魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
前のめりな姿勢となったナガレは手を伸ばし、両手の先で折り紙のように折られた紙ナプキンを弄んでいた。
それをちらと見て、キリカは溜息を吐いた。
空になった皿を重ねて設けられたスペースで対峙するのは、角ばった頭部の人型と丸く長い異形じみた頭部の人型。
簡単な折られ方ながら、特徴が良く再現されていた。
ゆえに、鰻じみた頭部のそれが醸し出す嫌悪感は相当なものだった。
周囲の人々もそれが何だか分かっていた。
件の映画はカリギュラ効果によって人気を博し、今この時も新たな毒素をこの世界に振り撒いている。
「でだな、俺としては6号機の奮闘を評価したいと思っててよ」
「何さ。6号機って」
「お前が振ってきた話じゃねえか。何度も観たってのに、分からねえのか?」
向き合わせた二体を小突き合わせながら、心底不思議そうな顔で彼は聞いた。
「分からない…って、何が?」
キリカは不機嫌そうに、そして心底意味不明だと言わんばかりに聞き返した。
「6号機っていやぁ、弐号機とチャンバラやった奴に決まって…ってお前まさか、こいつらの見分けが」
「付く訳ねぇだろこのおバカ」
普段の口調を崩壊させながらキリカは断言した。
「マジかよ…お前らも不憫だな。あんなにボロボロになりながら頑張ってたのに、名前覚えてもらえないなんてよ」
「なぁ友人。ウナゲリオンどもに注げるその優しさ、というかまごころをさ…魔法少女にも与えられないのかい?」
量産機を模した紙人形に同情の視線を送るナガレを、キリカは哀れっぽい視線で見つめながら言った。
「ん?頭でも撫でて欲しいのか?」
「どうしてそう…いや。いい機会だな」
そう言うと、キリカは頭を垂れた。
濡れ羽色の美しい黒髪は、翼を畳んだ黒鳥にも見えた。
「撫でろ」
彼が異を唱える前に、強い口調でキリカは言った。
更に。
「恥ずかしいから、早くしておくれよ。君が私の友達なら」
こう続けた。伏せているが故に表情は当然分からない。
だが、声には羞恥の響きがあった。
彼はそう思った。
発する言葉が爛れた要素を孕んでいたとしても、行動は別なのだろう。
極めて迅速かつ自然に、彼の手は伸びていた。椅子から立ち上がり、やや前屈みとなって右手が伸びる。
形で見れば、その指は細かった。
但し彼の指は合金もかくやといった頑丈な骨を頑強な筋肉が覆った、関節を備えた釘のような指だった。
人間の頭どころか、使い魔程度なら容易く握り潰す握力を行使できる手。
魔女の甲殻や体表を抉り、剛力で異形の肉を引き裂ける力を有する指。
それが、キリカの頭頂に触れた。
接触の瞬間、彼女の身体が僅かに震えた。
怯えたようにも、反射的に震えたようにも思えた。
震えが治まると、彼は指先を彼女の髪の中に滑り込ませた。
さらさらとした黒髪が指先を覆い隠し、掌までが包まれる。
その状態で、彼は指先を動かした。
黒い茂みの中を、彼の指先が這う。
「…くぅ」
キリカは押し殺した声を上げた。
声は止まらず、小さな唸り声となって続く。
髪をかき分け、少女の柔らかな頭皮をナガレの指の腹が撫で廻す。
「ぅ…」
呻き声に粘着質な響きが混じる。
やめろと言えばすぐにでもやめるつもりだったが、彼女は頭を差し出し続けている。
呻き声は熱を帯びていた。
ナガレは指の動きを止めた。途端に、ビクリとキリカが震えた。
求める様に彼女が首を上げた時、頭頂に置かれていた手は再び頭皮に触れ、重力に従うように下方へとスライドした。
鳥で言う翼の部分、豊かな横髪が蓄えられたキリカの左頬へと彼の手は移動していた。
人差し指の先が、彼女の耳へと触れている。
動かそうとした時に、
「友人」
キリカが声を発した。普段のハスキーボイスだが、どこか濡れた響きが纏わりついている。
「何故、そこを攻める」
「触りてぇから」
率直に過ぎる言い方だった。理由がそれなのだから仕方ない。
「そこ、君がよく殴る位置だな。何度そこに拳を叩き込まれて、眼球を爆裂させられ、脳みそをブチ撒けさせられた事か」
「お前は強ぇからな。そうしねぇと俺が死ぬことが多くてね」
親指が耳たぶに触れ、残りの指が耳の裏を撫でた。
その瞬間、キリカの背は跳ねた。
弓なりに反り、背筋がビクビクと蠢動する。
震えは十秒も続いた。
そしてゆっくりと背筋が戻り、彼女は熱い息を吐いた。
