魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ)   作:凡庸

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第64話 交差する魂

 嘗ての必殺技の模倣と嘗ての愛機を模した存在で切り裂き砕き、漸く到達したマガイモノの体内で、ナガレはそれを操る者の姿を見た。

 周囲は闇に満ちていたが、彼の眼は月の無い夜でも眼を潰すような白光の中でも対象物を鮮明に捉える性能があった。

 コツコツと、硬い床面を彼の足が叩く音だけが小さく響く。歩いた先、彼の眼の前には紅い衣装を纏った魔法少女が倒れていた。

 

 仰向けになり両手を胸の前で重ね合わせた姿で、佐倉杏子は静かに眼を閉じていた。

 それは敬虔な祈りを捧げる聖母か、祭壇に捧げられた供物か。

 闇の中でも炎のように鮮烈な紅の色を彼へと伝える衣服と、柔らかな素肌には僅かな皺や傷の一つも無く、埃一つも無い清潔な闇色の地面の上で。

 例えばこの世の全ての残酷さから隔絶された安寧の中で、胎児の如く揺蕩うように杏子は横たわっていた。

 

 それを無言で見つめるナガレは、上方へと視線を向けた。

 そこにはただ闇があるだけ。その筈だった。

 

「もういいか?」

 

 闇に向けて、ナガレは尋ねた。その瞬間、満ちていた闇は光に変じた。

 焚火で照らされたかの様な、赤を映えさせた光に。

 照らし出されたのではなく、現実としてそこにあったものが消え失せて幻となり、真の現実が姿を顕したのだった。

 彼の鼻がむせ返る様な潮と鉄と、生命が果てた腐敗臭が混じり合った悪臭で満ちた大気の臭気を嗅ぎ取った。

 

 安全靴を履いた足裏は、無数の罅割れと陥没の感触を覚えた。

 そして渦巻く闇色の眼は一片として無傷な部分の無い、元は白色の壁を染める赤黒を見た。

 

 破壊し尽くされた壁をキャンパスとして、正気を打ち砕くような残酷な絵画の絵の具として用いられているのは迸った血と肉と、身体の内側から弾けた臓物と骨。

 そして抉れた頭皮に付着した、赤く長い毛髪や血をたっぷりと吸った衣服の切れ端だった。

 猟奇殺人現場もかくやと言った惨状の中心に向け、彼は顔を上げていた。

 

 そこにいたのは、巨大な人型の戯画であった。丸い窓を思わせる頭部の中には、教会のステンドグラスを思わせる模様が散りばめられていた。

 異形の頭部の下は赤を基調とした、豪奢な刺繍状の模様で覆われた着物姿へと繋がっている。

 神父服の西洋風と、着物の和の趣が融和したような姿だった。

 その中心に置かれた、洋風家具の様な台の上に彼女はいた。周囲を染める残酷で凄惨な絵画の素材となった者が。

 

「こいつが…お前のドッペルって奴か。なぁ、杏子」

 

 名前の対象は、台の上に立っていた。立たされていた、とした方が正しいかもしれない。

 台から伸びた鎖が手首や足首に絡んで肉に喰い込む事で強引に縛られ、直立を維持させられていた。

 彼女を拘束する銀の鎖は、彼女から伝う血で濡れていた。

 衣服の至る所が破け、脇腹や胸、スカートに至っては半ば以上が千切れ、その中の下着も外れていた。

 血で濡れた事によりスカートが鼠径部に貼り付き、完全な露出から彼女を保護していた。

 

 凄惨な中には確かな色気があったが、肉が抉れた腹からは小腸が外気に触れ濡れた光沢を見せて輝き、肘や膝小僧の皮も外れて関節が剥き出しになっていた。

 他にも無数の個所で打撲に裂傷が走っている、彼女の肉体で無事な個所を探すほどが困難なほどに。

 

 その偏執的な拷問を受け続けたかのような姿が動いた。傷で覆われた身体の中、長髪を束ねるリボンは血を吸いつつも不思議と無事だった。

 項垂れていた態勢が戻され、髪とリボンが揺れた。彼女の動きによるものと、台座に生じた僅かな振動によって。

 頭を上げた彼女の前に、黒髪の少年が立っていた。

 肩から両手を失い、身を掠めた爆炎で全身に火傷を生じさせていても、縦に五メートル程度の跳躍は難なくこなせるらしい。

 それでも普段は着地時は無音且つ、衝撃は完全に殺せている。その辺りに彼の疲弊が伺えた。

 

「ひっでぇ…有様だな…あたしも、お前も」

 

「お前ほどじゃねえよ」

 

 言いつつ、彼の猫耳のような形の頭角が蠢いた。彼の頭部に向けて、根元から縮んでいく。

 対して両肩の断面が血色の泡を吹いた。泡が弾けると、針金のような無数の繊維が伸びた。

 それが腕の長さ程度に伸びた時、彼はそれを振った。針金の先端には、小指程度の小さな刃が生えていた。

 

