年も変わったころ、アリーシャ先生は次の大会の影響とかで我が家に来てくれる頻度が少なくなってきてしまった。
その間、シャイニィは我が家の預かりということになっているから、寂しさは半分で済んでいる。
けど、アリーシャ先生は寂しくないのかな。
なんて考えていたけど、時折にメールも来るようになっているから、まだ大丈夫だ。
俺もメールにはメールで返信するようになっているから、寂しさは紛れている。
俺からすればアリーシャ先生は恩人であり、先生であり、家族だ。
そして面倒見のいい姉なのだろう。
「じゃあ、行ってきます!」
「気をつけてなウェイル、メルク」
「朝ごはん作って待ってるからね」
「行ってきます!」
父さんと母さんに見送られながら今日も朝食前のランニングだ。
この時期になると朝はやはり寒い。
けど、走っていたらその寒さも少しは紛れる。
途中で全速力で走ったり、ゆっくりと歩く直前のペースにまで遅くしてみたり。
メルクも俺のペースについてこれるようになって来ていて、時々追い抜かれたりしてる。
それを横目に俺も再び全速力で走ったり。
その間にも、お互いの近況について話したりしている。
つい先日、年末には第三次合宿も終わり、メルクは最終選抜にまでとうとう残った。
努力の成果もかなりのものらしく、成績上位者として名を連ねている…というか、トップだ。
アリーシャ先生は国家代表選手で、メルクは国家代表候補生の候補者だ。
俺は…その他大勢の一般人だもんな…、まあ、いいけど。
どっちにしたって家族が自慢であることは変わりない。
俺が霞もうが影が薄かろうがどうだっていいのかもしれない。
ホ ン ト ウ ニ ?
そんな声が聞こえた気がした。
家族と同じ場所に立つというのはそういう意味か?
比べられることがないというのはそういう意味なのか?
良く判らないな…。
けど、どっちにしたって俺のやることは変わらないだろう。
メルクがISの搭乗者として頑張るというのなら、俺はそれを裏方から支えるメカニックになるという事だけなのだから。
「アリーシャ先生が出場する大会って、いつからなんだ?」
「えっと…今年の九月月末からです」
随分と先だな…。
にも拘らず、年明けしたばかりの頃からそんなことになるだなんてな…。
アリーシャ先生って本当に大変だな…。
「私も、次の合宿で今の成績を維持できれば、アリーシャ先生に一歩近づけます!」
「おう、頑張れよ!」
「はい!」
さて、ここで走り込みのコースは折り返しだ。
後は家まで全力で突っ走って帰ろう!
「じゃあメルク、帰り道は」
「はい、全速力で…」
「「GO!」」
二人の声が重なった。
土ぼこりを挙げながら俺とメルクは走り出す。
より速く走れるように姿勢としては前傾姿勢、手は手刀の形になり、足と同じペースで前後に振るわれる。
男のスタミナ任せに一気に引き離そうと思ったけど、やはりというかなんというか、生半可な訓練を積んでいなかったらしく、メルクは俺のペースに負けじと迫っている。
これでメルクは合宿で格闘技も教わっているのかもしれない。
早い話、喧嘩になったら俺はメルクに負けるという事だ。
なんてことしながらも通りがかる人たちにも挨拶は忘れない。
牛乳を配達している人に挨拶をし、新聞を配っている人にも挨拶をし、釣り人のオジさん衆にも挨拶して、と。
さあ、まだまだ走るぞ!
「「後、少し…!」」
結果は…まあ、良いよな。
兄の威厳って大切だろ、吹けば飛ぶようなものだけど。
シャワーを浴びて汗を洗い流し、朝食を済ませてから、シャイニィを連れて今日も登校だ。
繰り返される日常、それが何よりも勝る幸福だと思う。
「…テストなんて無ければ良いのに…」
「クライド~、大丈夫か?」
「ウェイルもだろ、お前は社会科は苦手みたいだしな…」
そうなんだよなぁ、何せ世間知らずで…ってオイィッ!
