんだから」

 

そんな抑圧を強いられた環境で生きてきたっていうサね?

子供が生きていく場所じゃないだろう。

 

なら、ウェイルにとって『日常』とは『生きる絶望』そのものだと感じたのかもしれない。

『目覚めない』のではなく『目覚めたくない』、と。

そう祈っているのが今なのかもしれない。

 

「それは…『家族』なんてものじゃないサね」

 

「そうだね、『同じ屋根の下の他人』だね」

 

ウェイルの戸籍を作る。

そう事前に考え、行動したのは正解だったのかもしれない。

いや、そうだと信じたい。

だけど、疑問が残る。

 

「織斑 千冬は何故弟を救わない?

家族思いだとか言われていたあの女が…」

 

「『私の弟だから大丈夫』、その一言で完結」

 

手の震えを抑え込む。

そんなもの根拠でもなんでもない、ただの強要であり、自己暗示であり、個への無関心だ。

悪質な洗脳だ。

 

「フザけんなぁぁっ!!」

 

手の震えの原因は…恐怖と怒りだった。

そんな考えで何が『家族思い』だ!?

そんな環境で何が『大丈夫』だ!?

挙げ句、連れ去られた弟をそのまま放置しているっていうのサね!?

 

「…まだ問い質したい事がある」

 

「良いよ」

 

「…ウェイルの右腕の骨折の理由、ウェイルが連れ去られた理由を!!

答えな、私が正気を保っていられる内に!!!」

 

武器を握っている手は白く染まっていた。

これ以上は訊きたくないのも素直な本音だった。

だけど、聞き出す必要はあった。

 

「骨折と、連れ去られたのは完全に別件だよ。

モンド・グロッソの第一回戦当日、ちーちゃんの棄権を狙う勢力が居てね。

学校に行く為に家を出たところで誘拐されたみたい。

これは私も後になってから知った情報だけど。

ちーちゃんってば護衛の一人もつけてなかったみたい。

いっくんに家の戸締りを押し付けてた  くんは早く出てたから免れたみたいだけどね。

『間に合わなかった』という点なら私も同罪。

死に物狂いで探し出して見つけたのが、つい先日。

まさか昏睡状態で新しい名前をつけられてるとは思わなかったけどね」

 

よく喋る奴。

正直にそう思った。

疑う理由はおよそ無い、だけどまだ信じるに値しない。

だから怒りと恐怖に手が震えようとも油断はしなかった。

まっすぐに目を見て、反らさない。

 

「…で、腕の骨折の理由は?」

 

「私の妹…今じゃ妹とも思えぬソイツが理由だよ。

その時も私は間に合わなかったけどね」

 

そこから先の話を訊いて、歯が割れるかと思った。

武器を掴む手は真っ白に染まって痛い程。

八つ当たりのように地面に突き刺した。

 

「…で?アンタはウェイルを連れ去りにでも来たのかい?

生憎、あの子は『オリムラ』なんかじゃない。

ウェイル・ハースだ」

 

連れ去りに来たのなら容赦はしない。

そんな絶望しか無い場所に行かせたりなんかして堪るものか…!!

 

「正直、迷ってる」

 

「こんな話をしときながら迷うってのサね?

故意に他人の腕をへし折るような輩が居る場所に返そうって?

そもそもアンタは何をやってた!?

そこまで識っていながら傍観していただけのように聞こえるが?」

 

知っていながら手を出さなかった。

なら、同罪だろう、信用なんて欠片も出来ない。

そんな奴にウェイルへの手出しなんてさせたくない。

 

「そうかもね」

 

「認めるんサね?」

 

篠ノ之 束は頷く。

認めるように、悔やむ表情を見せながら。

 

「でも、絶望の中にも『希望』が在ったから」

 

『パンドラの匣』の話を思い出す。

匣の中から災厄と絶望が世界に溢れ、匣を閉じるも既に手遅れ。

だから気付かなかった。

匣の中に『希望』が残ったままだった事を。

 

そんな話だったと思う。

『オリムラ イチカ』だった頃に希望が残っていたって言いたいのか。

だけど…

 

「此処までアンタの話を訊いてきたが、まだ確証が持てない。

そもそも『信頼』どころか『信用』にも至ってない」

 

「…だよね、話だけじゃあ信じてもらえないのは判りきってる。

だから態度で示す」

 

篠ノ之 束の左手に刀が握られる。

交戦するつもり、そう判断して私は銃を構える。

 

ザシュッ!!バシャン…!

