サーティ・プラスワン・アイスクリーム   作:ルシエド

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その2

 鉄球が潰した二人の体が、煙となって霧散する。

 煙の中には緑の葉っぱが一枚、ひらりひらりと待っていた。

 最新鋭の物理学を内包するニンジャ・テクノロジーを導入した、若鷺和子の『変わり身の術』の効果であった。

 

「間一髪」

 

「和子ちゃん!」

 

 朔陽と一球の二人を抱え、小柄な和子が王都を駆ける。

 変わり身に直撃した鉄球は王都に巨大な破壊の爪痕を残していた。

 

(大きく避けるしかない)

 

 地面に当たっても、建物に当たっても、鉄球は全てを粉砕し、人間を殺せる瓦礫を広範囲に撒き散らすことが目に見えていた。

 和子は攻撃範囲を膨大と推定。

 そして、全力で走る。

 出来る限り人が少ない方向へ。

 巨人神装兵は変わらず和子達を――正確には和子が抱えた一球を――見ている。

 睨みつけたまま視線を外さない。

 和子がどんなに速く動こうとも、巨人は常に対象の人間の姿を捉えたままだ。

 

 神に逆らう反神タイガースはこの世界には存在しない。

 プロ野球選手も然りだ。

 投技を極めたピッチャーを正当な手段で打倒できるのは、打技を極めたバッターのみ。

 野球部員がクラスに一人しか居ない以上、野球でかの巨人を倒すことができるのは、この異世界に井之頭一球ただ一人なのである。

 巨人が警戒するのも、当然であった。

 

(朔陽だけ助けるなら、井之頭君を囮に置いてって私と朔陽だけで逃げるのが一番……

 でも、そうしたら朔陽はきっと怒る。

 それに何より、私自身が、クラスメイトを見捨てて逃げたくないと思ってる)

 

 巨人神装兵は腰に吊った鋼鉄の野球ボールに手をかけるが、鉄球は握らず、その辺りの地面に手を突っ込んで1mほどの直径の小石(巨大)を指でつまみ取った。

 どうやら鉄球を温存し、石投げをしようとしているようだ。

 一試合ごとの球数を抑えるのはピッチャーの基本。

 でなければピッチャーの肩は簡単に壊れてしまうからだ。

 異世界で鉄球が補給できない以上、鉄球を温存するのは当然の思考と言えよう。

 

 かくして巨人の手より幾度となく投石が放たれる。

 スライダー、シュート、カーブ、シンカー、フォーク、ジャイロと各種変化球系の回転をかけられた無数の石が、朔陽と一球を抱えた和子に向かって飛翔した。

 

 軽やかに、華やかに、艶やかに。

 美しい蝶が空を舞うように和子は飛礫(つぶて)を避けていく。

 王都の遥か彼方から投石する巨人と、人気のない区画でそれを回避するクノイチの攻防は王都の皆が目にする事態となり、騒ぎは徐々に大きくなっていく。

 異世界の一般市民は逃げ惑い、地球の一般学生達は仲間を助けるべく走った。

 

「このまま……」

 

 巨人は神のごとく振る舞い、石を投げる。

 ただそれだけで、王都が目に見えて削れていく。

 和子が人の居ない方に移動していなければ、とっくのとうに死人が出ていただろう。

 だがこの攻撃ペースなら、自分程度でも余裕でかわせるだろうと、和子はたかをくくっていた。悪い言い方をするのであれば、油断していた。

 朔陽が叫ぶ。

 

「和子ちゃん! 遠くで何か光った!」

 

「―――!」

 

 和子が二人を抱えて飛び上がったその瞬間、地平線からビームが飛んで来た。

 いや、ビームと言っていいものなのかも分からない。

 光線なのか?

 熱戦なのか?

 レーザーなのか?

 はてさてどれなのか。

 面倒臭いのでビームということにしておこう。

 物質を冷凍するという不可思議技れいとうビームも存在を許されるこの時代だ、分類が怪しいものは片っ端からビームに突っ込んで問題ない。

 

 それが、巨人神装兵を飲み込み、朔陽達に迫り来る。

 ビームは巨人と朔陽達を一直線の射線に捉えた瞬間を狙って放たれたようだ。

 巨人の上半身を消滅させたビームが、空中で動けないクノイチとその仲間に迫る。

 

「―――」

 

 瞬間。

 ビーム発射前に跳び上がっていたヴァニラ・フレーバー姫が、彼らの近くにまで至り、彼らに向かって手を伸ばしていた。

 必死にビームを見て回避手段を探していた和子は姫を見ていない。

 ビームで蒸発する痛みを思い、思わず目を閉じてしまった一球も姫を見ていない。

 諦めず周囲全てに視線を走らせ、起死回生の何かを探していた朔陽だけが、飛び上がった姫の存在を認識していた。

 

「この手を掴んでください!」

 

「ヴァニラ姫!」

 

 左手で和子と一球を掴んだ朔陽が、右手を伸ばす。

 彼が伸ばした右手を、姫の右手がしかと掴む。

 次の瞬間、四人は一瞬にして王都の端っこにまで移動していた。

 

「間一髪でしたね、サクヒ様。イッキュウ様もワコ様もご無事で何よりです」

 

「これは……!?」

 

「転移魔法です。発動条件が厳しく多用できないのですが、なんとか使えました」

 

 姫の転移魔法が彼らを救ってくれたようだ。

 ビームの追撃もない。

 王都からは、謎のビームで上半身が吹っ飛んだ巨人の姿がよく見える。

 

「ありがと、和子ちゃん。降ろして」

 

「ん」

 

「助けてくれてありがとうございます、ヴァニラ姫。あのビームが何か知ってますか?」

 

「あの光の柱を放つ魔法は……十六魔将『消葬の双子』の消葬魔法です」

 

「!」

 

「魔王軍がとりあえずであの巨人を消したのではないか、と私は推察しています」

 

 朔陽が問い、姫が答える。

 あのビームは魔王軍幹部の放ったビームのようだ。

 女子柔道部に太陽に投げ込まれたアインスと同じ幹部のようだ。

 ならまた太陽に投げ込めばおそらくは倒せるのだろうが、遠くからビームを撃ってきたせいで姿の視認さえできていない。厄介なことだ。

 姿さえ見えていればまた太陽に不法投棄、否、合法投棄もできるというのに。

 

 巨人は異世界からの侵略者だ。

 よって魔王軍にとっても敵である。

 つまり魔王軍が黄泉瓜巨人軍の侵略の意図を察し、『なんだあの怪しいの。味方にはならなそうだし消しとくか』でビームをぶっ放してきたというわけだ。

 巨人も人の一種だし殺しても問題にはならんだろ、くらいのノリが垣間見える。

 人の命が消しゴムのカスより軽そうな扱いでとても恐ろしい。

 

 朔陽は次の一発がいつ来るか戦々恐々としていたが、二発目のビームは中々来なかった。

 

「彼らがあのビームを撃てるのは一日一回。何故かは分かりませんがそうなのです」

 

「それなら、今日のところは僕らがあれの危険に晒される可能性はなさそうですね」

 

 ほっとする朔陽。

 魔王軍の魔将のビームは、巨人の上半身を一瞬で蒸発させるほどのものだった。

 王都のど真ん中を攻撃範囲に捉えれば、何人死ぬかイメージすることすら難しい。

 二発目が来ないというのならひとまず安心だ。

 ……と、そこまで考えたところで、朔陽は気付いた。気付いてしまった。

 アホのクノイチと高校球児は気付かない。

 

 ならあのビームを撃った魔将は何故王都の近くに居たのか?