人付き合いもそこそこ広いと思ってる。
メルクと買い物に行く商店街の人達とも、値引きまでしてくれるくらいには仲が良い。
釣り場に集う釣り仲間とも。
「メルクは大丈夫そうだよなぁ」
「多分、大丈夫かと…」
メルクの成績は俺よりもずっと高い。
ほらね、兄の威厳なんてそれだけで吹き飛んだ、埃よりも軽いんだよ、ちょっとしたそよ風でも吹き飛ぶくらい軽いんだよ。
「でも、機械工学はお兄さんの方が上だと思います…よ?」
吹っ飛んでく、殊更に吹っ飛んでくよ。
「俺が出来るのなんて、扇風機だとかテレビのリモコンの修理くらいだって。
あ、ちょっと前にDVDプレイヤーも修理したっけな。
父さんからは機械の手入れ用の道具とかも色々ともらってるから、楽しくてさ」
「…同年代でそこまでできるやつは居ないと思うぞ…?」
「ほかに作ってみたいものとか在ったりするか?」
キースとクライドから尋ねられ、考えてみる。
エンジニア兼メカニックになろうとしているのだからそれは当然…
「メルクが搭乗する機体とか作ってみたいかな…」
「頑張れ」
「めちゃくちゃ頑張れ」
…なにこの腹立つ応援は?
イタリアで開発が進められている機体といえば、『テンペスタ』が有名だ。
代表候補生選抜の際にもこの機体に搭乗できる機会があったらしく、そのスナップショットを見せてもらった。
防御性は、IS独自のシールドや、絶対防御によって一任、速度を特化させることで、『守る』のではなく、『高機動戦闘』に特化させられたシステムらしい。
「で、こっちがアリーシャ先生の写真です」
「かっこいいなぁ…」
細い体つきなのに、その手には武骨な巨大な武器が握られている。
写真でしかないのだが、実際には、この状態で縦横無尽に飛び回っているのだろう。
こんな感じのをメルクもやるようになるのか…。
来年の社会科見学では製造過程についての説明会も在るっていうし…楽しみだなぁ・・・!
あ、でもその時にはメルクは合宿の真っただ中だっけか。
一緒に行けないのは残念だなぁ…。
もしもISを操作できるとしたらどんな感じに使うだろうか…?
…釣りだな、やっぱり。
沖合に出て、空中から釣りを楽しみたいね。
平和だよなぁ、きっと。
「第二回大会はドイツでの開催かぁ」
本音を言っていいのなら、応援席にまで行きたいが、俺達の同行はアリーシャ先生に断られた。
さすがに国境線を超えてまで、俺達のことを気にかけながら試合を運ぶのは難しいらしい。
そう納得して俺達は同行を諦めた。
俺にできることはといえば、優勝祝いの用意だとかかな。
前回は準優勝だったらしいから、今回はきっと優勝出来ると信じている。
決勝の相手に関しては誰かは知らないけど、きっとアリーシャ先生なら勝てる。
「だとしたら、どんな料理を作ればいいかなぁ…」
サンドウィッチを齧りながら釣糸を水面に垂らす。
数秒後には獲物が連れ、一気に引き上げる。
…む、小物か…、リリースだな。
「お、今度は大物だ!」
次に釣り上げた獲物は、本日もバケツに入りきらない大物を持って帰った。
これだけで何日か食べられそうだ。
煮魚、焼き魚、塩釜焼、マリネも良いなぁ。
あ、ピザに入れるのも悪くなさそうだ。
「アリーシャ先生は食べるもので好き嫌いが無いから作り甲斐があるんだよなぁ」
どんな料理でも美味しそうに食べてくれるから、もっと美味しいものを、と思って母さんにいろいろと教わるような形がエンドレスに続いている。
アリーシャ先生もまた料理上手で、しばらく前に作ってもらったアヒージョが俺としては気に入っている。
だけど一番は、ミネストローネかな。
入院中は、味気のないものしか食べられず、まともなものを食べられるようになって最初に口にしたのがアリーシャ先生が作ってくれたミネストローネだったから、かな。
そんな理由もあって、母さんに最初に教わった料理もまたミネストローネだった。
アリーシャ先生が作るミネストローネは、野菜と魚の切り身を入れていた。
母さんが作るのは鶏肉入りのミネストローネだった。
作る人が違えば、その内容も変化するみたいだな。
どちらもとても美味しかった。
おっと、思考回路を戻そう。
考えるべきはアリーシャ先生だ。
最近はなかなか来られなくて、メールでやり取りをさせてもらっているけど、やっぱり顔を見たいよなぁ。
今頃どうしているんだか…。
うん、母さんの作る料理は今日も美味しい。
この実力は俺も見習おう。
その日も夢を見た
真っ暗な闇の中ではなく、どこか知らない場所だった
多分、どこかの病院…なのだろうか…?