 

「……~~ッ!!」

 

その刀が降り下ろされ、鮮血が散った。

 

「正気サね、アンタ…!?」

 

「勿論だよ、言ったでしょ、『態度で示す』って」

 

斬り落とされたのは、篠ノ之 束の右腕だった。

それも、肩の関節から斬り落とした。

 

「痛みで気を失いそうだけど、私は正気のまま…。

これで少しは信じてくれた?」

 

他人の…それも初対面の人間の信用を得る為に自ら腕を斬り落とすか。

正気を疑うが欠片程度には、ね。

運河に落ちた右腕はプカプカと浮いていてグロッキーだ。

人に見られないようにしてほしいサね。

 

「まだ問う事が在る。

『オリムラ イチカ』にとっての希望ってのは何サね?」

 

「数少ない友人と、心を開いた女の子。

それと強いて言うのなら『未来への逃げ道』。

中学校を卒業したら家を出るつもりだったらしいからね、私はそれを支援する用意をしてた」

 

家族に救いは無い、家に居場所も無い、サね。

 

「まあ、良いサね。

欠片程度には信じてやるサ。

だけどウェイルは連れて行かせない。

今も眠り続けているのは『オリムラ イチカ』じゃない。

『ウェイル・ハース』だ」

 

「うん、判った。

その答えで私も納得出来た気がする。

いっくんの友達には悪いけどね」

 

その言葉を最後に夜闇に消える天災兎。

そいつがその場に居た証拠は、運河に浮かぶ右腕と、飛び散った血痕だけだった。

 

 

あの言葉が真実だったのかはすぐに調べあげた。

私にも情報通は居る。

たった数日で情報が届いた。

メルクに教えるかは迷いに迷った。

 

「織斑 千冬、私はアンタを認めない。

家族を騙り、何も見ない傍観者のアンタを絶対に認めない!」

 

そうと決めれば行動は迅速化した。

ウェイルに対しての今後も決定させる。

ほぼほぼ決まっていたようなものだけど、それの再確認。

それにあの国家元首(オッサン)、本当の事を知ってて私に押し付けてきたな?

貸し一つサ。

 

 

 

今日も今日とてメルクはウェイルの所に来てた。

ウェイルは相変わらず昏睡状態。

目覚めるのはいつになることか。

 

「随分と…痩せたサね、ウェイル」

 

もうすぐ八ヶ月。

雨の時期が近づいていた。

アンタはどんな夢を見てるんだい?

せめて夢の中では暖かな時を過ごしていてほしい。

そう思うのは、私のエゴだろう。

だけど『生きる絶望』から『終わらない夢』に逃げているのを責める気にもなれない。

 

「ほら、早く目覚めな。

世界は光で満たされているからサ」

 

 

 

一年が経った。

夏も終わり、秋真っ盛り、私の弟分は今眠っている。

髪は相変わらず真っ白で、肌の色もどこか蒼白い。

眠りは深く、夢は暖かなものかもしれない。

 

前日見たウェイルの様子を思い出しながら、私は遠慮も無しに病室のドアを開く。

予想はしてたけど、今日もメルクが来てる。

 

「ふにゃぁ」

 

シャイニィが私の肩から飛び降り、メルクの膝に飛び乗る。

それからウェイルに視線を向け、首を傾げてる。

 

「メルク、どうしたんだい?」

 

「あ、あの…お兄さんが…」

 

ウェイルに何かあったのサね?

