「貴様が、ウェイル・ハースか」
学生寮の前で待ち構えていたのは、銀髪の少女だった。
面識は無い、完全に初対面だった。
左目を黒い眼帯で覆っている人物だなんてことになれば、いやでも記憶に刻まれるだろうが、俺としてはそんな人物は記憶に無い。
尤も、俺が失っているであろう記憶の中の人物ともなれば話は別だが。
横目で確認すれば、メルクが警戒しているのが微かに見て取れた。
なら、俺も警戒しておこう。
「ああ、そうだ。
俺の隣にいるのは、妹のメルクだ。
そちらは俺のことを知っているらしいが、俺は君に対して面識が無い。
名前を教えてもらえるか?」
途端に顔を顰める銀髪の少女。
俺、何か悪いことを言っただろうか?
何一つ心当たりが無い。
彼女の両手は強く握られ、何かを堪えているかのようにも見える。
視線は鋭いままで、いまいち何を考えているのかが判らない。
「…ドイツ代表候補生、ラウラ・ボーデヴィッヒだ。
貴様に話がある」
「…でしたら、寮の中に入ってからにしてもらえませんか?
こちらは訓練を続けていて疲れてますので」
メルクのその一言で話とやらをする場所を変えることにした。
割り当てられている部屋を使うわけにもいかず、今回の話をする場所は学園生が誰しも使っている談話室を利用することにした。
ここなら他の学生たちの目もあり、乱暴事を起こせないだろうというのがメルクの考えらしい。
俺としてもそのほうが有難かった、公の場で乱暴を起こす人物の心当たりが記憶に焼き付いているが、ここなら目撃者も多数となり、事が悪い方向には傾かないような気がする。
「で、なんで鈴も来ているんだ?」
そう、この場には鈴も来ていた。
事前に作り置きしていたらしい食事をバスケットに入れ、俺たちについてきていた。
「いいでしょ、わざわざドイツの代表候補生がアンタたちを待ち構えてまで何か話をしようとしてたって聞いて気になったんだもの。
それに、アンタ達、夕飯も食べずに夜間訓練してたんでしょ?消灯時間までそんなに無いけど、少しはお腹に入れときなさいよ」
GW以降、見慣れたバスケットの中身が開かれると、そこにはサンドウィッチが並んでいた。
就寝前での軽い食事としては充分だ。
一番最初に手を伸ばしたのは鈴、その次にメルク、続けて俺が一切れ頂くことにした。
「…む…」
ボーデヴィッヒも遠慮しがちにではあるが、サンドウィッチに手を伸ばす。
一口咀嚼すると、右目が少しだけだけ大きく見開かれ、サンドウィッチが瞬く間に口の中へと消えていく。
食事の前では人は正直になれるということか。
バスケットの中身が消えて無くなるまではそんなに時間はかからなかった。
ここでも俺が鈴に渡したシーフードがやや目立っていたが、消化を手伝えという視線が痛かったのは…気にしないでおこう。
「で、話というのは何なのですか?」
食後に鈴が用意してくれた烏龍茶とやらを飲み干してから、メルクが早速本題へ入ろうとしていた。
メルクの視線が少しだけ鋭くなり、それに応じてか、ボーデヴィッヒの眼差しも鋭くなった。
そして、その視線が向かう先は…どうやら俺だった。
ああ、また面倒事に巻き込まれるのだろうか、そんな諦観が早くも出てきてしまっている始末だ。
「貴様の事だ」
「…俺が何かしたか?」
「いいや、何もしていないからこそだ」
……?
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
それは、今日の夕刻だった。
軍の命令で、あの人が居るこのIS学園に編入となった。
あの人と同じ空間に居られるだろうと思っていたが、その目算は大きく外れた。
あの人は1組の副担任、そして私は5組の在籍となったからだった。
よりにもよって、最も離れた場所に放り込まれるのは悔しさで満ちる思いだった。
だが、そうなったのなら考えを改める。
あの人をこの学園から引き抜く!
「何故ですか!何故貴女ほどの人物がこんな学園に縛り付けられるのですか!?
