授業に於いて、今では全学年で常識のように広まっている話がある。
それは『全ての授業に於いて、1年1組との合同授業を行わない』という件だ。
原因は言わずもがな、1組の生徒として所属している二人の生徒と、副担任へと降格した人物だ。
巻き込まれてしまっている生徒たちに関してはご愁傷さまと言うべきかもしれないが、俺としてはその噂の三人と顔を合わせる機会が極端に減るというのは感謝している。
それはさておき、今日の授業では5組との合同授業であり、今日も今日とて、顔と名前が一致していない人が非常に多い。
それに付け加え、グループ作って稼働をさせているわけだが、ここでも俺は多少の疎外感があった。
「…例の噂がまだ出回っているのか…?」
その問いに、同じグループに割り振られた女子生徒達が一斉に頷いた。
クラス対抗戦に於けるクラス代表代理出場を依頼してきたルーハ女史に視線を向けると
「ハース君が大量の爆弾を作って学生寮だけでなく、学習棟や、教職員寮にも設置してるって話が出てて…」
なんつー傍迷惑な話が出回ってるんだか…。
なんで学園壊滅を企てている事になってんだよ…。
「噂の出所は?」
これに関しては先日に鈴が言っていた。
織斑の野郎が蔓延させているが、その証拠が無いとの事。
これであの野郎に何の利が在るのかは判らないが、根も葉もない話を広められるとそれだけで傍迷惑で、この学園での生活にも支障が出る。
そうなれば、企業からの話もつけにくくなる。
今回、こんな傍迷惑な話を広められているという件は姉さんにも話し、企業にも伝えておいた。
「噂の出所は判らないけど、学園の全体に広まってるよ」
話が広まるのは早いなぁ…。
まるで新種の伝染病のようだ。
古い時代では疫病で欧州の人口が半減したと授業でもヴェネツィアで教わったが、それを彷彿とさせていた。
「以前に聞いた話から更に大きくなってるのは何でだ?」
「さあ?
まあ、そういう噂が出てるから、みんなはハース君に対して…」
もういい、聞きたくない。
「だけど、3組の皆はハース君を疑ってないから安心してよ。
先生があそこまで怒ったからって言うのもあるけど、ハース君は今まで皆の為に頑張っていたからね」
それでも全員が信じてくれている訳でもないのかもしれない、信じてくれてたら良いなぁ…。
信用を失うのは一瞬だが、得るのは難しいし時間もかかるからな…。
「疑いたいのなら、寮の部屋に来てもらって確認してくれても構わない。
潔白無実であることが証明できる」
この話をするのはもう何度目になるのかは判らない。
なにせ3度目を超えた辺りから数え忘れているからだ。
「なら、教職員の私が出向けば信頼しやすいわよね」
後ろから聞こえてきたのは我らが担任のティエル先生だった。
3組の中で噂話に関して皆に一喝してくれたおかげで3組の中では俺は居場所を失わずに済んでいる。
その分、機械修理の話や依頼が舞い込む量が増しているような気がしないでもない。
昨日なんか、放送室の設備の修理とか頼まれたし。
だとしても、そんな重要機器が破損してんのに何で整備課じゃなくて俺に頼んできてるんだよ、仕事しろ整備課。
頼まれたからと言ってキッチリ直している俺も問題かもしれないけどな。
信頼を得られるのなら、幾らでも請け負うつもりだから文句を言う事はしないけどさ。
「それで、授業が終わった後に抜き打ちで部屋の確認ですか」
午後の授業が終わり、SHRも終わった直後に学生寮へと直帰になった次第だ。
ことの顛末を教えるとメルクも苦笑いしていた。
「見られて困るようなものはそんなに無いし、クローゼットの中でも天井裏でも大丈夫だろ。
通風孔は…あ、溶接したんだっけか」
「溶接?なんでそんなことをしたの?」
「…ネズミが出入りしてるのを見つけたので」
その場凌ぎの理由を用意しておいた。
これに関しては楯無さんが絡んでいるわけだが話していたら面倒だ。
極力、目を反らさずに行ったので、信用してもらえたらしく、「なるほどね」と呟いていた。
先生の指示でドアのロックを解除し、部屋へと招くことに。
視線は左から右へ、ベッドからクローゼット、備え付けのパソコンに、ダイニングテーブルへ…。
「テーブルの上に置かれているこれは?」
「通信用の端末です、家族と連絡を取り合うためにイタリアから持ってきました」
「ふむ、そう…」
それで興味が無くなったのか、視線は窓際に…
「あのウミネコは?」
「部屋に侵入者が入ってきたら連絡を入れてくれるようにセットしている監視カメラです。
4組の更識さんと俺とで合同で作った作品ですよ」
「また可愛らしいデザインね」
「ウミネコにしたのはお兄さんの趣味です、水上都市の育ちだからという事で馴染み深いデザインにしたくて」
その後も、キッチン、バスルーム、クローゼットの中身といった部屋の中身をひっくり返すように確認してもらい…。
「うん、爆薬だとか、そういうものは無いわね、よろしい。
これで完全に無実が証明出来るわ」
その果てに貰えたのがティエル先生の保証付きだった。
「それにしても不思議ね、なぜハース君にそんな噂が出回ったのか…?
