魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
柔らかな音楽。優しげな光量の照明。
異国の雰囲気を思わせる内装。カチカチと食器と器が触れあう音に談笑の声が重なる。
時折若者たちの騒ぐ声が聞こえたが、気にする者は特にない。
治安が良いとは言えない土地柄故に他人に無関心な傾向が強く、深夜のファミレスで騒ぐ声程度では興味さえ持たれないのであった。
それが突如として怒声に変わり、やがては罵声と怒鳴り声へと変貌する。
漸く客の何人かが眼を細めて不快感を露わにした。
少し前までは大声ながらにも談笑していた若い男二人は互いの胸倉を掴み、互いを罵り合っている。
仲間と思しき同年代の連中も、止めるではなく囃し立てている。
そして遂に男の一人が相手の頬を拳で殴った。
被害者は即座に沸騰し加害者を殴り、自らも加害者となる。
大の大人二人が大した理由も無く、人目もはばからず争い続ける。
よくある事ではないが、風見野では珍しくも無い光景だった。
店員は止めるでもなく静観し、警察を呼ぼうかどうかを店長と相談している。
客たちも席を移動するなどして対処する。
普段ならそれでよかった。
ただ今日は、すこし勝手が違っていた。
争う二人に向け、何かが高速で飛来した。それは両者の額を正確に打ち抜き、即座に昏倒させた。
原因が複数枚を重ねられて丸められた紙ナプキンであったと、認めたものは誰もいない。
それを投擲した者達を除いては。
「さぁて、どうすっかなぁ」
丸めたナプキンを弾いた指先を戻し、ストローでコーラを啜りつつ佐倉杏子は言った。
「この前の話か?チームに入るかってやつ」
カルボナーラのパスタを食べながらナガレも応じる。紙ナプキンを投げた左手は味にアクセントを付けたいのか、卓上のタバスコの瓶を握っていた。
「ん、いや。それじゃなくて将来のコトさ。ていうかそんな話もあったね」
今の今まで忘れてたよと引継ぎ、杏子はペペロンチーノに刺したフォークをくるくると廻した。
大盛のパスタが拳大に纏められ、彼女はそれをがぶりと噛んだ。
団子状にされたそれに半円が刻まれ、続く二口目で完全に消えた。
「あたしももう16だしなぁってさ。つっても、今更学校行くって感じでもねぇし、かといってやりたい事もねぇし。あたしに出来る仕事が何かも分からねぇ」
左手で頬杖をつき、右手でフォークを操りチキンソテーを刺して口に運ぶ。
「前に言った感じに場末の酒場の歌姫か風俗嬢にでもなって、このカラダ売って日銭を稼ぐしかねぇのかなぁ」
そこで杏子の眼がにやりと笑みの形を刻む。
弄ぶような視線で、対面に座るナガレを見る。彼もまた食事をしていた。
エスカルゴを丸ごと殻ごと噛み砕きながら、ナガレは杏子を見ている。
「子供に欲情しないってのはご立派な倫理観だけどさぁ。うかうかしてっと、何処の誰かも知らねぇ男に犯されて中古になったあたしを抱く羽目になっちまうよ?」
言葉を投げつつ、杏子はその様子を幻視する。思わず吐き気を覚えた。
口いっぱいに男のものを咥え、丹念に舐め廻す自分の様子を思い浮かべたのだった。
そしてその後はそれを……。
自分の指以外を受け入れた事のないその場所も、ズキンと疼いた。そんな気がした。
「じゃあ探そうぜ、やりたい事」
彼はそう返した。
『話聞いてたのかい?やりたい事は無ぇって言ったじゃねえか』
そう返そうと彼女は思った。しかし杏子の唇は、別の言葉を紡いでいた。
「手伝ってくれるのかい?」
言った直後に彼女は驚いていた。
人間的な願望や未来を閉ざした生活をしている自分が、建設的な意見を言えたことに。
「俺はお前の相棒で、ついでに俺を友達って認めてくれてるんなら、邪魔じゃなけりゃ手助けとかさせてくれよ」
彼の応答。
残り二個となったエスカルゴの内の一つを噛み砕く音が静かに響く。
それに間を併せるように、杏子も残りの一個を手に取りそのまま口内に投げ込む。
八重歯が殻を砕き、桃色の舌が器用に動いて陸貝の肉を捉えて歯で噛み潰す。
残った殻もついでに奥歯で噛み砕く。
ボリボリという音の交響が重なる。そしてほぼ同時に二つの喉が鳴った。餌食が嚥下された音だった。
ナガレと杏子は真顔になっていた。
どんな顔にしたらいいか、互いに分からないからである。