そのまま一分ほどが経過した。
彼は既に手を戻し、座席に座っている。
静まり返った店内に、キリカの呼吸音と心臓の音が響いた。
彼の聴覚は、それ以外の音を拾わなかった。
「ごめん、ちょっとお花摘んでくる」
やがてキリカは立ち上がり、ふらふらとした足取りで歩いていった。
夢遊病者のような動きのキリカが手洗い場の奥へ消えるのを見届けると、彼も席を立った。
動きを止めた他の客たちの様子に奇妙なものを感じつつ、彼はお盆を手に取った。
その上に皿を敷き詰めると、長机の上に並んだ菓子をトングで掴み次から次へと皿の上に乗せていった。
一つの盆が一杯になると、自分たちの机の上に並べてもう一度それを繰り返した。
机の上に色とりどりの菓子が並んだ頃、菓子に手を付けずに座席に座る彼の対面の席に少女が座った。
「待たせたね友人。一つ、分かった事があるんだ」
座った直後にキリカは言った。
「ここに来る前、私が言った実験の事を覚えてるかい」
真面目な口調と表情で彼女は言う。幸い、というよりも不幸ながら彼はそれを覚えていた。
「それ、俺に言えってか」
「流石に酷だな。じゃあ結果だけを言うと、実験は成功だ。私は性欲が薄いのではなく、単に発現の仕方を知らなかっただけなのかもしれない」
「…つまり?」
何を言わんとしてるかは分かるし、尋ねるのは無意味と分かっていた。
しかし、聞いた方がいい気がした。
彼なりに空気を読んだのだろう。
まだ青いながらに、女の香りを孕んだ空気を。
「私は君に欲情したよ」
ただ事実を告げる、淡々とした口調でキリカは言った。
「それと気が利くね。ありがとうさん」
そして眼を輝かせ、机の上に置かれた菓子に手を伸ばした。
第二陣の中で最初に彼女の贄となったのは、先程彼とその相棒を愚弄するのに用いられた苺タルトであった。
「ところで、あの妙にえっちな撫で方はどこで覚えたんだい。後学の為に聞きたい」
「これでも昔、お前らの歳の頃には彼女がいたからな」
「へぇ、人生経験豊富だね。で、どんな人?差支えなければ、それも教えてほしい」
ナガレも菓子を食べながら返した。
年齢についての突っ込みを彼女はしなかった。
前々から、彼の実年齢と今の状況については聞いている。
普段は馬鹿にしているが、今は信じている。
のではなく、興味の矛先が事実がどうというよりも彼の過去に向いているのだった。
「教えてやるけどよ、前以て約束してくれるか」
「何をだい、友人」
「怒るなよ」
「ああ。約束しよう」
「お前に似てた。髪の色も黒だった。髪は少し短くて、眉はちょっと太かったけどよ」
沈黙。
そうなるに決まってる。
「…ふぅん、性格は?」
「色々とはしゃぎまくってて面白い奴だった」
「理知的で物静かな私とは真逆の性格という訳か。ふむ…」
キリカは考え込んだ。
脳内で外見を構築し、思い当たる対象を探す。
そして発見。
「となると私よりも、同じ学年の他の組にいる奴に似てるね。そいつは青髪だけど、妙にうるさいし似てるかも」
「似た奴ってのはいるもんだな」
「ところで、彼女って事はやる事はやったの?」
「そりゃ、付き合ってりゃな」
当然だろといった感じで彼は言った。
彼としてはむしろ、キリカや魔法少女各位に彼氏がいないのが不思議なくらいだった。
「なら丁度いいじゃないか。嘗ての女だと思ってくれて構わないから、君の命の一部を私におくれよ」
そして話題は元へと戻る。
互いの遺伝子を混ぜ合わせて、命を宿したいという欲望へと。
「でも後ろから交わるのは嫌だね。繋がってるところとか、あと……お尻を見られるのが恥ずかしい。それと強姦みたいでなんかやだ」
淡々とした口調で言おうとしていたが、流石に口ごもりと羞恥が混じる。
彼女にとっては珍しい事だった。
「可能なら、というか顔を見せて手を繋ぎながらしておくれ。そうしないと多分、湿り気を帯びないから互いに痛いと思う」
そして際どいに過ぎる言葉をキリカは連ねていく。
朗らかな、春風のような温かい笑顔で。
美しい容貌と可愛らしさ、そして雌の色気を今のキリカは持っていた。
それを跳ね除けられる者など、ざらにはいないだろう。
「悪いな」
しかし例外はここにいた。
「俺はお前らくらいの歳の相手にそういう気分にはなれねぇし、それに親になる気は無ぇ」
真っ向からの拒絶の意思を、彼はキリカへ突き刺すように告げた。
告げられたキリカは彼を見た。
黄水晶の瞳の中に、昏い虚無が広がっていった。