 巨人というイレギュラーが現われたために、魔将は巨人を撃った。

 なら本来何を撃つつもりだったのか?

 

「……あれ、じゃあもしかして、巨人が来なければ僕ら王都と一緒に蒸発してたのでは」

 

「……だ、大丈夫です。順当にいけば、狙われるのは王都よりも王都中心の王城ですし」

 

「蒸発するのが僕らじゃなくて王族になっただけじゃないですか!」

 

 今日、黄泉瓜巨人軍が侵攻して来なかったら、この国は滅んでいたかもしれなかったわけだ。

 人命も軽いが国の存亡まで軽い。

 

「どうなってるんですか王都周辺の警備……」

 

「『消葬の双子』は前線に居ると情報が来ていたのですが……偽装情報だったようです。

 前線の兵士が損耗した分、王都周辺の警戒網の人数を減らして前線に回していたのです。

 お兄様……んんっ、いえ、それは置いておいて。

 本当に申し訳ありません、これは我々の判断ミスでしょう。

 今日中に王都周辺の警戒網の人数を元の人数、いえそれ以上の数に戻すよう手配しておきます」

 

 朔陽はこの姫が国防にどれだけ関わっているかを知らない。

 だが、この姫がなんでもかんでも責任を背負いこもうとするタイプだということは知っている。

 ゆえに、この姫のせいでこうなったなどとは思っていなかった。

 

「ヴァニラ姫、巨人はもう一体居ます。空から落ちて来たのを、僕らは見ました」

 

「! 本当ですか?」

 

「はい。今回倒された巨人は40mほどでしたが、姿を消した方はおおよそ60m。

 しかも巨人に指示を出していた僕の世界の人間達も一緒でした」

 

「サクヒ様達の世界の、人間達……?」

 

「奴らは黄泉瓜巨人軍。

 球界の魔王にして、セ・リーグの次に日本を支配しようとした奴らです」

 

 説明開始。

 説明終了。

 朔陽は熱中症量産工場である夏の高校野球大会のことなども交えて、分かりやすく日本の野球、及び黄泉瓜巨人軍の過去について姫への説明を終えた。

 

「なるほど、なるほど。

 私にも分かりやすい説明をありがとうございます。

 競技としての剣術を戦争に使うようになってしまった、白くま騎士団のようなものなのですね」

 

「真・巨人軍か反神タイガースが居れば容易に蹴散らしてくれる相手なのですが……」

 

 不安がる朔陽。

 ヴァニラ姫は自分の中に湧いていた"少女らしい不安"をぐっと押し込んで隠し、朔陽の前では揺らがない自分を見せようとする。

 不安なんて欠片もない、王族としての自分を見せる。

 和子や一球にも、意識してそういう姿を見せていた。

 

 本当は、異世界からの侵略者が恐ろしくてたまらなかったが、ヴァニラがそれを表に出すことはなかった。

 

「大丈夫です。きっと大丈夫ですよ。私達もここに居ます」

 

 姫はドレスを押し上げる胸の上に手を置き、朔陽達を安心させる声色で、力強く言い切る。

 

「私達の世界は、私達の手で守りたい。そう思っているのは、きっと私だけではないはずです」

 

 姫が王城を仰ぎ見れば、そこには騒動を認識した貴族や騎士達が集まり、慌ただしく駆け回る姿が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姫が彼らに黄泉瓜巨人軍の説明を求めたのは、当然の流れであった。

 和子が「どうしよう」と言った。

 朔陽は「いや行くよ」と彼女の手を引いた。

 一球は思い詰めていた。

 朔陽は「行こう」と彼も引き連れ、姫と王城に向かった。

 和子には巨人軍に思い入れがなく、一球には逆に親を殺されたという強烈な因縁があり、朔陽には客観的に巨人軍のことを説明できる程度の知識がある。

 ヴァニラ姫からすれば、彼らが同行してくれることは喜ばしいことだった。

 

 彼らは王城の会議室へと向かう。

 会議室には既に何人かの貴族と、数人の騎士が集められていた。

 この国の貴族と騎士の一部、それもすぐに王城に集まれる人間が集められているのだろう。

 王族はヴァニラ・フレーバー一人だけで、他に王族の姿は見られない。

 

 デブ貴族が居た。

 明らかに出無精(でぶしょう)なせいで運動不足のデブ症になっている男であった。

 女騎士が居た。

 尻への性的快楽に弱そうな顔をしている。

 男の騎士が居た。

 目立つ金色の首飾りをしているが、退屈そうな様子であくびをしている。

 会議の参加者は合計で十数人。騎士と貴族どいつもこいつも一癖二癖ありそうだ。

 

 姫に頼まれ、彼らの前で、朔陽は黄泉瓜巨人軍の概要と情報を語る。

 値踏みをするような視線。

 正しく朔陽を評価しようとする視線。

 朔陽の内心と目的を見抜こうとする視線。

 そのどれもが朔陽を奥深くまで探ろうとする視線であり、朔陽に不快感を覚えさせる、嫌な感覚の視線であった。

 特にデブ貴族は熱烈で性的な視線を送っている。

 まごうことなきホモであった。

 

 義務的に子を作ったホモ貴族を父に持った貴族の子はホモになりやすい。

 ホモから生まれたホモ太郎だ。

 ホモ貴族特有の熱烈視線はまさしく心にホモいろクローバーが生えていると表現すべきそれ。

 "ホンモノの貴族"だって略せばホモ貴族なのだから、立派な貴族=ホモという風に考えても別にいいではないだろうか? 専門家の見解の提示が待たれるところだ。

 

 和子は"あの貴族去勢しちゃおうかな"と考え始めていた。

 懐のクナイに手をかける和子を、一球が必死に止めていた。

 ホモと忍者と高校球児のトライアングルは拮抗し、一滴の血も流さぬまま朔陽の貞操を守る。

 朔陽による説明中、会議室の空間内に、不可視のホモ三国志が成立していた。

 

「―――以上で、黄泉瓜巨人軍の説明を終わります」

 

 朔陽の分かりやすい説明が終了する。

 ある騎士は現状の危険性を正しく認識した。

 ある貴族はどうすれば正しい対応になるかを思案していた。

 デブホモ貴族は朔陽の尻に夢中だった。

 

 十人十色の反応を見せる騎士と貴族に、ヴァニラ姫が呼びかける。

 

「では、何か意見のある方はいらっしゃいますか?」

 

 巨人はこの世界に二体来ていて、残り一体がまた攻めて来るのも時間の問題だ。

 魔王軍がまた結果的に助けてくれる、だなんて期待するわけにもいかない。

 誰かが撃退しなくてはならないのだ。

 

 すると、貴族の一人がいきなり突っ込んだ意見を言ってくる。

 

「チーキュ? とかいう同じ異世界から来たんでしょう。

 同じ異世界から来たというのなら、同郷の彼らにどうにかしてもらってもいいのでは?」

 

 貴族から朔陽達への無茶振りであった。

 発言者の貴族からすれば反応を見るジャブのようなものであったのだろうが、話の流れは予想外の方向に飛んで行く。

 

「……それに関しては、彼らも同意見であるようです」

 

「え」

 

 姫が「彼らも同意見」だと言えば、発言者の貴族の方が「え」と驚かされてしまう。

 発言者の貴族は「君達の世界の責任じゃないんですかー?」「僕達だけじゃ対応は無理ですこの浅ましい地球の豚に力を貸してください貴族様と言えよ!」といった展開を期待していた様子。