妙に思いながら様子を見てみる。

 

「どういう事サね…」

 

この一年、全く見ない様子を見せていた。

ウェイルの閉ざされた瞼の下から、涙が零れていた。

 

「メルク、これは…?」

 

「判らないです、私が来た頃から、もう…」

 

せめて、夢の中では穏やかであってほしいと祈っていたけど、涙を流しているのなら、その祈りすら届かないって事だろうか…?

 

 

 

「メルク、アンタに話が在る」

 

ウェイルの涙を拭い、ようやく止まったのは、その10分後だった。

あの天災兎が私に話した事を、メルクにも話そう。

その時になって決意した。

もう他人事で済ませたくない。

 

病院の会議室を借り、二人きり…おっと、シャイニィも居るから二人と一匹。

周囲に人払いの確認もして、その上でメルクの両親にも来てもらった。

これで四人と一匹。

監視カメラも停止させ、カーテンを締め、扉には鍵を施す。

念には念を入れて盗聴機の類が無いかも用心した。

此処まで徹底してから話を切り出した。

 

あの日からかき集めるだけかき集めた情報を書類にして。

ハース家夫妻は頭を抱えていた。

メルクは顔をグシャグシャにするまでに泣いていた。

最終的な判断として、『身元引受』をする事に変わりは無い。

 

『家族として迎え入れる』と言い切った。

ただ

 

『暖かな、幸せな家族にしよう』

 

その言葉で締め括った。

 

「名前は、『ウェイル・ハース』。

私達の新しい家族だ」

 

…良い親父さんじゃないか、ウェイル…。

アンタに手を差し伸べる人が居るんだ、だから早く目覚めな。

 

だけど、忘れた訳じゃない。

 

「誰かの幸せを奪った上で得た暖かな日々。

その片棒を私が担ぐ事になるだなんてね…」

 

書類に記されたメルクと同い年の少女の写真に視線を落とす。

心の中で詫びる事にした。

 

 

 

一年と二ヶ月が経つその日の夜中と早朝の間の時間、病院から電話がかかってきた。

その連絡の内容に安堵、現実の厳しさ、都合の良さに溜め息が出た。

 

一年二ヶ月も眠り続けていたウェイルが目覚めた。

ただ、全ての記憶を代償にして。

物語で見るような、記憶喪失状態での覚醒なのだったと。

 

洗面所の鏡を見ながら気を引き締める。

ようやくスタート地点だから。

ウェイルが『織斑 千冬』の事を覚えていないのは都合が良いとさえ思う。

 

「こんな事を考える私は外道かもしれないサね」

 

服を着替え、シャイニィを連れて、車を病院に急がせた。

病室のドアを開くと、蒼白い顔をした少年が一人。

本当に…本当に目覚めたんだね、ウェイル…。

 

「ふ~ん、この少年がそうなのサね…?」

 

あくまで、初対面を偽る。

事前に何もかも決まっていた、だなんて決して悟らせないように。

 

「ああ、勘違いしてもらっちゃ困るサ。

私はアンタに就く事になった家庭教師サ」

 

だから、偽りの中に事実を折り込むのを忘れない。

そうやって刷り込ませる。

 

「アンタ、名前は?」

 

この問いも意地の悪いものだった。

自分の名前も忘れ、失っているのを知っているからこそ。

 

「俺は…自分の名前が判らないんです」

 

「そうかい、名無しサね。

でも名無しじゃ呼びにくいね…」

 

だから、常にこちらがペースを握り、主導権を掴ませない。

 

「ふぅん、タチの悪い奴じゃないみたいサ」

 

「…?」

 

私の肩からシャイニィが飛び降り、ベッドに居るウェイルの頬を舐める。

アンタも芝居に付き合ってくれてるんだね。

 

「にゃぁ」

 

猫が嫌いというわけでもないらしく、なすがまま。

満足に動けないのか、シャイニィを撫でる手も覚束無いらしい。

 

「その子、シャイニィは悪い奴には決してなつかない奴さ、それだけでアンタは私からすれば信用出来る。

その信用が信頼(・・)に至るかはアンタ次第だよ」

 

この言葉は私達への戒めでもある。

これからウェイルの信頼を掴みとり続けていかなくてはいけないから。


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