IS 速星の祈り   作:レインスカイ

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夜勤明けの方はお疲れ様です。
疲れた体には角砂糖三つ入りのコーヒーを。

そうでない方は、おはようございます。
眠気覚ましに、ミルクたっぷりの紅茶を。

これから出勤の皆さん、行ってらっしゃい。
携帯電話やスマホ片手に、ヨーグルト飲料を。

胸焼け起こさぬ程度に今話をどうぞ。
なお、今話のコンセプトは
『走馬灯』『果実のような過日』です。


Q.束さんの中の人と言えば、ウサミミのキャラとして
『アブソリュート・デュオ』より、ウサミミ先生
『Kanon』より、年上ウサミミ剣士
等が思い浮かびますが、千冬さんの中の人は、ケモミミって居るのでしょうか?

A.なんというマニアックな質問…。
私が知っている範囲では
『.hack//G.U.』『.hack//Roots』『.hack//Link』より《タビー》

『.hack//SIGN』『.hack//Link』より《ミミル》
などが居ますね。
前者はネコミミ娘&ネコミミナース
後者はウサミミ剣士
となってます。
ジャンルが片寄っているのは御愛敬です。


fragment:B 終わりの刹那

利き腕を…右腕を骨折し、それを契機に俺は剣道を辞めた。

治るのは当面先のことになるし、それまでは利き腕が使えないというハンデを負った生活を送る事になる。

  姉は、腕の骨折が完治後、再び剣道をさせようと繰り返し言ってきた。

ペンを握るのも左手、ハサミを握るのも左手、自宅でやってた見様見真似の料理だってやりにくい事このうえ無い。

服の着替えだって面倒になって時間がかかる。

 

兄にあたる  は手伝ってくれない。

姉にあたる  姉も「お前なら出来る筈だ」の一点張りで手を貸してくれなかった。

木刀で殴って腕を骨折させてきた張本人である も「お前が軟弱だからだ、情けないぞ」と俺を罵って、そのまま居なくなった。

 

情けなくていい。

『情け』が無いより、ずっと良い。

 

日常生活にすら支障をきたしていたのに、誰も助けてくれない。

身内も、他人も。

 

生きる日々が、俺には絶望だけだった。

 

この街が嫌いだった。

 

離れたいと思う事は幾度もあった。

 

自分の家も嫌いだった。

 

出ていきたいと何度も思った。

 

でもそうするにも障害は多すぎる。

 

齢10にも満たない子供が、街や家を離れていくにも、懐事情だけでは無理だった。

それに捜索願いなんて出されたら、見つかるのが関の山、自宅に引き摺り戻されるだけだ。

仮に見つからなかったとしても、生きていくだけでも必死だ。

スリだとか物乞い程度しか出来ないだろう。

生きていく場所、収入、その他多く。

 

たかが小学生には無理な話だ。

 

だから、堪えるしか、我慢するしか無かった。

せめて、中学を卒業したら、どこかでボロくてもいいからアパートなり借りて、アルバイトをして、良ければ就職して生きていこうと、その時には考えていた。

帰り道に、だれにも秘密で書店に寄って無料の『求人情報誌』や『賃貸住宅』のパンフを持ち帰ったこともあった。

 

そんな日々の中、彼女と出逢った。

顏と名前が一致してからも、彼女は涙交じりで過ごす日々が多かった。

なんとなく、嫌だと思った。

笑顔を浮かべている所を見たいと思ったんだ。

下駄箱で泣いている所を見つけ、声をかけた。

 

「どうしたんだ?」

 

って不器用に。

 

その女の子は背中をビクリと震わせた。

俺を怖がったのか、声が怖かったのかは…よく判らない。

 

「…………」

 

小さく、細い指先が下駄箱の中を指差す。

真新しかったであろう白いスニーカーは落書きに覆われていた。

俺も似た経験が在ったなぁ。

『出来損ない』だとか『無能』だとか『織斑の面汚し』だとか日常レベルで。

その都度に洗って、乾かぬ間に登校だとか無茶を日常としてたりする。

 

「なんで、なんでこんなめに遭わなきゃいけないのよ…!?