こんな場所に居るよりも、あの頃の様に、わがドイツで…」
「くどいぞ、ボーデヴィッヒ。
今の私が働く場所は此処だ、それはどうしようもない」
「ですが、織斑教官!」
織斑 千冬
その人物こそが私がこの学園に来た要因ともいえる人物だった。
かつて私は軍の中でも精鋭だった。
誰にも負けず、誰よりも強くあり続けた。
私は軍の中で生き、自身を鍛え、誰よりも強い存在として生きてきた。
それ以外に生き方を知らないと言うのも確かな話かもしれないが、私はそれでも構わなかった。
それで満足だった、最強であり続けた。
だが、それもある時を境に終わってしまった。
ISの登場によって、軍の在り方が大きく変わってしまったからだ。
鍛えてきた軍隊格闘も、射撃も、その兵器を前に無へとなり果てたからだ。
単独でありながらも軍勢とも渡り合え、更には単独での飛行、大量の武装搭載も可能なそれは私の存在に台頭してかのような存在だったからだ。
無論、私もそれに搭乗するようにはなったが、結果は散々だった。
ろくに扱えなかった。
適正が高くないのでは、とも言われた。
次の手段をとる決意をしたのはその直後だった。
手術を受け、適正が上がるようにもした。
それでも、駄目だった。
最強であり続けた私は、その時点で『最弱』の烙印を焼き付けられた。
最強であり続ける事こそが私のアイデンティティ。
それをあっさりと奪われてしまった時、あの人が現れた。
織斑 千冬が教官として現れた。
名前程度は私とて知っていた。
名実ともに
「頼まれた仕事ではあるとは言え、加減はしない。
お前を徹底的に鍛えてやる」
その言葉から始まった訓練はとても厳しかった。
だが、私は耐え切った、そのうえで、再び最強の存在として君臨した。
この人が居れば私は輝ける。
そう確信出来た。
この人に、この地に留まっていてほしいと願うのは当然だった。
「私が教官として留まるのは1年間だけ。
そういう契約だ、期限が来れば、私は日本に帰る事になる」
「残っていただけないのですか!?」
「日本に、弟が居るんだ。
私の大切な家族なんだ、あいつを一人、残しておくわけにはいかない」
初めて、憎悪した。
『家族』という言葉に。
私は軍の実験にて製造された存在だ。
家族など居ない、同じ境遇を持った同僚、それを知ったうえで兵として扱う上官。
それが私の世界だった。
そんな私に戦うための牙を再度与えてくれた人が、そういう存在に焦がれるだなんて…私を置き去りにしようという存在に、憎悪を感じるしかなかった。
2年振りに逢ったこの人は、やはり厳しいが、あの時と同じような表情をしていた。
そんな表情など見たくなかった。
そんな表情をさせる存在を認めるわけにはいかなかった。
そして、その輩がこの学園に在籍している事も知ってしまった。
なら、私がその繋がりを断ち切る。
その思いでいたのに…!
「私には、弟が居る。
その話は前にもしたのは覚えているか?」
「…はい、覚えています」
「あの時には言えなかったが、弟はもう一人
6年前、事件に巻き込まれて死なせてしまった弟が…。
今年、全輝がISを動かし、全世界で男性搭乗者が排出される可能性が浮上した、その時に現れた人物が居る。
もしかしたら、そんな可能性や願望があるのは確かだ」
それから短い時間で調べた。
教官が気かけ続けている人物、もう一人の男性搭乗者の名は『ウェイル・ハース』。
イタリアから排出された搭乗者であると。
その人物を私が見極めてやろうと。
あの人に相応しくない人物であるのなら、私がその人物を排除する、と。
そして、時は今へと繋がる
「いいや、何もしていないからだ」
その人物に接触しようとするも、夜間訓練のためにアリーナを貸し切り、立ち入り禁止にしている以上、私は外で待ち続けるしかなかった。
そして学生寮に現れた、白い髪の人物。
この人物が例の男であると判った。
よく言えば純真、悪く言えば、能天気な人物であると見て取れた。
この男の本質はどんなものか。
「教官は貴様を気にかけているが」
「貴女の言う『教官』とは誰のことですか?」
横槍を入れる人物のデータを思い出す。
メルク・ハース。
イタリア代表候補生で、座学、実技ともに学年主席だったか。
私としては侮れない人物だとは思うが、テンペスタの最新鋭機といえども、あの人に鍛えてもらった私からすれば敵ではないだろう。
「織斑 千冬教官だ。
その人物が貴様を気にかけているが、何故それに応えないのだ?」
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
何故、と言われても正直困る。
1組の副担任を務めている人物といえば、アリーナのピットで遠目に見たくらいだが、その人が俺をね…。
「そんな話は今初めて聞いたよ」
「な…っ!?」
事実だ。
あの人が俺を気にしているのか、気にかけているのか知らないが、そんな話は今ここで初めて聞いた。
「君の言う人物が俺を気にかけているというのなら、なんで直接俺に会おうとしないんだ?
