俺がISを起動させてからちょっとばかり経った。
あの日からというもの、春休みという時間に都合をつけて訓練から訓練への連続だった。
ISの起動から、歩行訓練、走行訓練。
ISの腕を使って物を持ち上げたり、兵装を持ち上げてみたり。
かなりしんどいのだが、飛行訓練も一緒に兼ねているというのだからこのカリキュラムは辛い。
「それじゃあ、今日の午前中のカリキュラムはこれで終わりよ」
テスターを兼ねているらしいヘキサさんのその言葉で俺はテンペスタの展開を解除し、床にブッ倒れる。
とはいえ、いつまでもブッ倒れているわけにもいかず、上半身だけを起き上がらせた。
無論、隣には一緒に訓練を受けていたメルクが。
「普段からこんなにも訓練をしていたのか、メルクは…」
「でも、お兄さんもついてきていたじゃないですか。初めての人なら、気絶だってしてましたよ?」
へぇ…気絶⁉
あのう、ヘキサさん?姉さん?
初級者コースでもこんな感じなのでしょうか?
俺が知らないだけという事も考えられるわけなのだが、もうちょっとお手柔らかに願えませんか?
しっかしこんな扱きに耐えていたとは、メルクも凄いな、もちろん姉さんも。
これくらいは耐えられないと候補生にも代表選手にも届かないのだろう。
「しっかし、俺がISを起動させる事になるだなんて思いもしなかったなぁ…」
俺が現在FIATから借り受けている機体は、テンペスタ。
イタリアが開発した高機動特化の機体だ。
で、俺の場合はテンペスタ・ミーティオを開発する際に試験機体として使われていたものだったりする。
世代で言えば『第二世代機』、けれど、第三世代機を開発するための稼働試験機体というのであれば、これは『2.5世代機』と言えるのかもしれない。
どっちつかずのフラフラな存在だ。
「ふぅぅむ…」
今はルーキーが稼働させるという事だから、アルボーレもアウルも外している。
今の所、設計・考案したものは合計三つ。
最後の三つ目、可変形式兵装『ウラガーノ』は、先にヘキサさんが使ってみていたが、大層気に入ったらしく、自身のテンペスタの
先程の訓練でも使い続けてたよなぁ…。
俺はというと、基本的なブレード『グラディウス』を使っている。
銃に関しても使っていたな、『トゥルビネ』を。
でも、どれもこれもしっくりこないというのが本音だ。
「お兄さん?どうしたんですか?」
「ちょっと今回の訓練での情報整理」
ただでさえ稼働させることに関してはド素人なのだから、反省材料が在るのなら其れを素材にして向上させていきたい。
こうやって見てみると…ブレードの構え自体が俺には合っていないように見える。
そして…
ハイパーセンサーを使用していれば、全天360°の確認が出来る。
その程度のことは俺だって知っている…なのに何故…?
「はぁ…もう一本右腕が在ればいいのにな…」
あ、在るか。
ルーキーが動かすからってことで、アルボーレは解除されていたわけだし。
「ちょっとハンガーに行ってくるよ」
「あ、私も行きます!」
今の今まで疲れ切ってしまっているのにも拘わらず、出来る事があると分かっただけで体が軽く感じられた。
姉さんに鍛えられているからか、ものの40秒でハンガーに到着する。
ハンガーに機体を展開させ、安置、固定する。
モニターを開き、早速作業に取り掛かる。
操作対象にするのは、テンペスタの右肩部分。
「よし、作業開始だ♪」
現段階で登録されている正式な右肩装甲を外し、稼働試験時に搭載していたアルボーレ付きの右肩装甲を新しく搭載・登録させる。
この兵装は稼働試験を行い、音声操作になっている。
「いや、ダメだな…見てから発声操作していたら結局のところは動くのが猶のことに遅れてしまう。
だから…」
そう、データだ。
搭乗者が反応したら、それを即座に情報伝達を行い、最適化された行動をできるように情報を蓄積させ続ける。
オート/マニュアル操作切り替えなんて、それこそオマケでしかない。
それこそ頭の中で思い描いていたリンクシステムの原型が此処に在る!
「後は…後は…そうだ、アレもだ」
どうにもブレードというのは俺には合わない気がしていた。
求めるとしたら、FIATの本社を見学させてもらった際に触れてみたアレを模した…
「『ウラガーノ』を、それと『アウル』も…いや、コレだけじゃあダメだ…」
なら…!
