魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
時期的には第33話の前後あたりとなります
午前十時半と少々。平日のよく晴れた日という事もあって、その駅は人の歩みと交差で満ちていた。活気のある街の証拠だった。
実際、駅前で視線を軽く動かすと遠く遥か先まで広がる巨大ビル群が幾らでも見えた。
それでいて古きモダンな趣も違和感なく合わさっている。街自体が高度な芸術作品のような街だった。
各々の日常へ赴く人々を見送り、また招く様に、巨大な駅の入り口の上に据えられた電光掲示板には街の名が浮かんでいた。
それは『見滝原』と読めた。
「洒落た名前しやがって」
その名に対し、女そのものの声で対抗心にも似た言葉を発したのはジャケットに赤いシャツ、それとカーゴパンツといったやや野性的な服装を纏った黒髪の少年であった。
荒々しい炎にも似た髪型、美少女のような整った顔に少年の溌剌さ。
そして太い眉やくっきりとしたアイラインに宿る、男らしい精悍さ。
三様の美しさが互いを破壊することなく奇跡的に交わった、可憐で猛々しく美しい少年だった。
駅の真正面に広がるロータリーに沿って流れる手摺に寄り掛かり、平和な人々の日常風景を眺めていた。
年齢は十三から十四程度に見え、普通なら義務教育を受ける立場の存在に思える。
されどその実は不良どころか異界の存在。
異界の神々を怯えさせ、終焉の魔神でさえも一目置いた竜の戦士の魂が、マガイモノの肉の器に宿った存在。
真紅の魔法少女によって真名に似た名を与えられた者、ナガレであった。
言葉に宿った対抗心は、約五か月の滞在を経て風見野市に対し芽生えた郷土愛の賜物だろうか。
「おっまたせー」
快活なハスキーボイスは、朝の喧騒の中でもよく響いた。
桜が静かに舞い散る春のような朗らかな顔で手を振りながら、元気よく身体の各部を揺らして走っていた。
例えば白いシャツの首に巻いたピンクのネクタイと短いスカート、そして体躯に対してはかなり大きな胸がたゆんたゆんと揺れていた。
異界の美を思わせる少年の前に辿り着いたのは、他者の性癖を狂わせかねない彼に勝るとも劣らない美しい少女。
黒い魔法少女、呉キリカだった。
朝日に抗うように、濡れ羽色の髪が陽光の中でも闇のような輝きを放っている。
両者が対峙した時、その場面に居合わせた何人かが言葉を失い、一時の痴呆状態に陥り手に持っていたスマホや飲み物を落下させていた。
「悪いな、急に呼び出して」
「別にいいよ。友達じゃないか」
何気ない会話を交えた時、更に何人かは陶酔の呻きを漏らした。
尤もそれらは感受性の高い者達のみであり、大半は自分たちの日常に向き合っている。
痴呆に陥った者達も、いずれ二人の光景を白昼夢であったとして忘却するか、記憶の片隅に美しくも曖昧なビジョンとして仕舞われるのだろう。
だからこそ人の世は回り続ける。忘却と記憶を繰り返し、行動を為す力を養い日々と向き合う。
それは彼と彼女も同じであった。地獄同然、もとい地獄そのものの異界からの流れ者と、地獄に等しい環境で日々を生きる魔法少女であったとしても。
「君の頼みだからね。学校なんかへーきのへーざでサボっちゃうよ」
「呼んでてなんだけど、いつもじゃねえか?行ってるのかよ、学校」
「お、それ聞いちゃう?聞いちゃうのかい、友人」
「ああ。ちょっと気になる」
返したナガレに対し、にまっとキリカは笑った。喉を撫でられた猫のような表情だったが、ナガレはそこに不吉さを感じた。
「つまりアレかい。私の制服姿を見たいと」
「そういうワケじゃねえ」
困惑もせず、普通に否定するナガレであった。
弱みを見せると、この魔法少女に喰い破られる。戦闘でも会話でも同じだった。
「私とその姿で交わりたいなら、素直にそう言えばいいのに」
しかしそもそも、相手の話を聞かず態度も考慮に入れないキリカにとっては凡その防御は無意味である。
彼のそれは、ささやかなレジスタンスであり今まさに核兵器で丸ごと消し飛ばされたに等しかった。
「全く君は何時逢ってもそうだな、自分の欲望を優先させる。君が私の何を知っているというんだ?私が学校でどんな扱いを受けてるのか知ってるのかい?」
「知るか」
厳しい言い方に聞こえるが、彼は単に事実を述べただけである。
その言い回しに、キリカは右手を額に置いた。手首に巻かれたベルトが、拘束具じみていて艶めかしかった。
キリカが美麗な女体に描いたそれは、古代の賢人が人の世の苦悩に悩む姿を描いた彫像のように美しい姿。
しかしその手の奥の脳が紡ぐのは異界よりも異形の思考であり、思春期特有の性絡みの思考を更に飛躍化させた何かであった。
「君ときたら、やっぱそれだよ。昔から変わらないね」
「あー…うん。続けて」
口調が砕けたどころか少しのキャラ崩壊をしながら、ナガレはキリカを促した。
昔と言うが、彼とキリカが出会ってから経過した時間は約四か月と三週間程度である。
キリカの「むかし」という言葉の発音的には、生まれた時からずっと一緒のような響きがあった。
意志の弱い者なら、偽りの幼馴染な記憶を植え込まれかねない。
そんな錯覚さえ覚えさせるような、キリカの自然な話術であった。
その気遣い良いね。
君は女の扱いが上手いな。
でもそろそろ朱音麻衣が限界だ。
近い内にあいつを抱いとかないと君、殺されるよ?
