松永家の世話になることに決まった神月は、あれからすぐに荷物を纏めて京都で暮らしていた。京都で暮らすための事務的な手続きも終わっていたって普通の日常に溶け込もうとしていた。
――コン、コン。
朝、松永家の1人娘・燕は今まで使われてなかったが一緒に住むことになった男の子・神月の部屋の前に立ちノックをし、様子を伺っていた。
(朝から姉に起こされる弟。さすがに何も思わないはずがないよね)
――シーン……
何の反応もないことに燕はどうしようかと思いつつ考える。
(まさか、朝は弱いのかな? だったら私が起こしてあげよう。ふふっ、どういう反応するかな)
ちょっと悪戯な笑みを浮かべつつ神月の部屋の扉を開ける燕だったが、目当ての人物・神月の姿はなかった。
「あれ?」
布団は片付けられていたあり、神月の姿はなかった。燕は部屋の中に入りちょっとしたお世話をしようと思っていた自分が恥ずかしくなる。
「あら、燕。おはよう」
「おかん。神月クン今日も?」
遅れて燕の母もやってくると、朝早くからランニングをしに行ったのではと聞かされた燕はまたしてやられと思うも開き直り気遣って押し入れにある布団を干しておこうと思ったが、
「自分で干してたわよ。神月クン」
「……そう」
燕は押し入れを閉めて、ミサゴの朝ごはんの準備を手伝うために部屋を出て行った。
松永家の朝食のテーブルは和食で統一されていた。小学校に通う神月と燕、それに研究所で働く父・久信の3人は通学・通勤が同じ時間で早いので、母・ミサゴは早起きするのが当たり前で燕も遅れて手伝っていた。
「おはようございます」
「ふぁ~、おはよう……」
遅れてリビングにシャキッと朝の運動を終えた神月とまだ寝ぼけている久信の2人が入ってくる。久信はテーブルに置かれた新聞を手に取り、神月は手伝うことがないかとミサゴに聞いていた。
「大丈夫よ。席に座って待っていてね」
「ありがとうございます」
まだ少し距離感のある松永家の3人と神月だったが、こればかりは一緒に過ごす中で解消するしかないだろうと慌てることはなかった。
「神月クン、今日も朝一番に体を動かしてたんだね。僕も見習って運動しないと」
久信は自分のお腹周りを気にしてかそう話しかける。神月は基本普通に話すが、自分から話しかけることはなかった。
「はい。じゃあ食べましょうか」
「「「「いただきます」」」」
4人でテーブルを囲み朝食を取り始める。神月のほうをチラッと見る3人、川神院で教育が行き届いていたこともあり綺麗にお箸を使えていた。が、3人が見ているのはそれではなく食欲のほうだった。
――――最低5杯は食べるらしいが。
鍋島が神月の食欲旺盛ですごいことは話していたが、まったくそんな素振りも見せずおかずを口に運ぶ。
「神月クン、今日の朝食はどうかな?」
「美味しいですよ」
神月は基本嘘をつかないので、美味しいことは確かだとミサゴや久信に燕が思うもどうして茶碗1杯で済ませるのかが不思議だった。
「あっ、神月クン。私がご飯よそってあげるね」
「お腹いっぱいなのでいいです」
「あ、そう。遠慮しないで食べてね」
今日もタイミングを見計らっておかわりをしようかというも、やはり1杯でとどめた。
「ご馳走様でした」
最後はいつものようにきれいに平らげて洗面所へと最後の身支度を済まして神月は、玄関に置かれたランドセルを持って小学校へ向かった。
「おかん、行って来ます」
「いってらっしゃい」
そして、すぐ神月の後を追うように燕も出て行く。残されたミサゴはちょっと心配したように手を顎に当てた。
「まだ、気を遣っているかもね。神月クン」
「そうよね、まだ心を開いてない気がするわ」
「とりあえず今は焦らずに接していこうよ」
とりあえずこのままで様子を見ていくことで松永夫妻は決めたのだった。
その頃、学校への通学路通りに歩く神月に追いついた燕は他愛もない話をしつつ一緒に並んで歩いていた。と、言っても燕が話題を振って神月が頷くだけだったが。
「それでね。最近おかんに稽古つけてもらっているんだ」
「そうなんだ」
「むぅ~、ちゃんと聞いている?」
大きな番傘をよく晴れた日にさしいている神月だったので、覗き込むように見る燕は頬を膨らませて怒っているよ。と見せたが、神月はまったく気にしてなかった。
「おい! また傘さしているぜ!」
「日傘なんて男のくせにダセぇ~」
通学路はほかの児童もいて神月と同じクラスの男子が後ろからちょっかいを出してきたが、神月が相手をするはずもなく無視した。
「なんか言えよ。ビビッて何も言えねぇか」
「腰抜け~」
神月の本当の怖さを知ったら粉々にされてしまうことを分かっていた燕だったが、燕は何もしなかった。
――弱いものいじめはダメだから。
(さすがに、神月クンのお姉ちゃんとしてここはビシッと――)