私は…何もしてなんかないのに…!?」

 

そう言って、また涙を流した。

嗚呼、この子も同じなんだ。

居場所が無くて、周囲からは爪弾きにされて、そんな日々に疲れているんだ。

 

肩提げの鞄からビニール袋を取り出し、女の子の靴を入れる。

背を向けてから腰を落とした。

 

「家、何処だ?運んでいくよ」

 

「な、なんで…!?アンタとは碌に話もしたこと無いのに…!?」

 

自分でもよく判らないのが正直な本音だ。

でもほっとけなかった。

同じクラスだから?

席が隣り合ったから?

どう言っても信じてもらえそうにない。

 

「家族が待ってるんじゃないのか?」

 

だから、卑怯な言葉で切り上げた。

渋々と、女の子は俺の背中にのった。

それを確認して俺は立ち上がる。

 

うわ、軽いなぁ。

 

素直にそう思った。

 

痛てててて、治りかけの右腕には辛いや。

 

馬鹿にも痛みに堪えることになった。

これで完治にはまた遠くなったかも。

 

「じゃあ、行こう。

家まで案内を頼むよ」

 

「うん、ありが…と…う…」

 

また、俺の背中で泣いていた。

この子、本当に泣いてばかりだな。

でも、俺はまだこの子の笑顔を見たことが無い。

笑顔を見たい。

 

いや、違うな…『笑顔にしてあげたい』って心の底から思ったんだ。

 

彼女の家は、真新しい中華料理店だった。

到着した途端に、俺の背中で眠ってしまったけど。

流石に女の子の部屋を覗きこむわけにもいがず、親御さんに預けた。

ついでに靴も。

 

両親にも軽く挨拶をして、その日は終わった。

俺が動き始めたのは、その翌日からだった。

何かと声をかけ、彼女に害を成す人が近寄らないようにしただけ。

  兄も突っ掛かってくる時があったけど、その時には、俺が堪えるだけでいい。

彼女の笑みが絶えないようにするので精一杯だったから。

 

半月程の時間は掛かったけど、彼女に対しての迫害は無くなっていった。

本当の彼女は、感情が豊富で、コロコロと色んな表情を見せてくれた。

悲しむような顏は、もう殆ど見せなくなった。

 

「もう俺は、必要無い、かな」

 

そう考えているだけで、自己満足ってやつかもしれない。

誰からも、何一つ認めてもらえなかった自分だが、たった一人を笑顔にしてあげられた。

それだけでも俺には充実感で満たされていた。

 

俺の居ない所でも、きっと笑顔を見せているんだろう。

そう思って、俺はそっと離れた。

 

腕を骨折して以降、密かに釣りを趣味にした。

釣り竿とか、道具一式を買い揃えるほど小遣いも貯まってないから、近くの釣り堀店のレンタル品だ。

 

「よし、釣れた」

 

色んな魚を放流しているらしく、目移りする。

食用出来る魚が釣れたら、持ち帰ったり、その場で捌いてもらえたりするから、正直ありがたい。

特に俺は後者のサービスをよく利用させてもらっている。

 

「渋い趣味してるのね、釣りだなんて」

 

「凰さんか」

 

「よそよそしい呼び方はしなくていいわよ」

 

胡座をかいて座っている俺の背中に寄りかかるようにしてくる小さな温もりを感じた。

 

「じゃあ、なんて呼べばいい?」

 

「そうね…私、鈴音(リンイン)っていうのが名前なんだけど、家族…両親からは(リン)って呼ばれてるの。

アンタも私の事をそう呼んでほしいな」

 

「そ、その内にな」

 

知り合って半月程の女の子をニックネームで呼ぶのは、少し恥ずかしかった。

それに、俺が近くに居ては、この子の身にも、また危険が付きまとう。

しかもそれを扇動してるのは、俺の実兄なんだ。

俺一人だけならまだしも…だから…

 