でも何を狙ってるのか、自慰行為禁止を己に課した今のあいつの性欲は底なしだ。
抱いても結局、雌と化したあいつに絞り取られて死ぬかもね。
なーんてね、君はそんなに弱くないよね。失礼失礼。
文句はさささささに言って呉。
あいつは今日も今頃君の写真で自慰っているが、時々し過ぎて意識が飛んで死にかけてるらしい。
あ、ごめん。話が逸れたね。
罪深い私を赦しておくれよ。
贖罪としておっぱいくらい、乳首以外はみせてやるからさ。
まぁこれも全部、人見リナって奴が悪いんだ。
誰か忘れてる気がするけど、佐木京はレアキャラだからまぁいいよね。
それにしても楽しいな。君との会話は話題が尽きない。
楽しいね。
嘘だけど。
素敵だね。
嘘だからね。
ほんとだよ。
立石に水のように、清水の如く綺麗な音で、汚泥の如く蝕みの言葉を紡いでいく。
彼と自分を包む大気の味を確かめる様に桃色の舌を蛇のようにちろちろと出しつつ、美しい声でキリカはこの場にいない者達の愚弄を述べていく。
ナガレは黙って聞いている。災害と思っているからだ。
「まぁでもいいね、その返し。普通は「知るか」なんて台詞は演技じみたぶっきらぼうさを発揮するってのに、君ときたら自然そのものだ」
「ありがとよ」
褒められた気がしたので彼は素直に礼を言った。このあたりはこの少年の美徳だろう。
「嗚呼、良いね。その素直さは好感が持てるよ。それにしても惜しいな」
「何が?」
尋ねるべきではないのだろうが彼は尋ねた。
キリカの黄水晶の眼に期待の色を見た事と、この状態を放置すると人目も気にせず(尚、気にした事などそもそも無い)泣き喚くことを知っている為に。
「私が佐倉杏子みたいに、常に君に恋焦がれて心狂うほどに大大大好きだったなら、多分私は濡れていたのに」
彼の返事は無言。表情は虚無。どこから疑問を処理すればいいのかが分からない。
そして肉体のどこが水気を帯びているのかを言わない辺り、彼女なりの淑女な配慮と小悪魔な悪意が伺える。
ナガレはあきれ果てているのだが、キリカは精神攻撃が効いていると見た。
そして畳みかけるのは、今がその時であると。
因みに何故精神攻撃とやらを行うのか?
