魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ)   作:凡庸

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第102話 平穏なる時

「………」

 

 

 佐倉杏子は沈黙していた。

 上半身は机に突っ伏し、両手は轢殺された蛇のように前に伸びている。

 足長の椅子から垂れた両足もぷらぷらと揺れ、完全に弛緩しきっていた。

 眠ってはいないのだが、いつから起きているのかもわからない。

 とりあえず、意識というものを自覚したのは今であった。

 半開きの口からは唾液が垂れ、顔を動かそうとした際には違和感を覚えた。

 垂れ流された唾液が頬と机の間で固まり、接着させられていたのだった。

 引き剝がす気も起きず、杏子はそのままぼーっとしていた。

 

 

「…キリカのやつ、どこ行った…?」

 

 

 ぼんやりとした口調でつぶやく杏子。

 それが功を奏したのか、彼女の脳は休む前のことを少しずつ思い出していった。

 途端に胃袋が蠕動し、胃液が口内に満ちた。

 咄嗟に口を閉じたために漏れ出すことはなかったが、逆流した胃液は鼻の方にも回っていた。

 

 

「…最悪」

 

 

 極限まで濃くした酢のような酸味の液体を飲み終えた杏子はそう呟いた。

 脳裏に浮かぶのは、どう言語化していいのか分からないほどの、凄惨無比な光景。

 それをどう表現したらいいのか分からず、人類には未だに言語化が不可能としか思えないそれらは、呉キリカを素材として造られていたことだけが分かった。

 アリナが製作した残虐アートは全て処分した筈だったが、また新たに、更に残虐さを増したものたちがそれも大量に発見されたのだった。

 嫌な予感がしたキリカがアリナの寝室を隈なく捜索し、ベッドの下に感じた空間の綻びに爪を立てた瞬間に異界の入り口が開き、その中に所狭しと作品たちが並んでいたのだった。

 そのあまりの異常さに、大抵の異常さなら慣れている筈のネオマギウスの構成員達すら絶句して立ちすくみ、当の本人であるキリカは表情や感情が漂白されていた。

 顔を見たはずなのだが、それを思い出すことはできなかった。

 ただ、美しいものをみたとしか分からない。脳が理解を拒絶しているのかもしれない。

 そういえば、記憶が絶えているのはそのあたりからだった。

 

 

「…寝る」

 

 

 欠落した記憶を探ろうとし、脳が心を壊す前に杏子は逃げることを決意した。

 目を閉じて心を無にするように努める。次に目が覚めた時、何も感じておらず覚えていない事が彼女の望みだった。

 だがしかし、その願いは叶わなかった。

 目を閉じた数瞬後、意識は虚無への墜落から引き上げられた。

 それを成したのは、悪夢を消し去るほどの美味なる香りであった。

 

 

「はい、どーぞ!」

 

 

 快活な声が耳朶を打つ前に、杏子は跳ね起きていた。

 突っ伏していたテーブルは十数人が並んで座れるほどの広さであったが、その上に所狭しと様々な料理が並んでいる。

 香ばしい匂いを立てているのは、程よく焼けた飴色の肌の豚の丸焼きであり、濃厚なクリームの香りを漂わせているのは深皿に山と盛られたカルボナーラスパゲティであり、みずみずしい野菜が添えられているのは切り分けられた断面から血が滴るレアに焼かれたステーキだった。

 数十種類の香辛料を絶妙の配分で混ぜられたカレー、一粒一粒に至るまで黄金色の卵でコーティングされた炒飯、野性味あふれる赤い断面を見せて並べられているのは薄切りにされた鴨のローストだろう。

 

 

「…おはよう」

 

 

 視覚と嗅覚と胃袋を刺激する、大量の食物からの誘惑を振り払い、杏子は言葉を口にした。

 テーブルの反対側には、私服姿のかずみがいた。椅子の背もたれには、つい今しがたまで着用されていたであろうエプロンが掛けられている。

 杏子の挨拶ににかっと笑うと、かずみは両手を合わせ「いただきます」と元気に叫ぶと食事を始めた。

 少し遅れて杏子もそれに倣い、食事を開始する。

 フォークで刺しただけで焼き加減が絶妙だと確信させられたステーキを口に含んで咀嚼した瞬間、杏子の目じりには涙が浮かんだ。

 ゆっくりと噛んでから飲み、少し待ってから今度はスプーンに持ち替えて炒飯を口に運んだ。

 卵の甘さとまろやかさ、炒められた米の香ばしさが口内で弾ける逸品だった。

 飲み込んだ後、杏子は小さなため息を吐いた。湧き上がる満足感によって、行き場のなくなった感情が息として漏れ出したのであった。

 

