魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ)   作:凡庸

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サブタイの番号とタイトルが微妙に矛盾していると思いますが、お許しください。








プロローグ5 開幕

「……朝、か…」

 

何に依るものとなく、少女は眼を醒ました。

朝に起きるなど久しぶりのことだった。

普通なら再び寝入りに戻るが、今日はもう眠る気はしなかった。

 

眠りに堕ちる前の事を、朧気に思い出す。

真っ先に思い出したのは激突の瞬間に見た、あの不快な幻想風景。

一気に意識が覚醒した。

朧のおの字など、即座にどこかに消え去った。

そして、それをすぐに打ち砕く。

意識の外へと追い出し、それに関する思考を遮断した。

精神を統一し、大きく深呼吸を繰り返す。

辛うじて、短時間の激しい動悸と多量の発汗だけで済んだ。

二番目にきたのは、噛み裂いた肉と溢れ出した血の香り。

 

生理的な嫌悪感が浮かんだが、あの頭痛と吐き気に比べれば大分ましだった。

それのお陰で、彼女は耐えられた。

そう思いつつ、左手を開いた。

手の中央から、紅の光が生じた。

 

「…ま、夢じゃねぇか」

 

檻を纏った宝石の内に、どんよりとした濁りが生じていた。

色は紫や藍ともつかない色が紅の下で渦巻いている。

渦巻き具合によって色は変質し、彼女の髪の色に酷似した紅を穢していく。

濃度の関係か、部分的にはどす黒い色を見せていた。

少女は、背筋がうすら寒くなるのを感じた。

まるで自分の臓物を見ているような気分だった。

 

「……」

 

ゆっくりと背筋を伸ばし、右に左にと首を傾げさせ、頸をこきこきと鳴らす。

鳴らしつつ左右の襟首を見ると、やや茶色の変色が見えた。

着用を続けて四日目。

度重なる激しい発汗の影響もあり、少し垢染みていた。

下着も纏われてから三日目に入っている。

流石に皮膚が不快感を覚え始めてきていた。

 

「めんどいけど、後で洗うか」

 

着替えるという発想がないということは、つまりはそういうことである。

上着のポケットに手を突っ込み、ごそごそと内部を漁る。

指先から伝わる感触に、少女は両目を見開いた。

 

ポケットの奥を摘まんで、外側に引くと、内容物が溢れ出した。

宙に待って落ちたのは菓子の空袋、小銭、使用済みのティッシュと糸屑。

それだけだった。

 

「!」

 

今度は片方を試す。

ほぼ同じだった。

慌ててソファから降りて、床との隙間を見る。

ゴミの堆積と埃のゆらめきが、その空間を埋めていた。

 

「おい…ふざけんな!」

 

ゴミをかき分け、埃を巻き上げて少女は床を漁る。

赤い目は焦燥感に満ち、顔には脂汗が浮いていた。

腐った汁の臭いが立ち込め、埃が顔に貼り付きつつも、少女は漁り続けた。

空になった袋の中にも手を突っ込み、徹底的に探していく。

 

十分ほど経過し手の先を汚しきり、息が切れ始めたところで少女は動きを止めた。

床に尻を着かせ、肩で息をしていた。

 

「あの野郎……」

 

ぎりぎりと歯を軋ませて、呪詛を込めて呟いた。

まだ確証は無いが、それ以外に原因は考えられなかった。

顔の埃と汗を裾で拭い、手の汚れも上着で拭う。

 

汚れが増えたが、構うこともない。

今更、他人からどう思われようが知ったことではない。

そして自分の生存を阻む者は、誰であろうと絶対に許す積りは無い。

 

憎悪に燃える中、まずは力を付けることが急務と決めた。

菓子の残りを思い出す。

確か、まだ半分は残っていたはずだった。

 

「喰ったら街に行こう。野郎を探して、締め上げてやる」

 

大きく息を吐いて、それよりも多くの息を吸う。

立ち止まっている時間は少女には無かった。

弱音を吐く暇も聞かせる相手もいない。

そして、吐く気も無い。

 

「盗られたのなら、奪い返してやる」

 

