魔法少女きょうこ☆マギカ 流れ者達の平凡な日常(魔法少女まどか☆マギカシリーズ×新ゲッターロボ) 作:凡庸
青の光で満ちていたはずの鏡の世界は、遍くものが一変していた。
単なる破壊行為によるものだけではなく、その纏った色が変容している。
深窓の底のような深海や薄闇を伺わせる青は、万物が赤へと変えられていた。
異界の殺戮兵器を模したマガイモノから発せられる魔力は、殺意と憎悪の槍を生成し、樹木のように次回の地面から天に向けて無数に生やしていた。
それらは互いをすらも憎み合うように貫き合い、絡み合い、真紅の大樹と化して天へと挑んでいった。
そららも更に食らい合い、大樹は山脈もさながらといった風に変貌している。
異形の地形を支える地面には無数の亀裂が入っていた。亀裂の断面に蠢きが生じる。
蠢いて震えた直後、飛び出したのは十字架を頭に頂いた異形の触手だった。触手には無数の多節が入れられていた。
節となっていたのはこれもまた赤い、それも血のような毒々しさを持った赤黒の鎖だった。
触手は亀裂を更に切り裂いて溢れ出し、それらはまるで異形の蛇の群れを思わせた。
亀裂が亀裂を生み、範囲は急速かつ広範囲に広がっていく。
その様子を真上から観測した者がいれば、一際巨大で天まで届きそうな、真紅の世界樹とでもすべき場所から鏡の世界を赤が穢していく様が見えただろう。
世界を犯し、蹂躙する様を。
全てを飲み込む赤い波濤の前に、一つの影が立っていた。
燃えるような長い赤髪が、ワインレッドの輝きを放つ外套の背を伝い、腰のあたりまで滝のように垂れている。
波濤に飲み込まれる寸前、人影は地を蹴って跳んだ。
一跳びで高さにして三十メートルを軽く飛翔する姿は、人の形をしていたが人の力を越えていた。
盛上がった触手の端や、異形の樹木の表面を蹴りながら間髪入れずに数十回と繰り返すと、人影はある場所へと辿り着いた。
見上げた先には超が三個は付くほどの巨大質量。世界を浸食するその中心部の根元へと人影が、紅い少女が立っていた。
その眼の前に、どちゃりという音を立てて何かが落下した。
長髪を揺らしながら、彼女は上を見上げた。紅い瞳が映す先からは、破壊音と哄笑が聞こえた。狂乱と歓喜に満ちた声だった。
落下物には一瞬だけ視線を注ぎ、彼女は膝を撓めた。その時に口からは苦鳴が漏れた。
「うぅ」
細い身体がふらつき、倒れかける。紅の長得物を地に立て、彼女は転倒を防いだ。
今の今まで徒手であったのに、それは前触れもなく彼女の手に握られていた。
長さ三メートルに達するそれの、上空へ向けた頂点には全てを貫くような鋭さを有した十字が頂かれていた。
その状態で五秒ほど、彼女は荒い息を立てて立っていた。瞼を閉じると、自然と一つの姿が浮かんだ。
自らと大して変わらない背格好の、悪鬼の如く形相で瀕死ながらに力を振り絞り立ち塞がる全てを蹴散らしていく、燃え立つような黒髪の少年の姿。
牙のような歯を並ばせた口から放たれる、悍ましくも美しい音で奏でられた咆哮が聞こえた。
それが脳裏を掠めると、呼吸がほんの少しだけ安らいだ。休息はそれで十分であり、真紅の少女は跳躍した。
壁に樹木にと蹴り続けひたすらに上を、世界の中央にしてその果てへと目指していく。
少女が跳躍し地上から消えた直後、再び落下物が地面に落ちた。その数は複数だった。
それは手であり足であり、骨と臓物であり、そして千切られた首と割られた頭部から零れる脳髄だった。
ぎざぎざとした、金鑢の表面に似た断面を見せて転がる肉体は、火傷で覆われたように爛れた肌をしていた。