 だがそうはならなかった。

 そうはならなかったのだ。

 

 ソーラーパネルによる太陽の効率的利用を実用化した地球文明は、柔道業界において既にソーラー投げるによる太陽の効率的利用も実用化していた様子。

 ゴミ箱にゴミを投げ入れるのは失敗するが、魔王軍を太陽に放り込むのであれば確実に成功する柔道部は実在する。

 「だってゴミ箱より太陽の方が大きいんだから投げ入れるのはそっちの方が簡単じゃない」という柔道部の主張には、一理あると言っていいだろう。

 彼らには力がある。

 地球の高校生相応の力を持っている。

 決して、完全に無力な存在ではない。

 

「お願いします。

 王都の皆さんの命がかかっている状況だということは重々承知しています。

 それでも……一度でいい! 僕達に、奴らを撃退し決着をつけるチャンスをください!」

 

 佐藤朔陽は頭を下げる。

 深々と下げる。

 力を貸してもらうためではない。

 あの巨人をぶっ殺すチャンスを貰うためだ。

 

「何故、そこまで」

 

「僕らの中に、奴らと因縁のある男が居ます。

 そいつに決着をつけさせてやりたいんです! そいつに過去を振り切らせるために!」

 

 一球がハッとして、目を見開く。

 かのクラスで巨人軍と因縁がある男と言えば、まず確実に一球のことだろう。

 朔陽は一球に決着の一瞬をあげようとしているのだ。

 決着の瞬間を用意しようとしているのだ。

 九回裏同点ツーアウト満塁の如き状況で、彼をバッターボックスに立たせるかのように。

 

「それに、です。

 自分の世界は自分の手で守る。

 ヴァニラ姫がその決意を見せてくださったおかげで、僕らも気付いたんです。

 僕らの世界の負債を、この世界の人達に背負わせてはいけないのだと」

 

 それは善意であり、誇りであり、責任感であり、倫理であるもの。

 "僕達はそうしなければならないと思うからそうするのだ"という心の叫び。

 理由は違えど、この世界を守ろうとする覚悟を生むものだった。

 この世界の住人と異世界の子供達は同様に、この王都を守ろうとしていた。

 

 因縁に決着をつけ、人を守る。

 その両方を果たしてこそ、朔陽達は悔いなくこの事件を終わらせることができるのだ。

 

(本当は、私達の世界が侵略されているのに、学生の方に丸投げなどしたくないのですが)

 

 姫は良識的で優しい人間だ。責任感もある。

 まだ20にも満たない、自分と同い年くらいの子供達に、世界間戦争やら国家の存亡やらといった重い問題を背負わせたくはないと思っている。

 そんな彼女がちょっとだけ"任せてもいいのでは?"と思ってしまっているのは、ひとえに彼らが太陽に魔将を投げ込むような地球人だったからだ。

 

(なんとかしてしまいそう……サクヒ様、私正直な話非常に判断に困っています……)

 

 朔陽が「できない」と言ったなら、彼らに巨人の対応をさせようとする貴族が何人居ようが、姫は彼らに責任が及ばないようにするだろう。

 だが朔陽が自分から進んで「自分達にやらせてくれ」と言っているものだから、ヴァニラ姫は「できる自信があるのかも」と思ってしまう。

 そして毅然とした態度で振る舞い、深く頭を下げる朔陽の姿は、騎士貴族合計十数人の彼らの間に、囁くような音量の物議を醸していた。

 

「我が国の騎士団があたるべきでは」

「ですな。我輩は我が国の騎士団を何よりも信頼しておりますゆえ」

「国威を示すにもうちの騎士団だけで処理してしまうのが一番かもしれませんね」

 

「同郷の人間として彼らが一番に上手く対応できるのでは?」

「逆に同郷の者に手加減してしまう可能性もあるのでは」

「姫は彼らの戦闘能力を評価しているそうですが」

「それなら実力という点ではそこまで問題無いのかもしれませんよ」

 

「この国の……いや、この世界の人間ですらない者を信頼するというのは」

「ですがこれは事実上姫の推薦ですぞ」

「姫が彼らの意志を尊重している以上……」

「それで異世界人達が失敗すれば、最悪姫の責任になります。それは不味い」

 

「彼は今週30人分の租税を一年分納めてるんですよ。私はそこをとても評価しています」

「なんじゃそりゃ……真っ先に金で礼儀と仁義を通して来たのか」

「この歳のガキでそれとかヤベーな地球……能力と責任感は保証付きか」

 

「彼らに巨人を任せ我々は魔王軍の警戒に全力を注いだほうがよいと思います」

「確かに『消葬の双子』が放つ光の柱は危険すぎますからな」

「彼らの技は一撃で王都の中心を消滅させてしまいます」

「ですが消葬の双子を警戒するあまり巨人に王都を潰される可能性も……」

 

「異世界人はデカいのだな」

「いやあの巨人は流石に例外でしょうが」

「聞きましたか、彼らの中で一番の巨乳はこんなにデカいそうですが」

「チーキュやべえ」

「拝みたい……」

 

「次回は巨人もある程度こちらのことを知ってからの襲撃になるかもな」

「敵の狙いが変わるかもしれません」

「奴らの狙いがこの世界の侵略と推測されるなら、狙いは王族か王都かのどちらか」

「いい機会です。以前話されていた遷都と首都機能分割の件を進めてみては?」

 

「姫を中心として彼らを元の世界に帰すため研究しているチームがあると聞きましたが」

「遅々として進んでいないようですよ」

「ううむ、この国と彼らとの間の付き合いはまだ続きそうですな」

「だが極力いい関係を続けたいものだろう?」

「元の世界に帰ることを前提としている者達に恩を着せてもしょうがないでしょうに」

「後腐れのない関係と割り切るべきだと思うぞ」

 

 ひそひそと、貴族や騎士が周囲に聞かれないよう囁くように話している。

 

 要するにこれは、リスクと確実性の話だ。

 戦いにおいて前面に出される者達は戦いで損耗、あるいは死亡するリスクを背負う。なので異世界人のような後腐れのない勢力だけを使い潰すなら、それが喜ばしい。

 だが現状は王都が危険に晒されている。

 できれば確実性の高い方法でこの一件を解決に持って行きたいところだ。

 となると、よく分からない異世界人達に王都の命運を任せたくはないわけで。

 

 出来る限り損失は生まず、安全に確実に勝ちたい。

 人が戦いに望むものなど、大体そういうものである。

 

「やらせてあげたらどうだい? 私は彼らの意志を汲んであげたいと思うよ」

 

「パンプキン卿」

 

 そこで声を上げる男が居た。

 朔陽がパンプキン卿と呼ばれた男の方を見れば、まず真っ先に金の髪が目に入る。

 ヴァニラ姫の銀の長髪と対になるかのような、美しい金の短髪。

 次に目に入ったのは、腰に吊り下げられた長剣とそれを包む絢爛な鞘であった。

 服装から見ても、騎士であることはまず間違いない。

 

 身長は190cm前後、といったところか。

 身体的特徴としては長身の方が目立つが、服越しにも分かる分厚い筋肉も相当なものだ。

 それだけなら無骨な戦士の典型的特徴と言えるだろうが、この男はヴァニラ姫の男性バージョンとも言えるほどの美形であり、立ち振舞いも理想的な騎士のそれ。

 とにかく洗練された印象を受ける。

 首にはやや古そうな、目立つ金色の首飾りがかけられていた。

 

