魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ)   作:凡庸

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第9話 凍える道化と…

「ききぃ」

「煩いですねぇ。耳元で叫ばないでくださいよぅ」

 

湧きかけた道化の哄笑を断ち切るように、異形の嘶きが木霊した。

優木は水気を吸ってだぼついた右側頭部に、右手の人差し指と中指を突き立てた。

そして穴をほじくるようにぐりぐりと廻すと、勢いよく引っ張った。

 

「いい気分なんですから、邪魔すんなっつうの」

「きっ!」

 

指に絡めとられた、ハムスターサイズに縮小しているお気に入り魔女が投擲され、

悲鳴と共に地に落とされた。

日頃に主に示している忠誠心と反比例し、彼女に対する道化の扱いはぞんざいであった。

因みに彼女に対する道化の脳内での綽名は「不細工なズングリムックリ野郎」である。

但しこれは悪罵における佐倉杏子の綽名の如く頻繁に変わるため、

必ずしもこれという訳では無い。

何にせよ、唯一といっていい仲間にすらロクな想いを抱いていないのが、

この優木沙々という少女であった。

どんな人生を送って来たかは定かでないが、少なくとも人間の友達は皆無であろう。

 

「にしてもあんた、少し見ない内に太りましたか?ひょっとして卵でも孕んだんですか?」

「ききぃ!!」

 

道化が思わず竦むほどの声を挙げ、魔女が顔を左右に振った。

違うとの意思表示であるらしい。

そして彼女は、不細工な人形じみた顔に空いた小さな口を広げると、

 

「きっ!」

 

と何かを吐き出した。

それは、最初は小型化している魔女の唾程度といった大きさであったが、

秒もかからずに一気に肥大化し、本来の形と質量を取り戻した。

月光の中に投げ出されたそれは、若草の茂る地面の上に転がった。

視認した道化の眉が吊り上がった。

そこには、隠しようもない不愉快さがあった。

 

「…なんでんなもん持ってんですか…くっそ気持ち悪ぃですねぇ」

 

魔女の唾液にまみれたそれは、それらは細い腕だった。

鋭利な、艶やかといってもいい肉と骨の断面を見せて肘の辺りで断ち切られ、

繊手を緩やかに曲げた少女の右と左の腕。

衣服という覆いを外されたそれは病的なまでに白く、そして細かった。

身を炎の中に投じて消えた彼女の仲間、呉キリカの身体で唯一残った部分であった。

道化はそれを、まるで中身を飲み終えた缶かペットボトルでも掴むような、

酷くぞんざいな手つきで持ち上げた。

 

「胸やケツ、あと太腿の肉付きはいいくせに、ここは意外とガリガリですね。

 全く、クソザコゴキブリの分際で生意気ですよぉ」

 

しげしげと観察しつつ、そう呟く。

やけに手慣れた様子をみると、こういうことをするのは初めてではないらしい。

何せ、人食いの怪物を仲間とする女である。

過去に魔女たちが食い残した破片を、観察する機会でもあったのだろう。

 

「クソが」

 

一通り舐めるように見渡して、道化が忌々し気に吐き捨てる。

無惨な肉片と言っていいそれにすら、呉キリカという魔法少女の美しさが

呪縛のように残っていたのを、彼女は認めざるを得なかったようだ。

 

白い肌とあと少しで骨が浮きそうな細い指。

病的な要素を孕んだそれらに纏わりついた魔女の唾液が、月光を反射する光を与え、

一種の非現実的な美を醸し出していた。

彼女が技の中に織り込んでた、不死の魔物を表すように。

 

「そういえば隣の市には、動物の遺灰で絵を描く変態メスガキがいるって噂ですねぇ…」

 

その美しさが、敗北心に染まった道化の心に邪悪な火を灯したようだ。

 

「…確かに、これはいい素材になるかもしれませんねぇ…」

 

心の中に湧き、そして瞬く間に炎となった欲望に等しい形に美少女の顔が無惨に歪む。

 

「それに形としてはキレイだし、これをアクリルかなんかで固めれば…くふ」

 