なんで直接声をかけてこないんだ?
その理由を君は知っているのか?
先に言っておくが、俺は事情も都合も理由も知らない。
面識も会話をした事も無い。遠目に姿を見た事があるだけだ」
真っ正直に答えてみたものの、ボーデヴィッヒは驚愕しているようだった。
その反応を見ると、俺としても困る。
「学園に在籍してから一ヶ月半経ってるが、声一つかけられたことも無いし…避けられてるような気がするな…。
それで気にかけられているのを察して応えろだなんて俺だけでなく、誰だって無理だろ」
実際、そんな気がする。
それに、その人物の身内に迷惑を被り続けているんだ。
むしろ接触なんてしたくない。
弟がアレなら、姉も同じような気がするな。
あ~やだやだ。
「本当の話ですよ、織斑先生はこちらに対し、今まで一度も接触をしてきていません。
理由があるのかどうかも判りませんが、それは御本人にでも伺ってください。
私達からあの人には、接触したくないので」
メルクが、俺が言いたかったことを代わりとばかりにバッサリと言い切った。
「接触したくない、だと!?何故だ!?」
「その理由は、その本人に訊いてみなさいよ」
そして鈴も吐き捨てる。
実際にはその通りだ。
向こうから接触してこない理由は知らないが、こちらからは接触したくない理由は存在しているし、その理由は向こうもしっかりと理解している筈だ。
「そう、か。
どうやら私が知らない複雑な事情をお互いに抱えていそうだな。
だが最後に問いたい、お前にとって織斑教官をどう思っている?」
「嫌いだよ」
その言葉だけは今まで以上にハッキリと出てきていた。
自分のことながら驚いてしまっている、接触したこともなければ、会話をしたことも無い人物に対してここまでハッキリとした答えを返せることに…。
そんな返答をしたことに、メルクも鈴も驚いていたようだった。
「…今回の件、私は改めて考えておく。
それを踏まえたうえで、お前たちと話をしてみたい。
今日はこれで失礼する」
そう言って小さな姿が談話室の扉の向こうへと消えていった。
「…何だったんだろうな?」
改めて首を傾げてみる。
織斑教諭が、どういう訳か俺を気にかけているらしいが、そんな事を言われても困る。
ボーデヴィッヒはその人物を尊敬しているかのような口ぶりだったが、俺は違う。
どこかその人物を嫌悪している。
俺も変になってるのかもしれないな…。
「アンタがあんな風にハッキリと『嫌いだ』なんて言うなんてね、驚いたわよ」
「私もです、例の二人のことを言われたのなら、私も同じように答えていたでしょうけど…」
「よせよせ、なんか恥ずかしいよ」
嫌悪している、蔑視している。
そんな感情が俺の中にあるなんて、な。
まさか記憶を失う以前の俺はあの連中に関わっていたとか?
考えただけでも寒気がする!