ハース君関連で爆発云々といえば、クラス対抗戦の時につかったあの特大の爆撃くらいだけれど」
「アレは試作品の弾丸ですよ。
そもそも学園内では使用禁止も言い渡された代物、もう二度と使いませんよ」
むろん、その試作品の弾丸はのちに調整され、威力を極端に制限したものが現在支給されてはいるが、いまだに一発も使っていないので、話が出回るわけもない。
夜間訓練でもメルクから使用禁止を言い渡され、使うのはトーナメントとやらの当日になってからと言い含められている。
それまで『
パレードで使っている花火よりかは幾分かは派手だが、早く使ってみたい。
イタリアじゃ使っていなかったからな…。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
教官とはあれから何度も話をしてみたものの、返答は無かった。
私を遣わしたのは何故なのか、なぜ自分からウェイル・ハースに接触しようとしないのか、何故監視を受けているのか、なぜその理由を言えないのか、理由を言えない理由は何なのか。
それを繰り返し問うても、「言えない」の一言で切り捨てられた。
問いに対して返ってくる返答はそれだけで、それ以上を追求しようとしても、他の教職員が割込み、話をさせてもらえなかった。
「ハース、同席させてもらいたい」
夕食時、私は今日もウェイル・ハースに同席を願い出た。
「ああ、いいぞ」
ボックス席に座していたそこに私も座り、八つ当たりとばかりに夕飯の牛丼を一気に流し込んだ。
同席していたのは、ウェイル・ハースの他に、イタリア、日本、中国の国家代表候補生、ほかには見慣れぬ顔が並んでいたが、視線など気にしていられない。
スプーンで無理矢理掻き込み、まともに噛まずに喉の奥へと掻き込む。
一気に掻き込んだ牛丼が喉に詰まりそうなのも無視して水を飲んでそれこそ流し込んだ。
すべてが胃袋に流し込んで終わったのを確認し、グラスを置いた。
「…ふぅ…」
「なんか、随分と余裕が無い感じがするわね、アンタ」
中国代表候補が何か言ってくるが、私は…返事を返せなかった。
「何かあったのか?織斑関連じゃなければ多少は相談に乗れるかもしれないが…」
ハースの言葉が私の胸の奥に突き立った…気がした。
濁流のように気持ちがあふれ出しそうになるが、うまく言葉にできない。
気持ちの整理というのが必要になる時が来るだなんて、かつての私では考えられなかった。
以前の私であれば、思ったことをすぐに口に出来ていたのに、何故だろうか…?
「織斑教官の事だ、あの人は厳しい監視下にある。
あの人が私を利用し、ハースに接触させ、そのハースを教官のもとへ向かせようと利用したのはわかる。
だが、それだけではない気がする、教官が何かしたのか…?」
私の問いに、誰もが沈黙した。
返ってくる答えなどなかった、問いに沈黙で返されるのは辛かった。
軍でこんなことをされれば憤慨していたであろう私が、だ。
「何か知っていないのか、お前たちは?」
「…なら、私が教えるわ…」
その返答を返してきたのは、中国代表候補だった。
「ついてきなさい、あんまり人に聞かせたくない話だけど、今のアンタになら教えられるから」
その言葉に、今の私は縋るしかなかった。
食器が載せられたままのトレイをそのままに、手を引っ張られて食堂から連れ出される。
向かう先は、学生寮の…来たことのない部屋だった。
「ティナ、戻ってる?」
「ん?どったの鈴?」
「聞かれたくない話をするから、一時間程部屋を空けてもらえるかしら?」
「ご、強引ねぇ…でもまあ、了解よ。
じゃあ、私は娯楽室で暇潰ししてるわね」
ルームメイトらしい人物が部屋を出ていったのを確認してから、私は椅子に座る。
差し出されたドリンクを一瞥し、視線を相手に向ける。
「先に言っておくわ。
聞けば間違いなくアンタを不愉快にさせる。
織斑千冬に対しての信頼は失われるだろうし、嫌悪する事にも繋がる」
「それ程の事なのか」
首肯される。
だとするなら、そこまでして他人には聞かせられない話だろうと察する。
少なくとも、不特定多数の人間が居る食堂では話せない事だと。
「…じゃあ、そうね…なら、話しましょうか」
そこから耳にした話は、疑うかのような話だった。
私が知っていた筈の教官の話、だったのに………、そういったものがガラガラと音をたてて崩れていく、そんな感覚を覚えた。
