魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
「ん……ぐぅ」
痛み、熱、濃厚な血の香りと胃液の酸味。
それらを同時に味わいながらナガレは目覚めた。
佐倉杏子による、高度からの落下速度を乗せての音速を超えた投擲。
それに対して加害者である彼女を道連れにしての墜落。
激突の瞬間にダメージカットを全開発動させたことで、彼は即死を免れていた。
まともに激突していたら、いかに彼とは言え文字通りに身が持たない。
目覚めから更に十数秒後、肉体の感覚が戻ってきた。
両腕は感覚が無く、その他の場所は熱と痛みで満ちていた。
筋肉が断裂し、骨には隈なくヒビが入っているだろう。
背中に合った悪魔翼も崩壊し、魔女自体もダメージを負ったのか消え失せている。
彼はそう認識し、彼はうつ伏せのまま首を左右に動かした。
顎先を地面に着けたまま、肉を擦りながら見渡す。
数十メートル先に、仰向けに倒れた魔法少女の姿があった。
彼はそこを目指し、這いずりながら移動し始めた。
僅かに動く肩と足と腹を使い、翼を喪い、地に落ちた瀕死の竜のように這いずっていく。
そこの近くまで辿り着くのに、彼は数分を要した。
その間、杏子はぴくりとも動かなかった。
杏子の身体もまた、全身に肉の裂け目と腕や脚から折れた骨を飛び出させていたりと凄惨な姿と化している。
溢れた血は彼女を中心として小さな湖面を描いて広がり、彼女を血の絨毯の上に浮かばせていた。
だがそれ以上に彼をその場へ急がせたのは、杏子の胸に置かれた紅い宝石だった。
縦長の、爬虫類の瞳孔を思わせる形状のそれの中には闇色の穢れが溜まっていた。
魔法少女たる証であり、且つ最大の弱点であるソウルジェムの穢れが彼女を蝕んでいる。
内部に蓄積し続けて増大した穢れを彼が喰らった処で、これはどうにもならないらしい。
虚しさを覚えながらも、彼はやるべき事を為すべく動いた。
思念で魔女に呼びかけ、必要な物を彼の元へと届けさせる。
彼の口元に暗い光が宿り、実体として形を成した。
「…最後か……これが」
それを咥えながら、彼は更に這いずる。
全身から出血が溢れ、血の線が地面に引かれ続ける。
彼がうつ伏せで倒れていた場所から今に至るまで、太い朱色の線が地面に描かれていた。
そして今、地に広がる二つの朱が交わった。
杏子から溢れた血の絨毯に、彼が身を浸す。
芳醇な血の香りが鼻孔を刺した。
「……ん……ぐ」
杏子の血から身を引き剥がすように、彼が動く。
生き残った筋肉と骨と、力の全てを動員して上体を起こし、杏子に覆いかぶさるように身を寄せる。
そして彼は口に咥えたそれを、グリーフシードを杏子の胸に近付けた。
効能は直ぐに生じた。杏子のソウルジェムから穢れが溢れ、黒い卵の中に吸い込まれた。
黒が消え失せ、それに覆われていた真紅の色が目覚めたように姿を顕していく。
「…綺麗、だな」
煌々と輝くその光を浴びながら、彼はそう呟いた。
彼の視線は、彼女の宝石だけにあった。
眼を奪われていた、という訳では無い。
宝石の上にある杏子の表情を、彼は見なかった。
彼女はそれを見られたくないと思い、また彼も彼女のその姿を見たくなかった。
苦痛に呻く少女の顔など、見ていて良い感情に至れるわけも無い。
グリーフシードが完全に穢れを吸い取った時、彼の意識は急速に薄れていった。
その中で彼は口を開き、グリーフシードの針から卵部分へと咥える歯を移動した。あとは噛み砕けばいい。
そうすれば半共生状態の魔女が、それを元手に彼を治癒する。
吸われた絶望を、彼が垣間見る苦痛を対価に。
力を込めた。卵の表面にヒビが入った。それまでだった。
普段ならまるでスポンジケーキを噛み潰すように容易く破壊可能なグリーフシードを砕けない程に今の彼は弱っていた。
意識が黒く染まり、その中に落ちてく感覚。
ナガレは更に力を込めた。歯の切っ先が卵の内側に減り込む。
その時だった。彼の身体が、仰向けに押し倒されたのは。
ナガレの背中で、血溜りが弾けた。仰向けにされて押し倒された彼の両肩を、杏子の両手が押さえていた。
顔は昏く、表情は伺えなかった。
ただ一つ、にっと半月に開いて牙を見せた、彼女の口を除いては。