「ねぇ」
燕はさすがにここ数日同じやり取りをしていたことを見たりうわさで聞いていたので止めようとしたが、その前に神月が声をかけていた。堪忍袋の緒が切れたのかと思い燕は宥めようと考えが真っ先に上がったが無駄だった。
「ごめん、今日は日直の日だから相手にできない」
怒るわけでもなくただ事情を話してそそくさと神月は学校へ向かった。
「ねぇ、どうしてなんにも言い返さないの?」
燕からしたら何か1つ言い返すなり脅してやれば黙る連中に合わせることが馬鹿らしかった。それも、何度同じように揶揄われてちょっかいを出されたらなおさらだった。それでもやり返さない神月に、姉として燕は突っぱねた方がいいと言った。でも、神月は首を横に振る。
「どうして? 嫌でしょ、こんなこと続いたら」
「ダメだから。例え1対8でも1人に多数が囲んできても弱い者いじめは良くない。俺の場合、象1頭がアリ8匹の構図になるからと教わったから。俺は象らしい」
どんなものの例えだと燕は思ったが、想像するだけで確かにそうなるかとクスッと笑った。
「そうだね。確かにその通りかもね」
「笑ってくれた」
「え? いつも笑っているけど?」
「いや、俺の話で自然と笑ってくれたから」
燕は何となくわかった気がした。こっちから話しかけてきてばかりだったから自分から会話を切り出す機会を失っていたことを。それだったらと燕は、聞いた。
「それで、象の神月クンはどうしたの?」
「! それで――――」
ただ燕たちから話をしてそれに頷くだけの神月の一方的な会話が、互いに自分の話を持ち掛けて一緒に笑い合えるときができた瞬間だった。
「もう学校に着いちゃった。じゃあ、またね」
話に夢中だった2人。燕は後ろにいた女友達に呼ばれて手を振って輪に加わった。神月も日直のために足早に自分のクラスへと向かうのだった。
「おはよう、赤星くん」
まだ静かな廊下を通り教室に入るとすでに、今日の日直であるクラスの女子児童が待っていた。
「じゃあ、さっそく日直の仕事を教えるね」
「うん」
燕は、先日の通学中から神月と少し打ち解けたことをうれしく思っていた。
(面白い男の子だな~神月クンは)
「燕ちゃん。何か良いことあったの?」
「う、うん。まぁね」
素直に話す燕に、燕の友達がどんなことか聞いていた時だった。職員室の前にいた神月に気付き声をかけようとした。けど、その前に神月に声を掛ける女の子がスッと近づいた。
「あれ? あの子、燕の家で世話になっている子だよね」
「そうだよ」
「隣の女の子、可愛いからって同学年だけでなく私たちの学年の男子たちにも人気ある子」
「へぇ~」
「へえ~、じゃないでしょ。あれだけ好きそうな顔見せられたら男の子にしたらたまらないでしょ」
そう言われた燕だったが、神月は間違いなくあの子にはなびかないだろうと。それは、先日の会話を聞く限り神月は生まれ育った川神の地に思い入れが強いと燕は分かっていたから何の焦りもなかった。でも、
(この胸につかえる気持ちは何だろう)
なんとも表現し難い気持ちが燕の心に突き刺さっていた。なんでだろうと考えた燕だったが、廊下から曲がって姿を消した神月を見送ったことで気づいてしまった。
――いつか、きっと……。神月クンはこの土地を離れて川神に戻るつもり……だからかな。
そうなれば私は居候でお世話になった先の家の女の子と記憶の片隅に片付けられてしまうのでは、燕は複雑な心境に陥ってしまったのだった。
「ただいま……」
「あれ? 今日は帰りが早かったのね」
「おかん、仕事は?」
あれから1週間がたって学校から家に帰ってきた燕を待っていたのは、いつもならまだ仕事に出ていて家にいないことが多い燕の母・ミサゴだった。
「今日は家にいるって話したよ」
「そうだっけ。私、部屋でちょっと勉強してくる」
「燕、ちょっとこっちにおいで」
ミサゴはテーブルの椅子に座って娘・燕を手招きして隣に座らせると優しく頭を撫でた。
「ど、どうしたの。おかん?」
「いや、こうして撫でたくなっただけよ。何に悩んでいるかはこっちからは聞かないけど、話したくなったら言っておいで」
「何よ……、そんなのズルいよ」
「そうかもね。ズルいおかんでごめんね」
燕はミサゴの胸に顔を押し付けて不満や不安を口にした。それを聞いたミサゴは何も言わずにただ優しく頭を撫でて娘の思いにすがる様に聞いてあげたのだった。
「こんなこと考えるなんて……ぐす。私は嫌だよ。自分自身が嫌だ」
「……そうだね。私も燕の立場だったら嫌だよ」
「うっ、こんな気持ちじゃ神月クンに、面と向かって話せないし、一緒暮らせない」
「大丈夫、神月クンはそんなことで燕のことを嫌ったり避けるようなことをしない子だって分かるでしょ」
「うん」
