翌日、私が目を覚ますと、良い香りが鼻を刺激した。寝惚けた表情で辺りを見回し、とりあえず伸びをしながら起き上がった。うー眠い……。もう少し寝てようかな………。
ヨタヨタと歩きながら洗面所に向かうと、台所に誰か立っているのが見えた。
「おはよう、凛」
「おはよー、お母さん………」
「おか……?え、ええ。おはよう凛、朝ご飯出来てるわよ?(裏声)」
「うん………顔洗ってくる……」
ヨタヨタした足は洗面所に向かった。ドアを開けて、お風呂と一緒になってる洗面所に入った。顔を洗ってようやく正気に戻った。
しかし、今更だけど今日のお母さんの声、変だったな。カラオケでも行ったのかな………。いや、その前に待ったタンマ。私の家ってこんなに洗面所狭かった?いや、それ以前に洗面所に行くのに階段も降りてなかったんだけど………?
ていうかここ、私の家じゃない………?ていうかここ、ナルの家じゃ…………。
冷静に昨日の事を思い出した。そういえば、昨日………何となく寂しくなって、ナルの膝で……!子供みたいに甘えて………!
「〜〜〜ッ!」
鏡に映った自分の顔は真っ赤に染まっていた。すると、廊下から変な裏声が聞こえて来た。
「凛〜?牛乳は飲む〜?(裏声)」
この声ッ………!わ、私がお母さんって間違えて呼んだのをいい事にあいつ………!
羞恥に加えて怒りによる赤みが顔に出て、顔を拭いていたタオルを手に握っていたまま廊下に出た。普段は付けないエプロンをして私の方を見ていた。本人は気付いていないようだけど、すごいニヤニヤしている。腹立つ程。裏声まで使って私を辱めて………!
キッと睨むと一発でビビったのか、顔が青くなった。
「………何か言う事は?」
「………お母さんよ?(裏声)」
反射的に私は丸めたタオルを投げ付けた。
×××
朝食を終えた私は、恥ずかしくてさっさと家を出てしまった。友達を母親と間違えた事もそうだが、何より昨日の夜の事を思い出してしまったからだ。寝たふりをして、ナルの膝から離れようとしなかった。夏休みの予定を見て、明日明後日は一緒にいられるが、それ以降は一緒に遊べない。6日から空けておいたのだが、その間はナルの方が実家に帰ってしまう。その事が何となく寂しくて、ついくっついてしまっていた。
「子供か私は………」
顔に手を当てて歩いていた。いや、ほんと子供かって感じ。小学生レベルなまである。
………そういえば、少し早く出て来ちゃったなぁ……。どうしよう、事務所に行って誰かと駄弁ってようかなぁ。ていうか、それくらいしかする事ないや。お金はナルと遊ぶ時のために取っておかないといけないし。
少し、というかかなり早いが事務所に到着した。今日の仕事は卯月と未央と一緒。まぁ、当たり前だけどその二人は来てない。まぁ、のんびりとラウンジでグラブルをやりながら待機してよう。
そう思ってスマホを取り出して画面をつけた時だ。後ろから肩を叩かれた。
「凛」
「ッ⁉︎かっ、加蓮………⁉︎」
加蓮が小さく手を振っていて、慌ててスマホをポケットにしまった。だ、大丈夫だよね………?見られてないよね………?
ドギマギしてると、加蓮はニヤニヤしながら私の隣に座った。
「何してるの?早くない?」
「あー……ちょっとね……。か、加蓮は?」
「私?私は普通に暇つぶしで来た」
なんか、大丈夫そうかな………?