「ダ~メ、早速今日から!…じゃなくて、今から!」

 

わぁ、ハードル高い…。

それから十分後に折れ、彼女の要望通りに名前で呼び、彼女も俺の下の名前で呼びあうことになった。

ついでに、その日はそれ以降は魚が釣れず、ボウズだった。

…捌いてもらってから、もって帰ろう。

 

帰り道は、手を繋ぎながらだった。俺の左手は鈴の右手に。

俺が釣った魚は、クーラーボックスに入れて、鈴が肩から提げてくれていた。

右腕の骨折を気遣ってくれての事だ。

 

先に鈴を自宅に送る最中、同学年で知り合った『弾』と『数馬』と出合う。

二人して近所の本屋で漫画雑誌の立ち読みをしてたとかなんとか。

 

「最近は二人して仲がいいよな」

 

弾の言葉がきっかけだったかもしれない。

後に、俺が抱えていた想いの根底を引き出したのは。

 

「なぁに?羨ましいの?

アンタには妹が居るでしょ?」

 

弾には妹が居る。

俺も偶に会話をするくらいだけど、弾と仲が悪い訳じゃなさそうだが。

 

「妹は妹、兄貴の目の内には女の範囲には入らないんだよ」

 

そういうものなのだろうか?

俺には妹は居ないが、姉が居る。

…確かに女の域に入るかは微妙だ。

世話になってるのは確かな話だけど、傍観者だし。

家長かもしれないけど、家事は壊滅的。

 

兄は、他人だ。

それこそ兄らしいことなんてしてもらった記憶が無い。

常に見下してきたり、暴力や侮蔑の言葉を投げつけてきてた。

 

…本当に、産まれた場所が悪すぎた。

だから、こうやって家族を自慢出来る人が羨ましい。

家族を自慢出来る人が、どうしようもなく眩くみえた。

 

「んじゃあ、俺等は此処までだな。

鈴、一夏、またな」

 

「また明日」

 

幾つかの通りを歩いた所で二人と別れ、鈴との二人きりの帰路になった。

弾達と一緒に居た時もそうだったけど、ずっと手を繋いだままだった。

嫌だとは思わなかった。

柔らかな微笑みを浮かべているのが、横顔でも見られたから。

 

うん、弾が言ったように、仲が良い内に入るんだろうな。

 

握られている手を握り返す。

小さな手で、細く華奢な指で握り返してくれる。

指を絡めてくる。

そのまま少しだけ強く握ってくる。

何となく、俺もそのまま握り返した。

鈴は何が嬉しいのか、笑顔を浮かべている。

その笑顔を見られただけで、俺も自然と頬が緩んだ。

 

 

 

  兄は基本、俺に対し見下す口調を使っている。

俺が兄に反論をしようものなら侮蔑の言葉と共に暴力が飛び出す。

 

「痛てて…相変わらず加減無しだな」

 

  兄は十全に優れている。

他者が出来る事は、大抵出来ていた。

運動然り、勉強然り、剣道然り。

誰もが兄を称賛し、俺を比べる。

比べる事で、  兄が優れている事が強調され、俺が劣っているのだと侮蔑された。

腕の骨折が原因で、剣道を辞めざるを得なかったのだとしても、周囲は事情も察せず、『挫折した愚弟』だと罵った。

事情を知っている筈の  兄は、それ止めるどころかを扇動し、焚き付けた。

何ヵ月か経った今になってその話を持ち出し、俺が反論したらこのザマだ。

幸い、学生服で隠れているが、体のあちこちに青アザが残っている。

病院に行くのも億劫で、小遣いを少しずつ削って市販品の湿布を貼っている。

 

鈴にも秘密にしている事だった。

 

「…骨にヒビが入ってなければいいんだけどな」

 

今回は体全体が打撲だ。

 

「出来損ないのくせにオレに歯向かうなっ!」

 