何を想像し始めたか、声には熱が宿り、視線には淫らな光がぎらついている。

道化は川の水で濡れた唇を舌でちろりと舐めた。

舌で得物を探る蛇のようだった。

 

「…ん?」

 

高揚感に染まっていた道化が、怪訝な声を発した。

下腹部以外の場所から、むず痒さを感じていた。

背中からだった。

 

「あが!?」

 

痒さは変じた。

道化の口から生じた音に相応しいものに。

激痛へ。

 

「ががぁぁがああああぁあぁ!?」

 

道化の声は獣のそれとなっていた。

理解不能の、しかし味わった事のある痛みでもあった。

異常なほどの憎しみを抱く真紅の魔法少女から己に放たれる怒りへの恐怖と、

邪悪な執着を抱く黒髪の少年から受けた殴打による烈しい痛み。

 

細胞の一つ一つが怒りに焼かれ、拳や脚から与えられた衝撃がそれらを粉微塵に砕く。

それらがミックスされ、更に強化されたような異次元の痛みだった。

それが背中の一角から生じている。

 

余りの苦痛に、道化が細い膝を折った。

違った。

苦痛は間断なく襲い掛かり、それは道化の狂気に満ちた正気を穢すほどのものだったが、

道化が地に伏せた直接の原因はそれではなかった。

 

彼女の細い脚と体幹は、確かな重さを感じていた。

痛みの根元から。

呉キリカに、飛翔する斧を撃ち込まれた場所から。

痛み以外の何かが生じている。

質量をもった何かが。

 

「ひぎぃっ!」

 

冗談のような悲鳴を上げ、道化は倒れた。

悲鳴には、水音と何かが弾ける音が付着していた。

柔らかな草に覆われた地に顔がぶつかったことが、せめてもの救いだった。

 

苦痛に喘ぐ道化の視界に、遥か上空で浮かぶ月の威容が映っていた。

丸い月の傍らに、一つの影が寄り添っていた。

白い光を伴侶として夜の世界に浮かんでいるのは、闇色の塊だった。

 

それが月光の下で舞うように開いたとき、道化はその正体を知った。

それは巨大な黒い花であり、または不吉が形を成したかのような、黒い蝙蝠の羽のようであり。

そのどれでもなかった。

四肢という翼を広げて花開いたのは、黒い髪を夜風に揺らす極上の美少女の姿であった。

 

彼女は音も無く、道化の前に着地した。

跪いた体勢のまま、道化はゆっくりと見上げた。

 

一糸纏わぬ小柄な裸体が、彼女の前に聳えていた。

 

「さささささ。君に預けておいて正解だったよ」

 

道化が意味を探れぬ内に、声の主は無造作に手を伸ばした。

伸びた先で広げられた五本の細指の上に、何かが影を落とした。

それを、少女の指が優しく掴み取った。

道化はそれの正確な形を伺う事は出来なかったが、指の隙間から鋭角らしき形状が見えた。

 

そして更に、月光を拒むかのような闇色の光の輝きも見えた。

闇の輝きを放つものを手中に収めているのは、

先程まで道化が邪な妄想と共に握り締めていた腕であった。

 

道化は改めて、眼の前の女体を観察した。

そうでもしないと、完全に狂ってしまいそうな気がしていた。

背の痛みは嘘のように消えていたが、

今度は恐怖が心を潰さんばかりにあらゆる方向から自分に迫ってくるように感じていた。

 

手や胴体は病的な細さと白さを見せていたが、腿や胸などの女性を象徴する部分には

人並み以上に十分な肉が付いている。

それが肥満では無く、性差を問わず獣欲を掻き立てられるような艶めかしさであるというのは、

一種の奇跡と呼べるかもしれない。

 

鍛錬によるものではなく、痩せているが為に薄っすらと浮いた腹筋の真横にある腰は、

見事なまでに優美なくびれを描いていた。

恐怖の最中にある道化がごくりと唾をのみ込んだのは、不意に生じた欲情のためか。

 