それでいて佐倉杏子の顔の面影を確かに残し、生えた毛髪もオリジナルに似ていた。
それらが、次々と降ってきた。執拗に切り刻まれた肉が残酷な雨とミゾレと化して、地面へと降り積もっていく。
真紅の魔法少女を模した者達の遺骸が、赤く染まった異界の地を更に赤く染めていく。
血肉が桜吹雪の如くに、異界の空より降り注ぐ。
「うーーーーーーーむ」
美しい声が可憐な唸りを上げた。呉キリカの声だった。
彼女は何かに座り、両脚を投げ出すように伸ばしていた。
「お試しは大成功ってところかな」
誰もが微笑み返したくなるような笑顔で、キリカは朗らかな口調で告げた。
紅の世界樹の枝葉の一つ、槍が束ねられて構築された広場の一角に彼女はいた。
その周囲は燃えるような真紅の地面と、どす黒い赤黒で彩られていた。
漂うのは、生臭い鉄錆の臭気に甘酸っぱい果実の香り。
それらが渦のように混じった、異様な空間だった。
「お、まだ生きてる。流石は魔法少女の紛い物」
座ったままに前傾し、ひょいと手を伸ばして何かを両手で掴み持ち上げる。
それは薄い起伏の胸元あたりで切断された、佐倉杏子の紛い物だった。
僅かに留められた命が、陸に上げられた魚のように口をぱくぱくと開閉させていた。
それの両肩を無遠慮に掴み、彼女は高々と掲げていた。まるで、赤子を抱き上げているかのように。
肉の断面からは血と内臓の欠片がこぼれ、地面で跳ねた。
地面もまた、散乱した血肉で満ちていた。
彼女が椅子代わりとして尻を置いているものも、切り刻まれて積み重ねられた血肉と骨で出来ていた。
眼も鼻も無く、されど苦痛の形を成して痙攣する死に掛けの姿へと、キリカは口を開いた。
「まぁここあたりで伏線でも張っておくとだね……私はお前が、佐倉杏子が大嫌いだ」
表情は朗らかなままに、ただ黄水晶の瞳に虚無を宿してキリカが告げる。
「だ・か・ら・コ・ロ・ス」
唇を可憐にすぼめてそう言うと、キリカの両手に力が籠った。
手が握った紛い物の肩が握り潰され、骨肉が血飛沫と共に弾けた。
「その、可愛いくせにいつも無理にツンツンとした顔」
手からずるりと落ちかけたそれを、髪を無造作に右手で掴みキリカは紛い物へと告げた。
その命は既に絶えており、口の開閉も止んでいた。
「栄養が偏った食事しか摂らないせいで痩せっぽちの身体に、面倒くさいに過ぎるツンデレな性格。
無駄に刺々しい言動、ロクに変えないせいで生活の匂いが染み付いた服、その他凡そが嫌いだ。とりあえずもう少し風呂に入る頻度を上げて、下着も毎日取り替えろ。そして使った生理用品はさっさと捨てろ。いくら友人が魔法少女の血と肉を斬り刻んで噛み砕くのが大好きな捕食生命体でもそういう生臭いのは食わないだろ、多分」
長々と言い終えると、右手が下方へと弾かれるように動いた。直後に激しい水音が鳴り響く。
魔法少女の力で地面に激突させられた紛い物の残骸は、無数の頭髪の残骸とそれに付着した小さな頭皮が少々。
そして原型を推測することも困難な挽肉と化して、地面にブチ撒けられていた。
感慨も無く、既に同じ様相を呈して地面を彩る赤黒に眼を落とす。
虚無を宿した眼が見ていたのは、赤黒に染まった肉塊の一つだった。
仰向けに倒れ、腹の真ん中あたりで横に切断されたそれへとキリカは手を伸ばした。
手の甲から一本だけ斧を召喚し、下腹部の下へ、鼠径部の下部へと切っ先を宛がう。
「いや、切り開いて中身を見るまでも無いか。どうせあいつも膜持ちだ」
