IS 速星の祈り   作:レインスカイ

4 / 97
Q.ウェイル君、もとい、『元』一夏君が見せられた映像ですが、設定としては生放送ですか?それとも録画された映像ですか?
P.N.『ニャーま』さんより

A.設定としては『生放送』の扱いです。
随分前に調べましたが、日本とイタリアの時差は『-7時間』相当だそうです。
ですので、イタリア近海で真っ昼間の場合、日本は夜になってる計算になります。
さて、それでは第一回モンド・グロッソが『何処の国で』開かれた設定になるのか。
それはまた何処かの回にてチョロっと出ますので。


第2話 新しい日常

イタリア語講座を受けながらのリハビリは大変だった。

リハビリ初期にはスプーンを持ち上げるのも大変で、食事をするのも時間が掛かった。

ベッドから降りてもマトモに歩けず車椅子を使用。

歩行のリハビリでも歩行補助具を使い、次は杖を使い、手摺にしがみつき、最終的には自分で歩けるようになってきた。

 

 

記憶を失った状態で目覚めてから四ヶ月、アリーシャ先生からイタリア語講座を受け続け、合格印とばかりにシャイニィの肉球プニプニを頬に受け、今日で退院だった。

入院生活初期には骨と皮だけだった体も、肉付きを獲て、人並みの体になった。

人並みの食事もできるようになったのも正直に嬉しい。

 

引受先のハース家は、『ヴェネツィア市』に在り、俺もそこに移る事になった。

 

「おかえなさい、ウェイル」

 

父さんや母さん、メルクも微笑んで迎えてくれた。

 

「…ただいま…」

 

ハース家に来てから口にした言葉。

もしかしたら当たり前にする言葉かもしれないけど、本当に新鮮な気がしたんだ。

 

ハース家に養子として、長男として、家族として迎え入れられ、俺に与えられた部屋に入った時には驚かされた。

本当にそこで生活出来るようにされていたからだ。

 

 

南方向に見えた窓を開けば、潮騒の音と海の薫りもした。

今日から此処が俺の帰る場所になるんだろう。

 

それから一週間後、ほかの生徒とは遅れる形での学校への入学…というか編入だ。

中学校一年生、メルクと同じクラス、窓際の席だ。

 

「ウェイル・ハースです、趣味は…釣りと水泳、特技は家事全般、かな」

 

家の近くに釣り人が集まるスポットがあるらしく、メルクの散歩道の近くらしい。

そこで、釣り人に混じって会話したり、釣りについていろいろと教えてもらった。

 

それと、退院した三日後、アリーシャ先生に勧められ、体力を養う為に近所のトレーニングセンターで水泳を始めた。

水中でも『歩く』ところからのスタートだけど。

お陰様で体力を追う形で筋力もついてきた。

俺の白髪については誰も触れてきたりはしなかったのは素直に嬉しい。

話すこともできないし、作り話も作れる気がしなかった。

 

それと…

 

何故だろう。

 

「む~…」

 

休日、水泳を終えた後、釣りに夢中になってるとメルクがむくれる。

 

何故だろう。

それでも視線は釣り糸の先の『浮き』に突き刺さっている。

 

「う~ん…」

 

釣りをしている間、何かが背中に触れている何かがあったような気がしていたんだ。

でも、何も思い出せなかった。

それとも、思い出すことを俺自身が拒んでいるのだろうか?