その美しい裸体の上に、黒と白の光の波濤が走った。

一秒足らずで、白い肌の何割かを覆い隠した光は明確な形を成した。

白と黒を基調とした、奇術師めいた衣装が、美少女の身を覆った。

最後に白い手袋を通した細い指が、美しい顔の右半分を覆うような黒布を、

丁寧な手付きを以て顔に通した。

 

「これでよし」

 

満足げに呟くと、彼女は朗らかに微笑んだ。

童女の笑みだった。

 

 

黒い魔法少女が、呉キリカがそこにいた。

 

 

「協力に感謝するよ」

 

黒い魔法少女は、道化の傍らへ視線を動かしそう言った。

その方向から「きき」という短い呟きが返された。

猿の嘶きに似た声からは、明らかな怯えの音色が伺えた。

 

「ところで…どうしたんだい?我が参謀」

 

怪訝そうな表情で、キリカは『参謀』に問うた。

 

「随分と酷い顔になっているが、幽霊でも見たのかね?」

「…ぁ…あ…あ」

 

道化は顔から涙と鼻水と、そして涎を垂れ流していた。

だが、完全な無としか思えない状態から、それも自らの身を裂くような痛みと共に

顕れた存在を前に半乱狂となった彼女を、一体誰が笑えるだろうか。

 

道化の思考に、恐ろしい考えが過った。

眼の前の女はまるで、自分の背から新たに…。

そこまで考えたところで、優木は思考を強制的に遮断した。

そうとしか思えなかったが、それ以上は考えたくなかった。

対して、返された嗚咽にキリカは肩を竦めた。

 

「相変わらず失敬だな、君は。私は現(うつつ)の存在だ。虚無と一緒にされては困る」

 

憤然とした口調で、キリカは責めるように言った。

まるで囃し立てられた幼い子供の反抗の意思のような、

焼いた餅か風船のように頬を膨らませつつ。

やや歳不相応だが、少女らしく可愛らしいとしか言えない様相だったが、

道化には恐怖の対象でしかなかった。

 

「おいおいおいおいさささささ。

 頼むからしっかりして呉給え。繰り返すが、君は私の参謀なんだよ?」

 

狼狽する道化を前に、キリカもまた慌てていた。

当然ながら、道化は更に怯えた。

四肢をばたつかせていたが、腰が抜けたのかその場から全く動けなかった。

 

代わりに、とでも言うべきか。

冷えた夜風に、僅かな刺激臭を孕んだ匂いが漂った。

先程まで欲望の熱を疼かせていた場所の近くから溢れる液体に、道化は羞恥よりも安堵を覚えた。

少なくとも自分は黄泉路にはおらず、まだ生きていると思ったのだった。

皮肉にも、それが道化の正気を保つ切っ掛けとなっていた。

 

「よろしい、ならば説明しよう」

 

優木の意思など知らず、というよりも単なる勘違いだろうか。

聞きたくないという意思表示など出来ぬまま、キリカは続けた。

 

「愛だ」

 

ただ一言。

だが、そこから莫大な質量が感じられるほどの一言だった。

 

「これは、愛の力のほんの一つさ」

 

優木は全く意味が分からなかった。

それを無視するかのように、或いは最初から気にしていないのか。

黒い魔法少女は言葉を紡ぎ続けた。

 

「愛ある限り、私は不滅だ。

 そして愛とは永劫不滅の無限力。だが悲しきかな、同時に無限とは有限でもある」

 

高らかに、そして事実を滔々と述べるかのように奇術師姿の魔法少女は語る。

巨大なスケールを表す単語を前に、道化は茫然とするしかなかった。

だが一方で、彼女なりに幾ばくかの理解が出来た。

呉キリカの眼に宿るのは、虚無では無かった。

そうか、そういう事だったのか。

これだ。

彼女が語るこの感情が、琥珀色の瞳の中に、無限の宇宙の如くに満ちていたのだと。

 

「矛盾しているのは認めよう。無限など所詮は無限という名の檻に縛られた有限だ。

 だからその中で、私は無限と云う有限の愛に尽くすのさ。…お分かりかな?」

 

最後の語りは寂しさに彩られていた。

謎めいた言葉を前に、道化には首を縦に振る以外の選択肢は無かった。

 