そう心に決めて、両足に力を込めて立ち上がる。

至る所に出来た破損箇所より侵入した光が、直立した少女を照らす。

体表に映える温度が、湯船に浮かんだ時の様な気持ち良さを彼女に与えた。

思わず、光が自分に力を与えているような気さえした。

 

「はっ、アホか」

 

誰が祝福なぞしてくれるというのか。

祝福を与えるものの存在など、彼女はとうに信じていなかった。

今の感情は気の迷いと、自分に言い聞かせる。

 

鋭い刃の様な眼を作り、世界を睨む。

これまでそうして生きてきた。

少なくとも、この生活を始めてからは。

その睨みが、困惑により丸みを帯びた。

視界に飛び込んできたものの為に。

 

「よぉ」

 

それは、少女に語りかけてきた。

祭壇の麓に、それはいた。

 

「…何時からいた?」

 

粘ついた唾液を飲み干しながら、少女が問う。

危機感よりも、羞恥が強い。

独り言をしていたという自覚は、孤独な少女にも残っていた。

 

「ワリと」

 

追及の面倒な返答だった。

困惑の眼を鋭角に変えて、少女は睨みを利かせる。

あの、クソガキと呼んだ少年を。

 

「何しに来やがった」

「様子見だ。なんつうか、ガキに死なれるのは寝覚めが悪ぃ」

 

自嘲気味に言いつつ、少年は答えた。

戦闘力の差を考えれば、人間が猛獣の檻に入るに等しい。

我ながら馬鹿なことをしていると、少し思っている風だった。

 

「ま、元気そうだな。ちと寝過ぎだけどよ」

 

少女は怪訝な表情を浮かべて、外の風景を流し目で見る。

無論、警戒は解かずに目だけをちらりと動かして。

そして、気付いた。

 

「……夕方か」

 

外の世界からの光は、白よりもオレンジの色を帯びていた。

また、小鳥の囀ずりではなく、烏どもの叫び声に似た鳴き声が聴こえていた。

敷地内に巣があるのか、その音は極めて大きかった。

 

「寝てる間、あたしに何かしたか?」

「ガキに欲情する趣味はねぇよ」

 

鋭い眼で睨まれつつ、ため息を一つしてから彼は答えた。

年相応の童顔は嫌悪感に歪められていた。

その言葉と表情の表す通り、"ガキ"と呼ぶべきものに対して、そういう感情は持たないらしい。

 

「テメェもガキだろが」

「………まぁな」

 

嫌々、という風に少年は返した。

その様子に、少女は僅かに警戒を弱めた。

親しみが湧いたのではなく、「こいつ馬鹿だな」と見下せたからである。

 

「やっと認めたかい。ワケ分からねぇ言葉なんか使いやがって。それで大人にでもなったつもりかよ」

 

尚、ワケ分からねぇ言葉とは"欲情"という単語である。

 

「にしても昨日はやってくれたじゃねえか。あたしのハラを殴りやがって」

「悪いな。女のガキを相手にするのは、流石に慣れてねぇもんでよ」

「それで言い訳のつもり?ホントにクソガキだな」

 

顔は平静を保てていたが、内心は穏やかではなかった。

あの一撃により、少なくとも何本かの肋骨が割れた。

 

割れた骨が刃となって肉を裂いた。

肉は即座に盛り上がり、骨の割れ目も繋がったものの、紛れもない重傷だった。

普通の時なら危なかったかもしれない。

しかも、それは素手による攻撃で遂げられていた。

少年の姿をした"これ"はやはり、異常な存在であるのは間違いない。

 

「(…やっちまうか?)」

 

二十時間程前の戦闘を思い返す。

身を変えるよりは非力だが今のままでも、ちょっとした心積もりさえすれば、

大の男の十や二十は片手で軽く捻ってしまえる。

それを踏まえた上での戦力の比較は、忌々しくも危険であると出た。

 

何せ、少年は戦うための姿となった自分と、ある程度まで戦えていたのだ。

しかも力の源たる宝石は、今は不気味に変色している。

意識してしまったためか、腹部に鈍痛が生じた。

幻の痛みに、思わず小さな呻き声が零れた。

対する少年はそれを見て、

 