 鉄を断つ音が一回、現象として四回生じた。少女を拘束する鎖が外れ、彼女の体が転倒に移る。

 だが倒れかけた身体は、自力で直立を維持した。それを信じていたのだろうか、彼は黙ってそれを見た。

 その間に彼の肩から伸びた繊維は絡まり合って、歪な紛い物の両腕と手を形成した。

 鎖を切断した刃物は、この手の先の爪であった。

 

「それで、さっきの話だけどさ」

 

 背後に首をかくんと揺らし、杏子が話を振った。「ああ」とナガレが返す。

 彼女の細首には肉の裂け目が複数重なり、さながら魚の鰓のような傷が出来ていた。

 当然ながら肉体の破壊は顔にも及んでいたが、多少の骨の歪みと無数の細かい傷、右眼球の破裂程度や半分以上の歯の崩壊程度で済んでいた。

 開いた口の中に赤い光が残っていることを見ると、項垂れている間に治癒魔法を行使したようだった。

 彼女なりに、身に気配りをしたのだろうか。或いは彼に対しての。

 

「コイツのコトなら、そうなんだろね。そうか。ドッペル、ドッペルか」

 

 背後に佇む巨体を見ながら、杏子はその名を重ねていく。

 

「気に入ったのか?」

 

 どこか弾むような声に、ナガレは疑問を問い掛けた。

 

「まぁね。ワリといい発音してると思う。胡散臭くてしょうがねぇけど、結構便利だった」

 

「便利?」

 

「こいつを使って動かしてたのさ。見てみな」

 

 杏子に促されてナガレは視線を落とす。

 彼女の感情の産み出した存在の背や外套の内側から伸びた無数の鎖が、その背後の壁に撃ち込まれている。

 鎖は壁の内側から更に分岐し、外側の巨体と繋がっているのだろう。操り人形で更に人形を操る。

 要は二人羽織りみたいなものかと彼は思った。多分違うのだが、それはそれで合っているようにも思える。

 

「自棄っぱちなままに暴れてたから、振動とかでこんなズタズタになっちまったけど」

 

「痛くねぇのか」

 

「痛覚遮断してるからね。この前キリカにやり方を教えて貰ったのさ。解除したら、多分痛みで狂う」

 

「お前はそんなヤワじゃねえだろ」

 

「はっ。知った風なコト言いやがって。あたしの何を知ってやがる」

 

「そういや、何も知らねえな」

 

「だろ?正直言うと、この口調とかも結構しんどいんだよね」

 

「え、どゆこと?」

 

 急に振られた話題に、ナガレはアドリブじみた対応で返した。困惑しつつ興味があるらしい。

 

「誰かにナメられねぇように、男喋りを頑張って遣ってるんだよ。本当のあたしはもっと可愛くて素直で乙女なのさ」

 

「例えばどんな感じだよ」

 

「この口調も長すぎてね、やり方忘れた」

 

「じゃあ取り戻せばいいじゃねえか」

 

「そうするよ。魔法少女をやめたらね」

 

 事も無げに告げた言葉に、ナガレは喉奥に苦いものを感じていた。

 表情には出ていなかったが、杏子はそれに気付いたらしく見透かしたように小さく嗤った。

 

「そういやぁ…取り戻すっていえばさぁ。ちょっと気に入ったのもあるんだよね」

 

「何がだよ。…おい、まさか」

 

 彼の中の数少ない英語の知識が、その言葉を予感させた。

 

「『ゲッター』」

 

 それはある意味一番身近で、最も遠ざけたい言葉でもあった。そしてその言葉から離れられた試しは無い。今もまた。

 

「取り戻す。ゲット、ゲット、ゲッター……なるほど。ゲッター……ねぇ。いい発音で、妙に響きが良い。なぁ、お前もそう思わない?」

 

 呪われた言葉を、周囲に血肉が転がる酸鼻な香りが漂う中で詠うように口遊む。

 幼い身を傷で覆った真紅の少女は、実に愉しそうだった。

 その様子に何を感じたか、ナガレは息を吐いた。そして一秒だけ眼を閉じて何かを考える。

 そして眼を開く。闇色の眼は、腹を括った男の眼となっていた。

 

「確かに覚えやすい名前で、叫ぶのにもピッタリだな。で、ところでなぁ杏子」

 

「叫ぶってなんだよ、技名とか?それでなんだよ、ナガレ」

 

「ナガレか。なんか、妙に懐かしく思える呼び方だな」

 

 杏子の返しに、思わず彼は苦笑する。確かにここ最近、彼の呼び名は変化が激しい。

 

「感謝しろよ、あたしが付けてやった名前なんだ」

 

 呼応するように杏子も笑う。今思い出したという思いが彼女の脳裏を過る。

 しばし両者の間を純粋な笑いが繋いだ。そして笑いが自然と絶えた時。

 

 