その言葉と共に殴り飛ばされ、階段から転げ落ちた。

おかげで全身が痛い。

もう剣道とは何の関係も無いだろう。

 

今日も今日とて、  兄よりも遅れて家を出て、学校に向かう。

戸締まりは全部押し付けられている、食後の食器の片付け、洗濯物を干したり、それは全般的に俺の仕事になってた。

  兄も、  姉も、その事については何も言わない。

いつの間にか、俺にそういった事が割り振られていた。

 

Prrrr

 

出発しようとした矢先、電話が鳴る。

どうやら  姉のようだった。

 

姉は、『苦手』だ。

嫌いとまでは言わない。

いつからそう思うようになったのかは覚えていない。

助けてくれた事なんて無い。

本意になってくれた事も無い。

ただ、傍観者のような存在だ。

 

「…はい」

 

  兄は既に不在だから俺が近くの受話器を取るしか無かった。

 

「一夏か、もう少し早く電話に対応してくれ」

 

「…洗濯物も干して、戸締まりしてたんだ」

 

「明日、私が試合に出場する事になっている。

日本時間でいえば、明日の夜に放送される予定だそうだ」

 

まだ言いたい事が在ったのに、それを遮るように自分の用件を伝えてくる  姉。

 

「お前にとっても見本となる試合にもなる筈だ。

必ず見るようにしろ」

 

「判ったよ、それと」

 

「それでは切るぞ。

  と仲良くしていろよ」

 

プツッ、ツーツー

 

切られた。

言いたい事が在ったのに。

いつも、こうだった。

伝えたい事が在ったのに遮られる。

弱音を吐きたくなっても、飲み込まされる。

本音を言いたい時もあしらわれる。

  兄と仲良くしていろ、と言われても、仲良く出来ていた事なんて一度も無かったのに。

俺から歩み寄っても、弾かれているのに。

  兄とも、 姉とも『家族』でいられた事なんて無いのだろう。

 

『家族』という言葉が嫌いだった。

それは俺にとって届かない幻だから。

姉と兄が居ても、ただ比べられるだけだから。

 

『家族』という存在に憧れた。

鈴達が語る話が、あまりにも眩しいから。

 

「…見ないよ、俺は…」

 

  姉が出場する試合だったとしても

 

受話器を置く。

その『カチャリ』という音が居間に冷たく響いた。

 

 

 

戸締りをしてから家を出た。

鞄を肩に提げてから見飽きた通りを歩む。

 

だけど、ここ数日だけはこの道を歩くのが少しだけ楽しかった。

鈴達と親しくなれたから、かな。

 

「い~ち~か~!」

 

俺を呼ぶ声が聞こえた。

鈴が俺の名を呼びながら大きく手を振っていた。

弾と数馬の姿も見えた。

 

「ああ、おはよう」

 

その言葉を言い出せるくらいには、元気があるように見せられた。

 

鈴が弾に鞄を投げ渡してから俺に飛び付いてくる。

左手だけで受け止め、そのまま一回転。

鈴は楽しげな微笑みを浮かべ、俺は体の痛みを隠す為に、無理矢理に作り笑いを浮かべた。

上手く作り笑いが出来ていたかは不安だった。

 

「…よう…」

 

「…ああ」

 

弾と数馬は知っている。

だから、俺から頼んだんだ。

  兄からの暴力を、鈴に黙っていてほしい、と。

 

「じゃあ、行こうか」

 

数馬の声で、俺達は歩み始めた。

 

「今日って何か小テストとか在ったっけ?」

 

「無いよ、でも英語の授業が在ったよなぁ。

将来的に使う事も無さそうなのに」

 

「明日は家庭科の授業が在るわよねぇ。

私としては、そっちが楽しみなんだけど」

 

「流石、大衆食堂の娘」

 

弾が余計な事を言って足を踏まれてた。

お前だって似たり寄ったりだろ。

 

「『中華料理店』って言いなさいよ!」

 

「変わらんねぇだろ!