ぶっ通しで作業を続け、気が付けば休憩時間終了間際。
「あちゃ…昼ごはん食べ損ねたな…悪いなメルク…」
「い、いえ…大丈夫です…」
とか言ってる合間にメルクのおなかで腹の虫が暴威を広げて音を立てていた。
それに反応してしまったのか、俺の腹の虫も悲鳴を上げていた。
互いの顔を見て思わず笑いが零れる。
「休憩時間は終わったけど、食堂に行こうメルク」
「はい!」
俺達の行動を予期していたのか、姉さんが食堂で迎えてくれた。
「仕方ないサ」とか苦笑いしながら机の上に置いたのはバスケット。
開けばサンドイッチに、スープを入れた水筒も見える。
さらにデザートまでキッチリ用意してくれていた。
「それで、訓練はどんな感じサ?」
「正直、キツいかな。
けどメルクが乗り越えてきているんだから、俺もキッチリやっていかないと」
だから頑張ろう。
先の見えない道の中にいるとしても、歩ける場所くらいは、少しずつでも自分で模索していきたい。
「うん、なら頑張るといいサ。
私等はソレを応援するからサ」
その言葉が嬉しくて、けどそれを表に出すのが少しばかり恥ずかしくて、カップに注がれていたスープを一気に飲み干した。
じゃあ、訓練を再開しよう。
食事を終えてから訓練場に走る。
待ちぼうけをくらっていたヘキサさんからお説教された。
そりゃそうだ、遅刻だし。
物のついでに休憩時間返上で作業をぶっ通しでやってたからなぁ…。
叱責を受けている間は姉さんは、そんな俺たちを見て苦笑していた。
それからようやく訓練に移ることになる。
「ちょ、ウェイル君?一時間前とは機体の様子がまるで違うんだけど⁉」
「試したい事が在るんです。その為にも、このまま特訓お願いします!」
そのまま、東洋に向かう二日前まで訓練を続けに続けた。
メルク、姉さん、ヘキサさんもデータを惜しむ事無く与えてくれた。
それによって、音声制御はただのオマケになり、オート/セミオートの切り替えをするだけに限定した。
これでこの副腕の駆動は飛躍的に向上した。
俺が搭乗する機体にとりつけられたこの兵装は、この機体のためだけの
此処まで来たら『第三世代機』と言えるのかもしれないけど、生憎とそこまでの高性能というわけでもない。
だからこのテンペスタは未だに『2.5世代機』のままだ。
まあ、そこに関しては俺としてはどうでもいい。
で、訓練の最終日の夕暮れの中
「その機体は既にウェイルの専用機、ならその機体だけの名前が必要になるかもしれないサ」
「名前?」
「そうサ、すべての機体には名前がある。
イタリアの量産機であれば『
けど、ウェイルの機体はテンペスタⅡから色々といじって、その名残は高い機動性のみサ。
なら、ソレはテンペスタをベースにした別の機体、ミーティオと同じように、固有の名称が必要になるだろうからサ」
それなら、実のところは心の中で決まっていた。
コイツの名前は――――
「訓練って辛いなぁ…」
進級試験も終わり、終業式も終わっているからこそこんな無茶な事が出来ていたのかもしれない。
FIATで訓練漬け、それとバイト。
それらを終えてから自宅に帰ってたら日も沈んでしまっている。
母さんが作ってくれる夕食に舌鼓を打ちつつ、訓練やバイトの話をする。
家の中に居る時には皆は笑顔で居る。
そんなごく当たり前の風景が何故か嬉しい。
もしも…もしも、夢の中に現れる女の子を連れてこられたのなら、一緒に笑いあえただろうか。
夢の中ではあの女の子は泣いてばかりだったけど、笑顔にしてあげたいな。
それよりも、逢うのが最初かな…実在するかはわからないけど、どこかで逢えると信じていよう。
「で、ウェイル…そのジャケットは何サ?」
「FIATの売店で売ってたんだ、これ見た瞬間に買ってしまおうってね」
「衝動買い、ですか」
FIATの購買部もいいセンスしてるよなぁ…。
今日の帰りに売店へ寄ってみたけど、まさかのまさかで男性用ジャケットを売っているとは思わなかった。
明るめの紫色で、丈は膝に届くほど、腕の方も勿論長袖。
好都合なことにフードまでついているから俺の白髪もすっぽりと隠してくれる。
懐には眼鏡を入れられるポケットも付いているから、街中を歩く際には結構良い服だと思うんだよな。
それに着てると暖かいし!