冷や汗を流してると、加蓮はニヤニヤしながら言った。
「何、彼氏と喧嘩でもした?」
「っ、なっ、ナルは別に彼氏じゃないから!」
「誰も水原って人なんて言ってないんだけどなー」
「うぐっ………!」
開幕でカマに掛かった。なんか面倒臭くなりそうだったので、さっさと白状する事にした。
「………別に、大したことはないよ。ナルの家から来たんだけど、間違えてナルの事お母さんって呼んじゃってさ。恥ずかしくなって早く家出ちゃっただけ」
嘘は言ってない。加蓮も隠したとこには気づかなかったみたいで愉快そうに微笑んだ。
「プフッ………凛も可愛いとこあるじゃん………!」
「うるさいよ………」
ほんとうるさい。勘違いなんて誰にでもある事でしょ………。
「で?その子とはどんな感じなの」
「どんな感じって、いつも通りだよ。ゲームやって泊まってまたゲームやってってだけ」
「ふーん………」
嘘は言ってない。………のだが、加蓮はニヤニヤをやめない。
「ね、凛」
「何?」
「今は二人きりなんだし、たまには詳しく聞かせてよ」
「は?何を?」
「その水原クンとどんな感じなのかとか」
「えぇ………」
なんでよ。嫌だよ。
「良いじゃん、別に」
「何でよ」
「だって、気になるんだもん。普通、友達同士で泊まりなんてしないし、待ち受けを男の子の寝顔にしてるくらいだし」
「っ⁉︎なっ、何で知ってるの⁉︎」
「さっき見えた」
「っ!か、加蓮〜‼︎」
「照れるなら待ち受けにしなきゃ良いのに」
ぐっ、そ、そう言われたらそうなんだけど………!仕方ないじゃん。可愛いんだもん寝顔が。
「とにかく言わないからね」
「言わないとついうっかり待ち受けの件言っちゃうかも」
「分かった、言う」
観念した。ため息をついて語り始めた。特に卯月と奈緒と未央にバラされるのだけは勘弁して欲しいです。
「と言っても、本当にいつも言ってることだよ。ゲームして泊まってご飯食べて………あ、ゲームなんだけどさ、最近新しいゲーム始めたんだよね、二人で」
「へー、そうなの?あれだけモンハンにハマってたのに?」
「うん、まぁモンハンも面白かったんだけどさ、ちょっと難しいし、何よりナルに手伝ってもらうの、少し悪く思えて来ちゃって………」
最近では私以外にもう一人お荷物が増えたし。
「ふーん?そんなの気にすることないと思うけど………。生放送の様子とか見てても彼、付き合い良いように見えたし」
「………待って、生放送のこと知ってるの?」
「え?うん。他は卯月も美嘉も知ってるけど………」
「…………………」
「え、バレてないと思ってたの?」
「………ま、まぁ、それでモンハンはやめたんだよ」
無かったことにしよう。
「ふーん……」
「いやでも、モンハンの途中でも彼良い人でさ。私がピンチになったら自分はHPマックスでも粉塵……あ、全体回復アイテム使ってくれるし、ピンチの時は敵を引きつけてくれるし、他にも採掘には火山が良いとか、その火山でも青いとこならレアアイテムが採掘できるとか、色々と手取り足取り教えてくれて………あ、あと初めてティガに挑んだ時とか私が死にそうになったら横から殴り飛ばして自分が食らって助けてくれたり、あと1乙したら失敗の時に『大丈夫、まだ勝てるよ』って優しく言ってくれたり、ちょっかい出してもそんなに怒らないし………あ、ちょっかいって言ったら、ゲームやってる最中とか何となく近付いて肩に頭乗せたりしてみたりしたら、すごいキョドッてそれがまた可愛いの。少し顔を赤くしながらも意識しないように表情を無理に引き締めてる顔が好きで………。でも、そういうことしすぎると嫌われるかもしれないからたまにしかしないんだけどね。照れてる時も得意げな顔も怒った顔も寝顔も……こう、なんていうか………もう全体的に『何この可愛い生き物?』って感じで………」
そこまで言って私は正気に戻った。喋り過ぎた。そして、加蓮が盛大に引いてた。
恥ずかしさで自殺したくなる気持ちを何とか押さえ付けて表情を引き締めて、一応言ってみた。
「何でもないから」
「いや無理無理無理無理。あんた水原クンのこと大好きじゃん」
「っ!べ、別に大好きではないから⁉︎」
「いやだから無理だって………。それだけ惚気話を一切噛むことなく続けた時点でもう無理だから………」
「の、惚気じゃ無いし!」
「いや、惚気」
うぐっ………!そんなつもりはないのに………!