痛い!痛い!足踏むな!悪ぅございました!

大衆食堂の跡継ぎなのに料理下手でスンマセンっしたぁっ!」

 

寧ろ胸を張っての謝罪にビックリだ。

しかも後半が自虐的だ。

 

「だったら胸を張って料理出せるようにしなさい!」

 

「うぅるせぃ!人に『胸を張れ』とか言うくせにお前は張る胸も無いくせに威張んじゃーーー」

 

 

俺は静かに目を閉じた。

その間に『バチィンッ!』とか生々しくも聞き慣れた音が聞こえてきたのは気のせいだ。

気のせいったら気のせいだ。

ただ風が通り過ぎていっただけなんだ。

 

 

 

 

「ごめんなさいっした、誠に申し訳ありませんでした、二度と言いません、お許しください、これ以上はどうか御容赦くださいませ」

 

弾の顔面には綺麗な紅葉が咲いていた。

『頬に』ではなく『顔面真正面に』だ、斬新だよな。

マンガやアニメでも見た経験が無い。

 

風が派手な音をたてながら通り過ぎ、弾が謝罪マシンになった状態を放置し、鈴は俺の手を引っ張るようにして前へ進んでいく。

手を繋いでいるから、俺は鈴に付いていくしかない。

都合、四人分の鞄を押し付けてるけど…良いのか、あれ?

 

鈴は怒れば手や足を出すけど、程度が知れている。

  兄は、些細な事でも本気で殴ってくるからなぁ。

昨日の痛みが今になっても残ってる、勘弁してくれよ。

 

「…一夏は、胸の大きい女の子の方が好み?」

 

「…考えた事が無いなぁ」

 

そもそも明日で齢10に至る隣席のクラスメイトに何を訊いているのやら。

気にする年頃なのか?

そういう年頃なんだろうなぁ。

背後から突き刺さる数馬の視線がなんか嫌な感じがする朝の登校風景だった。

 

学校に着くと、居場所が無い。

  兄のせいで周囲からはハブられている身の上。

今日も今日とて『織斑の恥さらし』だの『屑』だの『出来損ない』だのと誹謗中傷の言葉が飛び交う。

気にしないでおくが、ゴミを投げつけられたり、ゴミ箱を投げつけられたり、机に落書きされてたり、椅子に画鋲や剣山が敷かれてたり。

嫌がらせのレパートリーに吐き気がした。

 

本当に誰だよ、机の中にまで腐った魚やバナナを放り込んでたのは?

嘲笑っている人は教室だけでなく廊下にも居る。

 

しかも教師は注意をしたりもしない。

憤る鈴を止めるのに苦労させられた。

俺が鈴を止めようとしている現場を  兄に見られ、殊更に侮蔑の言葉で突き刺された。

…登下校をしている最中は心地好かった。

だけど…学校は嫌いだった。

 

俺が傷付くのはどうでもいい。

でも、鈴が傷付けられるのを見るのは、もっと嫌だった。

鈴が避けられるようになってしまったら、本末転倒だった。

 

だから、学校では鈴達とも距離をとろう。

親しくなれたのはいいけど、そう考えた。

 

でも、そんな事をしていたら結局は………鈴を避けていた人達と同じ事をしているだけなんだ…。

答えの出ない悩みに明け暮れる自分が、嫌で嫌で仕方なかった。

 

「ねぇ、一夏」

 

「どうした?鈴?」

 

「放課後、ちょっと時間在る?