「さぁて休憩も済んだし、そろそろ第二ラウンドといかねえか」

 

「ああ、そうだね」

 

 笑い声も絶えた時、笑顔もまた消えていた。正確には、笑ってはいた。

 戦う者達の獰悪な笑みが、両者の顔に仮面のように張り付いている。

 戦姫の貌で、杏子は右手の人差し指と中指を鳴らした。

 爪が剝げ落ちて捩子くれた指であり、鳴った音は細指の中の更に細い骨が圧し折れる音でもあった。

 

「逃げるなら今の内だけど?」

 

「誰が逃げるか。とことん相手になってやる」

 

「救いようがねぇな。お互いに」

 

「違いねぇ」

 

 言葉を交わす両者の近く。

 彼の視線の先であり杏子の背後で、それまで沈黙を守っていた杏子のドッペルが動き出した。

 両腕が広げられ、その着物の袖からは紅い霧が噴出された。霧は瞬く間に周囲に広がり、この空間の中で拡散していく。

 地面が消え失せたように霧がわだかまり、血肉が付着した壁面も霧で覆われる。

 霧は両者の立つ台座の上にも到達した。足に膝にと、紅い霧が纏わりつく。

 

 その霧を突き破り、複数の物体が台座の淵から飛び出した。それは銀色の光沢を放つ鎖であった。

 それらは蛇のように宙で翻り、ナガレへ向けて飛んでいた。それが全て切断された。この時、彼は全く動いていなかった。

 

「余計な事するんじゃねえよ、自棄っぱちの木偶人形」

 

 その木偶人形へと振り返りもせず、吐き捨てた杏子の右手には巨大な槍が握られていた。

 それは普段の十字槍ではなく、菱形に似た巨大な穂を両端に備えた異形の槍だった。

 黒く染まったその色は、全身を染める赤い血が酸素に触れて、黒へと変わりつつある杏子の姿の現身ともとれる。

 

「ほんとバカだよ。あんたも、あたしも」

 

 紅い霧が肩まで達した頃、ナガレと杏子との間には十数センチ程度の距離しかなかった。

 

「だろうな。じゃあ、そのバカをやるとしようや」

 

 口角を上げて、戦意に満ちた貌でナガレは杏子に告げた。ふっと吐息を吐き、杏子は彼の背に両手を回した。

 右手に握られた槍穂の先端は、彼の背に向けられていた。

 

 杏子は何かを言おうと口を開いたが、その唇は虚しく震えて再び閉じた。

 何を言えばいいのか分からなかったのか、最早言葉は不要としたのか。恐らくはその両方だろう。

 全てを振り払い、それでいて繋ぎ止める様に、杏子は槍を握る両手に力を込めた。そして思い切り手前に引いた。

 無を貫いたように、それは杏子の背中から先端を抜けさせた。血の一滴も出ていなかったが、槍は彼の心臓と、魔法少女の胸の宝石を貫いていた。

 

「       」

 

 声ならぬ声が、杏子の開いた口から流れた。悲鳴ではなく、純粋な苦痛の声だった。

 対するナガレはと言えば、歯を食い縛って沈黙を演じていた。無意味だが、男の意地である。

 それに呆れたか、杏子の首が前に倒れた。自らが貫いた少年の左肩に、魔法少女の額が寄り添う。

 

 傷だらけながらに美しい顔の下にある、薄い胸の上。

 槍で貫き通された胸の宝石は、表面に着いた黒く固まった血液が剥がれ落ちていた。

 黒血の下から出たのは、固まった血よりもなお昏い真っ黒な闇。

 その色に染まった紅い宝石がそこにあった。感情の現身を顕現させてもなお、消え失せない闇だった。

 紅い瞳でそれを見ながら、杏子の意識はゆっくりとその闇に落ちていった。

 

 その背後で、彼女であって彼女ではない巨大な姿が蠢く。

 彼女の言葉を借りれば『自棄のドッペル』とでも称される存在が身を屈め、もう一人の自分の様子を顔の無い貌で眺めていた。

 それは主である下僕の様子を興味深く観察し、そして嘲笑っているかのようだった。

 

 その巨体を、もう一つの闇が見上げていた。円環する地獄のような渦巻く瞳が。

 

「こいつに伝えな。先にそっちで待っていやがれ、ってな」

 

 貫かれた心臓は、主に向けて極大の苦痛を送りその意識を虚無へと誘いつつあった。

 その中で、彼はドッペルにそう告げた。

 彼の姿に怯えたように、自棄の感情を宿した現身は後退した。そして、自らが今も放出させ続けている赤霧の中へと消えていった。

 霧は遂に少年と魔法少女の姿も覆い尽くした。その中で、闇色の瞳は静かに閉じた。

 

 彼は待っていろと言った。

 そして両者が集うそこが、まともな場所である筈は無い。

 彼と彼女が向かう先は常に地獄の領域であるが、今回は特級の地獄であるに違いない。

 








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