「大丈夫か?」

 

と、割と真面目な声色で訊いていた。

相手の真意はともかくとして、彼女は嘲笑われたものだと受け取っていた。

他人に気にされるという事は彼女にとって、余りにも久々に過ぎていた。

 

「うるせぇ。つうか、テメェは何者なんだよ」

 

改めて、少女は少年を観察した。

幼い顔つきのせいか、彼の顔は男というより女に近い。

雰囲気と服装で察しなければ、性別を誤認する可能性すらあった。

それでも同類特有の力の波形は感じられず、とりあえずは自分の同類ではないと思った。

 

「見て分からねぇのか?人間に決まってるだろ」

 

まただ。

と、彼女は思った。

人間という言葉が、妙に、無性に引っ掛かる。

そして彼の言葉には何故か、説得力と言うべきものがあった。

だがそれでも、とてもじゃないが普通の人間には思えなかったが。

 

そこについては、カラテとやらの仕業だろうと自分を納得させていた。

自分でも無茶な言い訳だと思っていたが、この際、それは利用できると。

あの力は、そうするだけに値する。

そして利用出来るものは何がなんでもしなければならない状況に

陥っていると思っていた。

 

「テメェさ、あたしらの正体が知りたいって言ってたよな?」

 

少し考え、彼女は言葉を切り出した。

心中とは真逆の、にやっとした、挑発的な表情を演じつつ。

 

「ああ」

 

彼も応えた。

口調に、苦々しい色がへばり着いている。

己に向けられた笑みから、少女の企みを察しているらしい。

 

「ついでに、何で自分がここにいるのかも分からねえんだろ?」

「あぁ。そうだ」

 

隠しもせず、少年は吐き捨てるように言った。

強がりは出来るが、感情を隠すのは余り得意では無い様だ。

彼の黒眼には、理不尽さへの怒りがあった。

 

「じゃあ、あたしの仕事を手伝いな」

「…新聞配達か?」

 

誇張なしに、思わず身体が弛緩し、崩れ落ちそうになった。

仕事という言い方が不味かったと反省しつつ、脳内に構築した、

ゲーム風なステータス表に『こいつはクソバカヤロウ』を追加した。

 

「狩りだよ」

 

その単語に、少年は眉を細ませた。

 

「狩りか」

 

ぽつり、といった具合に少年は呟いた。

怯えていると、少女は思った。

その様子に満足げなものを感じつつ、少女は続けた。

 

「ああ、魔女狩りだ。テメェも見てただろ?あいつらをブッ殺すのさ」

「マジョ?」

 

"魔女"という単語に首を傾げる。

発音がおかしいのは、その言葉の意味が知識に刻まれていないためだろう。

 

「少ししか見えなかったけど、あの妖怪か?」

「妖怪……まぁ、そんなところだ。あたしらが生きるために必要なのさ」

 

沈黙はやはり怯えであると、彼女は思った。

やっぱりガキだと思った刹那、それは変質した。

渦巻く瞳が輝いているのが見えた。

瞳を通して顕れている感情の成分は、闘志と歓喜。

そして、怒りだった。

 

それを見て、背筋が冷えた。

否、凍えるのを感じていた。

背骨を基点に、内側に氷を通されたような感覚だった。

一度似たような経験をしたので、よく覚えている。

だが、それは物理的な凍結のためだった。

これは、それとは違う。

恐怖によるものだということは、すぐに気が付いた。

 

「ちょっと危険だけどさ」

 

だがそれを更なる感情を以て、その冷気を断ち切った。

炎の様に燃え上がる、彼女の本能とでも言うべき闘志である。

それを、眼前の少年の姿を燃やし尽くすような幻像を抱いて湧きあがらせる。

 

「奴らを切り刻むのは愉しいよ」

幼い顔に凶悪な表情を作り、睨むように少年を見る。

あちらも、少女と似たような表情だった。

 

「(面倒なモン拾っちまったな。…ま、連中よりゃ少しはマシか)」

 

心の中でごちたときに、"連中"の姿が目に浮かんだ。

彼女にとって、不愉快な存在だった。

 