(この人は……さっきあくびしてた人か)

 

 朔陽は少し記憶を整理する。このイケメン金髪騎士は、先程デブホモ貴族の横に居た男だ。

 

「あなたは……」

 

「私はスプーキー・パンプキン。この国で一番強い騎士だ」

 

「はじめまして、僕は……」

 

「ああ、自己紹介は必要ないよサクヒ君。

 君達29人の名前と顔は全部頭に叩き込んでいるからね」

 

 名乗ろうとして、遮られて、朔陽は主導権を奪い取られたことを認識した。

 

 そもそも、朔陽は『29人全員が公的な場所で名乗っていないこと』を知っている。

 魔法か、地道な諜報か。

 いずれにせよ、よほど興味を持って調べなければ判明しない事柄だ。

 全員の名前と顔を知っているというパンプキン卿の発言は、真実にしろハッタリにしろ、不穏な響きを内包している。

 これは釘刺しだ。

 あまり余計なことを喋らないように、という意図を含んだ釘刺しである。

 

「私は彼らが自分から志願してくれるのであれば、一度はチャンスをあげてもいいと思う」

 

 既にこの場の主導権はスプーキー・パンプキンにあった。

 誰もが彼の言葉に耳を傾けている。

 そこに朔陽は違和感を覚えた。

 どんな大貴族が発言した時よりも、姫が発言した時よりも、会議室の中の皆の注目がスプーキーへと集まっている。

 

(……姫様以上に、周りがこの騎士の男を重んじている?)

 

 つまりこの男は、貴族の界隈、騎士の界隈において、王女よりも大きな影響力と発言力を持っているのかもしれない、ということになる。

 

「それにいい機会じゃないか。

 君達も異世界からのお客人の評価を決めあぐねていただろう?

 これを機に彼らが信頼に足る隣人かどうか、見極めてみればいいじゃないか」

 

(うわがっつり切り込んできた)

 

 スプーキーは発言力があるくせに、重要な事柄に踏み込むことに躊躇いがなかった。

 彼の発言に、貴族や騎士が揃ってざわめく。

 

「私は彼らのやりたいようにさせてやれば、これで彼らの真価が測れると思う。

 なら、それでいいじゃないか。

 異世界人を仲間と認め懐に招き入れるか? 招き入れないのか?

 余計な腹の探り合いなど、長引かせるものでもあるまい。信頼の可否はこれで決しよう」

 

 スプーキーが発言するたびに、問題がどんどんとシンプルになっていく。

 巨人を撃退できれば、朔陽達が抱えている問題の大部分が片付く。

 できなければ、どう転んでも一気に立場が悪くなる。

 一か百かの大勝負。

 朔陽からすればギャンブルの掛け金を勝手に引き上げられていく気分であった。

 

「ですが、余所者の彼らに」

 

「ならないさ。あそこまで大きいものだと斬れるかどうかも分からないが……」

 

 朔陽の目に、スプーキー・パンプキンが手をかけた腰の剣が、キラリと光ったのが見えた。

 

「この国に税金を納めた人間は、国が守る義務がある。

 私に守られる権利がある。

 何があろうと、民には絶対に傷一つ付けさせないと私が誓おう。

 勇者ロードが残した聖剣と魔剣の兄弟剣、その片割れを担う私が、必ずやその誓いを果たす」

 

 朔陽は"ああ、あのクソまみれの聖剣の兄弟剣なんだその剣"と思ったところで、カッコイイ騎士様の愛剣の兄弟剣をクソまみれにしてしまったことに、激しい罪悪感を覚えた。

 幼馴染が聖剣を便器のクソに突っ込んだ光景が脳裏に蘇る。

 死にたいと思えるほどの罪悪感だった。

 

「私はこの魔剣に誓おう。彼らに与えた一度のチャンスの間は、彼らを全力で信じると」

 

「むぅ……」

 

「余所者には任せられないと考えるのもいい。

 だが全てが終わった時に、考えを改める準備はしておきたまえ。

 少なくとも私は戦友を差別しようとは思わない。

 我が愛するこの王都を守るために頑張ってくれるのであれば、その時点で私の仲間だ」

 

 スプーキー・パンプキンがいい人であればあるほど、その魔剣が美しければ美しいほど、朔陽の中の罪悪感は膨らんでいく。

 一方その頃、井之頭一球は自分が便器に突っ込んだ聖剣の存在を完全に忘れていた。

 会議室内の空気は既に"地球からの来訪者に任せよう"という空気に染め上げられている。

 

「さて、もう結論は出た……と、言いたいところだが。

 私としては地球からのお客人のやる気を、その決意を見せてもらいたいところだね」

 

「パンプキン卿、僕達は……」

 

「ああ、君はいいんだサクヒ君。

 君は多分聞いていて心地の良い理屈を並べるんだろう。

 だけどね、私が決意を聞かせて欲しいのは君じゃないんだ。

 実際に巨人と相対するであろう、会議室の隅に居る君の方だよ、イッキュウ君」

 

 パンプキン卿の視線と、睨み返した一球の視線がぶつかる。

 

「俺は親父が大好きなガキだった。

 あの巨人とその仲間は俺の親父を殺した。

 俺は一生許さねえ。俺の動機を説明すんのに、これ以上の理屈が要るか?」

 

「いや、結構。好きにするといい」

 

 半端な動機より、復讐だとしっかり言ってくれる方が、スプーキー的には高評価であった様子。

 

「頑張りたまえ」

 

 スプーキーは一球の肩をぽんと叩いて、手を振って、会議室を出て行った。

 一球は肩に触れたイケメン騎士の手の感触と、去り際に振られた彼の手の平を見たことから、信じられないものを見たかのような顔をする。

 

「朔陽、あの騎士」

 

「どうかした? 一球くん」

 

「俺みたいな手の平だった。

 剣とかバットを死ぬほど振り込んだ手だ。

 時間があれば得物を握り込んできた手だ。

 あの手が、この国の人達を守るために鍛えてきた男の手だっていうなら……」

 

 一球が任せられたのは、人が巨人からこの王都を守る数少ない機会。

 すなわち、あの騎士が愛するこの王都そのものだ。

 

「……俺が今、あの騎士さんに一時だけでも任せられたものは……」

 

 王都というものの重みが、復讐心以上のものを一球の内側から引き出していく。

 それを感じ取った朔陽が、一球の胸を拳にて軽く叩いた。

 

「練習しよう、一球くん」

 

「朔陽」

 

「君がこれまで過ごしてきた日々と同じだよ。

 本番がある。なら本番まで練習する。

 そして練習の成果を見せる。いつだって君は、球児としてそうやって来たじゃないか」

 

 仮にも、信じて託されたのだ。

 ならば半端なものは見せられない。

 地球の高校球児が、異世界の魔剣騎士に情けないところを見せていいのか?