そして彼女は口を開き、彼の顔に自らの顔を重ねた。唇と唇もまた重なり合う。
ほんの一瞬の交差の後、彼が咥えていたグリーフシードは杏子の口の中にあった。
牙で捉えたそれを、杏子は一息に噛み砕いた。
黒い穢れが口内に溢れる。
そして脳裏に映し出される鮮明なビジョン。
物言わぬ肉と成り果てた家族の姿。
いつもの地獄。
これからも、永劫に彼女を苛む後悔の象徴。
苦痛。
苦痛。
終わらない苦痛。
それを味わうように、杏子は砕いたグリーフシードを咀嚼した。
その度に映像が増えていく。
師匠と呼べる存在と袂を分かったあの日の事、幼少期に浴びせられた無数の悪罵。
窃盗を行う度に感じる罪悪感。
その他の負の感情が、まるで彼女を陵辱し輪姦するかのように押し寄せる。
それらを受けつつ、彼女は口を動かした。
ストレスにより粘度を増した唾液を、元から口内に溜まった血を、舌で絡めて破片に纏わせる。
そして彼女は再び動いた。
先程と同じように、彼の唇に自分の唇を重ねる。
但しその様子はまるで、肉を貪る獣そのものだった。
首を、顔を左右に振り、彼の顔を喰い尽くすように重ねた唇を貪る。
彼に覆い被さり、彼の頭を掴んで固定し、開いた口から強引に己の口を彼の口に重ねた。
舌を彼の口内に差し込み、彼の舌を逃がすまいと蛇のように絡ませる。互いの口内で、二人の粘膜が交わる。
それにグリーフシードの破片を、たっぷりと分泌させた唾液と口内の血で絡ませて送る。
送りながら、杏子は彼の口内を舐め廻した。
歯の裏側に付着した彼の血を、口内の傷口を舐め廻す。
舐めながら、自分の血と唾液を送り出す。
「足りねぇな」
杏子はそう思った。
即座に行動に移した。
八重歯で舌を貫き、開けた孔から湧かせた血に唾液を絡めて彼へと送る。
更に色濃く、彼女の臭気を纏った交差が始まる。
彼が誰のモノであるのか、それを示すように杏子は自分の匂いを彼に伝える。
また彼女の両手は既に、彼の肩には無かった。
仰向けの彼の背に回され、その身体を抱いていた。
爪先は彼のジャケットの上に立てられていた。
鋭い爪によって繊維が破れ、彼の背に傷が生じる。
それでいて、手付きは優しげだった。
まるで幼子の頭を撫でるかのような。
紅く輝く宝石が宿る胸も彼の胸板に押し付け、腹も互いに密着させられ、更に彼女の両脚は彼の右脚を捉えて離さなかった。
身が触れあう部分を微細に動かしながら、杏子は彼を貪っていた。
口で、身体で。
本能のままに、赤い血が求める欲望のままに。
二人の血が交わって更に広がっていく血溜りの上で、杏子は身体を彼に絡める。
全身血塗れになりながら、いや、寧ろその姿を望んでいるかのように。
一心不乱に、杏子は彼を求めていた。
「んぅ…………」
どれくらいの時間が経っただろうか。
杏子は名残惜しげに唇を放した。
既に口内は空っぽだった。
砕いたグリーフシードも、溢れた穢れも。
唾液も彼にほぼ全て与えて消費しきり、口内は乾いて粘ついていた。
舌も既に孔だらけで、まるで虫に喰い荒らされた葉のような有様と化している。
ならば、欲しい。
与えた分だけ、失った分だけ、与えられたい。
この空白を、空っぽを何かで埋めたい。
杏子はもう一度、今度はゆっくりと顔を近付けた。
「もう…大丈夫だ」
しかしそれは叶わなかった。
触れあう寸前で、彼はそう告げた。
その言葉に、彼女は動きを止めた。
拒絶の意志表示。
そう受け取った杏子の顔から、表情が消えた。
そして二人の周囲に広がる血が、バシャンと弾けた。
ほぼ同時に、金属音が鳴り響く。
聞き慣れた音階は、剣戟の音だった。
それは連続し、何時までも続いていく。
交わされるのは真紅の十字槍と漆黒の斧槍。
振う両者の動きに合わせて地面が、そこを覆うように拡がる血溜りが弾けて跳ねる。
それさえも切り裂く激しい剣戟が、杏子とナガレの間で交わされていく。
無言で二人は武器を振るい続けた。
やがて杏子が横に跳ね、ナガレがそれを追った。
疾走しながらも、刃の交差は止まらない。
牛の魔女が開いた魔女結界の中の、異界の構造物が剣戟に巻き込まれて次々と破壊されていく。
当然ながら互いの肉体も互いの得物によって切り刻まれる。