戦慄する、寒気が走る、眩暈がする………。
あまりにも……………おぞましい………。
「だが、それは……」
「現実よ。
当然、私の目の届かない場所の話も在ったけど、それに関しても情報の裏付けは出来てる。
疑うのなら、あの女に話を訊いてみれば良いわ。
今日、話せる事はこれで終わりよ。
話の続きもあるけど、それを知りたいなら…ラウラ、アンタがあの女に確認してからよ」
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「鈴ちゃん、行っちゃったわね」
夕飯時、私はウェイル君を誘って食堂に来ていた。
部屋に訪ねに行くと、家族とのお話を終わらせた直後だったらしくタイミングとしては都合が良かった。
どんな話をしていたのか気になったけれど、そこはプライベートだから詮索は無しに。
道中、虚ちゃんと本音ちゃんの二人に出会い、食堂入り口では鈴ちゃん、簪ちゃんとも遭遇。
そのままボックス席で食事をしようとしたタイミングだったけれど、そこにラウラちゃんが同席。
で、今に至る。
「織斑先生との知り合いだったの?」
「そうらしい、どうやらラウラの専属の教官をしていたらしいが…」
ラウラちゃんを連れ出した鈴ちゃんが、何を話すのか……それ次第で千冬さんは今後の立場は更に危うくなるだろうとは思う。
理想と現実の差に、ラウラちゃんが何を思うのかも心配な要素ね。
「こっちもこっちで話を戻しましょう、お嬢様」
おっと、そうだったわね。
食事に誘ったのは私だったけれど、それだけが目的じゃない。
学園生活の中で、ウェイル君の身辺で起きている事を綿密に知る為。
その多くはウェイル君を護衛しているから理解はしている。
それでも、その中で彼が内心何を思っているかまでは把握しきれないから、今回はそれを聞き出すつもり。
「学園内に広まっている噂の件、ウェイル君はどう思ってる?」
聞き出したいのは、その事についてだった。
潔白である事は知っている、あれだけ近くに居れば、爆薬だの扱わない人物である程度は確信が持てる。
クラス対抗戦での事は、また別の話としてだけど。
「どうもこうも、傍迷惑ですよ」
ウンザリとした表情で返された。
随分と嫌な経験をこの数日でしたのだろうと察する、御愁傷様。
「噂って…確か、爆発物がどうこう…っていう噂?
4組でも毎日そんな話を聞いたけど、あれってどこから出てきた話なの?」
「1組でも~、その噂話はよく聞くよ~?」
「どこまで広がってるんだか…」
簪ちゃんと本音ちゃんの言葉に、とうとうウェイル君が机の上に突っ伏した。
眼鏡かけているんだから、そんな姿勢は止めなさいな。
メルクちゃんも嫌そうな表情をしている分、迷惑を被っているのは見て取れる。
「鈴の話では、1組の織斑が噂話を広めたと聞いてますよ」
「それで彼に何のメリットがあるのか知りませんが、私もお兄さんも迷惑してます。
それで、何とかならないかと思っているんですが…対処方法は在りませんか?」
噂や疑いに対して潔白を証明出来ても、噂は尾鰭背鰭を付けて広まり、更なる疑いをもたらす。
まるで笊で水を掬おうとするかのように、止める為の努力すらすり抜けてしまう。
「教職員寮、学習棟も徹底的に調査して、爆発物や不審物が無いのも判っているのに、これだものね…」
噂話を利用して、織斑君にメリットが無いのかどうかは、ハッキリとは判らない。
だけど、それで生じるであろう現象は考えられる。
それは、ウェイル君を学園内で孤立無援にさせる事だと。
一度でも噂なんてものを広めてしまえば、後は勝手に結果を生んでしまうやっかいなやり方だけど、私としても気に入らない。
自分は動く事も無く、他人の気持ちを利用して動かし、自分の目的を果たす。
なるほど、千冬さんも同じ事をしていたわね、姉弟揃って考える事は同じね。
「どうしますか、お嬢様?」
鈴ちゃんが言うには、裏で絵を描いているのは織斑君との事。
そして千冬さんはこの事を知っているのかどうかすら判断が難しい。
「学園の品位を疑われるし、有事の際にまで疑心暗鬼になっても困るものね。
良いでしょう、請け負うわ」
その言葉に安心したのか、ウェイル君メルクちゃんもようやく肩の力を抜く。
後ろめたい事も無いのに、謂われも無い事を言われ続けるのは堪えるわよね。
さて、どんな風に片付ければ良いかしらね?