 否。

 否である。

 

「サンキュ」

 

 一球の心身に気合いが入った。友に気合いを入れられたのだ。

 

「……しゃああああああああっ! 練習だあああああああああああっ!!」

 

 叫びながら窓から飛び出す高校球児。

 なお、ここは四階に相当する高さである。

 唖然とする会議室の中の皆。

 

「信じて待っていてください。僕らは必ず応えます!」

 

 朔陽は皆に信じて待つことを頼み、一球の後を追い――こっちは普通に扉から出た――、和子も密かに朔陽の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。

 朔陽は自分にできる全力を尽くし、井之頭一球修行のための場を作り上げていた。

 全ての成功は努力より始まる。

 勝ちたいのなら練習あるのみ。

 修行、そう修行だ。

 鍛錬こそが栄光を生む。

 

「サクヒ」

 

「なに、和子ちゃん?」

 

「サクヒが会議室で話してなかった、私達のメリットってあるの?」

 

「そりゃあるよ」

 

 和子は考えた。

 あの会議室の人達は全員が味方、というわけではない。

 ならあそこでは秘密にしていた、自分達のメリットがあったのでは、と。

 サクヒはそれを隠していたのでは、と。

 でも仮にそういうのがあったとしても自分には分からないな、と。

 若鷺和子は佐藤朔陽のことを分かっているが、分かっているだけで彼女は頭が良いわけでもないので、朔陽と同じことを考えられているわけではないのだ。

 

「考えてもみてよ、黄泉瓜巨人軍は地球からこっちに来たわけでしょ」

 

「うん」

 

「つまりそれは、ヴァニラ姫の術式を参考にしたものだとしても、世界を渡る独自技術だ」

 

「あ……元の世界に帰る手がかりに、なるかもしれない?」

 

「そういうこと」

 

 これは地球に帰る手段を、自分達が最初に確保するチャンスでもあるのだ。

 貴族か何かにそれを確保されて「これが欲しければ俺達の言うことを聞けよぐっへっへ」とされてしまう前に、自分達で確保できればそれが一番理想的。

 黄泉瓜巨人軍の独自技術を確保して、後に姫にその技術を開示、元の世界に帰る方法を一緒に考えるという方法だって取ることができる。

 

「分かった。私も頑張る」

 

「うん、よろしく和子ちゃん」

 

「私は近くに居るから、用があったら呼んでね……」

 

 和子がドロン、と撒き散らした煙に紛れて姿を消す。

 彼女と入れ替わりに、ユニフォームを着て準備万端な一球がやって来た。

 修学旅行に高校球児が野球用具一式を持参するのは常識。

 彼はただ着替えてきただけだが、明らかに気迫の質が違っていた。

 

「朔陽、俺の修行の準備をするっつってたが何したんだ?」

 

「今呼べる人の中から、助けになってくれそうな三銃士を呼んできたよ」

 

「おお……」

 

「野生生物解体部、島崎詩織さん。

 手料理部、恋川このみさん。

 万能中国人、董仲穎くん。

 食材調達担当二人に調理担当一人と隙の無い布陣だよ」

 

「メシ作るメンバーしか居ねえ!」

 

 やりたいことをやっているクラスメイトと、やらなければならないことをやっているクラスメイトが多すぎた。

 この三人を呼んだというより、この三人しか呼べなかったというのが正しい。

 

「とりあえず食事管理と体調管理しつつ、最高効率で修行していこうと思うんだ」

 

「なるほど、プロ野球選手方式で行くわけか」

 

 プロは体調管理も仕事の内である、と言われる。

 学生の内はおろそかになりがちなそれをパーフェクトにこなし、同時に厳しい修行も行うというのが朔陽のプランであった。

 これは夏の甲子園を見据えた事前訓練でもある。

 毎年500人が熱中症で死ぬと言われる日本の夏は、高校球児達にとっても体調管理で乗り切らねばならない正念場なのだ。

 それも見据えて、一球に体調管理概念を叩き込み、頑丈に鍛えねばならない。

 

「皆! 一球くんの最高の状態で打席に送り出すよ!」

 

「おー」

「おー」

「アルー」

 

「き、気迫が足りてねえ……」

 

 詩織、このみ、董仲穎が気負いなく動き始める。

 気合が入ってるのは朔陽くらいのものであった。

 だが、そこから始まった練習と修行の時間は、彼らのやる気の無さとは裏腹に熾烈を極めるものとなった。

 

 崖の下に一球を待機させ、一つのボールを混ぜた大岩なだれを起こし、大岩をかわしながら一つだけのボールだけを打ち返す特訓。

 1tの鉄塊を山の上まで走って運ばせ、その後山の下まで運ばせるタイムトライアル。

 スイングの切れ味を増すため、岩をバットで砕くのではなく斬る修練。

 その全てが、井之頭一球が今日まで積み重ねてきた努力の数々を、野球技能という一つの形で昇華するためのものであった。

 

「疲労回復に効く薬草と、代謝が良くなる薬草アル。

 調理して適当なタイミングで飲ませるよろし」

 

「どっから見つけてきたのこれ」

 

「中国四千年の歴史が生んだ植物知識の賜物アル」

 

 サポーターも実によく動いてくれていた。

 ドラゴンの卵が確保され、卵焼きになって朝飯に出て来る。

 人間の死体にのみ生える栄養満点キノコが昼にソテーとして出て来る。

 晩飯にはティラノサウルスが出て来た。

 食材の栄養がどうなっているかも分からない異世界で、完璧に食事の栄養バランスを計算し尽くすという凄まじい偉業をやらかす、食材担当島崎詩織&調理担当恋川このみコンビ。

 朔陽の人選は実に的確だった。

 一球は後顧の憂い無く修行と食事を繰り返していく。

 

「おっと、その食事はこの食器に乗せて食わせてやるといいアル」

 

「これは……見慣れた日本の食器! 食べる人の精神を安定させる代物! どう作ったのこれ」

 

「中国五千年の歴史が生んだ陶磁器技術の賜物アル」

 

 厳しい修行は一球の基礎身体能力と基礎技術を向上させる。

 あの巨人を倒すためには、力の土台から鍛え直さねばならない。

 食事で取り込んだ栄養は、一球の中で確実に確かな血肉と技術へと変わっていった。

 

「魔物の革で鉄球を包んだ特性野球ボールアル。

 これで練習することで筋力の底上げができるアルよ」

 

「どこで作ってきたのこれ」

 

「中国六千年の歴史が生んだ動物の革の加工技術の賜物アル」

 

 一週間。

 まずは一週間、そうして技と力を磨いた。

 バットの鋭いスイングで魚を三枚におろせる領域に到達した一球は、朔陽に合格点を貰い、次のステージの修行を始める。

 

「準備できたよ」

 

 簡易グラウンドにて、一球と対峙するは和子。

 彼女が次の修行の相手であった。

 

「影分身の術」

 

 和子は一瞬にして九人に分身し、グラウンドに散らばる。

 忍者であれば一人で野球チームを構築することも可能だ。

 で、あるがゆえに。

 彼女はバッターボックスに立つ一球を打者として鍛えるワンマンチーム(事実)として、一球の修行を完成させるべくここに立っている。

 

「私でも実体のある影分身を九分身で維持するのは辛い……でも、頑張る」

 

 野球なんてやったことのない和子が、へんてこで情けないフォームから165km/hの味気ないストレートを投げるが、一球はさらりと打ち返す。

 しかしピッチャーの頭上を抜けるかと思われたその打球を、キャッチャーをやっていた分身和子が跳んでキャッチした。

 

「そんな半端な打球では、私の守備は突破できない」

 

「言うじゃねえか……!」

 

「サクヒ、サクヒ、私の今の守備見た? すごい?」

「うん、凄いよ和子ちゃん」

「えへへ」

 

「バッターボックスの俺に集中しろや!」

 

 朔陽がちょっと褒めるだけで、和子はふにゃっと笑顔で嬉しそうだ。

 一球は和子のフラフラした性格に思わず怒鳴るが、同時に最高の練習相手であることも察する。

 忍者の高速守備、火遁風遁土遁を織り交ぜる投球、それらに翻弄されながらも、一球はバット一本でそれに立ち向かい続ける。

 ようやく一度忍者守備を打球が抜けた頃には、また数日の時間が経ってしまっていた。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」