良かったら、話しておきたい事があるの」

 

俺はその問いに、首肯して応えた。

どのみち、放課後なんて時間が余っているのだから。

 

放課後になり、俺は  兄の嫌がらせに辟易しながら鈴を目で追った。

話したい事とは何なのかは判らない。

俺の視線に気付いたのか、軽く手を振ってくる。

それが、『此処で話をしたい』という判断し、足を向けた。

オマケに鈴が俺の鞄を持っていってしまってるから回収しないとな。

行くしかないわけだ。

 

さてと、行きますか。

 

廊下に出た途端にあちこちから陰口が聞こえてくる。

言いたい事があるのなら直接に言ってほしい。

これすら日常で、気にしないでおくことにした。

 

「ッ!」

 

体を反らす。

避けきれなかった飛来してきた石がこめかみを掠める。

 

「ちっ、当たらなかったか」

 

声が聞こえ、視線を向ける。

…だが逃げられた。

だけど…後ろ姿は見えた。

 

「痛っ…当たってるよ…」

 

痛みが襲い、その部位に手をあててみる。

こめかみの辺りが裂けたらしく、血が流れていた。

 

「そんなにも俺が憎いのかよ…」

 

なあ、  兄…。

 

俺が血を流している事の何が面白いのか、周りの人が俺を指差して笑っている。

嘲笑っている。

 

俺が何をしたと言うのだろう。

物心ついた時からそうだった。

 

『アレが本当に    の弟なのか?』

 

『何故双子なのに、こうも出来が違うんだ』

 

『姉と兄が実力をあれだけ見せているのに、何故あいつだけ劣っているんだ』

 

そんな言葉がいつも飛び交っていた。

いつしか『劣等者』だの『出来損ない』だの『恥さらし』だの『死に損ないの生き損ない』だの。

そんな烙印を灼き付けられた。

 

 

 

「ったく、こんな所で寝るなよな」

 

屋上の端、フェンスに凭れるようにして眠っていた。

しかも俺の鞄を抱きしめるような形で。

耳を澄ませば、静かな寝息が聞こえてくる。

 

「場所指定してきたの、ついさっきだろ?

こんな短い時間で寝落ちとか」

 

人を呼び出しておいて、こんな所で寝落ちかよ。

何かの物語で聞いた気がする『眠り姫』?だっけ?

そんな名前の登場人物もビックリだ。

 

「おい、起きろ、鈴」

 

熟睡しているらしい鈴の頬を指でプニプニと突っついていると

 

「…にゃぁ…?」

 

寝惚けたままグシグシと手で目元を擦り

 

「……一夏!?」

 

他の誰に似てる?

ああ、  兄か。双子だから顔付きは似てるよな。

見間違える人は今は殆ど居ないけどな。

以前には『見間違えてしまったのが気に入らない』という理由で殴られたりした経験が在ったな、とか思い出した。

 

「ん?どうした?」

 

視線を過去から今に向け直すと、鈴が俺を指差しながら顏を真っ青にしていた。

 

「『どうした?』じゃないわよ!?

顏!額!血がダラダラ出てる!

何があったのよ!?」

 

ん?ああ…そうだな…なんて言って誤魔化そうか…?

 

「ちょっと転んだ」

 

「ちょっとじゃない!全然ちょっとじゃない!

嘘を言うのも雑過ぎるでしょ!?

ああ!もう!保健室に行くわよ!」

 

え?此処で話があったんじゃなかったのか?

そんな疑問を口に出すことも出来ず、保健室に引っ張って連れていかれた。

 

 

 

鈴も大慌てになっていたらしく、包帯まで巻いてた。

左目まで隠れるまで巻くなっての、巻きすぎだ。

 

落ち着かせるのにまた時間がかかり、最終的には額から左のこめかみまで消毒してからガーゼを貼り付ける形で落ち着いた。

「誰かに何かされたの?」とか訊かれたりしたけど、全力で誤魔化した。

  兄の仕業だ、なんて言ってしまえば、どうなるか判らない。

これで俺への信用が失われても、仕方がない話なのだと自己完結させた。

 

それにしても、なんで保健室の先生が不在なんだろう?

 

応急処置が済んで少しだけ気分も落ち着いた。

ベッドに座っていると、鈴も隣にペッタリとくっついてくる。

 

「で、結局…話って何なんだ?」

 

鈴の肩が震えたのを感じた。

そして繰り返される深呼吸。

いや、本当にどうした?