こんな風に風評被害を与えるような噂を蔓延させるだなんて、とてもじゃないけど許容できないわよ?
だけど…
「本音ちゃん、まき込む事になるだろうけど、ごめんなさいね」
「大丈夫だよ~」
本音ちゃんも私の思いついた方法を後で話すけれど、先に謝っておく。
これはかなり乱暴な方法だけれど、牽制程度には使える。
生徒会長の役目は生徒の学園生活を守ることであり、それを故意に危害を与えようとするような人物は、たとえ学園に在籍していようとも容赦をするつもりは無いものね。
「そうとなったら情報を集めておかないとね」
今日未明に届いた情報を携帯端末でメールを送る。
その送り先は、先日にもお世話になった…
「頼むわよ、五反田君!」
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
フランスで僕のような子供が生まれないようにする為に、ウェイル・ハースを殺す。
まるで、フランスの零落の全ての原因が彼にあるような言い方だった。
フランスの発展と再生には彼が邪魔だと言われ、僕はその言葉を信じてた。
実際、イタリアでアルボーレを開発して欧州各国への販売を始め、今年になって彼が『今まで隠れていた』と言わんばかりに姿を現し、時の人となった。
だから、イタリアの発展とイフランスの衰退の要因は彼であると言われ、僕はその言葉を信じた。
「失敗、したかなぁ…」
授業で彼と摸擬戦をした際に、思わず冷静さが頭の中から失われ、シールドピアースを突き出した際に、装甲にではなく、彼自身を狙ってしまった。
絶対防御で防がれるのは当たり前だけど、あの時の殺気に勘付かれてしまっていたかもしれない。
放課後の訓練の際には、細心の注意を払っていたけど、今後はそんな自分にも気を付けないといけない。
織斑全輝の言葉に耳を傾けたから、それに影響されたと言うのもあるけれど…殺意を剥き出しにしてしまったのは迂闊だったかな。
「…また…」
携帯端末にメールが届く。
送り主はデュノア社社長婦人、僕の義母だった。
内容は、『ウェイル・ハースの殺害に成功したのか?』という催促だった。
「…まだ、と…」
返信をした直後、再びメールが送られてくる。
その内容も『さっさと殺してしまえ』と乱暴な文。
「出来るものなら、とっくに
そもそも、彼の傍らには常に人が居て一人になる瞬間が殆ど無い。
それは授業中もそうだし、周囲から監視の視線を感じ、下手に動けない。
だとしても、彼を殺さなければフランスは更に衰退していく、僕のように親を失う子供だって出てきてしまう。
彼には個人的な恨みは無い、だけどフランスの再生の為には…。
でも、それを成功させたとしても…
「
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
夜更け、その少年はベッドに寝転んで天井を見上げていた。
彼の画策は予想以上に進んでいた。
ウェイル・ハースへの風評被害を与える為に、ちょっとした話を流した。
あとは噂好きの女子によって話が拡大していく。
残るは少しだけ背中を押せば、噂には背鰭尾鰭がついて回り、ウェイル・ハースに疑念の目が向けられる。
それを食堂や廊下で見かけた際には優越感に浸れていた。
「全輝、何か面白い事でもあったのか?」
「少し、な。
最近、学園の中で広まっている噂を知ってるか?
イタリアの男子学生が爆発物を学園内のあちこちに仕掛けているていう噂だけどさ」
ルームメイトの篠ノ之 箒もその噂を知っていた。
彼女もまた、ウェイル・ハースに一方的なまでに憎悪を抱き、その姿を見る度に殺意を込めた視線を向けていた。
だが、篠ノ之箒も今は厳しい監視下に置かれており、その行動に制限が施されている。
今回、風評被害を与える噂を流したのも、そんな箒が自暴自棄な行動をさせないように自粛させるという理由もあった。
噂は学園内に蔓延している。
あとは自分達が行動をせずともウェイル・ハースは自滅していく。
それを踏み潰す瞬間を想像するだけでも楽しめる、そう思っていた。
「うむ、知っているさ。
あの卑怯者がやりそうなことだ、寧ろ火のない所に煙は立たぬとも言うんだ。
噂が出ているだけも、それが現実に起きている何よりの証拠だ!
さっさとあんな奴はこの学園から排除すべきだ!
テロリストに狙われているというのなら猶更だ!」
その状況に追い込んだのは彼女だというのにそんな素振りは一切感じさせない。
どうあっても、何もかもすべて他人の責任であると本気で信じ込み、それを絶対的な価値観とし、それに不服とみなすものには暴力を使って黙らせる。
後先の事など何一つ考えていない。
彼らにとって世界とは現実ではなく、自分達を中心としているものであると、そう見ているのだった。
それが壊れる日が来るなど、考えもせずに…。