ナガレが先に動いた。首を右に傾ける。本人もよく分からないままにそうしているのだろう。
今の自分のツラを考えろよ、と杏子は思った。可愛すぎるのである。
だがそれで、緊張感は解れた。というよりも消え失せた。
「喰うかい?」
そう言って、杏子はフォークを彼に向けて突き出した。
肉汁とソースが滴る牛ステーキが、ナガレの前に差し出されている。
彼は困惑した。一秒ほど。
「齧ればいいのか?」
「ガブっといきな」
「んじゃ遠慮なく」
言いつつも、何やってるんだろうなという思考が過る。
垂れ下がった肉に喰らい付く様は、まるで餌付けされた犬だった。
彼が齧ってから、彼女も肉に歯を立てた。
一枚の肉を、少年と少女が噛んでその間の懸け橋として繋いでいる。
距離が狭まった為に、互いに前傾姿勢になる。
まるで二頭の犬が一つの獲物を奪い合っている様子であった。
肉を齧る二人が、口を歪める。この二人は、犬は犬でも狂犬だった。そう思わせる笑顔だった。
または狼か。或いは、竜か。
両者は同時に口に力を込めて自らの方へと、獲物を引き寄せた。
相手を自らの内に引き摺り込むかのように。または相手を喰らうが如く。
肉に亀裂が入って弾けた。それは当然の結果だった。
肉はちょうど半分の位置で裂けた。飛び散ったソースと肉汁の飛沫は少なかった。
少しばかり顔を汚しながら、二人はそれぞれの肉を喰った。
獣のように肉を喰い千切り、人の歯使いで咀嚼し呑み込む。
食べ終わるとテーブルを拭いた。律儀な連中である。
「ありがとな。美味かった」
「出る時にアンケートにそう書いといてやれよ。にしてもまぁ、あたしらも大分変わったな。先週だったら、席は別々で口を聞くのも嫌だったってのに」
「随分と懐かしい気がするな」
ナガレは苦笑する。ここ最近の距離の詰め方は急だが、如何せんここ最近は色々とありすぎた。
「前にも言ったけどさ、よくあたしを嫌いにならねぇな。あんた」
「ムカっと来たことはあっけど、嫌いだった事はねぇな」
「唐突にデレるなよ。まだあたしを狂わせ足りねぇのか?」
眼を細めて杏子は告げる。そういう路線の話がしたいのかと彼は察した。
たまには乗って遣るかとナガレは思った。
「お前が敏感過ぎんだよ」
「悪かったね。親以外の男に腹を撫でさせるなんて初めてで、こちとら暴走しちまったのさ」
言いつつパーカーとホットパンツの間の開いた部分、剥き出しになった腹を杏子は撫でた。
半日前に受けた手触りの感触がまだ残っていた。それは杏子の手の触れ方に反応し、軽い電流のような刺激を彼女の子宮に与えた。
「覚えてるだけで15回はイッちまった。責任とれよな」
「責任?」
「あんたといると、替えの下着が幾つあっても足りねぇんだよ。だから明日下着とか服とか買いに行くから付いてきな。拒否権はねぇぞ」
普通に買い物行くって言えば良いんじゃねえのかなと思いながら彼は聞いた。
下着云々についてはあまり疑問には思わない。
以前自発的に買いに行ったからである。
「じゃあ、見滝原にでも行くのか?」
了解の意を暗に含めての返しであった。
となるとキリカとの遭遇戦、からの随伴になりそうだなと彼は思った。
「いや、地元に金を落とすさ。あと見滝原はあんまり行きたくねぇんだ」
真紅の魔法少女の脳裏に、ふと眩い光が掠めた。
誇り高い黄金の輝きだった。
それを振り払うのではなく、想いが過ぎ去ってから杏子は再び口を開いた。
「なんか、見下されてる気がしてね。こっちは寂れてきてるってのに、あっちは栄える一方でさ」
「あー、それ分かるかもな。なんつうかお上品っていうかな」
「だろ?こちとら隣の街だってのに妙に不景気で陰気臭くて、路地裏で避妊もしねぇで盛ってるアホどもやゲーセンにいつも溜まってる不良ども、弱い奴を食い物にしてるクズやヤクの売人は掃いて捨てるほどいるってのにさぁ」
そう言って杏子はちらりと店内を見る。
先の投擲で倒れた二人はまだそのままだった。倒れた仲間を床に放置して、残った連中は雑談に花を咲かせている。
話の内容が漏れ聞こえ、「クスリ」「援交」「堕胎」「神浜」と聞こえてきた。
「ラブホと風俗店は妙に多くて…まぁそれはいいとしてさ、治安も悪いよな。新聞開けば風見野で起きた強盗や殺人、放火と強姦に窃盗やらのオンパレードがズラリさ。そりゃ親父も毎朝泣く訳だな。まったくロクでもねぇこった」