海風受けながらたなびくコート姿っていうのも良いよな!
背中にはちょっと短いけれどロゴが記されている。
釣りするときにはお似合いにも程があると思うんだ。
期待してたら大物だって釣れる、そんな気がしてくるからね!
よし、明日は家族総出でクルージングに行く予定だから早速着て行こう!
♪♪♪
ウェイルの訓練は私とヘキサで交代しながら見てきたけれど、よく成長してくれていた。
必要な訓練量は搭乗者として必要最低限度で納めておくべきかと思ったけれど、その考えは即座に捨てた。
これからは望む望まないの意思に関係無く、渦中に飲み込まれる可能性が高い。
だから、メルクと並び立てるくらいの腕前が必要だった。
ウェイルには悪いけれど、実は訓練のコースは最初期から中級者コースの後半部位から始めていた。
とは言ってもそれでは自分の実力では間に合わないと判断したのか、機体のメンテナンスに走るようになった。
その結果が、あの異形のテンペスタ2.5。
兵装に関しても、自分が考案・設計したもので固められている。
しかも機体にアルボーレなんて搭載したから左右バランスがとりにくいというだけで装甲とスラスターの調整にも走り、標準兵装が使いにくいからというだけで兵装調整に走り、便利だからというだけでアウルまでをも取り付けた。
それでいて最終的には、テンペスタⅡを上回る機動性に至っている。
我が弟ながら少しばかり先行きが心配サ…。
そんな状態でみっちりと訓練漬けに至り、上級者コースにまで手を付け始めていた。
訊いてみれば、さらにその先のことで何か考えが在るらしい。
う~む、我が弟ながらちょっとどころかかなり先行きが心配サ。
翌日、家族総出でクルージングとなった。
なんでこの家は何かあればクルージングなのだろうか。
メルクは海を見るのが好きだし、ウェイルは釣りが好きだし、親父さんのヴェルダはクルーザーを動かすのが好きらしいし、お袋さんのジェシカは海鮮料理が好きだし…あ、そういう家族か今更だけどサ。
まあ私も海風を感じるのは嫌いじゃない。
とはいえ3月の海はまだ寒いサ。
「ウェイルは変な服が気に入ったみたいサ」
明るい紫と言うかあれは…明け方の空の色のようにも見える。
髪を隠すにも都合のいいフードまでついている。
とはいえ、あの背中の模様というかメッセージというか…
その言葉の出所をウェイルは知らないんだろうけど、知ってる者から見れば思わず二度見する代物サ。
「まあ、気に入っているのなら悪い話でもないサ」
弟がエドモン・ダンテスのようにならないことを祈るのみサ。
その日は沖合に出てからも釣りをしたけれど、どうにもウェイルの竿は反応していない。
これにはシャイニィも首を傾げ、カモメを相手にして遊んでいる。
相変わらず捕まえられてなかったけどサ。
反面、メルクの所にはカモメが多く集まってきている。
お昼にサンドイッチを食べていたら自然と集まっていたらしい。
「メルク、アンタ羽だらけになってるサ…」
「アハハ…」
どうやらサンドイッチは全部持っていかれてしまったらしい。
それに引き換え、ウェイルはとくると…
「なんで今日に限って釣れないんだよ………」
物凄い落ち込んでいた。
いつもは爆釣日和だってのに、初めて試す釣りのポイントでは朝から一匹も釣れてなかった。
「まあ、今日みたいなことは偶には在るサ」
普段が普段だけにこの落ち込み様…。
これは海鮮料理は明日に期待するとしようサ
その日の夜、クルーザーで初めての海の上での宿泊になった。
クルーザーの中は海の波で揺れるけど、寝るにはなかなかに寝心地のいい寝床もあって快適。
家族全員揃って静かに寝ていた。
シャイニィも今はウェイルと一緒に寝ている。
それを見越して私はクルーザーのデッキへと足を向けた。
家族には聞かれたくもない話なだけに、真夜中のデッキは静かでいい。
冷たい海風を感じながらノートパソコンを開き、通信回線を開く。