「大丈夫。この数週間で神月クン、心を打ち明けようと自ら出てくれているよ。それは、間違いなく燕のおかげなんだから自信を持ちなさい」
ミサゴは娘の気が済むまで相手になった。燕も一緒に話を聞いてもらったことで少し気が紛れてすっきりした。
「もう、大丈夫?」
「う、うん。ありがと、おかん」
「どういたしまして、これでも燕のおかんだから。はい、私は夕ご飯作るから。それにしても神月クン5時間授業の日なのに遅いわね」
「おかん、私ちょっと見てくるよ」
神月の帰りが思ったより遅かったことを心配したミサゴに、燕はちょっと近くまで見に行くと外に出て行った。
「燕、もう弟としてではなく男の子として見始めたかな?」
ミサゴは娘の成長は早いものだと母親の視線からそう思いつつキッチンに入って夕食の準備に取り掛かるのだった。
家を出た燕は通学路で帰ってくるだろう神月に合わして家の近くの場所で待ち構えていた。まだかまだかと待つ燕だったが、待ち切れずに少し近くを見回り始めた。
「あっ、神月ク――」
見回り始めてすぐ公園にいる神月に気付いて声をかけようとした燕だったが、その前に1人の女の子が声をかけていた。前から神月に気があるのか何かと関わる子だった。燕は、どうしようかと思っていた時だった。その女の子は意を決して――、告白した。
――――私、神月くんのことが好きです。
燕はいつかこうなることを直感していた。そして、この次も。
「ごめん。俺にそんなつもりはないから」
はっきりとNOを突きつける神月のことも。あっさりとフラれた女の子は、何がどういけないのか、どうしたらいいのかを必死に聞くも神月クンは分からないと言いつつも答えた。
「まだ多くの人に心を開いてないから」
「……なに、それ」
女の子にしたら自分はその対象じゃないと言い換えればそう意味していた。
「じゃあ、一緒に暮らしている女の子は?」
そう聞いた女の子に、物陰に隠れていた燕は驚いた。これ以上聞くのはマズいと思った。が、
「大切な人だよ。こっちの土地に来た時、まだ右も左も知らない俺を快く迎えてくれた人だから」
「ただ親の都合に合わせただけでも?」
「それはない。じゃなかったらあんな目をして俺に接するはずがないから」
(最初から……、私のことをそう言う風に見てたなんて。うぅ……、この1週間の私が恥ずかしい。返してほしい)
燕は冷たい手を頬に当ててクールダウンした。この1週間悩んでいた自分があまりに愚かで恥ずかしかったようだった。
「これからはもう少し周りに心を開くように接しようと思っているから。また、学校で。それじゃあ」
神月はしっかりと伝えることは伝えて公園を後にした。
「あれ? 燕ちゃんどうしたの?」
公園の曲がり角を過ぎると待ち構えていた燕に気付いた神月は近寄った。
「お帰り。おかんが遅いからって心配だから迎えに来たよ」
「じゃあ、どうして公園にいたときに声を掛けてくれなかったの?」
「い、いや。お取込み中みたいだったからさ」
燕は言葉を濁しつつ心境を悟られないように顔を作る。それを見た神月は何かマズイことがあったのだろうと思い話題を変えた。
「今日の夜ご飯は?」
「カレーだよ。おかん特性!」
「カレーライス……」
その日の夜ごはん、神月は本来の食欲を示すかのように軽くカレー大盛り5杯を平らげたのだった。一緒に食卓を囲んだ松永家は驚きつつもまた心を開いてくれていることをうれしく思うのだった。
それから1年、神月は穏やかな日々を過ごす中で京都での生活にも慣れて来たころにはもうすっかりと松永家の子として当たり前のように毎日を楽しく過ごせるようになった。
「(ただいま~……)」
夜の10時が過ぎた頃、燕は仕事の用事を済ませて本来明日の帰りを早めて帰ってきていた。家の明かりはすでに消されてあり神月が寝るには早いだろうと思いつつ玄関から居間、そして神月の部屋を覗くとすでに布団で寝ている神月の姿があった。
「あらら、もう寝ちゃったんだ」
帰ってきたことにも気づかず寝息を立てる神月に、燕は少しちょっかいをしたい気持ちがあったが押さえつつ気持ちよく寝ている邪魔をしてはいけないと居間へ戻った。
「ん?」
座卓の上にメモが書かれてあったのに気づいた燕はメモの内容を見て冷蔵庫を開けると、そこには神月が今日放課後に行った仲吉のくず餅がお土産があった。
「『お仕事お疲れ様。また、明日一緒に食べよう』……か。神月クン1人で行くわけない。でも、そのことは寛大に許してあげようか。神月クンのお姉さんだからね」
燕は微笑みながら許すのだった。そして、“いずれ”と意味深な言葉も加えて。
第8話でした。
2日空いてごめんなさい。野暮用があったせいで。
また、空くことがあると思いますが投稿していこうと思います。
では、また!