まぁ私もだけどとキリカは呟き、そして溜息を吐いた。
「あんな分かりやすくて卑しい感情を鱗粉のように振り撒くなら、ああもう、テンプレっぽくて癪だが。誰を相手にとは言わないけど、さっさと抱かれるか抱くかしてたらよかったものを」
煮え切らない女だなと言い捨て、キリカはその遺骸を蹴り飛ばす。
脇腹が大きく抉られたそれは緩い放物線を描き、下層へと落下していった。
「なんだろうな、ここに来てから胸糞悪い光景が頭に浮かぶんだよね」
よっこらせと立ち上がり、キリカは誰へともなく言葉を告げる。
「私の大切な…嗚呼…言葉に等ならないが、大切で大切で仕方ない、愛しく愛すべき純なる愛の存在を」
虚無を宿していた眼には陶酔の色が映えていた。
それは情欲であり忠節であり、そして彼女以外には計り知れぬ感情を宿した眼であった。
見開かれた眼の周囲には涙が滲んでいた。だがその透明な液は、すぐに朱の色に染まった。
「彼女を傷付ける姿がね。あの美の結晶の姿を槍で串刺しにする姿がさァ……脳裏にこびり付いて離れないんだよ」
赤い涙を、涙腺から鮮血を溢れさせながら凄絶な顔でキリカは言葉を紡ぐ。
虚無と憎悪と、そして得体の知れない何かを宿した表情だった。
「私の妄想といえばそれまでだがね。その光景の原因であるそれだけで、お前は万死に値する」
キリカが言葉を吐き出した周囲には、隅の隅まで血肉の欠片が散乱していた。
面積にしてこの場所は、校庭のグラウンドにさえ匹敵する広さがあった。
異常なのは遺骸の様子であった。
切り裂かれたり殴り殺されたものは兎も角として、内臓が四方に飛び散っていたり内側から破裂したようなものまであった。
破壊後に死体損壊をしたとしても、微塵に切り裂かれたものの数は尋常ではなく、戦闘によって生じたものである事が伺えた。
「ん…ああ、そうだった。そういや友人と発情紫髪女がまた浮気タッグ組んでの決戦中なんだった」
それは今思い出した、そういえば、そんな事もあったねといった口調だった。
「それに、肝心の佐倉杏子の本体はそこにいるんだった」
変わらぬ事実であり、更に言えば自分が肯定した筈の事柄である。
先程の発言からすれば、憎悪の矛先である筈の存在ですらキリカは忘却していたらしい。
「さて練習も終えたし、私も混ざるとするかな。どうせあいつらは相変わらずグダグダイチャイチャメソメソとやってるに違いない」
背伸びをしながら上を見上げるキリカ。その黄水晶の眼に何かが映った。
それは眩く輝く、真紅の色を纏っていた。彼女が立つ場所から、数百メートルは離れた場所の崖にそれはいた。
時折の停滞をしつつも必死に足場となるべき場所を探して跳躍をし続け、上空を目指していた。
「へぇ。まだ残ってたとはね」
自然現象を眺めるように、キリカは感慨も無く言った。
「仕方ない、残飯処理というかゴミ掃除をしておいてやるか」
いい様、黒い魔法少女の姿はそこから消えていた。
彼女が立っていた場所の地面が大きく抉れ、衝撃で浮いた破片や散らばる血肉を宙に舞わせていた。
それらはまるで時を奪われたかのように、不自然な状態で宙に浮いていた。
荒い息を零しながら跳ねていく少女の上空に、影が舞い降りた。
禍鳥が翼を広げたかのような、不吉な形の影だった。
「じゃあね、紅い毒蛇の紛い物。せめて愚かな星と散れ」
真紅の瞳で見上げる彼女へと即興で紡いだ言葉を送り、呉キリカは両手の甲から生やした計十本の斧爪を振り下ろした。
いいタイミングかはあれですが、遂に本家で鏡の主が来られたようで