「ヘキサ、新たに集まった情報は?」
「フランス、デュノア社にて不穏な動きが見られます。
今回のウェイル君と、日本の織斑に反応したものと見られます」
デュノア社、か…。
第一回大会では例の誘拐事件の報せが入った際に、真っ先に大会の敢行を選んだ企業だったサね。
そう指示をしたのは、社長夫人。
実際には過激派にも繋がりを得ているのも確認できるけれど、フランスの政界上層部に通じる者が居て手出しが出来ない。
後にフランスが全世界からバッシングを受けるようになってからは、国外に逃亡することも出来ずに今に至っていた筈。
「デュノア社で何が?」
「暫く前からテスターを一人雇い入れたそうですが…プロフィール情報を入手したので、転送します」
転送されてきたデータを見ると…
「これは…?」
翌朝
物音がして目を覚ます。
情報を頭に叩き込んだ後、私も寝床に入ってからグッスリと眠っていたらしい。
「ニャァ」
物音の正体はシャイニィがベッドに飛び上がってきたかららしい。
頭を撫でてやり、時計を見てみる。
「ふ…ぁ…まだ夜明前サ…もう少し眠ろうサ…ん?」
扉の開く音に続けて足音が聞こえる。
誰なのかが気になり、残っていた眠気が一気に吹き飛んだ。
ベッドから降り、コートを羽織ってから外に出てみる。
その瞬間に、「ビュッ」と風切りの音。
「あ、姉さん…おはよう」
「おはようウェイル、朝早いサね」
「いつもはもう少し寝てただろうけど、今日は目が覚めてさ。
ジョギングにも行けないから昨日のリベンジだ」
海釣り用の極太ロッドを竿立てに引っ掛けて周囲を見渡してる。
その背中には昨日と同じジャケットが…。よっぽど気に入ったらしいね。
「ウェイル、アンタは極東の国に旅立つことをどう考えてる?」
ずっと気に掛かっていたことを訊いてみる。
あの国は、かつてはこの子の産まれた国。
いい思い出なんて言える事はそれこそ少ないだろう。
実の家族のせいで何もかもを失い、得られるはずのものも得られず、青春を、時間を、希望を踏みにじられてきた。
最終的には、国益の為に、国までもが見限ったという情報も私の手元には来ている。
そんな場所に、妹と弟を送るというのは途方もなく不安でならない。
ましてやあの国には、あのクソガキ共とあの女が居る。
その二人が要因となって猶の事に不安を煽ってくるから心配でならない。
「う~ん、やっぱり不安かな…。
けど、そこに行ったら今まで知る事の出来なかった事も知れるんじゃないのかなって思う分も在るんだ。
だから、不安半分楽しみ半分かな」
何も知らないのは本人のみ、か。
「それでも…さ、俺は姉さんやメルク、父さんや母さんと過ごしたヴェネツィアが故郷なんだって今でも思えるんだ。
だから、都合がついたら頻繁にイタリアに帰ってきたい。またみんなと一緒に過ごしたいって思ってる、これは確かな本音だ」
出来る事ならずっとイタリアに居てほしいと思っているのは私の我儘。
でも、その我儘で弟や妹を振り回すのは姉としてはよくない行為サ、それくらいは理解している。
だから、ここは背中を押してあげよう。
それが私のすることだろうサ。
「なら、私は待っておくサ。
いつでも帰ってきなよ、ちゃんと出迎えてあげるからサ」
「うん、頑張ってくるよ…⁉」
急にウェイルの視線がそれる。
何事かと思えば、釣り竿に反応が。
「来た!」
釣り竿を力強く握った瞬間だった。
「うおおわぁぁぁぁっっ⁉」
「ウェイルッ⁉」
あんまりにも引きが強かったのか、釣り竿ごと上半身がクルーザーの柵を乗り越えていた。
叫び声が聞こえたのか、寝ていた面々も飛び出してきた。
そして全員で引きずり込まれそうになっていたウェイルの体を引っ張る。
ちょっ、どんだけ引きが強いのサ⁉
「なんだコイツ⁉こんなに強い引きが来たのは初めてだ!
これは…100kg超えてるんじゃないのか⁉」
そんなもの釣った日には自己記録更新だろうサ…って言ってる場合じゃなくて!
