魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ)   作:凡庸

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第98話 一時間前②

 昏い回廊を少年が歩いていく。

 両手を上着のポケットに突っ込みつつ、前だけを見つめて淀みなく歩く。

 頑丈な安全靴を履いているというのに、彼の足音は聞こえなかった。

 靴底が地面と擦れる音すらしない。

 気を付けているのではなく、無自覚のままの行動だった。

 

 不意に彼は足を止め、ポケットから両手を抜いた。

 そして右手を前に着き出した。伸ばした手の先にも闇が溜まっている。

 その闇に彼の手は触れた。指先に軽く力を籠めると、闇は奥に向かってずれた。

 ずれた闇の輪郭は扉の形に似ていた。開いた輪郭の奥から、眩い光が放たれた。

 眼が眩む光の中でも、彼は眼を僅かに細めただけだった。

 

 

「遅い」

 

 

 光の奥で声がした。光の中にいる声の主は、影のように黒かった。

 

 

「悪い」

 

 

 彼は短く返した。言い終えた頃には太陽の直視ほどの光量は昼日中程度の光に収まっていた。

 なお彼の眼は光の中でも明確に相手の姿を捉えていた。

 

 

「黒江さん、でよかったかい?」

 

「さんはいらない。呼び捨てでいい」

 

 

 あいよ、とナガレは黒江に返した。

 黒江の声は淡々としていたが、声色には棘が見えた。

 呼び捨てを許可したのも親愛からではなく、敬称を付けられるのが嫌だからだろうと彼は察した。

 何時の間にか、背後の扉は消えている。

 代わりに、背後の奥からは僅かながら殺意を孕んだ気配が感じられた。

 数は一つ。以前会った、黒ないし匿名希望と名乗った少女だとすぐに分かった。

 

 

「要件は、なんとなく察してるかな」

 

「ああ」

 

 

 彼は前を見ていた。黒江と、その背後にあるものを闇色の眼で見つめている。

 黒江の背後には、縦長の透明の管があった。

 縦三メートルほどの長さの薄緑色の溶液に満たされた内部には、黒いローブの少女がいた。

 時折気泡が立ち昇り、眼を閉じた少女の顔の前を通り過ぎる。

 

 

「環いろはって名前を聞いてる」

 

 

 ナガレが先に口を開いた。

 対する黒江も何かを言おうとしたが、開いた口をすぐに閉じた。

 呼び捨てに対して思う事があったのだろう。

 呼び捨ても気に喰わないが、敬称を付けられるのはもっと嫌だとしたのだろう。

 

 

「前に死にかけた時に助けられた。感謝してる」

 

「…こっちも環さんから話を聞いてる。落としたお釣を拾ってくれてありがとう、って」

 

「そうか。まだ何かあるか?」

 

「もうない。要件は一つだけだから」

 

 

 会話を打ち切る黒江。覚悟を決めて息を吸い、唇を噛み締めてから口を開く。

 

 

「環さんを、お願い」

 

 

 平静さを装われていたが、黒江は血を吐くような想いでその言葉を告げていた。

 黒江は無力感に苛まれていた。

 背後の容器の中で佇む環いろはは自身と同化している怪物、イブによって常に苛まれている。

 肉体は再生と崩壊を繰り返し、常に四十度を超える高熱に苛まれ、声帯は溶け崩れていて声を発する事も出来ない。

 彼女の肉体を突き破り、体外に出ようとするイブは超高熱を有する破壊魔法と、万物を腐らせる毒魔法によって成長を阻害されている。

 

 それによって環いろはは生存しているが、同時に尋常ではない苦痛に襲われている。

 腕が溶け落ち、異形に変形した骨が露出するのを黒江は何度も見てきた。

 吐き出した血には内臓の破片、毒血によって蕩けた声帯や舌や歯の欠片が混じっていた。

 

 無音の絶叫を上げて苦しむ彼女に対し、自分は何も出来なかった。

 手を握り、顔を拭い、声を掛ける事しか出来ない。

 イブの暴走が収まり、死にたくなる苦痛が死にそうな苦痛になる時まで共に待つ事しか出来ない。

 

 考え得る限りの事を試したが、黒江は全くの無力だった。

 だから、現状が改善されるのなら自分は何だってやるしどんな手段でも試す。

 それが例え、この得体のしれない存在を利用する事だとしても。

 黒江としては、この存在を敬愛する環いろはに触れさせたくなどない。

 しかし、当の環いろはが彼による干渉を許可した。

 ならば臣下である自分はそれに従うのみ。

 

 だがそれが受け入れられない。

 理解しようとしても、どうしても意地が湧き立ち協力を望むことを拒む。

 これが嫉妬の感情からくるというのも理解できるが納得できない。

 頼むのだから頭を下げるべきなのだが、首が動かないし動かしたくない。

 これは美徳ではないと知りつつ、つまらない意地とも思えない。

 内心から湧き上がる毒のような感情が、自分の心を刻一刻と切り刻んで腐らせていく感覚を黒江は味わっていた。

 

 

「分かった」

 

 

 対してナガレは、力強く応えた。

 黒江の内心とも葛藤とも無縁の、絶対の法則のような力強さがあった。

 彼女の心を無視したのではなく、彼の言葉は彼の意志の強さを示していた。

 自分を頼るものがいるのであれば、それに応える。

 彼の本能と生き様が反映された応えであった。

 

 その態度は黒江を安堵させつつ傷付けていた。

 自分の嫉妬心が見透かされ、それを砕かれたように思ったのだ。

 それが錯覚であると知りつつ、湧き上がる感情は止まらない。

 自分の喉と顔を刃物で切り刻みたくなる衝動を、黒江は必死に耐えていた。

 

 その時に、黒江の背後で音が生じた。

 硬い響きの音だった。

 振り返る寸前、前に立つ少年の顔を見た。

 叫んでいるように見えたが音は聞こえなかった。

 聞こえてはいたのだが、黒江の意識は背後に集中していた。

 振り返った彼女が見たものは、自分に向けて伸ばされた美しい手。

 黒い手袋に覆われてはいても、黒江にはその下の白い肌と白魚のような指が見えた。

 

 ガラス状の容器は布のように貫き通され、内部を満たす液体が一気に溢れる。

 それを避けようともせず、黒江は迫る手を見た。

 ごく短時間の出来事だが、黒江には時が引き延ばされたように感じられた。

 この時黒江の心は、幸福に満たされていた。

 敬慕の対象が自分を求めている。

 ならば自分はその身を差し出さなければならない。

 古代の神に捧げられた生贄のような、そんな気高い心を今の黒江は持っていた。

 

 

「環さん」

 

 

 優しく微笑みながら、黒江は呟く。

 広げられた五指が、黒江の顔を正面から包む。

 

 

「大好き」

 

 

 手の中で微笑む黒江の顔へと、添えられた五指が一斉に力を込めた。

 そして肉が潰れ、骨が砕けて鮮血が飛び散った。

 


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