 そのまま二人は会話をすることなく食事に没頭した。

 冷めやすいものから優先的に摂取し、可能な限りゆっくりと食事を楽しんだ。

 飲み物として添えられている牛乳やオレンジジュースにソーダ水で喉を潤しつつ、様々な味を賞味する。

 普段争うようにして食事、というよりも食餌に勤しむ杏子としては珍しい姿だった。

 

 

「ええっと…ごめんね、杏子」

 

「ん…?」

 

 

 食事の余韻を楽しんでいると、かずみから声が掛けられた。意を決したような響きがあった。杏子はすぐにぴんときた。

 

 

「気にすんなよ。相手が相手だ」

 

 

 事も無げに杏子は言う。暴走した環いろはとの戦闘の際に、彼女が前線に出てこなかった事についてである。

 

 

「怪我して動けなくなった奴らを運んだりしてたのはお前だろ。その後も療養食作ったり、怪我の手当てしてやったじゃねえか。立派に仕事してたんだから、そんな顔すんな」

 

 

 ゆっくりと、だが言葉の合間をほぼ開けずに杏子は言った。

 かずみの反論を許さず、させたくないが故に。

 かずみも何かを言おうとしたが、

 

 

「ありがと」

 

 

 と寂しげに微笑んで告げた。

 

 

「でも、ちょっと問題かも」

 

「キリカから聞いてるよ。変身が上手くできなくなったんだっけ?」

 

「うん。多分だけど」

 

「あの変態…じゃ分からねぇな、変態が多すぎる。胎にジェム貯めこんでる犀好きな変態でいいや。そいつのせいにしとけ」

 

「んー…それもあるのかもだけど、私の設計ミスかなにかだと思う」

 

「……プレイアデスか」

 

 

 忌々しさを隠そうともせずに杏子は吐き捨てる。

 幸福で満ちていた胃袋に、さっそく苦々しいものが忍び寄り始めていた。

 

 

「私の心臓って、魔女から採取したのを組み合わせて作ったんだって。凄くない?」

 

「本人に言うのもなんだけど、何考えてたんだろうなあいつら」

 

 

 そこで杏子は疑問を覚えた。

 その事実は杏子はニコから聞いて知っている。だが、何故かずみが知っているのかと。

 

 

「あ、ちなみにこれはクロエって人から聞いたんだよね。プレイアデスと業務提携してたみたいで、事情に詳しかったみたい」

 

「何でそのこと、そいつはお前に話したんだ?」

 

「ええとね、話しかけられて、空の色とか好きな花とかを聞かれた後に急に言われたの」

 

 

 杏子は少し考え結論を出した。所謂コミュ障ってやつだなと。

 かずみは不安げな、いや、心配そうな顔をしていた。

 

「話しかけてきてくれたのは嬉しいんだけど…あの人、ちょっと距離感詰めすぎてる感じがあってちょっと心配」

 

「そうか。ついでに、そいつ今どこにいる?」

 

 

 努めて殺気を抑えながら杏子は言った。だが抑えたといっても殺意の量が大きすぎており、隠蔽には程遠かった。

 一応の仲直りはしたとはいえ、内臓を抉り出しあった仲でもある。

 

 

「少し前に出て行ったよ。あと別に私は怒ってないから大丈夫。一緒に連れていかれたくろって人からも土下座されて謝られたし」

 

「…分かったよ」

 

 

 杏子は両手を掲げて手のひらを見せた。

 お礼参りはしないという意思表示である。

 少なくとも、今は。

 

 

「でも不調だってんなら、今度あたしとキリカでプレイアデスに乗り込んで」

 

「いいよ、別に」

 

 

 杏子の言葉にかずみが声を過らせた。

 杏子は口を閉じた。大きな声でも鋭い口調でもないが、その声はひどく冷たかったからだ。

 

 

「私は失敗作みたいだし、もうあそこには戻りたくないし関わりたくない。これは自分の問題だから、私が自分で解決したい」

 

 

 かずみはそう言い切った。

 少ししてから

 

 

「そうか。でも治す手伝いくらいはさせろよな」

 

 

 と言った。

 かずみは歯を見せて笑い返した。


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