 

「よし、今日も大収穫だ!」

 

大きな魚がバケツの中でピチピチと跳ねている。

釣りが趣味なのは作り話なんかじゃなかった。

とはいえ、毎週の如くこの大漁日和が続いても、母さんも父さんも嫌な顔なんてしなかった。

アリーシャ先生も、偶にフラリと現れては、父さんに仕事に関しての愚痴を吐いてたりする。

母さんが言うには、父さんは聞き上手らしい。

あの二人、酒飲み仲間として意気投合してるような気がする。

 

「ウェイル~!次のムニエルは出来たサ~?」

 

「は~い、ムニエルと一緒にアクア・パッツァもどうぞ!」

 

「はははは!ウェイルは日に日に料理の腕前が上がっていくなぁ!」

 

「父さんもお酒はほどほどにしてくれよ」

 

なお、メルクはもう先に寝てもらっている。

明日は学校で日直の仕事があるからだ。

俺も同じく日直なんだが、こうして母さん、父さん、アリーシャ先生の晩酌の相手。

それと

 

「んにゃぁ…」

 

「はいはい、シャイニィにはロイヤル猫缶な」

 

「んなぁ~…」

 

はいはい、シャイニィも缶詰じゃなくてお手製の何かを食べたいのな。

ご主人同様にグルメなこった。

 

アリーシャ先生と同じくらいに懐いてくれているシャイニィの相手もしてる。

肩に飛び乗ってきたり、メルクの頭の上で丸まったり、見ていて和む。

さぁて、次の料理の準備に入りますか。

 

次は何を作ろうかな、そうだ、ラザニアでも作ろうっと。

母さんから教わったばかりの料理で、上手く作れるか判らないけど。

 

 

 

 

学校でも友人が出来ている。

 

「ウェイル!今日の帰りに書店に寄らないか?」

 

「お、いいな、釣り具のカタログも新しいのが出てるかもしれないし」

 

「お兄さん!今日の放課後には日直の仕事が在りますから!」

 

「…わり、少し遅れる」

 

「おう、頑張ってな!…いや、俺も手伝うよ!」

 

メルクは、俺のことを『兄』と呼んでくれるようになった。

俺が入院している間にアリーシャ先生が何か言っていたらしいのを病院の中庭で幾度か見た。

悪い気はしない。

 

「おい、そこのシスコン」

 

「シスコンじゃねぇっ!断じてシスコンじゃねぇっ!」

 

家族思いと言ってくれ!頼むから!

 

「メルク、今日は講義はいいのか?」

 

「はい!今日は大丈夫です!」

 

メルクはISへの適性が高いらしく、時折に講義を受けることがある。

中学に入学したら、国家代表候補試験を受けるように国からも指示されているのだとか。

将来的にはアリーシャ先生と同じように国家代表にもなれるかもしれないのだとか。

会える機会が失われる心配は少しだけ考慮してる。

その可能性が危ぶまれるのなら、俺はメカニックになろうかと考えてる。

 

『イタリアでも数少ない適性者』、そんな理由も在って、メルクは学校じゃ人気者だ。

シスコンのつもりは無いが、メルクは容姿にも優れていると思う。

隠れファンクラブも存在しているらしいが、手出しは絶対にさせないからな。

さてと、日直の仕事をさっさと終わらせますか。

 

友人になったクライド、キースに連れられ、メルクも一緒に書店に入った。

俺は釣り具のカタログに目を奪われ、メルクはIS関連の冊子に目を奪われている。

部屋には月毎の雑誌が並んでいる。

だが…

 

「…ッ!」

 

すぐさまその冊子を棚に戻した。

何か在ったのだろうか?

様子が妙だったので、行儀が悪いがその後の様子を見てみる。

おや、今度は料理雑誌の棚へと走っていってる。

どうしたんだろうか?

 

ISの冊子には何かあったのだろうか?