彼から与えられたグリーフシード。
その浄化によって復活した魔力で治癒した杏子の肉体が、破滅に向かって突き進む。
他ならぬ彼の手によって。
彼女から与えられた砕けたグリーフシード。
その穢れを彼と半共生状態の魔女が魔力に変えて、彼の身体を治癒させた。
その身体が、癒しの切っ掛けを彼に与えた杏子によって新たな傷を与えられていく。
互いを癒し、そして破壊し合う二人。
矛盾に満ちた、異形の交差が繰り返される。
「なぁ」
「ん?」
その中で杏子が口を開いた。
ナガレも応じた。
「何か言えよ」
「ん……」
斧槍を振い、槍を突き、相手の防御を破壊しつつまた受け流しながら言葉を重ねる。
切り裂かれた肌から溢れた血が更に刻まれ、微細な飛沫となって両者に付着する。
「お前な!!」
杏子は叫んだ。
異界を震わすような叫びだった。
叫んだ瞬間、杏子は槍を地面に突き立てていた。
彼女の首を狙って放っていた斬撃を、彼は肌の寸前でびたりと止めた。
そして彼女に倣い。自らも斧槍の先端を地面に突き刺す。
二メートルほどの距離を隔てて、杏子とナガレが対峙する。
二人とも、先程血の上で身を絡ませたために全身隈なく、自分と相手の血が混じった血に塗れていた。
一面に夕焼けを浴びたかのような、または地獄に繋がれた死人のような姿だった。
「あたしの初めて奪っといて!何の一言もねぇのかよ!!」
「…え?」
「あー!?」
再び大声を上げる杏子に、ナガレが思わず目を丸くした。
どうやら自分の言った事が聞こえていなかったらしい。と、彼女は思った。
そう認識した途端に、彼女は羞恥心に苛まれた。
既に血によって深紅に染まった頬がかあっと熱くなる。
「いや、ちょ、その言い方」
「やっぱ聞いてんじゃねーか!!この野郎!!!」
杏子は激昂し、槍を振り上げた。
次の瞬間、それは光と化した。
数千か数万か、幾度めかの金属音が鳴り響いた。
短い平和であった。
「お前、アレは自分でしてきたじゃねえかよ!」
「そうさせたのはてめぇだ!!」
「いや、そうだけど…ありがとよ」
「一方的にデレるんじゃねえ!バカ!!」
柄と柄を絡ませ、鍔迫り合いを交わしつつ両者は叫ぶ。
「長い付き合いになって来たし、これからも長いだろうから言ってやる!言ってやるからな!!」
「ああん?」
怪訝な顔をするナガレ。その表情に「うっ」と呻く杏子。
そしてその感情を、懊悩を抱きつつ叫んだ。
「お前のツラは可愛くて!そのくせ中身は嫌になるほど男らしくて!そんでもって声の出し方……なんつうか韻の踏み方がエロいんだよ!!つうか!お前の!存在が!!エロいんだよ!!すっごく!!」
「ええ…」
困惑するナガレ。
当然だろう。
「見てたり会話してたり…今だってそうさ!殺し合っててもな!お前見てると性癖が拗れるんだよ!リアタイであたしの性癖を拗らせ続けてんだよてめぇはよ!」
更に叫ぶ杏子。
三人称の変化からも彼女の混乱が伺える。
「だからその顔で!その声で!変なこと言うなって話だよ!しかも自覚なしとか最悪にも程がある!あああもう!!!てめぇって奴はよぉぉぉおおおおおおおおおおお!!!!」
絶叫する。
眼に涙を潤ませ、懊悩に狂った表情で。
「いや、俺そんな事言われても困るんだけど……」
割と真っ当な彼の発言であった。が、杏子が聞く耳を持つはずも無い。
「うるせぇ黙れ!!そもそもだなぁ、あたしがどんだけ悩んだと思ってんだ!?こっちは初めてだったし、あんなもん突っ込まれて痛かったし、お前の出したもののせいで腹下すしで大変だったし、その後なんか訳分かんなくなってたし……」
「おい、ちょっと待て!!」
と、ここでナガレが口を挟んだ。当然だろう。
「何?」
ムスッとした表情で杏子が返す。
性的関心は無いが、結構かわいい顔出来るじゃねえかと彼は思った。
これまでの生活で、憎悪に狂った表情を主に見てきたせいだろう。
「身に覚えがねぇな」
「どれの事だよ」
全部だよ、と言いたいのを彼は堪えた。
「突っ込むとか、出したものとか、聞き捨てならねぇ台詞だよ」
「じゃあ訂正しな。あんたの言葉で」
「はい?」
「ヒント。あたしの初めてってのは何だろね」
有無を言わせず、杏子が畳み掛ける。
それに対してナガレは悩む。言うべきか言わざるべきか、いや。