言ってて辟易としつつ、杏子は言い切った。
そういえばこんな事を口に出してい言うのは初めてだったかもしれない。
吐き出したせいか、ほんの少しばかりの爽快感があった。
「でもま、生まれ育った場所だからかな。離れる気があんましねぇのさ」
自分はこの街に奪われてばかりだった。
街の環境は家庭の破滅の一因でもあることは、全てを自分の所為と背負う彼女であっても理解はしていた。
だからこそ、この場所から離れられない。
現在の象徴である廃教会から、杏子は離れられなかった。
常に心を苛む後悔が、離れることで薄れてしまうように感じられるが故に。
「故郷ってな、厄介だな」
彼は言った。
過去の事には触れずに、言葉の中にその意味を乗せずに。
ただ事実としての言葉を告げた。
「全くだね」
杏子も呼応し薄く笑った。
実に厄介で、嫌な渡世だと再認識させられる。
そうでなくてはと彼女は思った。
背負うものは軽かったら意味が無い。
苦しみに満ちた生こそ自分に似合う。
それしか出来ない。
そうしなければ、生きられない。
「ところで、よぉ」
「ん…」
彼が尋ねた。今度は杏子が首を傾げた。
その様子にナガレは、何故この女に彼氏がいないのかが不思議で仕方なかった。
俺も同年代だったらなという思いが過る。
「それ、汚れちまってるな」
「ああ、これか」
真紅の視線が下方に落ちる。そこにあったのは、左手に嵌った真紅の宝玉が嵌った指輪。
先程の食餌の際に飛び散った汁が、僅かではあるが付着していた。
「じゃ、頼むわ」
「おい」
言い様、指輪を外して彼に放った。
唐突な行動に、若干慌てながらも彼はそれを受け取った。
指輪に変形したソウルジェム。
彼女の魂であり、肉の器を動かす本体を。
「んな慌てなくて大丈夫だって。ソウルジェムの頑丈さは、あんたも知っての通りだろ」
「そういう問題かよ」
「そういう問題程度で良いんだよ。にしてもまさか、こいつが武器としても使えるとはね」
「んなぁ…武器っつうか、弾丸っていうか…」
「どっちでもいいさ。じゃ、拭いとくれ」
あいよ、と言って彼は指輪を新品のハンカチで丁寧に拭いた。
ハンカチは魔女に命じて出現させたものだった。そこでふと、異変に気付いた。
「なぁ」
「なんだい。あたしの魂を舐めてぇのか?二舐めくらいなら別に」
「これ、色変わってねぇか?前はこの輪っか、銀色だったろ」
杏子の言葉を無視し、拭き終わった指輪を軽く掴んで杏子に見せる。
黒いリングの上に、真紅の宝玉が乗せられている。
ふーん、と杏子は言った。関心はあまり無さそうだった。
「パワーアップでもしたのかな。色々あったしねぇ」
サンキュと言って、杏子は彼が掲げた宝石に左手の中指を通した。
「なぁ」
「なんだよ、杏子」
「今のコレ、中々エモい遣り取りだねぇ」
歯を見せて笑い、彼女はそう言った。
相変わらずの女豹の表情だが、どこか恥ずかしそうでもある。
虚を突かれたのか、彼も言葉を詰まらせた。
うぐっとでも言いそうな、例えるなら魔法少女化した杏子による腹パンの直撃を受けたような表情となっていた。
それが可笑しくて、杏子は噴き出して笑った。
「お前は強ぇな、色々と」
笑い続ける彼女に、彼はそう告げる。
「俺なんざ、暴れるコトしか出来ねぇってのによ」
「そうでもないさ」
笑いを止め、杏子は遮るように言った。
口調には刃の鋭さが、そして炎のような熱が宿っていた。
「あたしの役に立ってる」
はっきりとそう言い切った。
反論を赦さない口調であった。
「そうかい。なら良かった」
彼も笑い、グラスを手に取った。
グラスの中では、ドリンクバーで注いだコーラが波打っていた。
それがやや激しいのは照れ隠しで動揺してんだろうなと杏子は読んだ。
そして彼女もまた自分のグラスを持った。中身はオレンジジュースである。
グラスを持ったまま、互いに視線を交わす。
意図は一瞬で伝わった。
手を伸ばして、互いのグラスを軽く小突く。
小さな波が飲料水の表面で揺れる。
そしてそれを、二人は一気に飲み干した。
呆れるような死闘の果てに、一時の静穏が訪れていた。
長くは持たない間であったとしても、今ここには確かな平和があった。
あっ()