 

 疲れ果てた一球が、バタンと倒れる。

 そして同時に、守備をしていた八人の和子も消え、和子本体もこてっと倒れた。

 

「きゅぅ……」

 

「和子ちゃーん!」

 

 分身を維持しながら彼の特訓に数日も付き合ってしまったことで、引きこもり生活の影響で目減りしていた和子の体力が、とうとう尽きてしまったのだ。

 一球のスペックは格段に上昇したが、この分では和子もすぐには復帰できまい。

 なんやかんや言って、和子も根が頑張り屋なのだ。

 ここまで頑張ってくれた幼馴染を慈しむ気持ちを込めて、朔陽は彼女の頭を撫でる。

 そして女の子である和子の汗などを拭いてあげるよう、狩猟&料理コンビの女子達に任せて、自分は倒れたままの一球に駆け寄った。

 

「一球くん、何か掴めた?」

 

「ああ」

 

 一つの壁を越えた、と言わんばかりの顔だ。

 彼は高校球児として新しいステージに到達した様子。

 今の彼のレベルであれば、トイレでケツをハンカチで拭く新ハンカチ王子と呼ばれることも容易だろう。

 少なくとも、ドラフト指名クラスの実力はある。

 

 朔陽は彼に問いを投げかけようとして、一瞬迷って、躊躇いつつもその問いを投げかけた。

 

「……お父さんの仇は取れそう?」

 

 それは重大な確認作業だった。

 巨人との再戦において、一球が冷静さを保てるか、保てないかの確認だった。

 一球に嫌なことを思い出させると理解しつつも、朔陽はクラスメイトの失敗の責任を全て取る責任者として、問わねばならなかった。

 彼は委員長なのだから。

 

「目についた奴に無差別に魔球を投げてくる『通り魔球』……

 親父はあれで死んだ。何も悪いことなんてしてなかったってのによ……」

 

「……あの時期は、あれで殺された人、本当に多かったからね」

 

「許せねえよな。野球で許されてんのは捕殺、刺殺、併殺くらいのもんだ。

 殴殺、撲殺、それも無差別殺人でやるあいつらは、今や巨人軍の面汚しだ」

 

 一球は仰向けに倒れたまま目を瞑り、目の前で父が巨人軍に抹殺された時のことを思い出す。

 無差別な殺人だった。

 何の意味もない殺害だった。

 犯人である巨人が反神タイガースと真・巨人軍に打ち倒されてもなお、一球の心の中には拭い去れない苦しみが残り続けている。

 

「今でも時々、脳漿ぶちまけた親父の姿を思い出す。

 人間の頭蓋骨の中に何が詰まってんのか、俺はあれで知ったんだ。

 後、ぶっ壊れた人間はいくら泣いて呼びかけても応えてくれないってこともな」

 

 飛び散る脳の中身。

 砕けて落ちる頭蓋骨の欠片。

 それらが、べちゃり、かたり、と路面や壁に当たる音が耳に入らないくらいに大きな、巨人が投げた鉄球が物体を破壊する破壊音。

 五感で感じたそれら全てが、一球の中に憎悪と憤怒・恐怖と焦燥を呼び起こしてしまう。

 

「自分もああなるのが怖えんだ。

 怒りがあって、恐怖がある。

 情けねえ話だが、前回はそのせいで俺のスイングができなかった」

 

「一球くん……」

 

「お前は体張って俺を庇うくらい、ビビリもせずにいつも通りだったってのにな」

 

 怒り憎むがゆえに巨人から逃げられず、焦り恐れるがために巨人の鉄球を打ち返せない。

 そんなジレンマに陥った一球を、朔陽はあの時、体を張ってでも守ろうとした。

 自分らしく在ること。

 それをいつでも貫くということは、とても難しい。

 

「いや、何腑抜けたこと言ってんのさ。君らしくもない」

 

「うおっ、ド直球で来たな!」

 

 が、朔陽は甘やかさない。

 彼は甘やかすべき時に甘やかすだけで、厳しい時には厳しいのだ。

 

「あの黄泉瓜巨人軍が全盛期だった頃にそれをほぼ全滅させたのは誰?

 今の球界でプロ野球選手として活躍してる、ベースボーラー達でしょうが」

 

「……そういやそうだな」

 

「今の高三にも当時巨人軍と戦った球児は大勢居る。大阪桐蔭狂(トゥインクル)高校とかね」

 

 巨人軍は井之頭一球の人生のラスボスなのだろうか。

 いや、違う。

 巨人軍は彼にとって倒すべき因縁の相手であっても、それ以上の存在ではない。

 

「つまり、甲子園には、プロの世界には、あの巨人より凄いピッチャーが待ってるんだよ?」

 

「―――!」

 

「一球くん、ここは君のゴールじゃない。

 ここは最後の場所でもない。

 ここはただの通過地点なんだ。

 君はあのピッチャーを越えて、その先にあるもっと凄い世界に行くつもりなんだろう?」

 

 60mの巨人程度を倒せずして、1万3千平方mの面積があると言われる甲子園が制覇できるのか?

 否。

 否である。

 その程度の壁を越えられない者に、甲子園の土は微笑まない。

 

「あんな奴も倒せないなら、きっと甲子園にも行けやしないさ」

 

「おう、言うじゃねえか」

 

 一球は立ち上がり、ヘトヘトなはずの体でまた素振りを始める。

 

「じゃあ俺が甲子園行ったら、ちゃんと応援にも来いよな、朔陽!」

 

 彼が巨人の殺人球を打つことを、幼馴染の朔陽は、欠片も疑ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やがて、巨人の再襲来が始まる。

 先日の巨人よりも更に大きく、巨人軍の人間の指示を受けて動く、肉で出来た巨大無人ロボとでも言うべきその巨躯。殺人を忌避せぬその姿が、何よりも恐ろしい。

 王都で人が逃げ惑う。

 アリに群がられて地面を転がるセミがニャーと鳴く。

 おのれと叫ぶ貴族が走る。

 王都に満ちる空気は、まさしく静寂の対極であった。

 

 やがて、巨人は王都と自分の間に立つ、一人の球児の存在を認識する。

 ゆえに足を止め、腰に吊った鉄球の内の一つを手に取った。

 ここからバッターの妨害を投球にて突破し、この国の急所たる王城と王族を、まとめて鉄球投擲にて潰すつもりなのだ。

 巨人のデッドボールは、最高に上手く行けば国さえ崩壊させるだろう。

 

 北欧神話において、巨人は神と格で並ぶ凄まじき存在である。

 その中でも、終末(ラグナロク)において神と巨人を世界観ごと焼き尽くした炎の巨人スルトと、炎の剣にして杖たるレヴァンテインは多くの者が知っていることだろう。

 炎上を呼ぶレヴァンテイン。ならば、現代の野球界における『全てを終わらせる一振りの剣にして杖』とはバットに他ならない。

 情けないピッチャーをバッターがめった打ちにし、炎上させ、試合を終わらせるための武器。それが野球におけるバットという剣なのだから。

 

 バットを手にして巨人へと立ち向かう一球の姿は、まさしく神話の再現であった。

 

「俺、日本に帰ったらエースピッチャー辞めるわ。

 外野に回って、補欠投手に控えて、バッティング一本に全力懸けることに決めた」

 

「そっか」

 

 一球が決意を口にして、朔陽がその決意をちゃんと聞いてあげている。

 