 

そして急に立ち上がり、向かい合った。

 

「好きなの」

 

ポツリと呟く声が聞こえた。

急激に変化する視界。

保健室の天井と視界の大半を占める、赤面する鈴。

驚いた、鈴に押し倒されている。

 

「好きなの、一夏の事が。

一人の男性として、誰よりも好きなのよ」

 

人生初の、愛の告白だった。

碌な事が無かった人生での、初めての経験だった。

 

だから、戸惑った。

迷惑に思う事なんて無い。

俺なんかで本当に良いのだろうかという自念に苛まれる。

 

「それで、返事は?」

 

だからYesともNoとも答えられなかった。

 

「想いは嬉しいよ」

 

「それじゃぁ…」

 

保留(・・)にさせてくれないか?」

 

人生初の決死の覚悟の告白に、逃げ道を作った。

卑怯だとは思う。

返事を返せなかった事ではなく、逃げた事が、だ。

 

「…そっか…」

 

「…ごめんな」

 

「謝らないで、そういう言葉を訊きたくての告白じゃないんだから」

 

それでも、笑顔を浮かべる鈴に、素直に『強い奴だな』と思った。

俺も、鈴みたいに強くなりたかった。

この暖かな笑顔に応えられるように。

想いに応えられるように。

暖かな笑顔を守れるくらいに。

 

「約束する。

私は、どんなことになってもアンタの味方だから。

私を助けてくれた時のように、私も一夏(貴方)を守るから」

 

その言葉が、胸に染み込んだ。

涙を堪えた。

チュ…と音がして頬に触れた温もり。

 

「ファーストキスだからね」

 

「ほ、頬だからノーカンだろ!?」

 

「さあ、どうかしらね?」

 

夕焼け色に染まる笑顔が、本当に綺麗だと思えたんだ。

 

貴方(一夏)が私に居場所を作ってくれたように、私も貴方(一夏)の居場所を作るから」

 

涙混じりの笑顔が、本当に可愛いと思えたんだ。

 

「だから、貴方(一夏)の居場所に一緒に居させて?

貴方(一夏)の隣』っていう特別な居場所に…」

 

心から…

 

「さあ、帰りましょ、一夏?

もうそろそろ弾や数馬がバカ騒ぎを起こすかもしれないわ」

 

俺を押し倒す姿勢から起き上がり、鈴は床に足を着ける。

俺もそれに倣い、立ち上がった。

 

「ああ、そうだな」

 

鞄を肩に提げ、俺は鈴と手を繋いで歩き始めた。

 

「そうだ、言い忘れてたわ」

 

手を繋いだまま、鈴が柔らかく微笑む。

たったそれだけの仕草でも、俺は目を離せなかった。

 

「私は、私の気持ちを諦めない。

アンタを振り向かせるまで、それにその先も。

フッたら後悔する位にいい女になってやるんだから。

だから、覚悟しなさいよね!」

 

胸の奥を掴まれた気がした。

 

「私の想い、毎日叩き付けてやるんだから!」

 

それだけに虚を突かれ、言葉を返せなかった。

 

なのに彼女は頬を赤く染めながら満足そうに微笑み続ける。

 

応えよう。

彼女の微笑みと決意に。

優しさや、暖かさに。

今日はきっと言えないだろう。

だから、明日に必ず応えよう、伝えよう、鈴が本当に望む形の言葉に出来なかったとしても、自分なりの精一杯の言葉にして。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう…思っていたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

なのに…!

 

 

 

 

 

 

 

 

放り込まれた先は蒼に染まる海。

その中で昨日までの出来事を思い出しながら、幻を追い求めながら目を閉じた。

 

これはきっと俺への罰なんだろう。

大切な人の想いから逃げ出した俺への…。

 

ごめんな、鈴。

 

想いに応えられなくて…。

 

 

俺も、お前を守れる程に…強くなりたかった…。

 

弱くて…ごめんな…。


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