その光景は夕暮れの色に…茜色に染まっていた
茜色に染まりながら、俺は夢の中の女の子を見上げていた
なのに…なぜその相貌が見えないのだろうか…?
何かを伝えようとしてる?
でも何を?
判らない、知りたいのに、それ以上のなにもかもが届かなかった。
あれは…誰なのだろうか…?
それからも、夢は数日おきに繰り返して見る。
だから…というわけでもないけど、町の中を歩くときには無意識に誰かを探していた。
名前も、顔も知らない誰かを。
「お兄さん?どうしたんですか?」
「ん…あ、何でもない」
こうやって周囲の人をチラチラと見るのは俺の癖になってきてるかもしれない。
学年があがり、今もメルクとシャイニィと一緒に登下校をしているけれど、視線はアッチへフラフラ、こっちへフラフラ。
気が付けばシャイニィの視線が冷たくなってたりすることも。
機械分野の授業も少しばかり入ってきているので俺としては楽しく授業を受けている。
体育に関しては人並みよりも少し上って所らしい。
機械分野に関しても複雑な計算が必要になったりするので、数学分野でも必死になって食らいつく。
だけど、社会科だとか、国語分野に関してはからっきしだった。
「ウェイルはどっちかってーと理数系なんだな」
昼食時、屋上で弁当を食べている最中、キースからそんなことを言われた。
「どうだろうなぁ、必死になって食らいついてるってだけなんだけど」
「その分野じゃウェイルは学年トップだよ」
クライドも何でもないとばかりに言ってくるが、俺にとってそのセリフは驚愕レベルなんだっての。
俺がトップ⁉信じらんねぇ!
俺としてはほとんど背景、その他大勢の一般人の一人でも良いんだけどなぁ。
なによりも平穏が一番だと思う。
荒事になったら俺はメルクにも負けるだろうし…。
兄の威厳?そんなもんそよ風で世界の端にまで吹っ飛ぶさ。
平穏な生活を守っていけたら良いなって…そう思う。
けど、変化がないってことはそれこそ生きていると感じられないのかもしれない。
「学年トップ、か…現実感が無いな…」
「お~い、しっかりしろよウェイル。
その内に学年どころか学校全体を率いるようになるかもしれないんだから」
「よせよせ、生徒会長なんて俺には似合わないよ」
「じゃあ一国を率いる立場ってのはどうかな?」
「三日で地図からイタリアが消えるだろうなぁ」
ってか辞めろ!
俺が国家元首とか無理だっての!
そもそもそんな知り合いだって俺には居ないからな⁉
平穏安泰!それが一番だろ!