その問いの応えは無い。
彼女はただ、狂気に満ちた脳内で演算される思考と欲望のままに生きている為に。
「てなわけで、さぁ!さっさとこのミニマムボディ捕まえてあの路地裏にでも連れ込めよ。そしてこのベルトでも掴んで私の太腿を上げて」
会話が危険域に達した時、ナガレは左手を伸ばした。
キリカとの待ち合わせをしてからずっと、背中の方に回していた手だった。
ある台詞を思い浮かべ、言うかどうかを悩んだ。一秒を百に分割する圧縮された思考の中で彼が導き出したのは無言であった。
そこまで自分は彼女と、あの美しい真紅の姿を纏う少女とは近しい仲でないと判断したのだ。
手に握られていたのは、白紙に包まれたドーナッツだった。小麦色一色であることから、味はプレーンらしい。
瞬間、キリカの眼から謀略と期待と、サディスティックな色彩が消え失せた。
そして代わりに純粋な欲望と憧憬が覗いた。キリカの身体が迅速に傾き、鮮血色の美しい唇が開いた。
美しい造形はそのままに、捕食する肉食獣の貌でキリカは獲物へと向かった。
そして餌食に歯が立てられた。餌食とは、ナガレの手の甲だった。
「何しやがる」
「ごほうび」
彼の手の甲を齧るというか、彼の親指の根元をしゃぶる様にしながらキリカは応えた。妙に手の込んだ噛み方だった。
その様子を見たのか、道行く者らの中から幾つかの短い悲鳴が聞こえた。
眠りに落ちた後、美しい悪夢にならなければいいのだが。
その状態のまま、キリカは右手を伸ばした。傍から見れば、中腰になった状態で彼を抱くような姿である。
顔の位置的に危険な妄想をさせかねない体勢だが、例によって彼女は全く気にしていない。
対する彼も年少者に性欲は抱かず、更には魔法少女化していないキリカの咬筋力程度では、自分の皮膚くらいしか破れない為に無害と判断している。
両者にしてはあまり流血を伴わない交流であるが、ここまでの遣り取りを見ても人間かどうか疑わしい連中だった。
「あ、やっぱりあった」
ここに至り、キリカは彼の手から口を外した。
粘性の高い彼女の唾液が、獲物を捕らえた蜘蛛の糸のようにねっとりと、血が滲んだ彼の手と彼女の鮮血色の唇を繋ぐ。
彼女が伸ばした右手は、彼の羽織ったジャケットの内側に沈んでいた。身体を戻し、そこで掴んだものを引く。
直立に戻った彼女の右手には、通称ミスドと呼ばれるチェーン店の名が刻まれた袋が握られていた。
四角い膨らみと僅かに大気に広がる香ばしい香りが、中に入れられた箱の中で餌食と化すのを待つ大量のドーナツたちの存在を示していた。
それを大事そうに抱えるキリカは、まるで自らが産み落とした我が子を抱く母の様だった。
誰もが心に光を注がれるかのような、神聖さに満ちた笑顔だった。
そして彼女は彼の隣に立ち、ロータリーの手摺にぺたんと座って膝の上にドーナツ箱を置き、
「いただきまーす」
と両手を合わせ、元気且つ丁寧に言った。
先程まで我が子のように扱っていたものを食べるという様子に、不運ながら想像力が豊かな通行人の何人かは吐き気を覚えていた。
交通が乱れた場所に生じた空白は、恐らく身を折り曲げて嘔吐している者だろう。
キリカが美しい姿なだけに、嫌悪感も相当な物であるらしい。本人は全くの無自覚ながら、危険な香りを纏う少女であった。
他人の苦痛も露知らず、そして知っていても知らんぷりとばかりにキリカはドーナツを食べ始めた。
ひょいパク、ひょいパクと、小さな口で次々と食べていく様子にナガレは見入っていた。見事な食べっぷりに、純粋に感心しているのだった。
そして俺にはくれないのかなという、残念そうな視線も含まれていた。最初に差し出したドーナツも、気付いたら消えている。
仕方ないとし、ナガレは手持無沙汰になった左手を口元に寄せて傷を舌で舐めた。
このくらいの傷はツバでも付けときゃ治っちまう。いつかそんな事言ったなと、懐かしい気分になっていた。
だがそれを砕く様に、己の愚策を悟った。急いで口を離したが遅かった。
少女を性の対象として見ていない事が、この悲劇の一助となっていた。
離す寸前、パシャリという音が鳴った。そえはキリカが右手で掲げたスマホから鳴っていた。
「はい、これで通算二十三回目。今回も良い表情いただきました。御馳走様」
もぐもぐごくんとさせながら、実に可愛らしい様子でキリカは言った。
言葉の通り、箱の中身は空となっていた。
よいしょと箱を潰し、キリカはすたすたと近場のゴミ箱に箱はリサイクル、袋はプラスチック類にと丁寧に分けて捨てていた。
「くそっ…」
小さな声でナガレは呪詛を吐いた。その言葉を満足そうに聞きつつ、キリカはこの写真をどうするか考えていた。
金払いが良いのはさささささだけど、友人をまた一日ぶっ通しの自慰の総菜にされるのはどうなのかなという良心。
感謝してくれるのは紫髪女(朱音麻衣)。でも友人の写真をプリントして壁と天井にびっしりと沢山貼ってるらしいのがちょっと怖いね、でも笑えるねという悪心。
善悪の際は彼女にしか分からず、その差があるとは思えない。
どうしよっかなぁと、大きな胸を圧し潰しながら腕を組み真面目そうに考えるキリカの隣で、ナガレは天を仰いでいた。
まだ何も始まってないのにこの始末。
事の始まりを彼は思い出していた。
天を見つめる黒い渦が巻く瞳は、暗緑の力を宿す深紅の愛機と、終焉にして原初の魔神と共に全てを蹴散らして宇宙狭しと駆け巡っていた、無限地獄を懐かしんでいるように見えた。