「(何が聖者だ。馬鹿か)」

 

奴等と共闘するのなら、満身創痍を引き摺ってでも単身で戦ってやると決めていた。

今は少々というか結構な危機だが、潰しの利きそうなのが目の前にいた。

ならばこの得体の知れない存在を、自分の為に使ってやろうと。

使い潰してでも、餌や盾にしてでも生き延びてやると。

 

「何か言ったか?」

「テメェにゃ関係ねぇよ」

 

クソ真面目な聖者どもへの愚痴が少し漏れていたらしい。

そして、疑いは全く晴れていない。

もしもこいつが盗人なら、その時は徹底的に叩き潰してやると心に誓った。

だが、それより先にすべき事があった。

 

「おいクソガキ。不便だから教えといてやる。いいか、よく聞けよ」

 

少年にも、それが何かの察しが付いた。

出し掛けた反論を飲み込み、少女の言葉を待った。

 

「あたしは杏子。佐倉杏子だ」

 

祭壇の上から少年を見下ろしながら、さながら支配者の如く、少女は言った。

 

「サクラ、キョウコか」

「そうだ。『てめぇ』じゃねえ」

「悪かったな。もっと早くに聞きゃよかった」

「別にいいさ。聞かれた処で教えてなんてやらなかったからな。特別って言ったじゃねえか」

「あぁ、そうかい。ならよ、俺のも聞きな」

 

これが回答とでも言うように、にやついた表情を作り、

杏子は右手を少年に向けて伸ばし、指の先端を軽く歪めた。

「どうぞ」との、挑発を含めた促しだった。

それを受けて、少なくとも外見的には気にした様子を見せず、そのまま、

 

「俺は」

 

と、言い始めた。

だが彼の言葉を、垂直に伸ばされた右掌が止めた。

 

「あぁーー…やっぱり、別にいい」

「…あ?」

 

当然、された方は気分を害していた。

文句の一言を告げようとしていたが、

 

「テメェどうせ、記憶喪失中なんだろ?アテにならねえから自己紹介はいいや」

 

杏子の言葉が割り込み、少年の発言を押し潰した。

ム、とでも言うような苦い顔をして、少年はそれを受け止めた。

彼自身、それを認めているところがあるらしい。

一方、不満気な顔もしている。

「それとはまた違う」と思ってはいる様だが、どう言えばいいのか少し困っている様だった。

 

「だから、呼び名はあたしが決めてやる」

「何が、だからなのかが分からねぇな。俺にもちゃんと名前はあんだよ」

「それが当てにならねぇんだよ、流れ者。黙って…」

 

聞けと繋げる前に、自身が黙っていた。

適当に思い浮かべていた、イヌネコどものような名前を押し退けて、湧いたものがあった。

最後から少し前の一言に、杏子はピンくるものがあった。

同じく、少年もその単語には僅かに反応を示していた。

それなりに凛々しげな眉が、一瞬跳ねていた。

 

「流れ者だから、『ナガレ』なんてどうよ?」

 

その名前は、杏子の口から流れるように出ていた。

何故かは分からないが、ぴったりだと思っていた。

第一、覚えやすいうえに言いやすい。

 

「…………ナガレか」

 

受け取った少年は、しばし沈黙した。

しばし黙って、口元を歪めた。

そこに、敵対や拒絶の色は無かった。

 

「ああ、いいぜ。俺の事はナガレでいい」

 

そうか、ナガレ、ナガレかと。

二度三度と、振られた名前を少年が繰り返す。

一言を言う度に、純粋な笑い声が漏れていた。

喜怒哀楽はあるらしいと、杏子は観察記録として脳裏に刻んだ。

恐らくこいつは魔女の犠牲者で何かしらの影響を受けたのだろうが、

目に見えて気が触れているわけではなさそうだと。

 

「ま、あんたがいいならそれでいいや。良かったな、名前ができて。感謝しろよ」

人間らしい表情を見せたとは言え、まだこの少年が得体の知れないものであることに変わりはない。

主導権を握るために、威圧的に接しようと決めていた。

 