「大切なのは選択もそうだが、選択した後何をしていくか、もだよな。

 俺は選択して終わりじゃねえ。

 励まされて、助けられて……選択した後も、努力を続けていかなくちゃなんねえんだ」

 

「うん、それでいい。

 いや、それがいいんだと思うよ。

 少なくとも僕は、そういう君がかっこいいと思ってる」

 

 自分にピッチャーとしての才能が無いと判断した一球は、自分がこれから先練習に使える時間を全て、他の野球技能のために使うことを決めた。

 それが正解かどうかは分からない。

 未来にならなければ分からない。

 だがそれでいい。

 それでいいのだ。

 何が正解かも分からないことなど、人生には無数にある。

 大切なのは、ちゃんと何かを選び、選んだ道を全力で駆け抜けることなのだから。

 

「お前さ、昔からすげーすげー言い過ぎなんだよ。

 俺が速い球投げたらすげー。

 カーブ投げたらすげー。

 野球部でエースになったらすげー。

 ホームラン打ったらすげー。

 キャプテンになったらすげー。

 俺が覚えてる限り、この十年くらいずっとそうだったじゃねえか」

 

「そうだっけ?」

 

 想い出を思い返しながら語る一球は、どこか上機嫌で、嬉しそうで、誇らしそうで。

 過去が心身に力をくれる。

 思い出すだけで力を湧かせてくれる。

 親友にして幼馴染である男が今も見守ってくれているだけで、一球は『負けられねえな』という気分になるのだ。

 

「俺が巨人神装兵ぶっ倒した時くらいは、多少芸のある褒め言葉を言えよな」

 

「分かった、考えとく。でもしょせん僕なんだから期待しないでよ」

 

 一球がバットを構え、朔陽が一球から離れる。

 そして朔陽が王都の敷地内に入った瞬間、彼の隣でヴァニラ姫が結界を張った。

 近くに居るだけで肌がピリッとする姫の膨大な魔力が、王都を丸ごと包み込む巨大な結界を作り上げる。

 

「ヴァニラ姫、準備できましたか?」

 

「今、私の魔力で王都に結界を張りました。

 巨人が鉄球を投げようとした瞬間、強度を高めてそれを防ぎます。

 先日来た巨人を基準に考えれば、結界強度はそれで十分……だと思います。

 ただ、瞬間的に強度を高めるのは三回もしてしまえば、私の魔力が尽きてしまうので……」

 

「球を三回そのまま後ろに通してしまえばアウト、ってことですね」

 

「その時点でパンプキン卿が動きます。その後はどうなるか、私にも分かりません」

 

 あの最強の騎士を名乗った男は、後詰めに入ってくれているらしい。

 姫も全力を尽くしてくれている。

 ますます負けられない空気になってきた。

 

「……」

 

 だが姫は、少し気負い過ぎているようだ。

 王都と民を大切に思い過ぎているためか、握った拳の色が変わってしまっているくらいに、強く拳を握り締めている。

 張り詰めた糸は切れやすい。

 今のヴァニラ姫は、まさしく張り詰めた糸を思わせる。

 

 彼女を安心させようとして、彼女の手に自分の手を重ねようとした朔陽だが、まだ彼女とは友人にもなっていないことを思い出し、手控え、ひとまず心の距離を測る。

 そして、自分の拳の背を彼女の拳の背に当てた。

 姫が顔を上げる。

 彼の顔を見る。

 朔陽はヴァニラに、優しく微笑んでいた。

 ヴァニラ姫に少しだけ周りを見る余裕が生まれ、拳を握る力が少しだけ緩まった。

 

「大丈夫」

 

 姫は一球を信じていなくて、朔陽は一球を信じている。

 二人の気の持ちようの違いの原因など、それだけだ。

 ただ、一片の疑いもなく友を信じている朔陽の姿が、姫を少しばかり安心させる。

 

「来る」

 

 巨人が、手に持った鉄球を振りかぶった。

 

「プレイボール」

 

 一球が呟いたその一言が、一打席勝負開始の合図。

 

 瞬間、巨人が振りかぶった鉄球を投げ込んだ。

 構えの静、投げの動への移行に淀みはなく、投擲完了までにかかった時間は一瞬。

 常人であれば構えていた巨人が動いたと思ったら投げていた、としか見えないほどの速度。

 瞬投のデッドボール。

 投げられた巨大鉄球は、一直線に一球の頭部に向かう。

 

 それだけではない。

 投げられた球は"途中で消える"。

 野球の王道変化球の一つ、『消える魔球』であった。

 

 その速度と魔球変化に、一球は的確に反応してみせる。

 和子を真似した縮地法にて最適な位置取りを行い、消えたはずの魔球に迷いなくフルスイングを実行する。

 芯は外れたものの強打された透明な打球が、バットにカットされファウルチップと化し、姫が瞬間的に強度を上げた王都結界の端をかすめて行った。

 結界瞬間強化可能回数、残り二回。

 

「球が消えた……なのに、イッキュウ様が打って弾いた!?」

 

「ただの消える魔球とは前時代的ですね……

 速度も変わらない、曲がりもしないただ消えるだけの魔球。

 それなら目に見えなくなったところで、ボールがどこにあるかなんて分かりきってます」

 

「な、なるほど」

 

「今年はロッテが

 『打った感触まで消える、打つ前も打った後も消えたままの魔球』

 でフライや内野ゴロを打ったことも気付かせないシフトを使っていたというのに……」

 

「よく分かりませんが、巨人のスタイルは古いということなのでしょうか?」

 

「はい。ヴァニラ姫には実感しにくいと思いますが、これはアドバンテージですよ」

 

 合気道の開祖・植芝盛平は、数十mの距離を一瞬にして移動したほどの縮地法の使い手だったと言われている。

 その領域に達しているのはこのクラスでも若鷺和子くらいのものだろうが、それを真似た一球でもこの勝負に使うには十分なレベルの縮地が身に付いていた。

 もはやデッドボールで井之頭一球が潰されることはない。

 後は王都が投球で潰されるか、潰されないかの話。

 その投球を一球が打ち返せるか、打ち返せないかの話となった。

 

「オラ来いよ、第二球だ」

 

 巨人神装兵は初球をカットされた後の第二球を振りかぶる。

 そして、投げた。

 周囲の大気を巻き込むうねり。

 空気を引き裂き迫る爆音。

 接近に伴い視界の中で大きくなっていく鉄球。

 それら全てが、一球に恐怖を呼び起こすにはあまりにも足りていなさすぎる。

 

 ―――投げられた鉄球が、途中で変化しなければ、の話だが。

 

「!」

 

 巨人が投げた第二球は、無数に分裂。

 その時点で一球は球筋を見つつ、この変化球を見送ることを決定した。

 一球の横を素通りした無数の鉄球が、王都に降り注ぐ。

 王都の結界にガンガンガンと衝突する。

 王都周辺の大地にも降り注ぎ、地面を衝撃でひっくり返していく。

 直径50kmの範囲が、巨人の切り札とも言える渾身の変化球に蹂躙されていく。

 

 山を一撃で平地にするような戦略級変化球を、姫が瞬間的に強化した結界は見事受け止めるが、僅かな振動が結界の内部に伝わってしまう。

 民が動揺し、完璧に防ぎ切るつもりだった姫が焦る。

 

「た、球が増えました! どうしましょうサクヒ様!」

 

「落ち着いてくださいヴァニラ姫!

 質量を伴う分裂魔球、ただの手の込んだナックルボールです!

