魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
朝四時半頃。
ナガレと杏子は廃教会にいた。
二人の眼の前には、白色の二つのケースが並んでいる。
縦長の丸みを帯びた形状、それは棺によく似ていた。
実際、その中には人体が入れられている。
顔に当る部分にはガラス窓が嵌められ、中が見えていた。
一つは呉キリカ、もう一つには朱音麻衣が入っていた。
二人とも、眼を閉じて動きを完全に止めている。
安らかな眠りというより、先の通り完全停止という状況に思えた。
まるで氷結したか、或いは時が止まっているような。
「どういうことだ…おい」
杏子が呟いた。
「こいつら…死んでるじゃねえか」
杏子は事実を告げた。
キリカと麻衣の鼓動は停止し、一切の体温を発していない。
肉体的には、完全な死を迎えている。
「今はこいつの魔法で鮮度を保ってる」
ナガレが言うと、彼の肩で小さな黒靄が生じた。
掌サイズの縫い包み然とした姿となったのは、牛の魔女の疑体だった。
二本の角に、擬人化した牛のような姿を更にデフォルメした外見は、中々に可愛らしかった。
「時間を止めたみてぇな状態らしいから、腐りも痛みもしないとよ」
「元はどういう用途で使ってたんだかな。ま、喰うなら美味い餌の方がいいよな」
狩人である魔法少女からの戦慄的な指摘に、獲物である魔女はバツの悪そうに身を縮ませた。
彼が魔女と平然と意思疎通をしている事に関しては、既に疑問とも思わないらしい。
「まぁそれにしても、だ。ソウルジェムが魔法少女の弱点だったとはね。いや、冷静に考えりゃそうだよな」
名は体を表す。
それは奇しくも、そして皮肉にも双樹が示した事であった。
「あたしが無事なの、なんでだろうな?」
「こういうのはなんだけどよ…本当になんともねぇのか?体調とか大丈夫か?」
言った瞬間、杏子はナガレの唇に自分のそれを重ねた。
最早日常茶飯事な行為だが、彼としては慣れることが無い。
そしてそもそも、この行為が世界的に見ても愛情表現である理由がいまいち分からない。
「ほら、平気だろ」
「…わぁったよ」
真面目そうな、というかそのものの顔で杏子は自分の無事を告げる。
少なくとも唇から伝わった体温と血の流れは、紛れも無く生者のものだった。
更に次いで、杏子はナガレに飛び掛かった。
跳ね返すことは簡単だったが、彼は力を緩めて物理法則に従った。
背後にあったソファへと二人そろって倒れ込む。
体重の合計は250kg近いが、ナガレの改造により軽く軋む程度で済んでいた。
押し倒したナガレの唇に、杏子は再びキスをした。
先程の一瞬接触させてすぐに離したものと異なり、強く押し付けて舌を送り、口内を舐め廻す捕食じみた動きをしていた。
危機感でも覚えたのかそれとも気を遣ったのか、魔女は擬体を消滅させた。
「悪い。平気ってのは嘘だ。不安感がヤバい」
唇を、ナガレを貪りながら杏子は思念で意思を伝える。
唇を離して会話する事すら億劫、というか離したくないのだろう。
「だから…抱いてくれねぇかな」
「ああ」
杏子は驚いた。拒絶されると思っていたからだ。
悦びが湧くより早く、彼の両腕が杏子を抱いた。左手は彼女の後頭部に添えられ、右手は腰に触れている。
触れ方に性的なものは何も無い。
ただ強い力に抱かれるという行為に、杏子は不安感が薄れていくのを感じた。
そこに杏子は、彼への依存心を改めて自覚する。
それが弱味であるのか、或いは拠り所としている事で精神的な支柱として利用し自身の強味としているのか、彼女には分からなかった。
身体に触れる手と身体に、杏子は性欲を覚えなかった。
最近の杏子の様子からしたら珍しいどころか奇跡だった。
不安と恐怖の逃避として、彼を抱いて彼に抱かれているからだろうか。
ただ今の杏子は、別の意味での興奮を覚えていた。
恋敵に相当する存在二人の死体の傍らで、彼を貪っている事への優越感。
それが昏く卑しい感情であると知りつつ、その感情は収まらない。
唾液を送り、舌を絡めつつ彼の顔を見る。
今の彼は、左眼を黒い布で覆っていた。
それは、キリカの眼帯だった。彼女が右眼に装着しているものを、今は彼が着けていた。
黒布の下にある黒い瞳の眼球は、今はない。
全身の傷は治癒させたが、そこだけを彼はそのままにしておいた。
そこから視線を外すように、杏子は彼の右眼を見た。
普段と変わらない、彼の瞳がそこにあった。
自らの紅い眼で、杏子はじっと彼の眼を見る。
黒の奥にある渦を、杏子は凝視した。
揺らめく闇が、そこに溜まっていた。
それを見て、杏子は喉の奥で悲鳴を上げた。
「…あんた」
杏子は唇を離した。唾液の線が糸を引いて、切れた。
「……キレてるよな。すっごく」
その問いに彼は言葉を返さなかった。
だが、離れた杏子を彼は抱き寄せた。珍しい事だった。
「奪い返してやる。お前らを」
杏子の顔を胸に押し付けながら、彼は言った。
闇に深く蠢く、飢えた獣のような声だった。
杏子の視界を奪ったのは、今の顔を見られたくなかったからなのかもしれない。
普段と変わらない、されどこれまでにない激情が込められた言葉だった。
その声と心音を聞きながら、杏子は嗤った。
口は耳まで裂けたように広がっていた。
『ああ……やっぱイイわ………こいつはよ……』
思念にも声にも出さず、杏子は心の中でそう呟いた。
そして眼を閉じた。身を蝕む疲労感と暗い幸福感に身を任せ、杏子は眠りに落ちた。