「わぁったよ。『アンコ』」

 

笑いを押さえつつ発せられた返答に用いられたその呼び名に、杏子の肩がびくんと大きく震えた。

 

「………………何?」

 

ジト眼になりながらも、杏子が声を絞り出す。

 

「そうも読めるはずだよな。アンズの杏だろ?」

「…どこで見た?」

「襟首の名札だ。意外と几帳面だな」

 

ニヤっと笑って、ナガレは続ける。

 

「大人しくしてりゃ調子に乗りやがって。名前を言う前のジェスチャーのな、何が『どうぞ』だ」

「うるせぇ!動きまで真似するんじゃねえ!!」

 

ナガレの反撃が始まっていた。

一応、多少の我慢ということは出来るらしい。

それが、例え程度の低いものであっても。

 

「ほぉう。恥ずかしいって自覚はあったのかい」

「だからやめろっつってんだろ!クソガキ!」

 

恥ずかしさに、杏子の顔が紅潮していた。

少なからずそう呼ばれた事がある頃、幼稚園あたりの記憶が呼び起こされていた。

尚、どうぞの下りは彼女自身でも調子に乗っているなと思ってはいたらしい。

それをトレースされたことで、羞恥心を汲み上げられてしまったようだ。

 

「なぁにがクソガキだ!てめぇも大して変わらねぇだろが!この小坊が!」

「あぁっ!?あたしはこれでも十四だっ!テメェこそなんだ?

せいぜい十三くらいにしか見えねぇよ!!このクソガキ!!!」

「ほぉう、俺にゃてめぇがそのくらいにしか思えねぇけどな。 字も汚ったねぇしよ。解読に手間取っちまっただろが」

「テメェッ!いい加減にしねぇとブチのめすぞ!!」

「やる気か!?」

「あぁ!?」

「あ?」

「……」

「……」

「…………」

「…………」

「………………………………」

「………………………………」

 

 

沈黙が両者の間に降りる。

原因は、第一に相手の戦力の分析。

啖呵を切ったはいいが、自分も無傷では無いだろうとのことによる様子見。

第二は、どう相手を出し抜くかという謀略。

杏子は奇襲を、ナガレはカウンターを選択した。

経験豊富な故に、構えられているという事は杏子にも分かったが、

何をして逆襲してくるのかが分からず、身動きが取れなくなっていた。

ナガレの方もそれは変わらず、「マホウショウジョ」という謎の存在を脅威に感じていた。

骨の二~三本を生け贄にする覚悟を決めて、杏子の挙動を待っていた。

互いに血の気が多い奴だと呆れていた。

だが服のセンスといい煽りのレベルといい、どこかが似ている二人だった。

 

第三に、最後のそれは、ふと湧いてきた空しさと空腹感だった。

何処からともなく、胃袋が餌食を求める音が鳴った。

そっぽを向く杏子、「けっ」と吐き捨てるナガレ。

音の大きさはほぼ同じ。

かなり喧しい音だった。

互いにそれに触れないということは、発生源は二つであるということだ。

端的に言えば、腹の音だった。

 

「まぁ…」

「その、なんだ」

 

ほぼ同タイミングで、二度三度、四度五度と、「どうぞ」の応酬が交わされる。

どういう基準かは定かではないが、最終的にナガレが折れた。

ナガレは悔しげな表情をし、杏子は少し勝ち誇った様子を見せていた。

相手を出し抜いたということらしいが、これは両者にしか分からない。

 

「まぁ、よろしくな。くそ生意気なクソガキのナガレくん」

 

先制で、悪意を込めて言う。

 

「あぁ、こっちこそな。マホウショウジョのアンコさんよ」

 

思い出したのか覚えたのか、ショウジョの部分を強調しつつ、ナガレが迎撃した。

舌戦と呼ぶには余りにも幼い、というよりも幼稚な二人であった。

だが罵倒と皮肉混じりながらとは言えども、確かに両者の結託は交わされた。

 

但し、互いを相手を映した瞳を内包する目付きは刃の如く鋭さを見せ、

互いの間に流れる気配は殺気に近い。

今の(少なくとも、今は)殺気の主な原因は空腹感のためだった。

 