まあ、気にしないでおこうか。

 

「お、今回も載ってるな、『黒の釣り人(ノクティーガー)』氏。

へぇ…いいなぁ…この釣り具…」

 

俺が使ってる釣り竿は、一般的に流通している普通の釣り竿だ。

普通のロッドに、普通のリールに、普通のラインに、普通のルアー。

毎週こいつで爆釣りだから周りの目が冷たくなる時もある。

いつかは釣り場のヌシを釣り上げてやる、とか言ったら周囲の目がなおの事冷たくなったのは記憶に新しい。

 

だが黒の釣り人(ノクティーガー)氏は、俺よりも段違いの品を使っていて、身丈を超えた魚を釣り上げている写真を見せている。

この人、聞いた話だとどうやら半年くらい前から雑誌に掲載されるようになったらしい。

初掲載のキャッチコピーは『大物釣ってやるから待ってろよ』だったか。

 

それと、俺がルアーを使っているのは、メルクが釣り餌を見たときに真っ青になって逃げだしたからだった。

あの様子は兄さんショックだぞ。

釣り餌の虫はさすがにメルクには衝撃が大きかったらしい。

気を付けよう、店でも逃げ腰になってたし。

 

「お兄さん、今日は牛乳を買って帰りましょう?」

 

「…今日も(・・・)の間違いだと思うんだがなぁ…」

 

メルクは何があったのかは知らないが、牛乳をよく飲む。

朝食、夕飯、風呂上がり、一日三回は飲んでる。

俺もそれに付き合わされていて、牛乳をよく飲んでいる。

そのせいか、同級生の中でも俺は背が高いほうに入る。

今の俺の身長は160cm。

俺よりも上回っている人もいるが、どちらかというと少ない。

 

んで、メルクはそんな俺におんぶされると非常に喜ぶ。

そのまま寝入ることも少なくない。

何故かは判らないが、夜になり、寝るときもベッドに入ってくることもある。

雷が鳴っているときは十中八九飛び込んでくる。

 

懐かれているんだなぁ、とは素直に思う。

嫌われるよりもマシ、とはポジティブすぎる考えか?

 

「『ラビオリ』『タリアテッレ』か…良し、買おうか」

 

釣り具のカタログは立ち読みで終わらせ、料理雑誌を買い、ショッピングモールで牛乳を買って帰る。

牛乳は…どうしようかな…何か料理に使うか?

う~ん、魚にミルクで作れる料理とか何かあったかな?

今回購入した料理雑誌に載っていればいいけど。

 

「お~い、リーナァ!」

 

…ふとした時に足を止める。

誰かの名前が呼ばれる度に、誰かの声を思い出す…ような気がした。

その理由は、今になっても判らない。

俺が失ったかもしれない記憶を呼び覚まそうとしているのかもしれなかった。

 

正直、過去の記憶を思い出すのは怖い。

今、俺の目に映っている世界が偽りのものだったのではないのかと疑ってしまいそうで。

 

知っているような、知らないかもしれない誰かの夢を見る日は今でも続いている。

 

 

 

 

小さな女の子が、泣き叫びながら俺に手を延ばそうとしてくる

 

でも、顔を思い浮かべることも出来なくて

 

手を伸ばしても届かなくて

 

あと少しで手が触れそうになる、そんな瞬間に目を覚ます

 

目が覚めた瞬間に、涙がこぼれている時もあった

 

思い出せなくて

 

思い出したくなくて

 

メルクが部屋の扉をノックするよりも前に涙を拭う

 

でも、街の中で、学校の中で、俺は…誰ともわからぬ誰かを探していた

 

髪の長い女子生徒を見ると視線を向け

 

誰かの名前が呼ばれるたびに振り向いて

 

そんな日を繰り返している

 

あれは…誰だったのだろう…?

 

もしも出逢う事が出来たのなら、俺はどうなってしまうのだろう…?

 

 

 

「よし、出来た!」

 

今日の夕飯は焼いた魚の身をほぐし、『インサラータ・カプレーゼ』に和えてみた。

トマトやオレガノの風味に魚のホクホク感が一緒になっている。

ほかには…『コトレッタ・アッラ・ミラネーゼ』でも作ろうかな。

こうやって料理を作るのは楽しい。

勉強は苦手だけど、母さんとメルクに教えてもらって料理の分野では評価が高く、学校でも評判は上々。

将来メカニックになろうとしてるのにこんなのでもいいのだろうかと思う事も在ったり無かったり。

 

「ウェイル、ちょっとコレを見てくれないかしら?」

 

うん、家の中ではメカニックとして多少は役に立ってる。

父さんがモーターボートのメンテナンスとか教えてくれてから、機械に興味が湧いた。

今回のつい先日まで使用していた洗濯機がガタがきているらしい。

 

「う~ん、コレはどうだろうな?」

 

解体して中を見ていると、配線が少し露出して漏電しているようだ。

絶縁体のテープで巻いておけば大丈夫、かな?