言うしかないので、どう言えばいいかという悩みである。
ちょろい、と杏子はほくそ笑んだ。
「………ス」
これまでの人生で使った事がほぼ、ないし全くない単語を彼は言った。
「んー、聞こえねえなぁ。はい、もう一度、元気よく」
それに対し意地悪く杏子は言った。
無論、彼の言葉は聞こえている。
ただ、嫌がらせがしたいのだった。
「キスだよ!キス!これで良いんだ」
ろ?と続ける筈だったのだろう。
その顔面に杏子は頭突きを放った。
「スキあ」
接触の寸前、杏子は言った。
奇しくも彼が言った単語と逆の読み方の言葉だった。
それもまた、途中で途切れた。
何故かと言えば、彼もまた額を彼女に叩き付けようとしていたからだ。
両者の動きが止まった。
似たような思考をしていた事に、気まずさが生じたのだった。
だが、黙ってはいられない。
両者は首を背後に傾けた。
何度も繰り返された事だった。
今回もそれに変わりはなかった。
成長しない連中である。
「うるぁぁああああ!!!」
「くらええええええ!!!」
怒号と共に互いの額が激突。
途切れる意識、そして覚醒。
再び頭部が激突し合い、また途切れて再び激突。
それを十回ほど繰り返してから、両者は得物を振った。
十字槍を斧槍が迎撃し、二つの暴風となって絡み合う。
数十秒後にそれは生じた。
両者を支える地面が、半径十メートルに渡って罅割れたのである。
だが、両者は止まらない。
咆哮を上げながら互いを殴り、蹴り、斬撃を放ち続ける。
そして互いの全力の刺突と斬撃が激突した時、それは起こった。
異界の地面が砕け、大口を開いて両者をその中へと導いたのである。
孔の中には闇が広がり、一片の光も見えない。
その中で、無数の光が乱舞した。
発生源は言うまでもない。
その最中でも交わされる刃の交差によって生じる火花である。
共に飛翔することが可能でありながら、両者は落下しながら戦っていた。
撥ね飛ばされれば、壁面を蹴って舞い戻り、その際に刃を相手に叩き付ける。
離れれば、また寄り添うように近付き暴力を交わす。
互いを求めて、何処とも知れぬ奈落の底へ堕ちながら、剣戟と拳と蹴りが交わされていく。
それはいつ果てるとも知れずに続いていく。
「楽しいな!ナガレ!」
「だな!杏子!」
杏子の短い言葉に、彼もまた短く返した。
それが全てだった。
そして再び怒号と剣戟が重ねられる。
異形異類、そう思える関係だった。
ただ、暴力を糧に向き合う両者はとても楽しそうだった。
闇の中で輝く光を、争う相手を求めて殺し合う。
何時もの事だった。
漸く、この日常が戻っていた。
杏子自身、自分のテンションや態度が可笑しいと気付いてはいる。
しかし、彼とどう接していいか分からなかった。
憎悪が消えた今、それをどう埋めようかと必死になっていた。
対するナガレは困惑しつつも、彼女に合わせていた。
それは単なる善意であるし、面白い奴だという関心もあるのだろう。
つくづく変わらない、変われない二人である。
何が変わったかと言えば、揃って首を傾げるだろう。
二人の出逢いから今に至るまで、物語が動いたかと言えばそれもまた微妙なところである。
しかしながら、何かが変わっていた。
破滅的な関係に少しは人間らしい要素が増えた。
そのくらいには変化があった。
マイナスから、ゼロよりは少し数字が増えたような。
そして両者の否応なしに、時は流れて人生は続く。
生きている限り。
そして彼らは、こいつらはそう簡単には死にそうにないのであった。
例え、その先に待つのが死よりもおぞましき結末、末路であり成れの果てであったとしても。
流血と怒号と、痛みと苦痛と闘志に満ちた、同じ檻に放り込まれた二頭の狂犬のような。
それでいて破壊も暴力も、主に醜く、そして少しだけ美しいと思えてしまう異形の関係が。
血よりも紅い深紅に濡れて染まり切った。
宇宙と次元と、時空を超えて出逢ってしまった二人の。
魔法少女と流れ者の、不健全で平凡な日常は続いていく。
第一部、完
原作及び全てのキャラクター。
執筆を支えてくださった全ての方々、そして読者様に無限に有限の感謝であります。
次回からはエピローグを描きます。
第二部まで少々お待ちを。