確かに引きが強かった。
今までこんなにも引きずり込まれそうなのと言えば、近所の釣り場でヌシを釣り上げた時もこんな感じだった。
だけど、今はあの時よりも…随分前にマグロを釣り上げた時よりも更に強い。
ウェイルの手も白く染まっているほどに強く握りしめているのが理解出来た。
「ウェイル、頑張れよ」
「さあ、この魚は私が早速捌いてあげるからね」
「お兄さん、頑張って!」
「大物釣ってやるから待ってろよ、フッフッフ…」
「うわぁ、もう、重症…」
夜明前からのこの釣りが、成果を出したのは太陽が昇り始めた瞬間だった。
水面に現れたその釣果を見て本当に眩暈がした。
ああ…とうとうとんでもないものを釣り上げてしまったサ。
「う~む、コレはタモに入らないな…」
「かといって、糸を手繰り寄せたら切れて逃げられちゃうよなぁ…」
「姉さん、ISを展開しても良いかな?」
「はぁ・・・仕方ないサ」
二人がテンペスタを即座に展開し、手摺を飛び越える。
メルクがアウルを、ウェイルがアルボーレを展開し、頭と胴体を掴む。
度重なる訓練で、二人ともあの装備の扱いに関しては一級品。
さっさと船上に運び、その釣果を見せつけてきた。
「釣りってそんなに楽しかったっけ…?」
その呟きと一緒に重量を量ってみた。
今迄此処まで陸地から離れることはなかっただけに釣果は正直未知数だった。
その成果が…
「やりぃ、記録更新だ、それも倍以上に♪」
今回の釣果:マグロ
大きさ:2.58m
重量:280kg
カシャリ
そんな音と共に携帯で撮影する。
撮影対象は勿論、ウェイルと大物のマグロ。
背景には明るくなり始めた明るい紫色の空。
この写真を見ながら思う。
………どう考えても現役の漁師が釣るような代物サ。
釣竿はどうやら全て手作りらしい、廃材を利用して作ったらしいけど…良いのかFIAT…。
なお、その後は鯖、黒鯛、カワハギ等、見境無しに魚が釣れていた。
あの竿は魔法の竿か…?
港に戻ってからというもの、そのマグロを持ち出したら一気にとんでもない事に。
そして船から降ろす時にも一悶着が。
重量が重過ぎる為、私とウェイルの二人でISを使ってまで運び出そうとしていたけれど、急に息を吹き返したマグロが元気いっぱいにビッチビッチと跳ね
「あっ⁉」
船の外へ逃げ出そうと。
まあ、逃げた先は海ではなく桟橋だったけれど…
「ギャァァァァァァァッッ⁉」
その超重量に潰された人が居た。
「……誰サ、アレ?」
「えっと…暫く前に話した『
潰された男の背中の上でマグロがビチビチと跳ねているというシュールすぎる光景がそこに出来上がっていた。
物のついでにどこぞから「――――が―んだ⁉」だの「この――なしぃっ!」だのという声が聞こえてきた気がしたけれど、そのすべてを無視してマグロを台車に乗せる作業に取り掛かることにした。
潰された男はウェイルが言うところの『
それからというもの、夜明け過ぎの港はオッサン衆が集まって大騒ぎ。
港の競りにマグロを持ち込んで大騒ぎ。
凄まじい金額にまで上り詰めてハース一家は唖然に。
当面家計簿は黒字になるとか。
「こんな事になるとは思わなかった…」
と言うのがウェイルの言だった。
ああ、私からしても全くの予想外サ。
挙句に新聞社の記者も来るわ、地元のテレビ局の報道者も来るわ、ラジオも来るわ。
ウェイルの首根っこつかんで、船の中に再び戻る羽目になった。
その後も紆余曲折があり、帰る際には釣り竿の数が増えてしまっていた。
ウェイルの顔が少々引きつっていたけど。
翌日、早朝のニュースを見れば予想通りに報道がなされていた。
そして同日にウェイルが購入してきた愛読の雑誌『月刊 釣り人』にも、その知らせは掲載されていた。
幸い、顔写真とか、名前は広まっていない。
だけど、人の口に戸は建てられないというのは世の常。
「素性が広まるのも時間の問題サ…いや、今更か…」
明日にはウェイルとメルクは極東に旅立つことになる。
あの学び舎に行けば、それだけで顔と名前が世界中に知れ渡ることになる。
「あれ、これ誰の事だろ?」
「どうしたんですかお兄さん?」