これで補強にでもなるだろう。

試しに電源入れてみれば…うん、使えるな。

臨終かと思えば仮病だったようだ。

 

「お兄さ~ん!」

 

語尾にハートが付きそうな勢いでメルクが飛びついてくる。

これもまた日常風景だ。

でも包丁持ってる時に飛びついてくんな。

 

その際には全力をもって包丁を手から放すけどな。

 

そんな日を送っているから思う。

 

満たされている

 

なのに、なにか欠けている、と

 

 

 

「へへ、今日も爆釣り!」

 

釣りが出来て、父が居て、母が居て、妹が居て、姉貴分を気取るアリーシャ先生が偶に訪れて愚痴を言いつつ食っての大騒ぎ。

そんな日々が、毎日が楽しかった。

 

記憶を失う以前の俺はどうだったのだろう?

こんな日々を送っていたのだろうか?

 

判らない

 

でも、目を反らしたいと思っていた

 

卑怯な自分に吐き気がした

 

 

 

「過去の自分が知りたい?」

 

釣りの帰り道で、そんな声がした。

振り返るけど、そこには誰もいない。

 

「…気のせいか?」

 

「気のせいなんかじゃないよ」

 

背後

帰り道になるはずの通りへ視線を向ける。

でも、誰も居ない。

気のせいなんかじゃない。

 

「答えて、君は昔の自分を本当に知りたい?」

 

昔の自分、か。

記憶を取り戻したら、俺はこの場に居られなくなるのだろうか?

それは嫌だ。

 

だけど、夢に出てくる女の子を思い出せなくなるのは…?

 

時に、自分を疑うこともある。

もしも…もしも、俺の今の日々が、彼女の笑顔を奪い取る形で得ているのだとしたら…?

 

もしもこの日々が虚飾だったら?

 

そう考えるだけで怖くなる。

だから、答えなんて出せる筈がなかった。

 

「…判らない…」

 

「…そう、私は答えを強要したりなんかしない。

迫ることもしない。

答えを出すのは自分だから」

 

それきり声は聞こえなかった。

足音も…。

誰だったのだろうか…?

たぶん、知っているような…知らないような、曖昧な声だった。

あの夢に出てくる女の子か?

…まさかな…。

 

「なんだコレ?誰の落書きだ?」

 

近くの民家の壁面には、鵞鳥の落書きが書かれていた。

ただ、何かの本で見たことがある気がした。

なんだったかな…?

首を傾げた時点で理解した。

傾ける事で兎にも見えるイラストだ。

また妙な落書きをする人が居るもんだな。

 

「さてと、明日の朝食の分まで確保できてるし、何を作ろうかな…?」

 

カラっと揚げることにした。

 

その日の夜、母さんが頼んできたのは、長年使っていたらしい扇風機だった。

難しいけど修復出来たよ。

それと、メルクのベッドがほぼほぼ置物状態、物置状態になってきたのは…気のせいじゃないだろう。

毎晩俺の部屋に来てるんだもんな…。

 

俺、頼りにされてるのなら嬉しいんだけどな。

 

さてと、今日の宿題も片付けないと。

 

 

 

この家、ハース家に引き取られてから半月程経った。

 

家族は、暖かかった。

いつも、春の中にいるようで、心地のいい風が流れているようにも思える。

だから、何か礼をしたかった。

 

「メルク、この文法なんだけど」

 

「あ、はい、えっとコレは…」

 

