魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
雨が屋根を叩く音が響く。
片付いてはいるが、荒廃した建物の内側はしっとりとした湿度が孕まれていた。
昼ではあるが、雨雲が天を覆っているが故に照明が無い室内は薄闇に包まれている。
その中に、三人の年少者達がいた。
「どうすんのさ」
家主である佐倉杏子はそう言った。
「警察には渡せなくなったな。危ねぇ」
応えるナガレ。
二人の前には黒い長髪の少女がいた。
ナガレの寝床(最近では杏子も勝手に侵入してくるようになった)であるソファに座り、その前に置かれたテレビを観ている。
テレビに映るのは一面の砂嵐。
それを少女は瞬きもせずにじっと見ている。
テレビから発せられる僅かな光によって、少女の姿が照らされていた。
上着はナガレの青いジャケット。その下の長袖の黒シャツも彼のもの。
下に履かれているのは杏子のホットパンツのスペアである。
足元は裸足のままで、スリッパを履いている。
一応の来客用に購入したそれを、使う事があるとは彼も杏子も思っていなかっただろう。
「当然だけど、ほっぽり出す事もできねぇ。敵に回るとヤバいからな」
杏子の指摘に、ナガレは何かを言いたそうだったが口を噤んだ。
彼的にはそういった考えよりも雨の日に子供を放り出すのは、といった正義感というか倫理観からである。
彼を他所に、少女を見ながら杏子は思い返す。
今自分が口にした事は、ナガレを手元に置くと決めた理由と同じである事を。
少し前まで、彼の事は便利な道具と思いつつもあの選択を後悔していた。
しかし今の自分の自分の感情からすると、あの時の自分の判断は間違っていなかった。杏子はそう思いたかった。
彼もまた杏子の想いは他所に、黒髪の少女へと近付いた。
少女は僅かに反応した。赤く渦巻く瞳の眼を向けたが、すぐに興味を喪い前を向いた。
俺は砂嵐以下か、とナガレは思った。
少女に接近して身を屈め、彼女より目線を低くしてから口を開いた。
「腹減ったか?あと、寒かったりは?」
前者は兎も角、後者は大丈夫な筈だった。
少女の周囲の大気は、快適な温度が保たれている。
彼が牛の魔女に命じてさせていることだった。
廃教会内の全域に作用させないのは、自然の空気の温度や湿度の方がナガレも杏子も快適に感じるからだ。
無論限度はあるが、今はそうだった。
問い掛けに対し、少女は瞬きを繰り返した。
どうしたらいいのか、迷っているように見えた。
となると、意思疎通は出来そうだとナガレは思った。
このあたりは経験である。
全くの意思が通じない異形との死闘を、彼は此処に来る前から数え切れないほど繰り返していた。
「お前、名前は言えるか?」
更に尋ねる。
少女の表情が変わった。
無表情から困ったような顔つきに変わる。
「その様子だと口が利けないか、或いは忘れちまってるのかな」
気の毒に、と杏子は思った。
そう思った事について、彼女は驚いていた。
他者を思いやる心を、彼女はナガレ以外に対して長らく使ってなかったような気がした。
「あんたが付けてやったらどうだい?同じ黒髪なんだしさ」
それを小恥ずかしく思ったか、杏子は煽る様に言った。
ううん、とナガレは考え込んだ。冗談のつもりで言った事だが、理に適った事でもある。
「女の名前か……」
ナガレは真剣に考え始めていた。
こういうとこ生真面目なんだよな、こいつ。
彼女はそう思った。
「…ミチル」
小さく、極ごく小さな声でそう呟いた。
その言葉に、少女は反応した。
再び砂嵐へと向けられていた眼が、ナガレを見た。
「ミ…チ…ル…」
震える唇で、たどたどしくそう呟く。
言い終えるまでに要した時間はほんの10秒足らず。
しかしその間に、少女の脳裏には無数の映像が流れた。
一つ一つが何であるかは分からない。
しかしそのどれもに見覚えがあり、そして自分の知らない事ばかりだった。
ただ一つだけ、確かな事があった。
フラッシュバックが消え去った瞬間、少女は立ち上がった。
「かずみ!」
叫ばれた言葉。
少し前まで虚無的だった少女の顔には、花のような笑顔が咲いていた。
「かずみ!わたしは、かずみ!!」
かずみ!かずみ!と少女は、かずみは叫びながら廃教会内を走り始めた。
両手を高々と掲げ、長い髪を獣の尾のように振り回しながら全力で走る。
それはまるで、休み時間になり外に解き放たれた幼女か、花畑の乙女か。
その両方のような、全身で喜びを表している姿であった。
呆気にとられるナガレと杏子。
面食らったのも無理はないだろう。
廃教会内を走り回り、元居た場所へとかずみは戻った。
笑顔のままで、かずみはナガレの顔を見た。
次の瞬間、少女の身体は宙にあった。その高さは三メートルに達していた。
「ありがとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
叫びながら、かずみはナガレへとダイブした。
避ける訳にも行かず、避ける気も無くナガレは両手で受け止めた。
彼の腕力が尋常でないせいもあるが、殆ど重さを感じなかった。
それでも生じる衝撃を殺すべく、彼はかずみの両脇に両手を通し、その場でくるりと回転した。
「恋愛映画かよ」
と杏子は言った。
声の裏には怒気が含まれていた。
早速出やがったな、嫉妬心。と杏子は自身の内面を冷静に分析した。
ドッペルの解放は多少なりとも役に立っているらしい。
回転が停止、した瞬間に再度の動き。
剥き出しとなった白い脚が床を蹴って跳躍、ナガレへと再接近してかずみが彼の肩を掴む。
身体を固定した途端、かずみは顔をナガレに寄せた。
「…おい」
再度の杏子の声。その眼の前で、かずみは彼の左頬に唇を軽く重ねていた。
それは性的なものではなく、挨拶や親愛のそれだった。
海外の風習に近い感じである。
軽いキスを右頬と額に触れさせるかずみ。
「名前を教えてくれて、ありがとう!」
「…おう。役に立てたんならよかった」
困惑しつつもナガレは返す。
状況的には変もいいとこであるが、ここは合わせた方がいいと思ったのだろう。
尤も、彼は少々魔法少女の行動を許容しすぎな上に合わせ過ぎだが。
親愛の眼差しを向けるかずみ。その表情に閃きが浮かんだ。
ナガレは嫌な予感がした。
「お」
「…お?」
張り切っているような、期待しているようなかずみ。
神経が苛立つ杏子。されるがままの存在と化したナガレ。
「おとしゃん!」
かずみの言葉は「お父さん」と言った積もりなのだろう。
だが「と」を言ったあたりで別の音が重なった。
それは、かずみの腹の音だった。
贄を求める胃袋が軋んだ音。
それが割り込み、後半の発音を濁らせていた。
名前を与えた、というか思い出す切っ掛けを与えたせいか。
と彼は思った。
見た限りかずみと称する少女の現状は記憶喪失。
その中で名前を与えられたとすれば、生を与えられたも同じかと。
今のかずみの状況を、ナガレは他人事とは思えなかった。
記憶喪失で無い事を除けば、彼もまた今の名前を他者に、佐倉杏子に与えられたからだ。
だから拒絶せず、「ま、好きに呼びな」と彼は言った。
自分の発言を拒絶しないナガレの態度に好感を持ったか、かずみは再度軽いキスを見舞った。
その傍らでは、現状に取り残された杏子が立ち尽くしていた。
「なんだ、この展開」
そう彼女は呟いた。
全く以て、その通りとしか思えない。
コレハ
ドウイウ
コトナノダ
(観測者の呟き)