「ほら、此処」
ウェイルが指さした雑誌の中の一面には
『夜明け過ぎに巨大マグロを運び込んだ人物、巷ではこう呼ばれることに』
「…は?」
「…え?」
「えっと……」
こう記されていた。
『
ウェイルが釣りに目覚めたきっかけとなる人物『
その日のお昼、ウェイルがお袋さんと一緒に料理をしている途中、私は外でメルクと話す事にした。
問題は色々とある。織斑姉弟に、日本政府に、フランス政府とデュノア社の蠢動とか色々と。
「最悪のことが起きた場合、それを暗号通信できるようにしておいたほうが良いサね…。
ああ、それとサ、例のシステムが完成したから、ウェイルともども機体にインストールしておくように」
「はい!」
まあ、こんなところで良いだろうサ。
家の中からはいい香りが溢れ出してきている。
食欲をそそる香りっていうのはこういうことを言うのかもしれないサ。
食事を終えた後には、荷物の最終確認に移ることになる。
極東に旅立つ、だけでなく長期滞在のような形での留学。
私としては途方もなく心配でならない、IS学園に突き出しておいてやった要求は全て呑ませる事に成功し、織斑千冬には常時監視出来る環境を作り出した。
あの学園にはイタリア出身の学生も居るのだから猶のことだ。
それでも心配は絶えない、でも私は絶対にそんな様子を弟達に見せるわけにはいかなかった。
これは私自身の誓いだから。
「よし、荷物の最終確認も出来た。
あとはこれの空輸の手続きを、と」
明日には出立の予定になっている。
見送りには私もその場にて立ち会うことになっている。
「極東でも頑張りなよ、ウェイル、メルク」
「ああ、勿論。
でもシャイニィを連れていけないっていうのが残念だよ」
「ニャァ…」
机の上でのんきに欠伸をしていたシャイニィが首を傾げる。
本当に…この数年で仲良くなったものサ。
翌日の朝、二人の機体にウェイル考案の虎の子のシステムである『リンク・システム』をインストールさせ、すべての準備が整った。
リンクシステムは、搭載した機体が得られた経験値を互いに共有しあうというもの。
言わば、ウェイルのテンペスタが得られた経験値はメルクのテンペスタ・ミーティオにも蓄積される。
そしてメルクのテンペスタ・ミーティオからウェイルのテンペスタへも蓄積・共有される。
経験値とはすなわち情報、後々にデータを移植させる手間すらリアルタイムで省いてくれるという優れもの。
面白いことを考え付くものサ。
で、とうとう空港にやってきた。
…やっぱりと言うか何と言うか…例によって例の如く、オッサンどもまで見送りに来ていた。
この空港の警備はどうなってんのサ…。
いや、気を引き締めよう…とは思ったものの、ウェイルはよほどのこと気に入っているのか背中に『Attendere e Sperare』と記されたジャケットを羽織っている。
いやいや、気を引き締めよう、此処でちゃんと見送りをしておかないと私自身も後悔しそうな気がするサ。
「今は…ジェシカが色々と言いつけているみたいサ」
とは言っても親父さんと一緒にニコニコとしながらだから迫力なんて碌に感じない。
あの人が笑顔になっていると周囲もつられて笑顔になっていく、それは私も変わらない。
両目にしっかりと焼き付ける、あの二人の微笑みを…いつか、いつの日にか、あの笑顔を
「ウェイル、メルク、極東でも頑張ってきなよ。
それと、ちゃんと毎日連絡を入れてくるのも忘れないようにサ」
「ああ、わかってるよ、姉さん」
「学園でも頑張ってきます!」
元気も呑気も心得ている私としては、この笑顔が続けばいいと思ってる。
だから、今からは目の届かない場所に行ってしまうのが心苦しい。
だけど、鳥はいつかは巣から飛び出し、新しい場所を見つけて羽ばたいていく。
もしかしたらそれは今この時なのかもしれない。
だけど、この子たちが笑顔で飛び立つというのなら、私も笑顔で見送ろう。
「じゃあ、行ってきなよ」
だから、これは私の我儘。
「いつでも帰ってきなよ。アンタたちが帰ってくる場所には、私達が待ってるからサ」
こうして、私の弟と妹は極東へと旅立った。