「別に良いじゃん、好きなんでしょ?その人の事」
「すっ、好きなんかじゃないし………!」
「なんでそんなに頑なに否定するの。別に人間、それもJKなんだし好きな人の一人くらいいたって恥ずかしい事じゃないと思うけど……」
「…………」
そう言われればそうなんだけど………。でも、何度も「あり得ない」とか何とか言ってきたし………。
それに、あまり彼のことを好きになったという自覚はない。別に一緒にいてドキドキしたりするわけでもない。ただ、たまに少し動悸が早くなるのを感じた事はあるけど。最近になってそれは増えつつあるけど。
「ちなみに、彼の方はどんな感じなの?」
「普通だよ、別に。私の隣で落ちついた様子でゲームしてるだけ。ちょっかい出すと可愛い反応するくらいかな」
「………ふーん。悪い意味で慣れちゃったのかもね」
「どういう事?」
「だって、凛たまにその子にくっ付いたりしてるんでしょ?なら、凛の……こう、何?感触?に慣れて来てるのかも………」
そう言えば………。最近、私が後ろで着替えてても完全に真顔でゲーム機から目を離さないこともあるような………。
「それに、そんな優良物件の人なら他の人に好かれてもおかしくないし」
「それはないよ。だってナル、友達私しかいないもん」
「でもさ、水原さんがもし仮に夏休みの間、クラスの女の子と出会ったとしたら?」
「えっ?」
「たまたま助けた人がたまたまアイドルのお母さんだったような人だよ?」
…………確かに。そう言われると、確かに………。そう考えると、確かにナルって出会いさえ良ければモテるんじゃ………。
「い、いやいや、でも大丈夫だって。ナルなんて基本的には童顔で身長の低いゲーマーだよ?私と出会ったのだってお母さん経由だし、そうそう女の子と出会うような事は………」
すると、「おーい」と聞き覚えのある声が聞こえた。奈緒が私の方に歩いて来てるのが見えて、手元にはお弁当を入れる巾着袋がある。
「さっき鳴海とたまたま会ってさ、凛が午前中に出て行ったからってお弁当届けて欲しいってさ」
「「………………」」
私と加蓮は真顔で固まった。出会い率は低くなかった。お弁当を受け取ると、私はなんとか声を絞り出した。
「ま、まぁ別に私はナルの事好きってわけじゃないし?」
「………なんの話だ?」
「まぁ、凛がそう言い張るなら良いけど、後悔しないようにね?」
加蓮はそう言うと、奈緒と何か話し始めた。
しかし、私はナルのことが好きなのかな。最近は確かにナルといると心が弾むことは多いし、ナルの部屋に行くのに少しだけ緊張する事もある。ていうか、ナルとくっ付いていたい。
だけど、ナルと付き合うというのは想像しにくい。友達同士で今までやって来て、友達同士の関係をずっと続けていきたい気持ちもある。むしろ、仮に………いやあくまで仮にだからね?仮に、仮にナルの事を私が好きだとして?それで告白するにしても、もしそれで振られたら、そのまま友達同士の付き合いをするのは難しくなると思う。
「……………」
まぁ、これからどうするかは、とりあえず自分の気持ちをハッキリさせてからにしよう。
そのためには、とりあえずナルと一緒にいよう。それが一番だ。そのために、とりあえず少し前から考えてた計画を実行することに決めた。
ふと視線を感じて横を見ると、奈緒がニヤニヤしていた。
「…………何?」
「………青春してるんだな」
脇腹を突いた。