イタリア語での会話にも慣れ、日常生活にも困ることは無い。

小遣いも定期的に出してもらえて、学校にも通わせてもらえて、兄としては情けないかもしれないけど妹に勉強も教えてもらっている。

料理もいろいろと教えてもらっていて、生活にも困る事が無い。

名前も、生きる場所も、帰る場所も、居場所も与えられて、与えてもらっているばかりで何かを返す形で、何かをしたかった。

一度父さんや母さんに相談してみたけれど、

 

「家族なのだから互いに支えあうのが当たり前だろう」

 

「ウェイルにも私達は支えててもらっているんだから、思いつめなくていいのよ」

 

そう言ってもらえて涙が出そうになった。

だから、できることは何でもやろうと思った。

 

けど、勉強とか『学ぶ』って事そのものが苦手であるらしい俺はそうそう『成功』ともいえるような結果は出せなくて。

テストの成績も下から数えた方が早い、成績はかろうじて人並み、人より優れたものなんて何も無かった。

けど、家族は俺を否定しないでいてくれた。

 

「ウェイル、アンタは思いつめすぎなのサ」

 

週末の夜、アリーシャ先生が家に遊びに来た。

俺が作った料理を、目を細めながら頬張り、ムシャムシャと。

その隣ではシャイニィもご馳走(ロイヤル猫缶)にありついている。

 

「思い詰め、ですか」

 

「そうサ。

人には『出来る事』と『出来ない事』がある。

そこにどんな形での境界線を作るかはその人次第、だけど何でもやろうとすれば人の手からはこぼれるだけ。

自分の手の内に収められるにも限界量がある。

アンタの手にはどれだけのものが掴めるか、考えてみたサね?」

 

…正直考えてない。

『家族の為に』、その言葉だけで色々とやろうとしてるけど、うまくいかない。

 

「酷な事を言うけどサ、出来る事は限られてるのサ。

志は立派かもしれないけど、同時に異常なのサね、『アレもコレも出来なきゃいけない』と思ってるのがサ。

だけど、今のウェイルはただの小学生、出来る事も、やらせてもらえる事も限られてるだろう?」

 

…なら、将来まで待てってことなのか…?

それまでずっと『何もするな』ってアリーシャ先生は言っているのだろうか?

 

「だからこそ言うよ。

『何もするな』とは言わない。

『可能性』を、より砕いて言うと、『やりたい事』を見つけな。

我武者羅にでもなっていいさ、出来る事を見つけるのは、人間として生きる醍醐味だろうからサ」

 

「それは…今と何が違うんですか?」

 

今の俺がやっている事と、アリーシャ先生が言っていることの差異が自分では理解が出来なかった。

何が違い、何が同じなのかもよく分かっていないといった方が正確だったのかもしれない。

 

「…ウェイルが努力をしているのは私も知ってる話サ。

だけど、アンタは結果を急ぎすぎてる、急ぎすぎて足元を掬われて、蹴躓いてスッ転んでるのサ。

もう少しだけ足元をしっかり確認しながらやっていきな、って事サ」

 

えっと…?

 

「そうサね、『釣り』と同じだと考えな。

ルアーを水面に放り込んでも、その瞬間に釣れるわけじゃないだろうサ。

時にはジックリと待つのも重要サ。

考えてみな、『魚がルアーに食らいつく』、『釣り上げるまでの時間』それが長いほど、大物だって判るだろうさ?」

 

ああ、そういう事か。

確かにそうかもしれない。

雑誌に載っていた『黒の釣り人(ノクティーガー)』氏も大物を釣り上げるまでかなり頑張ったのかもしれないんだし、そう考えてみよう。

俺にはまだ、あんな大物…身の丈を超えた魚を釣り上げるだなんて出来ないんだから。

 

「それに…」

 

アリーシャ先生が俺の背中に向けられる。

そこでは、メルクが俺の服にしがみ付きながら静かに寝息を立てていた。

 