両者の眼が、室内の一点に向けられる。

片方は記憶を辿り、もう片方は嗅覚にてその場所を探り当てた。

昨日、杏子が貪り喰っていた菓子袋だった。

杏子の足元の近くに、祭壇の隅にそれはある。

塩と砂糖と小麦粉と油による構築物の匂いが、両者の胃袋を締め上げた。

 

「言っとくけど、これはあたしのだ」

「何も言ってねぇんだが」

「チョコの欠片も、飴玉もガムも、塩の一粒もやらねえからな」

「…アホくせぇ」

 

吐き捨てて、杏子に背を向けてナガレは歩き出した。

 

「おい!逃げる気か?」

 

逃げる、という部分を強めて杏子がナガレの背中に言葉を突き立てる。

その言葉が嫌いなのか、舌を鳴らしてナガレは首を後ろに傾けた。

あぎとを天に突き上げ、後頭部へと重心を動かした傾げ方だった。

絵としては中々様になってはいたが、頸椎に優しくなさそうな、

独特な角度と軸を用いた振り返り方だった。

 

「うるせぇな。適当に何か買ってくるだけよ。おでんとか焼き鳥とか」

「おでん…焼き鳥…」

 

年不相応なラインナップは兎も角として、それは彼女の食欲を刺激した。

次の瞬間には祭壇の頂から飛び降り、ナガレを飛び越え、彼より三メートルほど前に降り立った。

少女の、それどころか人類の範疇を越えた跳躍であった。

ナガレは僅かに驚いていたが、少女はそれを誇ることもない。

このくらいの肉体強化は、出来て当然なのである。

 

着いてこいとばかりに、杏子は顎をしゃくった。

いつの間にか左手には例の菓子袋が抱えられている。

早速、半ばまで袋を剥かれた甘しょっぱい棒状の菓子をもしゃもしゃとやっている。

ナガレが唾を飲み込む音が彼女には聴こえたが、分けられる数も与える気も無かった。

 

「あたしも行く。逃げられるなんて思うんじゃねーぞ」

 

そして警告の意を込めた一睨みをしてから歩き始めた。

振り向き方は、先程のナガレのそれだった。

 

「ギシンアンキな野郎だな。誰が逃げるか」

 

その歩みにナガレが続く。

その眼は杏子ではなく、「うんまい棒・お好み焼き味」と袋に書かれた菓子に注がれていた。

懐かしいものを見るような視線だった。

 

「どうだかね。なんせテメェはクソガキだし」

「クソガキだからって臆病者とは限らねぇぜ。教えてやろうか?杏子さんよォ」

 

因みに、呼び方は「キョウコ」に戻っていた。

面倒になったのだろう。

 

「さん付けってことは年下だって認めるんだな。やっぱりガキじゃねえか」

「こいつは皮肉で言ってんだ。国語は勉強しときな」

「なぁにがコクゴだ。生意気言ってんじゃねえ」

「どっちがだよ」

「…あ?」

「あぁ?」

 

距離をとりつつ罵りながら、一対となって歩いていった。

教会を出ても、幼稚な悪罵の交差は続いた。

 

厄介者どもが消え失せた教会は、一時の静寂を取り戻していた。

陽は落ち始め、闇が世界に注ぎつつあった。

 

その中で、蠢く影が一つあった。

祭壇の頂の、杏子のソファの皮の破けた手摺の上に、それはいた。

大きさは人間の頭ほど、微塵の埃さえ舞わせずに尾を靡かせていた。

それは遥か遠くの、二人の背中を眺めていた。

血溜まりのような不吉に満ちた赤い眼に映る少年と少女の姿は、まるでその内に囚われているかの様だった。

 

「きゅっぷい」

 

そう一声鳴いて、そいつは闇の中へと消えていった。

 

世界をさまよう者達の戦いは、こうして幕を開けた。

 

 

 

 

 




ぶっちゃける形になりますが、彼の外見は偽書の主人公と同一と思っていただいて大丈夫です。
元ネタ的な風に言えば退化しています。


偽書、再開して欲しいんですけどね…。

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