「…消灯時間も近いんだ、今日はもう寝よう」
こんな感覚はさっさと忘れたい。
こういう思わぬ形でのトラブルなどもうお断りだ。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
寮監室で、私はパソコンのモニターに向き合っていた。
そこには、今までに課せられていた事例が映り込んでいる。
減俸、降格、損害賠償請求など、多岐にわたる。
それを耐えてでも、私にはどうしても確認したいことがあった。
6年間の事件で死んでしまった、私の弟である一夏の事だった。
今年、全輝がISを動かし、全世界で一斉検査が執り行われた。
そんな中、事故という形ではあったらしいが、たった一人だけ、ISを起動させた男が居た。
思い返せば、一夏の死を誰かが看取ったわけでもない。
もしかしたら、とも思えてならなかった。
一度は諦めてしまったが、ここに可能性が見えてきた。
そんな矢先に、接触禁止、干渉禁止の命令が下された。
それでも、あの頃のように一緒に過ごせるのならと思い、可能性を捨てたくはなかった。
だから私は
「へ~、それで今頃になって私に電話してきたの?」
束、その人物に頼らざるを得なかった。
「仮に、イタリアで発見された子といっくんが同一人物だとしたらどうしたいの?」
「家族なんだ、またあの頃と同じように一緒に過ごせるようにしていくさ」
あの時を境に失われてしまった家族を取り戻す。
その可能性が間近に存在しているんだ、それを逃がしたくなかった。
「ふ~ん、じゃあ結果だけを言うけどさ…」
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
この女が考えている事に頭がおかしくなりそうだった。
『家族』、だと?
お前が口にしていい言葉じゃない。
お前が言うだけで、その言葉の存在が穢されてしまう!
「ふ~ん、じゃ結果だけを言うけどさ…完全に他人だよ」
だから私は大嘘を言う。
「な…冗談だろう…!?」
「
いっくんが小学校で受けた歯科検診のカルテと、イタリアの子が受けた歯科検診のカルテ、両方集めてみたけど、歯形が違う。
簡単な確認方法だけど、これだけでも完全に他人だって判るんだよ。
イタリアの子は、いっくんとは完全に別人、これは私からしても、医学的にも断言できる」
歯形が違うといっても、これは結果だけ。
ウェイ君自身気づいていないかもしれないけど、割れた奥歯に実は処置が施されている。
けど、いっくんの場合にはその処置が施された結果が記されていない、というだけ。
尤も、あの女にそれを後になって調べられるのも厄介だから、情報を集めた直後にサーバーに侵入してデータ書き換えた。
これで歯を調べられても安心できる。
そして、私は赦せなかった。
『
あの女は、いっくんがどんな地獄を歩んできたのかを未だに知らないらしい。
未だに目を背け続けている。
そしてあの女は知らない。
ウェイ君がどれだけ平穏で、当たり前の暖かな日常を望んでいるのか。
あの子の笑顔に、どれだけの価値があるのかを。
「だが、全輝と同じように起動させたのだろう…?」
違う!あのクソガキ以上に稼働させているんだ!
「くどいよ、私の調査結果が信用できない?」
「そんな事は無い…!」
「じゃあ、もう諦めなよ…いっくんは、もう静かに眠っているんだからさ…」
仮にウェイ君が失われた記憶を取り戻してしまっても、ウェイル・ハースとして生きていく未来を失わせたりはしない、絶対に!
「…判った、それでも私はもう少し自分で調べてみる」
その言葉を最後に通話は切られた。
………あ゛ぁ゛ん?
最終勧告は無視するんだ?
なら、こっちも考えがある。
「この女、どこまで愚かなのサ?」
「まったくだよアーちゃん」
そこから私はパソコンのキーボードを全力で叩き、ある情報を制作する。
圧縮された情報をUSBに投入し、アーちゃんに投げ渡した。
「次のトーナメント戦の当日にウェイ君にこれを届けてほしい。
アルボーレ用のデータは充分に調整されているけど、ウェイ君のプログラミングは、まだ少し甘い所があるから、その調整用のデータだよ」
「なら、ヘキサに仲介点になってもらうサ」
ヘキサ・アイリーンはアーちゃんの右腕だけどさ、大変そうだよねぇ。
今頃どこかでクシャミでもしてそうだよ。
「アーちゃんは行かないの?」
「あの女とは顔を合わせたくないから、お断りサ。
そう言うお前はどうなのサ?」
ギリギリの所までは接触したけどね。
まあ、彼女だったら多分大丈夫だと思う。
実質、ミス真耶は私との事を口外しないでくれているみたいだからね。
それに、私はラボでも忙しいから。
ウェイ君が思い付いたものを添削しながらも、製造、建造とかもしているから。
何を隠そう、
『FIAT特別技術協力者 ニラ・ビーバット』
『謎の隻腕OL
とは私の事なのだから!
ウェイ君の平穏は私が守る!