「ならばよろしい」

 

道化の反応に、キリカは満足げに笑った。

 

「取り敢えず、快気祝いに甘いものでも調達しようじゃないか。

 何時もながら、こうした後は気分が悪い」

 

やれやれと、キリカはまるで芝居のように額に右手を当て、細い首を左右に振った。

 

「残ってる訳ないっていうのに、口の中には今もまだ味と匂いがこびり付いている。

 友人ときたら、全く、まるで文字通りに置き土産を喰らった気分だよ。

 それに何時になっても、血の香りと味は慣れないね」

 

道化としては、幾つか突っ込みたい部分があった。

それと心なしか、キリカは自分の知るそれよりテンションがやや高いような気がしていた。

 

「…元気ですね」

 

やっと口を開けた道化の一言には、若干の皮肉が込められていた。

 

「そりゃそうさ、私には遣ることがあるからね。常に意識は高く持たねば」

 

あっけらかんとした口調でキリカは返した。

皮肉など存在することすら知らないような、無垢な笑顔で。

 

「…それじゃぁ…とりあえず拠点に帰りましょうか…?」

 

呆れた顔を必死に隠しつつ、恐る恐ると云う具合に道化が退去を促した。

声は気力の全てを失くしたように掠れていた。

 

「そうだな。流石に今日はほとほと疲れた。

 それにしても気配りもできるとは、やはり君は有能な参謀だな。今後とも宜しく頼むよ」

 

今後とも、の一言が優木の上に石のように圧し掛かった。

逃げられないと、彼女も覚悟を決めるほか無かった。

だが今はそれより先に、しなければならない事があった。

 

「その前に…身嗜みを整えてよろしいでしょうか?」

「勿論さ。それと、風邪には気を付けなよ」

 

許可が出た瞬間、優木は川へと飛び込んだ。

寒さに凍えつつも、傷と汚れを落としに掛かる。

 

「今日は有意義な一日だったな。十分な収穫はあった。あちらの力を見せて貰った」

 

黒い魔法少女の一言と共に、闇色の菱形の表面から複数の何かが剥離した。

薄闇色の、結晶のような物体だった。

それらは若草に触れた途端に、黒い魔力の残滓となって消滅した。

 

剥がれ落ちた結晶の奥から、更に鮮烈な闇が輝いた。

先のものは一種の膜、装甲のようなものだったのだろうか。

そしてこれが、それに守られていた本体か。

 

「流石に、ノーリスクとはいかないか」

 

苦笑しつつ、黒い魔法少女は菱形を優しく掴み、それを月に見せるかのように高くかざした。

一回り程小さくなった闇の菱形の表面に、ほんの僅かな光の隙間があった。

顕微鏡か、魔法少女の視力でも無ければ明確に視認しえないものではあったが、

菱形を縦と横に、十字に刻むように表面に生じた隙間は。

 

それを正しい表現で表せば、『瑕』という事に違いなかった。

 

 

 

 

 

体表に魔力の膜を張り、川の水に魔力を通して清水と変え、道化はそれで身を拭った。

落ちていく穢れとは裏腹に、道化の心に闇が忍び寄っていた。

 

彼女の心には、怯えと恐怖と、そして歓喜が混在していた。

 

不死身。

 

無限力。

 

愛。

 

それらを心の中で唱える度に、心中の歓喜の割合が増していった。

そして無から蘇ってきた同胞を前に、優木は確信に近いものを抱いていた。

 

こいつに、この莫迦に出来る事なら自分にもできる。

劣る筈などありはしない。

仮に習得出来ずとも、自分にはこの無敵に等しい力の味方が付いている。

 

「それならもう何も…怖くありませんねぇ……くふふ」

 

道化の身は凍えながらも、心には熱が渦巻いていた。

悪意の炎は、止むことを知らずに燃え盛る。

 

真の意味で、魔女というものにこの地球上で最も近いものは、

彼女なのかもしれなかった。

 

岸辺に立つ道化の親友である魔女はただ茫然と、死んだ魚によく似た眼で

主を見つめる事しか出来なかった。

 








御早いご帰還となりました。

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