 一球くんは迂闊に手を出さずに一球分様子を見ただけです!

 ですが今魔球の球筋をしっかりと見たので、二回ストライクを取られることはありません!」

 

「な、なるほど」

 

「結界の強度強化ができるのはあと一回です! 集中して行きましょう!」

 

 結界の瞬間強化ができるのはあと一回。残り一回だけだ。

 自然と、姫と朔陽の間に緊張が走る。

 ならば次で決めるのだろうか、と姫が思っていると、バッターボックスの一球が朔陽にハンドサインを送ってくる。

 野球の王道、サインによる意思疎通だ。

 朔陽はハッとして、三度目の――最後の――結界強化をしようとした姫を止めた。

 

「ヴァニラ姫、次の一球は結界の強度を強化しなくてもいいです」

 

「え? でも……」

 

「大丈夫です、あいつを信じてください」

 

 一球は構えて打ち気を見せるだけで内心動く気は全く無く、姫も結界は強化せず、朔陽はひたすらに友を信じ―――三投目の鉄球は、王都結界の頭上をかすめるギリギリのラインを、飛び抜けて行った。

 

「何故、あんな見当違いの方向に……?」

 

「奴は既に最初のファウルと二球目の分身魔球で2ストライク取ってます。

 ならここは一球外してくる、と踏んだんだと思います。

 一球外せば姫が無駄に消耗してくれます。

 逆にピッチャーである巨人の側からすればツーナッシングで一球外しても損は無いですし」

 

 これでツーストライクワンボール。

 勝負を仕掛けるか、もう一球外すか、判断が分かれるところだ。

 

「野球は地球を語源とする、星に最も近い球技。

 アッラーを語源とするサッカーと対になるメジャースポーツです。

 だからこそ、野球はサッカーにも並ぶ二大人気スポーツであるのです」

 

「二大人気スポーツ……」

 

「奴らが神を名乗るのは、星と神のどちらも自らの内へと内包せんとしているため。

 ですが同時に、巨人の力で神にも等しい組織となったという、傲慢でもあるのです」

 

 人は神を討てるのか。

 小人は巨人を討てるのか。

 信じただけで成せることではない。

 だが、信じなければ絶対に成すことはできないだろう。

 

「一球くんなら必ず、その傲慢を、人として砕いてくれるはず……!」

 

 信頼が、友の力となる。

 

(次は、どう来る? ここまでに使ってきた変化球か、それともシンプルに直球か)

 

 友の信頼を背中に受け、一球は次の投球を読む。

 直球か、変化球か、それとももう一回外してくるか。

 朔陽に結界を強化するかどうかの指示でまず二者択一、その後打とうとする場合は更に敵の球質を読み切る必要がある。

 どんな球が来るかさえ分かれば、打ち返せるというのに。

 

(思い出せ。巨人軍が好む配球の組み立てはどんな感じだった……?)

 

 一球は記憶を探る。

 記憶の海に、この敵の手がかりがあると信じて。

 想起が記憶の海より次々と情報を引き出し始めた。

 朔陽とキャッチボールした記憶、朔陽と喧嘩して川に蹴り落とした記憶、父が死んで朔陽に慰められた記憶、親に朔陽と学力で比べられて家出した記憶、朔陽の家に泊めて貰った記憶、朔陽に金を借りて夏にアイスを買った記憶。

 

(あ、あの時借りてた60円まだ返してねーや)

 

 そうして彼は、巨人軍の配球組み立てのデータを、記憶の海より引っ張り出した。

 

(そうだ。速球と変化球を織り交ぜ……

 『速球で外して』、速球のボール球に目を慣れさせ、変化球で決める。それが奴らのやり方)

 

 先程巨人は速球の直球で一回外した。

 ならば次にもう一度変化球を投げ、最後のストライクを取りに来る。

 そう読んだ。その読みに賭けた。バットを握る手に、力が入る。

 

 ―――そして、読み通りの一球が、分身魔球なる変化球がやって来る。

 

 "進歩がない過去の遺物の投球"に、思わず一球の肩の力が抜ける。

 何年経っても変わらない敵の野球スタイルが、何年も過去に引きずられている自分と重なってしまい、一球は自分のあれこれを顧みてしまったのだ。

 過去の自分のままでいることが、少し恥ずかしく感じられてしまう。

 そして、過去を振り切り前に進む覚悟を決めた。

 

「他の誰のためでもねえ、俺のためだ」

 

 その一振りは、劣勢の試合を覆す奇跡の四番に相応しき一撃。

 

「親父に胸を張れる俺でいるために。

 親友に誇ってもらえる俺であるために。

 もうこれ以上、誰にも、巨人軍の犠牲になって欲しくない、俺のこの願いのために」

 

 今は亡き父を想う。

 自分の後ろに居る朔陽という友を想う。

 眼前の敵を見据える。

 

「甲子園で、プロで、親友に最高にかっこいい俺の姿を見せるっていう、俺のこの夢のために」

 

 分裂した鉄球が迫り来る前に、一球はバットを振るった。

 空振り? いや、違う。

 これは、打つための布石の一つだ。

 スイングを一度行い、その衝撃で球を捉え、二度目のスイングで球を打つという、クノイチとの修業によって一球が編み出した新打法である。

 

 物理を超越したスイング衝撃が擬似的に通常物質をボース粒子へと変化させ、全ての鉄球をボース=アインシュタイン凝縮によって一つの鉄球へと凝縮させ、一塊にする。

 球を分裂させる魔球も、球を一纏めにする魔技の前では児戯同然。

 井之頭の打撃術は、隙を生じぬ二段構え。

 ゆえに無敵。

 ゆえに球児。

 ゆえにその一打は鉄球を捉え、打ち返し、巨人の心臓を撃ち抜いた。

 

「―――過去にサヨナラホームランだぜ」

 

 クソダサダジャレお兄さんと化した井之頭一球。

 

 人体実験により生まれし巨人なる悲しき命の最後の一つ、それが今ここについえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界にやって来た黄泉瓜巨人軍の侵略者は、二種に分けられる。

 人間を素体にして作られた自由意志の無い兵器、巨人神装兵。

 そしてそれを操っていた人間達だ。

 二体の巨人は倒されたが、巨人に指示を出していた人間達は姿を消していた。

 

 そして今、手駒の巨人を失った彼らは、魔王軍を率いる魔将の二人に蹂躙されていた。

 

「な、何故……お前達は、一体、何者……」

 

 踏み潰されるトマトのように、最後の一人の頭が踏み潰される。

 地面にずらりと並べられた巨人軍の者達の懐を、殺害者である二人が探る。

 そして殺害者の二人は、彼らの懐からケースに入った書類の束を発見した。

 二人が、にまりと笑う。

 多くの人間を殺してなお平然と笑うその二人は、同じ顔をしていた。

 『双子』であった。

 

「「 ゲット、ゲット、異世界渡航技術ゲット。これで異世界行けるかな? 」」

 

 同じ顔が、同じ表情の動きをして、同じ感情を顔に浮かべ、同じ言葉を紡ぎ出す。

 

「「 異世界、異世界。異世界の兵器や技術も持てるかな? 」」

 

 双子は踊る。

 

「「 国くらい一つで消せる爆弾、そういう素敵で素敵なの、どこかにあるかな? 」」

 

 敵の手に渡ってはいけないものが、敵の手に渡ってしまっていた。

 

 

 




この作品はフィクションです。実在の人物や高校や団体には関係ありません(戒め)

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