「その子、メルクの笑顔も、アンタの努力の結果だろうからサ」

 

…そうか、もしもそうだったら嬉しいな。

 

「焦る必要は無いのサ。

頑張りな、ウェイル」

 

「…はい!」

 

 

 

 

 

その一週間後、近所の釣り場にて

 

「…この手応え!」

 

朝から晩まで釣り三昧。

たまたま来ていたアリーシャ先生が引いていたけど、今だけはスルーする。

釣り場の『(ヌシ)』らしきデカい魚影が釣り糸の先にかすかに姿が見えていた。

周囲の釣り人御一行も大騒ぎだった。

 

「頑張れよボウズ!」

 

「おい!取り込み準備だ!」

 

「タモ持って来い!」

 

「ウェイルの肩を支えてやれ!

ヌシに体重持ってかれてるぞ!?」

 

ヤッベェッ!(すげ)ぇ引き具合だ…!

手が震えてくる、このまま釣り場に引きずり込まれそうだ。

 

リールを巻く手も痺れてくる。

このままじゃジリ貧だ。

 

「ホラ、頑張りなウェイル!」

 

「絶対に竿を離しちゃだめですよお兄さん!」

 

「二人ともありがとな!」

 

超大物が泳ぐ方向に竿を傾けて、リールを巻く。

こんな超大物は今までに経験が無い、絶対に逃がしてやるものかよ!

今夜は御馳走だ!

 

「大物釣ってやるから待ってろよ、フッフッフッ…!」

 

「うわぁ…重症…」

 

ラインが切れるんじゃないのかと思う瞬間はそれこそ数える暇なんてない。

痺れて真っ白になりつつある手を普段より意識して何とか感覚を保たせる。

 

「こんのぉっ…!!」

 

どれだけ相手をしていたか判らなかったけど、手ごたえが少しだけ軽くなった。

超大物も体力がヘバってきたのだろう。

これ幸いとばかりに力強く竿を引き、リールを巻く。

桟橋近くにまで引き寄せる事には成功したけど、持ち上げようとしたら竿が確実に折れるだろうなぁとか考える。

それにもうヌシと思わしき超大物は…動かなかった。

 

「キース、クライド、頼む!」

 

「あいよ!」

 

「任せろ!」

 

ドボン!

キースとクライドが飛び込み、飛沫が派手に飛び散る。

 

「ウェイル、アンタも行きナ!」

 

「はい!」

 

「え!?ちょっ!待っ~!」

 

ロッドを桟橋に置き

 

ドボボン!

肩を支えてくれていたメルクも巻き込んで俺も釣り場に飛び込んだ。

俺も釣り場にとびこんだ。

メルクが気に入っていたらしい白のワンピースは、一瞬でずぶ濡れだ。

 

そこに居た魚はまごうことなく超大物だった。

雑誌に掲載されていた『黒の釣り人(ノクティーガー)』には一歩劣るけど、それでも初めての超大物だった。

 

「凄いぞウェイル!」

 

「写真撮れ写真!カメラ持ってこい!」

 

「その齢で主を釣り上げた奴は今まで居ないぞ!?」

 

「カメラマンはまだ来ないのか!?」

 

釣り上げたのは俺なのに、俺以上に釣り人達の方が大騒ぎしてるらしい。

 

本日の超大物。

超特大バス

体長 123cm

重量 68329g

 

…よくこんなもの釣り上げたな、俺。

 

「やったな、ウェイル」

 

「ヤベ、俺、夢釣っちまった」

 

写真撮影をして、俺の部屋に飾ることにした。

俺と、メルクとアリーシャ先生と、キースとクライド。

全員ずぶ濡れだけど、いい思い出ができた。

 

バスは…全員で一緒になって家まで運び、美味しく頂きました。

 

翌日、地元紙の片隅に載せられた。

 

『少年達、巨大魚を釣り上げる!』


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。