「お兄さんが国家元首だったら…私はそれでもついていきますよ。
一人だけだったら心配ですから」
「にゃぁ」
ありがとなメルク、シャイニィ…。
俺の味方はお前らだけだよ…。
キースもクライドも親友だけどさ。
「ふぅ、食べた食べた、ご馳走様」
持ってきたバスケットの中はすっかり空っぽになっていた。
今日の弁当は俺が自分で作ってみたものだ。
サンドウィッチに白身魚のフライ。
それからスープにはミネストローネだ。
今日も料理が上手くいったし、調子に乗ってたくさん作って朝食と一緒にお弁当まで作ることになったんだけどさ。
「んで、今は二人とも朝には走り込みをしてるのか」
「ああ、俺もメルクもそろって体力が必要だからな」
メルクは代表候補生になるために。
俺はリハビリのころにはできるだけ歩けるようにしたくて、病院の中を歩き回っていて、その延長上のようなものだ。
今でこそ杖が無くても普段から歩けるようになってるけど、体力は、あったとしても困るものではないだろう。
その為、水泳も今だって続けているんだ。
連続遊泳ではようやく60mを泳げるようになった。
いつになるか判らないけど、いつかダイビングもしてみたいな。
銛を持っていけば魚が捕り放題だ。
こういうのを、『捕らぬ狸の皮算用』って言うらしいな。
「へぇ、俺らも同行していいか?」
「ああ、良いぞ」
走り込みはいつもは二人きりだったけど、友人と一緒に走るのならそれもそれで楽しそうだよな。
うん、なかなか楽しそうだ。
釣り場にもこの二人は顔を出すこともあるんだし、大丈夫だろうな。
そう思いながらミネストローネの残りを一気に口の中に運んだ。
うん、美味しい。
母さんやアリーシャ先生には追いつけないけどさ。
二人は近所に住んでいるから翌朝、すぐに合流して走り込みを開始した。
けどまあ…
「お前ら…毎日こんなことしてたのかよ」
「い、息が…もたない…」
キースはフラフラ、クライドはキラキラしたものを運河へと。
アリーシャ先生に言われて始めたこの走り込みはこの二人にはまだまだキツいらしい。
俺も最初はこんな感じだったよなぁ。
二人の様子に苦笑してしまうが、すぐに表情を引き締める。
「ああ、毎日だよ。
けど偶にアリーシャ先生も同行してくれてるんだ」
「へ、へぇ…そうなのか」
「アリーシャさんもこなしてるとなると、男の俺らが悲鳴を上げててもな…。
よし、続けようや」
お前ら、不純な動機で続けようとか言ってるんじゃないだろうな?
「メルク、俺達も普段通りに続けよう」
「はい!」
それからというもの、走り込みはこの四人で行うのが日常になった。
見慣れたコースを走り、見慣れた街並みを見て、見慣れた人と挨拶をして、と。
そんな日常だった。
「ふ~ん、そんな事になってたのかい」
野菜スティックをカリカリと齧りながらアリーシャ先生は柔らかく笑っていた。
週末になって、ようやく仕事だとか訓練を切り上げてきたらしい。
来られる機会が少なくなって、こういう機会は本当に貴重なものだと思う。
ただでさえ忙しいのに、我が家に来てくれるのは大変なのかもしれない。
でも、それでも来てくれるのは嬉しかった。
シャイニィも嬉しそうにその毛並みを摺り寄せてる。
「それで、二人は最後まで走り切ったのサね?」
「いえ、結局二人そろって途中でダウンして…」
運ぶ手段もないので、肩を担いで運ぶしかなかった。
おかげで学校は遅刻寸前だったよ。
まあ、二人は授業中居眠りしてたのは…仕方ないかな。
「それでもアンタ達は毎日走り込みを欠かしてなかったんだね。
関心関心」
今度はその野菜スティックをうすい生地に乗せ、巻いてトルティーヤにして齧りつく。
ザクザクと噛む音が聞こえる。
「うん、美味しいねぇ、ドレッシングには何を使ってるのサ?」
「玉ねぎを摩り下ろしたものと、あとは酢とかで作った母さんオリジナルのソースです」
気に入ったらしく、そのままザクザクと食べていく。
この料理、簡単だけど美味しいんだよな。
隣を見ればメルクもザクザクと食べている。
「そうだ、進級祝いってことで今度良いところへ連れて行ってあげるよ」
「いい所、ですか?」
「ああ、そうサ。
ちょっとだけ早い社会科見学だと思って、サ」
進級祝いと、社会科見学。
その二つの言葉で思い浮かぶ場所なんて…。
それって何処になるんだろうか?
モンド・グロッソの会場とか?
まさかな、同行を断られているのだから連れて行ってもらえたりはしないだろう。
この思考のほうが突拍子もない、か。
「場所はローマ」
その言葉にメルクの肩が震えた。
え?何?何か知ってるの?
俺って基本ヴェネツィアばかりに居るから、ほかの都市のことなんて詳しく知らないんだよなぁ。
「FIATを見に行くのサ」
「FIATって言うのは…?」
「元々は車の製造とかをしていた企業だけどサ。
こういう時代だし、その技術力の高さを国が買い取ったのサ。
で、今は軍と一緒になってISの開発も行っている。
そこに見学に連れて行ってあげるサ」